獅子心姫の淑女闘争

若島まつ

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六、姫君の教え - la Princesse enseigne -

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 エラデールへ来て三日目。
 シダリーズは昨日の視察で見つけた廃寺を拠点に行動を始めた。領内で遊ぶ子供たちやその親たちに声を掛け、ささやかな朗読会に招待したのだ。娯楽に飢えている領内の子供たちは、次々に招待に応じ、友人からその友人へと声を掛けた。その親たちも同様だ。王都から来た人間の物珍しさも手伝って、もう何十年も使われていないような太陽神の神殿へ、かつて行われていたであろう祈祷会ほどの領民が集まった。当初は子供たちに向けた朗読会だったが、小さな町で噂が広まるのは早かった。
 翌日には余暇を持て余している近所の若い男女も集まり、シダリーズとマノンが紡ぐ柔らかな口調の物語に熱心に耳を傾け、時には笑い、時には涙した。
 朗読する物語は、男の子に人気の冒険譚から女の子に人気の可愛らしいロマンスまで、様々だ。時には大人たちを飽きさせないように戦記を朗読することもあった。
 本は、持参したものだ。こうして読み書きができる利点を体験させることを、予め想定していた。しかし、シダリーズは本を書いてある内容のまま読み聞かせるのではなく、難しい言葉をより口語的な表現に直して読んだり、同じ意味を持つ言葉を他の言葉に言い換えたりして、意味の理解に無理のない範囲で語彙を増やすなどの試みを行った。
 それだけではない。朗読が終わった後に子供たちに向けて簡単な授業を行った。感想を言い合うだけではなく、彼らが思う物語の主題を話し合ったり、王都から持参した料紙やペンを使って言葉の意味や書き方を教えたりした。
 朗読が終わるとその後の勉強会には参加したがらない若者も多かったが、三日ほど経つ頃には子供たちを中心に多くのものが徐々に学習への意欲を見せ始めた。
 こうして、日々のパターンができた。
 早朝に起床して屋敷を出、前夜に酒場で手に入れた食料を持って廃寺へ行き、朗読会とその後の勉強会に集まってくる子供たちのためにその日一日の計画を立てて、日中の勉強会の後はマノンとジャンと話し合い、酒場で食事をした後、すっかり暗い時間にルマレ邸へ戻る。
 シダリーズはあの日以来、屋敷でギイ・ルマレと顔を合わせることはほとんどなかった。
 ギイ・ルマレは朝早くから山に猟に出ることがあるらしく、弓を持って仲間たちと出かけ、夕刻には帰ってきているようだった。狩りで得たキツネやシカなどの獲物は、酒場の外で捌いて焼き、領民に振る舞うのだ。
 シダリーズも朗読会で顔なじみとなった子供たちに誘われてその場にいた。ギイが中心になり、例の悪友たちも手際よく肉を焼き、皆に公平に行き渡るよう細やかに対応していた。シダリーズに串に刺した鹿肉を振る舞ったのはギイだった。二人とも会話なく表情も少なかったが、串を受け取るとき、ギイの指がシダリーズの指に触れた。どういうわけかその瞬間に身体に熱が走り、あの夜の口付けを思い出した。濃い睫毛の下の青い瞳は、何の感情も見せていなかった。少なくとも、シダリーズには。
 シダリーズは礼を告げ、目を逸らした。子供たちが一緒にいたのが幸いだ。ギイに対して、少なくともあからさまな動揺を見せずに済んだ。
 またある時は、ギイは領民の青年たちと畑の区画について真面目に相談したり、次の狩りのことや、オオカミの出没情報と警戒策について話し合ったりしていた。かと思えば、仲間の下品な冗談で悪童のように笑ったり、また別の時は見知らぬ女性と親密そうに会話をする姿もあった。さては言葉を交わす以上の関係なのではないかと思いつくと、妙に胸が騒いだ。
(不埒者)
 シダリーズがすることと言えば、心の中でそう吐き捨てて、軽蔑したようにそれを素通りするだけだ。
(あんなふうに笑った顔なんて、わたしには見せないのに)
