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八十三、デヴェスキ - Dëveski -
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ここのところ、ヴェロニク・ルコントはひどく不機嫌な日々が続いている。
あの優等生ぶった王太子妃を堕落させることはおろかこの国から追い出すことにも失敗し、事業の拡張も停滞している。更には、以前は三日と置かなかったはずの国王の渡りも減った。ドーリッシュ邸の件は国王の耳に入っていないはずだから、国王の心が離れたのには、何か別の理由がある。
時折義務を果たすようにシェダル宮へやって来る国王の目には、輝きが宿っているのだ。いつもの、この世に倦んだような、虚ろな目ではなく、例えば夢を見つけた若者のような目だ。まったく忌々しいこと極まりない。
そして、彼女にとって喜ばしいはずの弟の釈放は、最も癪に触る出来事だった。
ジョフロワが欲を出してあの小娘を手籠にしようとしたのがそもそもの間違いだったのだ。いっそ捕まった時に死んでくれていた方が、後の処理が幾分か楽だったかもしれない。が、家業を継ぐ者がいなくなっては困る。いかに愚かでも、ジョフロワは実家ドーリッシュ家の唯一の後継者なのだ。
それだけに、事業に一枚噛ませて欲しいというコルネールの申し出を、いよいよ無下に出来なくなった。その嘆願により弟が釈放されたことで、コルネールには大きな借りができたからだ。
王太子妃の名誉を守るために事実は隠され、ヴェロニクにまで罪の嫌疑が及ぶことはまずないだろう。――これは想定通りだ。しかし、ガイウス・コルネールは怒り狂っている。事業のために口を噤んでこそいるものの、ジョフロワ・ドーリッシュがガイウスの想い人であるキセに危害を与えようとしたことは、コルネールに対する自分たちの立場を確実に弱くした。
この、ヴェロニク・ルコントの歯噛みするような思いを、アニエスは全て理解している。最接近する好機としてこれほど相応しい時はないであろう。
ドーリッシュ屋敷からいち早くヴェロニクを退避させたことで、アニエスは完全な信頼を得た。兄とは違って王太子妃を嫌っているアニエスを、ヴェロニクは頼ってくるしかない。ここに、強力な駒を置く。
アントワーヌ・デヴェスキだ。
これは、アニエスにとっては今までで最も危険な賭けだった。
アントワーヌ・デヴェスキが父親であるという確証も、今まさにヴェロニク・ルコントと同じ馬車で向かっている場所に父親が潜伏しているという確証も、完全ではない。寧ろ、五分五分といったところだ。――いや、或いはもっと低い。
「賢いアニエス、どうやって所有者を調べたの?」
ヴェロニクはねっとりと喉に貼り付くような声で訊いた。
「コルネールの人脈を甘く見てはいけませんわ、侯爵夫人。王府にはわたしたちのために働いてくれる者が少なからずおりますのよ」
病室で書類に囲まれるジャンとイサクを思い浮かべながら、アニエスは嫣然と微笑んだ。
この日のために選んだのは、よく熟れた葡萄のような色のドレスだ。一方で、ヴェロニク・ルコントは白いチュールレースの貞淑なドレスを纏っている。
馬車が向かった先は、アニエスの生家だった。事前に御者――ヴィゴに指定していた場所だ。
アニエスはこの場所を、自分でも驚くほど鮮明に覚えていた。隙間から草が伸びたボロボロの石畳、火事の後に放置されたまま煤けた煉瓦造りの廃墟、小さな三角屋根の古い礼拝堂――今は雨風を凌ぐために誰かが住み着いているらしく、麻紐に擦り切れた衣服が吊り下げられていて、もはや何の神を祀っていたのかわからなくなっている。
入り組んだ路地の奥に、隠された広場のように開けた場所があり、その中央にくすんだ煉瓦造りの屋敷があった。
記憶よりも、門は赤く錆びている。
三階建てのそれほど豪華とは言えない、だだっ広い屋敷で、母はいつも‘トニ’が現れるのを待っていた。週に数度訪れる男のために、母がいつもお気に入りの葡萄色のドレスを着ていたのを、朧げに記憶している。
