獅子王と海の神殿の姫

若島まつ

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八十九、いばら - les épines -

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 季節外れの湿った風が吹く夜だった。空気が肌にまとわりつくように不快だ。
 アニエスは羽ペンを置いた父親と満足気に微笑むヴェロニク・ルコントを琥珀色のグラス越しに眺め、その中身を一気に飲み干した。
 既に三杯はブランデーを胃に入れたはずなのに、緊張のためか全く酔えない。不快なほどに心臓の音が耳に響くだけだ。
(大丈夫…。キセと王太子殿下が手を打ってる)
 アニエスは心の中で何度も繰り返した。耳の奥に、キセの歌うような祈りの声が残っている。
 契約を交わした二人に祝いの言葉を述べた後、アニエスは二人を残して二階の部屋を辞去した。扉の前に、あの猟犬がいる。
「しばらく一階の見張りで大丈夫よ」
 アニエスがそう声をかけるのは、ヴェロニクとデヴェスキの情事が始まる合図だ。ヴェロニクはなんとしてもこの蜜月関係を繋ぎ止めたいらしく、娘のアニエスの目など憚ることもなくデヴェスキを誘惑している。アニエスも特に気にする素振りを見せることはない。
 そして父親は、国王の愛妾を寝取ったことに優越感を覚え、ヴェロニクの誘惑に嬉々として応えている。が、狡猾なこの男のことだ。ただの色欲だけでヴェロニク・ルコントの計画に乗ったわけではない。再び戦が激化すれば商売が儲かる。ドーリッシュ家との繋がりがあれば商売の版図を広げることができる。という、商人として至極真っ当な動機で動いている。
 アニエスは三階に上がり、扉を開けて、かつて母と暮らしていた部屋に踏み入った。
 今は銃器、弾薬、拘束具、馬具や剣などが入った大きな木箱が並べられて物置になっているが、入り口の前に敷かれた蔦と花模様の絨毯は記憶にあるままだ。
 所狭しと並べられた木箱の奥に、かつて母と自分が使っていた寝室がある。
 この部屋だけは無慈悲にも放置され、母が亡くなった時からほとんど変わっていない。大きな出窓、真っ白なカーテン、黄色い花模様のソファ、子供と母親が並んで寝るのにちょうど良い広さのベッド――マットレスのシーツには淡い色の花畑が描かれている。
 アニエスはこの忌々しい屋敷に泊まる時、ここを寝室に使っている。
 母が使っていた小さな書き物机も、窓際にそのまま置かれていた。閉ざされた机の扉を十年ぶりに開いた時は、まだきれいなままの母の手記を見つけてひどく複雑な気持ちになった。まるで今まで忘れ去っていたことを責められているように思えたからだ。
 コルネール家に迎えられてから母親のことを思い出さないようにしていた。このベッドの上でだんだんと痩せ細り、最期は呼吸もままならず、本人の意思とは無関係に身体だけが命を繋ごうとするように、胸を不自然なリズムで上下させるだけの抜け殻になってしまった母親が、この家での最後の記憶だ。
 それから一年ほどの間は、ほとんど記憶がない。母親の葬儀の後、時折やってくる父親と今まで通り家族のように振る舞い、あとは年老いた使用人の女性と言葉少ない生活を送る中で、心が感じることをやめてしまったようだった。
 だが、この屋敷のこの部屋だけは、記憶を留めている。愛してくれた母親の存在を感じる。自分の輪郭や鼻や口元が記憶にある母とよく似ていることも、ここに戻って来てから思い出した。
 もしかしたら父親を陥れることは、母の愛への裏切りになるかもしれない。
(それでもいい)
 と、アニエスは罪悪感を振り払った。
 これからは自分が信じる、自分のための道を進むのだ。
 アニエスは小さな燭台の明かりの中でソファに座り、母親の手記をめくりながら梟のようにひっそりと真夜中を待った。
 異変に気付いたのは、時計の針が間もなく夜の十一時を指そうかという時分のことだ。手記をめくる手が動かない。意思とは無関係に、身体が動くのをやめた。
 立ち上がるために身体を支えようと思ったが、腕が持ち上がらなくなっている。まるで全身をぬかるみに取られたようだ。鼓動が速まり、喉が焼け付くようになり、次第に息が苦しくなっていく。
(しまった)
 アニエスは己を呪った。
 グラスに口をつける時に気付くべきだった。
 ここのところヴェロニクの薬入りの酒を飲み続けていたせいで、感覚が鈍っていた。
 これはいつものヴェロニクの麻薬ではない。もっと毒性の強い、人を死に至らしめる類のものだ。
 医師のくせに、薬に身体が慣れてしまうことがどれほど恐ろしいかを正しく認識していなかった。
(くそ、あのアバズレ)
 アニエスは内心で口汚く毒づいた。
 多分、計画がバレたのではない。と、アニエスは推測した。そうであれば、アニエスはとっくに殺されているはずだ。ヴェロニクは‘デヴェスキの娘’が邪魔なのだ。契約書には、おそらくアニエスにも関わる事項があるはずだ。ここ数週間のうちに、デヴェスキが自分を後継者にしようと考え始めていたことをアニエスは知っている。
 きっと次に扉が開く時、入ってくるのはあの猟犬だろう。その時は間違いなく殺される。これが目下の問題だ。
(大丈夫、キセと王太子が助けを呼んでる)
 アニエスは段々と身体がソファに埋もれていくような感覚に囚われながら、希望を思い描き続けた。
 心に強く残っているのは、初めてルドヴァンで出会った日、自分を連れてきた父親に憤慨しているはずなのに、こちらに向けてくれた顔がとても優しかった、薄雲が広がる夕闇のような瞳の、美しい少年の姿だ。
(ガイウス…)
 もし死ぬとしても、それでもいい。十年もの間、一番大切にしてきたガイウスへの恋心と一緒に消えていけるのなら、それもいい。告げられない想いを秘めた器になって、海に還ろう。そうすればきっと死は怖くない。
 そして、アニエスの目は静かに開く扉を見た。