 とも思った。嫌われているのだろう。きっと王国政府が領地の運営に介入しようとしていると思っているからだ。
 ルマレ邸での生活は、慣れてしまえば快適だ。
 数少ない使用人たちはギイに言い含まれているのか、徹底的に三人の滞在者を無視した。食事を運んでくることもなければ、風呂の支度もしない。ほこりっぽい客間の掃除さえ、マノンとジャンがした。シダリーズが手伝おうとすると、二人が必死に止めるのだ。
 この使用人たちの態度にマノンはひどく憤慨していたが、シダリーズにとってはそれほど問題ではなかった。幸い、この屋敷では浴室が一階の厨房の隣に造られているから、風呂はわざわざ頼まなくても毎晩カラスの行水ほどしかしないギイが出た機会を見計らえばまだ湯が温かいうちに入れるし、シダリーズがさっさと入浴を終えればマノンやジャンもぬるま湯程度の湯で身体を清められる。王族としては情けないことこの上ないが、身分を隠している上に、こんなことで文句を言えばギイ・ルマレの思惑通りになる。
 一週間も経つ頃には、子供たちだけでなく若者や大人たちの間でも王都からきた公女による朗読会が話題になっていた。廃寺を訪れる人々も増えている。冷やかしも多いが、それでも効果はある。エラデールは小さな町だ。そろそろ領主やその周囲の人間の耳にも届いているかも知れない。
 無論、彼女たちの活動に好意的な人々ばかりではなかったが、こんなことは無意味だと揶揄するような者たちにもシダリーズは辛抱強く説明を繰り返した。乱暴なものが出入りしそうなときや喧嘩が起きそうな時には、かつて王妃付きの護衛騎士でもあったジャンが上手く立ち回って暴力沙汰を回避した。兎角、新しいものにはそれを排除したがる勢力が必ず存在するものだ。そして、彼らに対して学習の必要性を説くのは、常にシダリーズだった。相手によっては例を変え、教育と学習がどう役に立つのかを説いた。
 結果、何か政治的な思惑を感じ取った領民は、少なくなかった。領主の不興を買うのではないかと、子供の意志とは関係なく朗読会へ行くことを禁じるものが日ごとに増えた。
 順調に参加者が増えていた矢先、これはシダリーズにとってつらい出来事だった。
 疲労が、心身に暗い影を落とした。

「今日はお休みになった方がよろしいのではないですか」
 十日目の早朝、シダリーズの地味な藁色のドレスの支度を手伝いながら、マノンが言った。腰から上を覆うビスチェを編み上げた紐が、以前よりも少し多く余っている。
「お顔の色が悪うございますよ。ここへ来てから食事も満足に摂られていませんし、どう考えても働き過ぎです。姫さ――」
「リーズよ」
 シダリーズの声は硬い。
 頭の硬い重臣連中に散々獅子心姫などと揶揄されてきた。ここでも同じように実を伴わずに王族の権威を振りかざして、あの時と同じ轍を踏むのだけは御免だ。
「そんなの、絶対だめよ…」
 視界が歪んだ。世界が足元から崩れ落ちたと思った。
(あ。違う…)
 落ちたのは自分だ。――と認識した時には、すでに床板が目前にあった。身体に受けるはずの衝撃がないことを不思議に思う前に、目の前が暗くなり、その直後に、泣き叫ぶようなマノンの声も遠くなった。

 シダリーズが意識を取り戻した時、目の前には暗闇があった。まだ眠っているのかと思ったが、だんだん闇に目が慣れてくると、窓から射すぼんやりとした月明かりが部屋の中を浮かび上がらせた。
 ベッドの横に、影がある。その影がシダリーズの手元にティーカップを差し出した。シダリーズはよろよろと上体を起こし、カップを受け取った。
「マノン…?ありがとう」
 と言ったつもりだったが、喉の奥が掠れてざらざらとした音にしかならなかった。
 シダリーズはティーカップから漂う林檎に似たほのかに甘い香りを嗅ぎ、ほどよく冷めた茶を嚥下した。カモミールの茶を出してくれるとは、気が利いている。
 さすがマノンね。と心の中で感謝したとき、影が言った。
「ここまでだ。お姫さま」
 ギイ・ルマレの声だ。