ここにいる。
と思った理由は、ただの直感ではない。
一見広く見える三角屋根の棟が三つ並んだ装飾の少ないこの建物の中で、母親と自分が生活していたのは、一階のエントランスの他、最上階である三階のみだったことを思い出したのだ。
ここに住んでいた頃、父は時折愛人と婚外子の娘に会いに来て家族のように振る舞った後、決まって階下にしばらくこもっていた。自分たちはエントランスから正面の階段を上る以外に下の階を使うことはなかったし、一度一階の奥を探検しようとしたら、愛想のない使用人にひどく叱られたことがある。「子供には危険だから」とその使用人は言った。それがただの建前でないことは、今なら分かる。
――売り物の兵器を隠すには、申し分のない広さだ。
アニエスは先頭に立ってかつて暮らしていた建物を見上げた。背後には、侯爵夫人と、彼女をエスコートするようにあの番犬のような目つきの悪い護衛の男がいる。背中に何かひりひりと冷たいものが伝った。
屋敷は、傍目には廃墟だ。壁は蔦が這い、庭は草木が枯れ、或いは無秩序に伸びて荒れ、何年も手入れされている様子がなく、人の気配も窺えない。
しかし、不思議なことにアニエスが錆びた鉄の取っ手を押してエントランスへ入った時、母親がそこに立っているような気がした。
アニエスは、この時確信を持った。
然して戻りたくもない屋敷に帰って来て懐かしさを感じた理由が、その匂いにあると気付いたからだ。見た目通りの廃墟に似つかわしいカビやホコリのにおいがしない。
この屋敷には人間の、生活の気配がある。
アニエスは背後を振り返っていつものように優美に微笑んだ。
「奥へご案内しますわ」
ヴェロニク・ルコントは気乗りしないようだった。その冷たい灰色の瞳に嫌悪感を滲ませている。優雅で美しいものに囲まれていたい彼女にとってここは、まるでゴミ捨て場だ。アニエスの背中にヒヤリと冷たいものが伝った。ヴェロニクの背後の番犬は、鋭い刃物で削いだような双眸をぞっとするほどまっすぐアニエスに向けている。
何か妙な素振りを見せれば、殺される。
「なんならわたくし一人でご挨拶に伺いましょうか。この場所は確かに侯爵夫人には相応しくありませんわね」
アニエスが敢えて気遣わしげに言うと、ヴェロニクは赤い唇をニッと吊り上げた。
「わたくしなら大丈夫よ。優しい子ね、アニエス」
ヴェロニクが前に進んでアニエスの腕に掴まった。嫌悪感よりもビジネスチャンスを逃したくない気持ちが勝ったのだろう。
(厚かましい女)
アニエスは内心で吐き捨てた。その厚かましさゆえに、ルコント侯爵夫人は今アニエスの想定通りに動いている。
エントランスの正面に続く、広く暗い階段を上がった。階段を上り切ると、装飾の少ない、つやつやした重厚な木製の扉が堅く閉ざされ、その奥に入ろうとする者を拒んでいる。
アニエスはその扉を叩いた。子供の頃に見た、父の秘書らしき男が叩いていたのと同じように、まず三度、次いでゆっくり二度、最後に素早く四度叩いた。
それほど待たずに扉が開き、初老の紳士が向こうから顔を覗かせた。
図に当たった。
アニエスの心臓が警鐘のように跳ねた。子供の頃の記憶をありがたいと思ったのは、初めてだ。
扉の向こうにいるのは、少し年を取っているが、アニエスの記憶にあった、父の秘書らしき男だ。相手はアニエスの顔を見ても誰かわからないようだった。コルネール家に引き取られた後、父が年に数度領地に帰ってくるときに顔を合わせる程度で、ほとんど会話らしい会話をしたことがないから、無理もない。
「…これは、珍しい。麗しいご婦人がたが見えたのは初めてですな。どのようなご用件で」
礼儀正しいが、どこか見下したような態度だ。警戒されている。
アニエスは、ヴェロニクより先に口を開いた。
「デヴェスキさんに、アニエス・コルネールが来たとお知らせくださいます?」
隣と後ろから鋭い視線を感じる。が、アニエスは知らぬふりをして、まるでそれが当然であるかのように振る舞った。