 同じ頃、コルネール邸では小さな夜会が開かれている。コルネールと懇意にしている青年貴族たちの気軽な集まりで、ここにジョフロワ・ドーリッシュも招待された。
 ガイウスは招待客の中でもドーリッシュを特別扱いした。常に隣に置いて時折肩に触れ、酒を勧め、親密に感じさせて優越感に浸らせた上で書斎に呼び出し、「仕事の話をしたい」と切り出した。
 ガイウスに一人前の男として認められたと思ったドーリッシュは有頂天になったが、具体的な取り引きの話になると姉に対して引け目を感じるらしく、話が進まなくなる。ここで、切り札の出番だ。
「姉君がアントワーヌ・デヴェスキと契約を交わしたから、わたしとの契約はできないと、そういうことかな?」
 ドーリッシュの顔色が変わった。ちょうど座っているソファの色と同じ、濃い灰色に見える。
 ――図に当たった。
 ガイウスはニヤニヤしないように口元を引き締めた。
「…ご存じないのか?まさか。家長である実の弟を差し置いてどこの馬の骨とも知れないような男と契約を交わしてしまったというのか」
 ガイウスは驚いた様子を取り繕った。ドーリッシュの顔を見れば分かる。この時点で餌付けは完了したも同然だ。
「言っただろう、姉君のやり方は強引だとね。それでは困るんだ。ドーリッシュ社がルドヴァンの貿易ルートを使うとなれば今よりも多くの地域へ君の・・商品が出回ることになる。だからこそもっと慎重に事を運ぶ必要があるのだが」
「ぼ、僕はあなたと組む」
 ドーリッシュが目を見開いた。ガイウスに見捨てられたくない不安と、自分を切り捨てた姉への怒りで、目が血走っている。この愚かな男を釈放させてから、ガイウスが野心を煽り続けた結果だ。
「ドーリッシュの家長は僕だ。姉さんに相続権があろうと、関係ない」
「わたしと同じ船に乗るなら、後ろ暗いことがあると困るぞ。ジョフロワ」
 ガイウスが低い声で言った。これだけで、ドーリッシュには恫喝にも匹敵する恐怖を与えることができる。
「姉君がドーリッシュの相続権を持っている限りは、彼女にも問題があると困る。強欲なあの女のことだ。何か政治に良くない関わり方をしているんじゃないのか。そういう問題は早々に片付けた方がいい」
 ドーリッシュの顔は蒼白だ。
「おやおや、これは。何かあるんだな」
 ドーリッシュの顎が憐れにも震え始めたのを見て、ガイウスは笑い出さないようにギュッと奥歯を噛み締めた。
「せっかく乗り気になってくれたところ悪いが、君との取り引きはやめておいた方が良さそうだな。コルネールは危ない橋は渡らない」
「コルネール卿…!僕は知らなかったんだ。姉があんなことを本気でするなんて…」
「やめてくれ。知りたくもない」
 ガイウスはにベなく突き放した。が、ドーリッシュは首を激しく振った。
「いや…。いや、聞いて欲しい。僕が無実だと知って欲しい。助けて欲しい。僕を牢獄から出してくれたのはあなただ。姉も家令も、誰一人手紙すら寄越さない中、あなただけは気遣う手紙をくれた」
 ガイウスは手紙など出していない。これもテオドリックの手回しだ。
「助けてくれ!あの時のように」
「…いいだろう。わたしも君ほどの人物を失うのは惜しい」
 ガイウスは兄が弟に見せるように笑った。作り笑いが巧くなったと自負できるほどに自然だ。
「あ、姉は…、ヴェロニクは――」
 ドーリッシュはチラリと書斎の扉に視線を走らせ、しっかりと閉ざされているのを確認してから、続けた。
「――関与している。五年前の、泥の道の事件に」
「どういうつもりだ!」
 ガイウスは怒声を上げてソファから立ち上がった。内心では顎をぶるぶると震わせるジョフロワがおかしくて仕方がない。
「そんなとんでもない話を聞かせて、君は、わたしに大罪の片棒を担がせる気か!」
「違う!違うんだ。僕は何もしていない。それをあなたにわかって欲しいんだ。姉が…姉が指示した。隊列の後方から敵を攻撃するように。それで、イノイルとの戦を再び起こそうと…」
 ガイウスは再びソファに腰掛け、目の前で子犬のようになってしまった男を冷たく一瞥した。
「…それは武器を売り傭兵を派遣する実家の事業への投資の一環ということか。君はその計画を事件の前から知っていたんだな」
「そうだ…。だけど、僕の指示じゃない。僕は…まさか本当にやるなんて思わなかったんだ」
「命を受けて実行したのは誰だ」
「姉が…調印に同行する将校を買収してやらせた。そいつの名前を知ってる。――ティモテ・ブレセットだ。泥の道から生還した後軍を辞めて、受け取った報酬で遊んで暮らしてる」
「それで、君も今まで人の命を踏みつけにして手に入れた金でのうのうと暮らしていたわけか」
 ガイウスの凍りつくような冷たい声に、ドーリッシュは震え上がった。ソファから降りて床に膝をつき、ガイウスの足元に縋りついた。命じられれば靴も舐める勢いだ。
「後悔しているんだ!姉の仕送りでドーリッシュ家が持っているからって、あんな怪物に支配されるのはもういやだ。戦争で死んだ人たちが夜中に僕を覗いている気がする。毎晩、毎晩…。助けてくれ、コルネール卿」
「裁判で全て証言しろ」
「さ、裁判…?」
 ドーリッシュはその目に恐怖を浮かべた。顔中に汗が浮き、今にも泣き出しそうだ。
「排除しろ、ヴェロニク・ルコントを。でなければわたしたちはこれきりだ。二度と助け船は出さない」
「なんでもする!誓書も書く」
 ドーリッシュが叫ぶように言うと、ガイウスは目を細め、書斎の黒い机の奥に顔を向けた。ドーリッシュからは死角になって見えなかった高い本棚の後ろの壁に、間口の狭い半楕円の黒い扉がある。
「だそうですよ、殿下」
 ガイウスが悪魔のような笑顔を見せた。
 扉から暗殺者のような静かさで現れたのは、他ならぬ、テオドリック・レオネ王太子だ。他の参加者とそう変わらない灰色の夜会服に、白い絹のクラバットを巻いている。
「では俺が立ち会おう。証人としてはこれほど信憑性のある者は他にいないだろう」
 ドーリッシュは全身をガタガタと震わせ始めた。
 美しい王太子の顔は、ガイウス・コルネールよりももっと悪魔のようだった。