 驚いたシダリーズはカップを手から落としそうになったが、ギイの手が伸びてきてシダリーズの手を支えた。カップは、まだ手の中で熱を発している。
「なんで、あなたが…」
 声がざらざらしているが、今度は何とか言葉になった。
「侍女と騎士は薬を買いに方々走り回ってる。回復したら、王都へ帰れ」
「いやよ。どうして――」
 シダリーズは言葉を失った。目覚めて最初に聞いたギイの言葉を、今ようやく頭が理解したのだ。
「…お姫さま?」
 きっと言葉の綾だろうと思いたかったが、違った。ギイ・ルマレは燭台も置かず、闇に溶けるように座し、暗い目に鈍い光を踊らせている。夜の森で獲物を待つ狩人のように。
「俺が気付かないと思ったのか。シダリーズ・アストル姫」
 頭を重たい石で思い切り殴られたような衝撃だった。
「いつから知っていたの」
 シダリーズは顎を震わせた。
「初めからだ。教育局の仕事で来たと聞いたときから。まさか姫殿下がこんなところに来るわけないと思ったが、シダリーズ姫の噂なら知ってる。‘獅子心姫’ならやりかねない。身分を隠してエラデールの領民を懐柔しようとしたんだろうが、見ろ。結果このザマだ。あんたがいくらちまちま説得を続けたところで、ここは変わらない。大人しく帰って、王族らしく勅書でも送って来い。そっちの方が現実的だろ。朝になったら王都にも報せを――」
 ギイを黙らせたのは、顔目がけて飛んできたクッションだった。シダリーズはたった今ギイに投げつけたクッションが床に落ちる前にもう一度掴み、今度は両手でしっかり握って思い切り顔に叩き付けた。
「慎みなさい、ギイ・ル・マル邪悪なギイ!」
 ガラガラの声で力の限り叫びながら、ボフボフとギイをクッションで叩き続けた。
「わかっていて、わたしたちを欺いて、嘲笑っていたのね!‘獅子心姫ならやりかねない’ですって?王家の血統しか取り柄のない小娘が四苦八苦するのは、どれほど面白かったかしら!あなた、頭が高いのよ!この…っ、人でなし!最低だわ!あなたなんて――」
 クッションを振り上げたシダリーズの腕が、ギイに掴まれた。いつの間にか、右手の人差し指の爪が折れ、深いところまで割れて、血が滲んでいる。
 ギイは邪魔くさそうにクッションをシダリーズの手から退けると、頬へ手を伸ばし、目の下を拭った。この時初めて、シダリーズは自分が泣いていたことに気付いた。
「あんたが俺をどう思おうが構わない。俺にはあんたに媚びを売らなきゃいけない理由なんてないからな。寧ろ感謝して欲しいね。人を欺いてるのは俺じゃなくてあんただ。俺はそれを知った上で、乗ってやったんだ。これで自分の立場がわかったか?世間知らずのお姫さま。ここはあんたのいる場所じゃない。王国政府も教育局も知ったことかよ。あんたらは俺の仕事の邪魔だ。こんなところで野垂れ死にされたら迷惑なんだよ。さっさと王都へ帰れ」
 シダリーズは大きなハシバミ色の目を見開いて目の前の男を見た。
 胃の中が煮えくり返るほどに怒りが滾ってくるのに、不思議と泣き出したいとも、叫びたいとも思わなかった。その代わりに、この無礼で非情なギイ・ルマレをどうやって屈服させようかと、そればかりが頭の中を巡った。
「……世間知らずですって」
 シダリーズは歪な笑みを浮かべた。
 ギイの胸倉を掴み、呆気に取られて抗うことも忘れたギイの首を自分の方へ引き寄せると、自分から唇を重ね、小さな舌でギイの唇をペロリと舐めた。
 羞恥もなかった。これは獅子心姫の報復だ。
 引き寄せたギイの頸から、どくどくと脈動が伝わってくる。自分の身体が冷え切っているせいかもしれない。男の身体が、ひどく熱い。
 ギイの身体が動いた。――と思った瞬間、腰を抱き寄せられ、刹那のうちにベッドへ身体を倒されていた。男の舌が、口の中へ入ってくる。内部を侵すように、奥まで舌で拭い、シダリーズの呼吸を奪おうとしているようだった。大きな手が寝衣の上を這い、腰から背中へと伝う。
 報復は成功だ。世間知らずと蔑んだ女に少し触れられただけで、人の皮が剥がれる。
「獣の姿を暴かれた気分はどう?狩人さん」
 シダリーズが嘲笑するように言った。