紳士は白髪混じりの茶色い眉を寄せてアニエスの顔を無遠慮に観察したあと、黙って扉を閉めた。‘デヴェスキ’の娘であることに気付いたかどうか、定かではない。
再び扉が開くまでの時間が、とてつもなく長く感じられた。絡められたヴェロニク・ルコントの腕が、この礼儀正しい沈黙の中にあって多くを語っているような気がした。心臓が何だか妙な音を立てて響いている。それは秘書の男が再び扉を開け、アニエスたちを奥へ招き入れた後も続いた。
二階に部屋はなく、全てが一つの空間になっていた。外から隠すためか窓には分厚い緞帳のようなカーテンに覆われ、天気の良い日なのに太陽の光がうっすらと部屋に入ってくる程度だ。この広い部屋の至る所に、おびただしい数の剣、槍、甲冑、馬具などがまるで市場の野菜のように所狭しと置かれ、いくつもある人間が何十人も入れるのではないかと言うほどの大きな木箱には、白い布が掛けられている。恐らくは火器だろう。微かに油と鉄のにおいがする。
窓際に、その小柄な男はいた。少し薄くなった真っ白な髪を後ろに撫でつけ、両手を後ろで組み、つやつやした上質な黒の上衣を着て、アニエスが奥へやって来るのを待っている。
アニエスは何も感じなかった。驚きも、怒りも、憎しみも、何も湧いてこない。
もっと絶望を感じると思っていた。――追放された父親とこんな形で再会したときには。
「アニエス・コルネール」
中年の男にしては高い声で、三年前までルネ・コルネールだった男――アントワーヌ・デヴェスキは娘の名を呼んだ。貴族としては適齢期を過ぎたのに未だ嫁に行かずコルネールを名乗っている娘を嘲るような声色だ。
「驚いたぞ。ずいぶんと珍しいお客さまを連れてきたようだ」
デヴェスキはアニエスから隣の高貴な夫人に視線を移して目を細め、その後ろに控える目つきの悪い護衛の男にはどこか蔑むような視線を投げた。
「お父さま」
アニエスは鈴の鳴るような声で言い、隣で驚きを隠せずに灰色の目を見開いたヴェロニク・ルコントにニッコリと微笑みかけた。
「こちら、ヴェロニク・ルコント侯爵夫人ですわ。わたしの王都でのお姉さまのような方です」
ヴェロニクは目を細め、アニエスと長年探していた‘アントワーヌ・デヴェスキ’に交互に笑いかけた。驚きと疑問を抱きつつも、千載一遇の好機を逃すまいとしているのが、アニエスにはわかる。
ヴェロニク・ルコントが科を作るようにデヴェスキに事業の話をしている間、ガイウスのことを考えていた。
追放した父親が兵器の闇取り引きを主導していたなど、なんと言って伝えたらよいのだろう。
同じ頃、ガイウスはレグルス城に現れた。
テオドリックは政務のために城を留守にしていたので、キセがその突然の訪問を迎え入れた。
「アニエスが帰ってこない」
と言いながら外套も脱がないままサロンのソファに沈痛な面持ちで腰掛けたガイウスを目の当たりにし、キセは胸が痛んだ。
アニエスがガイウスに父親のことを隠しているのは、果たして正しい判断なのかキセにもわからない。しかし、ガイウスには言わないと、アニエスと約束した。これを破ることは、キセにはできない。
キセはガイウスの心配を煽らないよう、朗らかに笑いかけながら温かい紅茶を手ずから給仕した。
「大丈夫です。‘餌撒き’に時間がかかると仰っていましたから、きっと計画通りに進んでいます」
ガイウスは湯気の立つ波模様のティーカップを受け取り、黒いまつ毛に縁取られた気遣わしげな眼をじっと見つめた。
この時、動揺したのがまずかった。アニエスにも言われた通り、隠し事は苦手だ。
ガイウスは白い花の刺繍がされた空色の袖が引っ込む前にそれを掴み、立ち上がった。
キセは威圧するように目の前へ立ち塞がったガイウスの顔を見上げた。青灰色の目に、焦りと怒りが滲んでいる。
「アニエスとあなたは、何を隠している」
キセに対しては常に紳士的だったガイウスのこんな顔を初めて見る。怖いとは思わなかった。ただ、罪悪感とガイウスへの友情で胸がちくちくと痛む。