 このとき屋敷の外では、ネフェリアを隊長とする少人数の精鋭が待機していた。みな黒一色の装束に身を包み、長剣は持たずに短い剣を革の鞘に入れて佩き、闇に溶けるように合図を待っている。
 夥しい数の銃火器や弾薬が保管されていることは、既に彼らの耳にも入っている。
 全ての門の外に兵士を配備した後、ネフェリアがランプを持った右手を上げて突入の合図をした。
 最初にこの急変に真っ先に反応したのは、屋敷の一階の扉の前で見張りをしていたあの猟犬だった。二階に向かってピイッと指笛を吹いて急を報せ、北側の一番小さな門に待機していた兵二名を倒して、退路を作った。が、既にネフェリアの隊の精鋭たちは扉をこじ開けて屋敷に足を踏み入れている。
 ネフェリアの部隊が突入してからこの場を制圧するまで、五分とかからなかった。
 二階で寝ていたヴェロニク・ルコントとデヴェスキは、この時寝衣にローブだけ羽織った状態で脱出を試みていたが、隠し階段を降りると同時に、一階で待機していた兵三名に捕縛された。
 その後主人を見限って逃走した猟犬は、屋敷から三百メートルほどの路地でヴィゴが捕らえた。
 夜目が利くヴィゴが騎馬で駆け、馬上からナイフを投げてその腱を裂いたために、辺りに「ギッ」と男の悲鳴が響いた。猟犬は、最後までヴィゴの正体に気づかなかったらしい。その刃物で削いだような恐ろしく鋭い双眸でヴィゴを睨め付け、静かな地鳴りのような声で「裏切り者」と罵った。ヴィゴは一言「悪いなぁ」と軽薄に笑っただけだった。
「さて」
 と、ネフェリアが縄を打たれた寝衣姿のヴェロニク・ルコントを涼しげに見下ろした。
「随分と引っかき回してくれた」
 ネフェリアを睨めつけるヴェロニクの灰色の目は、いつもの優美さのかけらもなく、まるで別人のように獣性に満ちていた。
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