 顔を上げたギイ・ルマレの顔は、まさに獣のようだった。罠にかかり、怒る獣だ。
 貞淑なるエマンシュナ女性エマンシュニエンヌの鑑、王国の花と謳われるシダリーズ・アストル姫はここにいない。自分の道を阻むものを決して赦さない、闘争心の強い獅子心姫だけが、怒りに満ちたシダリーズの中にいる。
 しかし、ひとつだけシダリーズが見落としていたことがある。
「そんなことで俺を飼い慣らせるとでも?」
 狩人の皮を剥いだギイ・ルマレもまた、闘争心の強い獣であるということだ。
 ギイは暗い笑みを浮かべ、もう一度シダリーズの唇を塞いだ。容赦なく身体を押し付けられ、さっきよりも熱くなった手が背中の紐を解いて襟を開き、首筋を伝い、頼りない寝衣を下に引き下ろした。
 口の中をギイの舌に侵されながら、胸がひやりとした夜気に触れるのを感じた。次に胸を包んだ熱は、ギイの手のひらだ。
「ん…、ふ」
 身体が痺れる。他人にこんなところを触れさせるのは初めてのことなのに、不思議と恐ろしいとは思わなかった。今のシダリーズの頭の中は、ギイ・ルマレへの報復しかない。
 それなのに、肌から伝わる体温に、口の中で感じる熱い息遣いに、乳房を優しく包むその手に、ひどく心を乱される。
 乳房の先端で膨れた実をギイの長い指が摘んだとき、シダリーズの身体を微かな衝撃が走った。
「んぁっ…」
 唇から漏れた声は、ギイの舌が舐め取って呑み込んだ。
「んっ、ん…」
 ギイの指が、シダリーズの胸を弄ぶように這い、爪弾いて、その身体に新たな感覚を植え付けている。
 激しく貪られていたせいで、もはや唇の感覚がない。ようやくシダリーズの口を解放したギイは、呼吸を荒くしていた。
 はっ。――と貞淑な王国の花が目を覚ましたのは、獣性を露わにした深海のような目と視線が絡み合った瞬間だ。
(一体、何をしているの)
 こんなふうに、いっときの怒りに身を任せて相手を挑発しようなんて、するべきではなかった。もしこのまま止めなかったら、その先に何が起きていたのだろうか。
 シダリーズは熱くなった唇を結び、噛み締めた。
 これは悪手だった。敵に隙を見せた。
 ギイは無慈悲にもシダリーズの腕を掴んでベッドへ押し付け、暗い笑みを浮かべた。
「悪い遊びを始めたのはあんただぞ」
 低く剣呑な声色に、シダリーズの喉がゾクリと震えた。これが性的な興奮であることが判らないほど、シダリーズは初心ではない。しかし、自分の身には起きないことだと思っていた。
 ギイの暗い色の波打つ髪が首筋をくすぐり、温かい唇が首の柔らかいところから鎖骨へと啄むように下りてきて、シダリーズの肌を湿らせた。
 肌に触れられるたび、口から熱っぽい吐息が漏れる。
「あ…!」
 乳房の先端にギイの唇が触れると、指で弄ばれていたときとは全く違う衝撃が細波のように全身に広がった。膨れた実を舌でつつかれ、啄まれ、もう片方は指で弄ばれている。
 ギイの唇に塞がれていないから、尚更声が響く。耳を塞ぎたくなったが、自分のものと思えない声が漏れるのはどうしようもなかった。
 腹の奥から湧く衝動が、身体の内側を暴れ回っているようだった。
(けものだわ)
 自分の中にも、ギイと同じけものがいる。
「だめ…」
 ギイに向けて言ったのではない。自分に向けてこぼれた言葉だ。堕ちてはいけない。ギイの言う通り、シダリーズが始めた遊びだ。
 シダリーズは藁に縋るようにして枕を掴み、乱れた寝衣の上にのしかかり胸を食む男から与えられる熱を耐えようとした。
「だめかどうか、自分の身体に訊けよ」
 ギイが顔を上げた。冷たい声だ。
 また捕らえられる。その瞳が、暗闇の中でギラリと光った。
「王都へ帰ると言え。そうすれば今負けてやる」
 この一言で、シダリーズの闘争心が再び目覚めた。
負けてやる・・・・・ですって?あなたの負けよ。世間知らずの女に誘惑されて獣みたいに盛っているのがその証拠じゃない」
「ハッ」
 ギイが意地悪く嘲笑った。
「盛ってるのはどっちだ?貞淑な姫君がこんな痴態を晒して――」