「すみません。言えません」
ガイウスは眉間に皺を寄せ、キセの手首を強く握った。
「わたしはあの子の兄だ。知る権利がある」
「わたしには、アニエスの秘密を守る義務があります。相手がガイウスさまでも、わたしの口からは申し上げられません」
毅然と言い放ったキセの手を、ガイウスは強い力で引き寄せた。曇り空のような瞳が暗くなる。
「あなたの口を割らせるためにひどいことをしようとしても?」
「はい、言いません。それに、ガイウスさまはわたしにひどいことをなさいません」
「ハッ」
ガイウスは鼻で笑った。
「甘く見られたものだ」
強く腰を抱き寄せられ、キセは思わず息を呑んだ。恐怖や驚きからではない。ガイウスの瞳が傷付いたように揺れていたからだ。
「ガイウスさま」
キセはガイウスの手を握るかわりに心臓の位置に両手を添え、高い位置にあるガイウスの顔を見上げた。
「どうか、アニエスを信じてあげてください」
「何度もそうしようとした」
ガイウスは胸に置かれたキセの手を握った。
「だが、隠し事をする人間を信じることはできない」
「ガイウスさま…」
「あなたもだ、キセ。あなたがいかにアニエスに義理立てしていても、わたしにとっては不義理な秘密主義者だ」
ガイウスの頭が肩に落ちてくる。
この男がこれほど弱っている姿を見せるのは、珍しい。
キセは驚きと憐れみで胸がいっぱいになった。握られた手をするりと解いてガイウスの大きな背をポンポンと優しく撫で、幼い弟に言うように「大丈夫ですよ」と言った。
「アニエスは ‘ある事’に気付いて、それが真実か確かめようとしています。はっきりするまではあなたに言わないで欲しいと言われましたから、詳しいことはお話しできません。でも、アニエスは安全です。機転の利く方ですし、護衛の方にも近くにいてもらっています」
「アントワーヌ・デヴェスキの件だな」
キセの一瞬の沈黙を、ガイウスは肯定として受け取った。
「わたしたちの父親と関わっているということか」
流石にガイウスもこの二人が同一人物であることまでは考えが及んでいない。追放した直後から人を使って父親の動向を追っていたが、父の領主時代に追従していた一派が邪魔をして、ここ二年ほどは報告が途絶えていたのだ。春の宴に先立って王都へ来た当初、ガイウスが王都の南の地域を調べていたのは、最後にルネ・コルネールらしい人物が目撃されたという報告のあった場所だったからだ。ガイウスとしては、父親がまたルドヴァンに害を及ぼすことのないよう、釘を刺しておきたかった。
その目撃報告には確かな根拠はなかったが、ヴェロニク・ルコントも同じ地域に出入りしているとなれば、いよいよきな臭い。アニエスが何か掴んだとなれば、普通なら兄であり家長である自分に一番に知らせるのが道理だ。が、アニエスは自分ではなく、キセに告げた。
「あいつは何故、そこまで…」
危険なことはするなと言ったのに、また黙って危ないところに首を突っ込んでいる。
「アニエスは、誰よりも大切に思っているんです。…その――」
ガイウスさまを。と危うく口に出すところだった。
「――家族を。あなたが守ってくれるように、ご自分でも守りたいと思っていらっしゃいます。わたしはそのお気持ちを尊重します。わたしも、わかるから。大切なものを守るために、戦わなければならない時が、おんなにもあるのです」
ガイウスは顔を上げてキセの瞳を見つめた。しようと思えば唇を触れ合わせられる位置にいるのに、何故だかひどく遠く感じる。口を割らない腹いせにキスしてやろうかと思ったが、そんな気も失せた。
「あなたはわたしよりもアニエスのことをよく理解しているようだ」
「おんな同士ですから」
キセはにっこりと笑った。
ガイウスはちょっとおかしそうに唇を吊り上げ、切れ長の目を細めた。
「情けないところを見せた」
そう言って真っ直ぐ立ち上がったガイウスの手を、キセはぎゅっと握った。
「アニエスは大丈夫です、ガイウスさま。わたしたちが危険な目には遭わせません」
ガイウスはひどく複雑そうに笑った。
「…どうしてかな。近頃、アニエスが全く知らない女に見える。十年も前からわたしの妹なのに」
あの優等生ぶった王太子妃を堕落させることはおろかこの国から追い出すことにも失敗し、事業の拡張も停滞している。更には、以前は三日と置かなかったはずの国王の渡りも減った。ドーリッシュ邸の件は国王の耳に入っていないはずだから、国王の心が離れたのには、何か別の理由がある。
時折義務を果たすようにシェダル宮へやって来る国王の目には、輝きが宿っているのだ。いつもの、この世に倦んだような、虚ろな目ではなく、例えば夢を見つけた若者のような目だ。まったく忌々しいこと極まりない。
そして、彼女にとって喜ばしいはずの弟の釈放は、最も癪に触る出来事だった。
ジョフロワが欲を出してあの小娘を手籠にしようとしたのがそもそもの間違いだったのだ。いっそ捕まった時に死んでくれていた方が、後の処理が幾分か楽だったかもしれない。が、家業を継ぐ者がいなくなっては困る。いかに愚かでも、ジョフロワは実家ドーリッシュ家の唯一の後継者なのだ。
それだけに、事業に一枚噛ませて欲しいというコルネールの申し出を、いよいよ無下に出来なくなった。その嘆願により弟が釈放されたことで、コルネールには大きな借りができたからだ。
王太子妃の名誉を守るために事実は隠され、ヴェロニクにまで罪の嫌疑が及ぶことはまずないだろう。――これは想定通りだ。しかし、ガイウス・コルネールは怒り狂っている。事業のために口を噤んでこそいるものの、ジョフロワ・ドーリッシュがガイウスの想い人であるキセに危害を与えようとしたことは、コルネールに対する自分たちの立場を確実に弱くした。
この、ヴェロニク・ルコントの歯噛みするような思いを、アニエスは全て理解している。最接近する好機としてこれほど相応しい時はないであろう。
ドーリッシュ屋敷からいち早くヴェロニクを退避させたことで、アニエスは完全な信頼を得た。兄とは違って王太子妃を嫌っているアニエスを、ヴェロニクは頼ってくるしかない。ここに、強力な駒を置く。
アントワーヌ・デヴェスキだ。
これは、アニエスにとっては今までで最も危険な賭けだった。
アントワーヌ・デヴェスキが父親であるという確証も、今まさにヴェロニク・ルコントと同じ馬車で向かっている場所に父親が潜伏しているという確証も、完全ではない。寧ろ、五分五分といったところだ。――いや、或いはもっと低い。
「賢いアニエス、どうやって所有者を調べたの?」
ヴェロニクはねっとりと喉に貼り付くような声で訊いた。
「コルネールの人脈を甘く見てはいけませんわ、侯爵夫人。王府にはわたしたちのために働いてくれる者が少なからずおりますのよ」
病室で書類に囲まれるジャンとイサクを思い浮かべながら、アニエスは嫣然と微笑んだ。
この日のために選んだのは、よく熟れた葡萄のような色のドレスだ。一方で、ヴェロニク・ルコントは白いチュールレースの貞淑なドレスを纏っている。
馬車が向かった先は、アニエスの生家だった。事前に御者――ヴィゴに指定していた場所だ。
アニエスはこの場所を、自分でも驚くほど鮮明に覚えていた。隙間から草が伸びたボロボロの石畳、火事の後に放置されたまま煤けた煉瓦造りの廃墟、小さな三角屋根の古い礼拝堂――今は雨風を凌ぐために誰かが住み着いているらしく、麻紐に擦り切れた衣服が吊り下げられていて、もはや何の神を祀っていたのかわからなくなっている。
入り組んだ路地の奥に、隠された広場のように開けた場所があり、その中央にくすんだ煉瓦造りの屋敷があった。
記憶よりも、門は赤く錆びている。
三階建てのそれほど豪華とは言えない、だだっ広い屋敷で、母はいつも‘トニ’が現れるのを待っていた。週に数度訪れる男のために、母がいつもお気に入りの葡萄色のドレスを着ていたのを、朧げに記憶している。
ここにいる。
と思った理由は、ただの直感ではない。
一見広く見える三角屋根の棟が三つ並んだ装飾の少ないこの建物の中で、母親と自分が生活していたのは、一階のエントランスの他、最上階である三階のみだったことを思い出したのだ。