 シダリーズはビクリと身体を震わせた。
 ギイの膝が脚の間に入り込み、手がはぎから寝衣の中へ這い上がってくる。
「ちょっと、何し…あっ」
 脚を閉じようとしたが、遅かった。既にギイに掴まれて脚を開かれ、下着の紐を解かれて、臍の下の柔らかい場所へと侵入を許している。
 ギイの指が触れたシダリーズの中心は、既に溶け出している。
「ハッ、ほらな。俺が獣なら、あんたも同じだ」
「あ…――っ!」
 自分でも触ったことのない身体の内側に、悪辣なギイ・ルマレの長い指が触れている。入り口に沿ってなぞられるよりも、その上部に触れられる方が強い刺激になった。痛みにも似ている。
 思わず高い声を上げたからかも知れない。探るようにしていたギイが、執拗にそこだけを優しく撫で、かと思ったら強くつつく行為を繰り返した。
「はっ、あ、あっ…」
 くしゃくしゃに乱された寝衣の中から、粘着質な水音が聞こえてくる。自分の中から溢れたものだ。それが陰部の谷をつたって尻まで流れ、更に男の指をも濡らしている。
 恥ずかしい。恥ずかしくて、身体が熱くて、死んでしまいそうだ。腹の奥から来る痺れが、大きな痺れを掘り起こすように波立ち、その恥辱に満ちた変化を一つも逃すまいとするように、ギイの暗く熱っぽい目が瞳の奥を覗き込んでくる。
(ほんとうに、けものだわ…)
 淡々あわあわと侵される意識の中で、シダリーズは自分という人間の浅ましさを知った。結局、乱されたのは自分の方だ。
「集中しろ、お姫さま。自分の身体がどうなっているか、その目で見るんだ」
 ぐ、と強く指を押し込まれたとき、シダリーズの頭の中で何かが弾けた。腹の奥から強い衝動が起き、背中を駆け上って脳まで到達し、経験したことのない潮流に意識を奪われた。
 ギイの指が離れた場所から、自分のものが滴る感触があった。
「…本性に負けたのはあなたよ、ギイ・ルマレ」
 シダリーズは気丈にも、やっとの事で声を出した。呼吸が苦しい。恥ずかしくて今すぐ逃げ出してしまいたい。それでも、心の中の獅子心姫がそれを許さなかった。
「チッ」
 ギイが舌を打った。
「強情すぎるだろ」
「あなたに何されようが、構わないわ。わたしはまだ帰らない」
 ギイが憤りに満ちた視線で射るようにシダリーズを見た。シダリーズは怯まなかった。
(わたしに劣情を向けたくせに、何よ)
 そういう思いがある。いかに肉体的な男性経験がないとは言え、もうすぐ二十七になるのだ。実体験がなくても、男が身体のどの部分を使って何をしたいのかぐらいはわかっている。自分が挑発した結果それが自分の身に起きたところで、どうということもないはずだ。
 ところが、次の瞬間に身体の上に降ってきたのは、ふかふかの毛布だった。
 シダリーズは身体を隠すように毛布を引っ張り上げ、イライラと髪をかき上げるギイを見上げた。小さな優越感が、胸に湧いた。あの非情な男を、乱してやった。わたしが勝った。そういう悦びだ。
「あんたは望まないかも知れないが、王都へ遣いは送る。王族の人間が領内で倒れたのに報告もしないほど馬鹿じゃない。少なくとも明日はこの部屋を出るな」
「それって命令をしているの?わたしが誰か知りながら」
 ギイはフン。と鼻で笑って部屋を出て行った。
 再び部屋に暗闇と静寂が戻った後、シダリーズは毛布に潜り込み、胎児のように丸まった。一人になった途端に、とんでもないことをしてしまったという気持ちがどっと頭の中に流れ込み、羞恥心と背徳感でいっぱいになった。
 夫でも、あまつさえ恋人でもない男に身体を触らせて、挙げ句にあんな風に快楽を得てしまうなんて、その上、最後までさせても良いと考えるなんて、まったくどうかしていた。
(本当にどうかしているわ)
 なぜなら、冷静になった今でさえ、ギイ・ルマレに身体を触らせたことを微塵も後悔していない。身体に残ったあの男の指の感触も、まだじくじくと熱を持っている腹の中も、何もかもがどうにかしている。
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