ここに住んでいた頃、父は時折愛人と婚外子の娘に会いに来て家族のように振る舞った後、決まって階下にしばらくこもっていた。自分たちはエントランスから正面の階段を上る以外に下の階を使うことはなかったし、一度一階の奥を探検しようとしたら、愛想のない使用人にひどく叱られたことがある。「子供には危険だから」とその使用人は言った。それがただの建前でないことは、今なら分かる。
――売り物の兵器を隠すには、申し分のない広さだ。
アニエスは先頭に立ってかつて暮らしていた建物を見上げた。背後には、侯爵夫人と、彼女をエスコートするようにあの番犬のような目つきの悪い護衛の男がいる。背中に何かひりひりと冷たいものが伝った。
屋敷は、傍目には廃墟だ。壁は蔦が這い、庭は草木が枯れ、或いは無秩序に伸びて荒れ、何年も手入れされている様子がなく、人の気配も窺えない。
しかし、不思議なことにアニエスが錆びた鉄の取っ手を押してエントランスへ入った時、母親がそこに立っているような気がした。
アニエスは、この時確信を持った。
然して戻りたくもない屋敷に帰って来て懐かしさを感じた理由が、その匂いにあると気付いたからだ。見た目通りの廃墟に似つかわしいカビやホコリのにおいがしない。
この屋敷には人間の、生活の気配がある。
アニエスは背後を振り返っていつものように優美に微笑んだ。
「奥へご案内しますわ」
ヴェロニク・ルコントは気乗りしないようだった。その冷たい灰色の瞳に嫌悪感を滲ませている。優雅で美しいものに囲まれていたい彼女にとってここは、まるでゴミ捨て場だ。アニエスの背中にヒヤリと冷たいものが伝った。ヴェロニクの背後の番犬は、鋭い刃物で削いだような双眸をぞっとするほどまっすぐアニエスに向けている。
何か妙な素振りを見せれば、殺される。
「なんならわたくし一人でご挨拶に伺いましょうか。この場所は確かに侯爵夫人には相応しくありませんわね」
アニエスが敢えて気遣わしげに言うと、ヴェロニクは赤い唇をニッと吊り上げた。
「わたくしなら大丈夫よ。優しい子ね、アニエス」
ヴェロニクが前に進んでアニエスの腕に掴まった。嫌悪感よりもビジネスチャンスを逃したくない気持ちが勝ったのだろう。
(厚かましい女)
アニエスは内心で吐き捨てた。その厚かましさゆえに、ルコント侯爵夫人は今アニエスの想定通りに動いている。
エントランスの正面に続く、広く暗い階段を上がった。階段を上り切ると、装飾の少ない、つやつやした重厚な木製の扉が堅く閉ざされ、その奥に入ろうとする者を拒んでいる。
アニエスはその扉を叩いた。子供の頃に見た、父の秘書らしき男が叩いていたのと同じように、まず三度、次いでゆっくり二度、最後に素早く四度叩いた。
それほど待たずに扉が開き、初老の紳士が向こうから顔を覗かせた。
図に当たった。
アニエスの心臓が警鐘のように跳ねた。子供の頃の記憶をありがたいと思ったのは、初めてだ。
扉の向こうにいるのは、少し年を取っているが、アニエスの記憶にあった、父の秘書らしき男だ。相手はアニエスの顔を見ても誰かわからないようだった。コルネール家に引き取られた後、父が年に数度領地に帰ってくるときに顔を合わせる程度で、ほとんど会話らしい会話をしたことがないから、無理もない。
「…これは、珍しい。麗しいご婦人がたが見えたのは初めてですな。どのようなご用件で」
礼儀正しいが、どこか見下したような態度だ。警戒されている。
アニエスは、ヴェロニクより先に口を開いた。
「デヴェスキさんに、アニエス・コルネールが来たとお知らせくださいます?」
隣と後ろから鋭い視線を感じる。が、アニエスは知らぬふりをして、まるでそれが当然であるかのように振る舞った。
紳士は白髪混じりの茶色い眉を寄せてアニエスの顔を無遠慮に観察したあと、黙って扉を閉めた。‘デヴェスキ’の娘であることに気付いたかどうか、定かではない。
再び扉が開くまでの時間が、とてつもなく長く感じられた。絡められたヴェロニク・ルコントの腕が、この礼儀正しい沈黙の中にあって多くを語っているような気がした。心臓が何だか妙な音を立てて響いている。それは秘書の男が再び扉を開け、アニエスたちを奥へ招き入れた後も続いた。
二階に部屋はなく、全てが一つの空間になっていた。外から隠すためか窓には分厚い緞帳のようなカーテンに覆われ、天気の良い日なのに太陽の光がうっすらと部屋に入ってくる程度だ。この広い部屋の至る所に、おびただしい数の剣、槍、甲冑、馬具などがまるで市場の野菜のように所狭しと置かれ、いくつもある人間が何十人も入れるのではないかと言うほどの大きな木箱には、白い布が掛けられている。恐らくは火器だろう。微かに油と鉄のにおいがする。
窓際に、その小柄な男はいた。少し薄くなった真っ白な髪を後ろに撫でつけ、両手を後ろで組み、つやつやした上質な黒の上衣を着て、アニエスが奥へやって来るのを待っている。
アニエスは何も感じなかった。驚きも、怒りも、憎しみも、何も湧いてこない。
もっと絶望を感じると思っていた。――追放された父親とこんな形で再会したときには。
「アニエス・コルネール」
中年の男にしては高い声で、三年前までルネ・コルネールだった男――アントワーヌ・デヴェスキは娘の名を呼んだ。貴族としては適齢期を過ぎたのに未だ嫁に行かずコルネールを名乗っている娘を嘲るような声色だ。
「驚いたぞ。ずいぶんと珍しいお客さまを連れてきたようだ」
デヴェスキはアニエスから隣の高貴な夫人に視線を移して目を細め、その後ろに控える目つきの悪い護衛の男にはどこか蔑むような視線を投げた。
「お父さま」
アニエスは鈴の鳴るような声で言い、隣で驚きを隠せずに灰色の目を見開いたヴェロニク・ルコントにニッコリと微笑みかけた。
「こちら、ヴェロニク・ルコント侯爵夫人ですわ。わたしの王都でのお姉さまのような方です」
ヴェロニクは目を細め、アニエスと長年探していた‘アントワーヌ・デヴェスキ’に交互に笑いかけた。驚きと疑問を抱きつつも、千載一遇の好機を逃すまいとしているのが、アニエスにはわかる。
ヴェロニク・ルコントが科を作るようにデヴェスキに事業の話をしている間、ガイウスのことを考えていた。
追放した父親が兵器の闇取り引きを主導していたなど、なんと言って伝えたらよいのだろう。
同じ頃、ガイウスはレグルス城に現れた。
テオドリックは政務のために城を留守にしていたので、キセがその突然の訪問を迎え入れた。
「アニエスが帰ってこない」
と言いながら外套も脱がないままサロンのソファに沈痛な面持ちで腰掛けたガイウスを目の当たりにし、キセは胸が痛んだ。
アニエスがガイウスに父親のことを隠しているのは、果たして正しい判断なのかキセにもわからない。しかし、ガイウスには言わないと、アニエスと約束した。これを破ることは、キセにはできない。
キセはガイウスの心配を煽らないよう、朗らかに笑いかけながら温かい紅茶を手ずから給仕した。
「大丈夫です。‘餌撒き’に時間がかかると仰っていましたから、きっと計画通りに進んでいます」
ガイウスは湯気の立つ波模様のティーカップを受け取り、黒いまつ毛に縁取られた気遣わしげな眼をじっと見つめた。
この時、動揺したのがまずかった。アニエスにも言われた通り、隠し事は苦手だ。
ガイウスは白い花の刺繍がされた空色の袖が引っ込む前にそれを掴み、立ち上がった。
キセは威圧するように目の前へ立ち塞がったガイウスの顔を見上げた。青灰色の目に、焦りと怒りが滲んでいる。
「アニエスとあなたは、何を隠している」
キセに対しては常に紳士的だったガイウスのこんな顔を初めて見る。怖いとは思わなかった。ただ、罪悪感とガイウスへの友情で胸がちくちくと痛む。
「すみません。言えません」
ガイウスは眉間に皺を寄せ、キセの手首を強く握った。
「わたしはあの子の兄だ。知る権利がある」
「わたしには、アニエスの秘密を守る義務があります。相手がガイウスさまでも、わたしの口からは申し上げられません」
毅然と言い放ったキセの手を、ガイウスは強い力で引き寄せた。曇り空のような瞳が暗くなる。
「あなたの口を割らせるためにひどいことをしようとしても?」
「はい、言いません。それに、ガイウスさまはわたしにひどいことをなさいません」
「ハッ」
ガイウスは鼻で笑った。
「甘く見られたものだ」
強く腰を抱き寄せられ、キセは思わず息を呑んだ。恐怖や驚きからではない。ガイウスの瞳が傷付いたように揺れていたからだ。
「ガイウスさま」
キセはガイウスの手を握るかわりに心臓の位置に両手を添え、高い位置にあるガイウスの顔を見上げた。
「どうか、アニエスを信じてあげてください」
「何度もそうしようとした」
ガイウスは胸に置かれたキセの手を握った。
「だが、隠し事をする人間を信じることはできない」
「ガイウスさま…」
「あなたもだ、キセ。あなたがいかにアニエスに義理立てしていても、わたしにとっては不義理な秘密主義者だ」
ガイウスの頭が肩に落ちてくる。
この男がこれほど弱っている姿を見せるのは、珍しい。
キセは驚きと憐れみで胸がいっぱいになった。握られた手をするりと解いてガイウスの大きな背をポンポンと優しく撫で、幼い弟に言うように「大丈夫ですよ」と言った。
「アニエスは ‘ある事’に気付いて、それが真実か確かめようとしています。はっきりするまではあなたに言わないで欲しいと言われましたから、詳しいことはお話しできません。でも、アニエスは安全です。機転の利く方ですし、護衛の方にも近くにいてもらっています」
「アントワーヌ・デヴェスキの件だな」
キセの一瞬の沈黙を、ガイウスは肯定として受け取った。
「わたしたちの父親と関わっているということか」
流石にガイウスもこの二人が同一人物であることまでは考えが及んでいない。追放した直後から人を使って父親の動向を追っていたが、父の領主時代に追従していた一派が邪魔をして、ここ二年ほどは報告が途絶えていたのだ。春の宴に先立って王都へ来た当初、ガイウスが王都の南の地域を調べていたのは、最後にルネ・コルネールらしい人物が目撃されたという報告のあった場所だったからだ。ガイウスとしては、父親がまたルドヴァンに害を及ぼすことのないよう、釘を刺しておきたかった。
その目撃報告には確かな根拠はなかったが、ヴェロニク・ルコントも同じ地域に出入りしているとなれば、いよいよきな臭い。アニエスが何か掴んだとなれば、普通なら兄であり家長である自分に一番に知らせるのが道理だ。が、アニエスは自分ではなく、キセに告げた。
「あいつは何故、そこまで…」
危険なことはするなと言ったのに、また黙って危ないところに首を突っ込んでいる。
「アニエスは、誰よりも大切に思っているんです。…その――」
ガイウスさまを。と危うく口に出すところだった。
「――家族を。あなたが守ってくれるように、ご自分でも守りたいと思っていらっしゃいます。わたしはそのお気持ちを尊重します。わたしも、わかるから。大切なものを守るために、戦わなければならない時が、おんなにもあるのです」
ガイウスは顔を上げてキセの瞳を見つめた。しようと思えば唇を触れ合わせられる位置にいるのに、何故だかひどく遠く感じる。口を割らない腹いせにキスしてやろうかと思ったが、そんな気も失せた。
「あなたはわたしよりもアニエスのことをよく理解しているようだ」
「おんな同士ですから」
キセはにっこりと笑った。
ガイウスはちょっとおかしそうに唇を吊り上げ、切れ長の目を細めた。
「情けないところを見せた」
そう言って真っ直ぐ立ち上がったガイウスの手を、キセはぎゅっと握った。
「アニエスは大丈夫です、ガイウスさま。わたしたちが危険な目には遭わせません」
ガイウスはひどく複雑そうに笑った。
「…どうしてかな。近頃、アニエスが全く知らない女に見える。十年も前からわたしの妹なのに」
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