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五十四、エメネケット・ロンド - l’Eménéquette ronde -
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ヴェロニク・ルコント侯爵夫人はスラリと細く背の高い垂れ目の男をパートナーとして伴って現れた。
国王を虜にするだけあって、ルコント侯爵夫人の美的感覚は優れている。巷で流行のおろし髪だが、自分が魅力的に見える方法でアレンジを加えていた。
片側に編み込んだまとめ髪を作り、もう片方の前側へ流して、結い髪には青みがかった白の花を一輪挿している。
ドレスは春の宵に相応しい爽やかな勿忘草色の軽やかな仕立てで、釣り鐘の形に広がるスカートがさらさらと足元を嫋やかに見せている。上品で優雅な貴婦人に相応しい装いだ。
「キセ姫殿下、テオドリック王太子殿下」
と、ヴェロニク・ルコントと連れの男が二人に恭しく膝を折った。続いてスクネとシダリーズにも膝を折り、侯爵夫人はにっこりと赤い唇を吊り上げた。
「こちらは弟のジョフロワ・ドーリッシュと申します。折よく田舎から王都へ遊びに来ておりますので、せっかくならとコルネール閣下のご好意に甘えて連れて参りました」
テオドリックは礼儀正しい挨拶を交わしながら、目の前の姉弟を観察した。ジョフロワの波打つ髪は茶色く、唇は厚く、くっきりとした二重の目は薄茶色をしていて、肌はやや浅黒い。金髪に白い肌をした侯爵夫人とは対照的だ。輪郭は顎ほどの長さの髪が覆っているからよく分からないが、顎の中心に筋がある。この特徴は、ヴェロニク・ルコントと同じに見える。
コルネール兄妹といい、この姉弟といい、どうも不可解な点が多い。
ジョフロワ・ドーリッシュはどこか野性味を感じさせる唇を控えめに吊り上げ、片手を胸に添えてキセの前に跪いた。
「女神のように輝かんばかりです、キセ・ルミエッタ姫殿下。あなたのような方を王太子妃としてお迎えできますこと、エマンシュナの国民として嬉しく思います」
本心かどうか、見え透いている。
テオドリックは鼻頭に皺を寄せそうになったが、堪えた。
キセが輝くばかりなのは事実として、この男は姉の権勢が、妃のいない宮廷における国王の寵愛によるものであることを承知しているはずだ。キセが正式に王太子妃として迎えられた時に姉が辿る凋落を、理解していないはずがない。
一方で、キセは素直に反応した。
「光栄です、ドーリッシュ閣下。オレンジ色のタイが肌の色に映えてとてもお似合いです」
ドーリッシュは太い眉を開き、キセに微笑みかけた。男が若い娘を誘惑するときに見せるような笑みだ。テオドリックはひどい嫌悪感を持った。
ところがキセはテオドリックの感情などに気付くことなく、彼女らしく心を込めた挨拶を交わしている。
「ルコント侯爵夫人もとてもお綺麗です。髪飾りのお花がとっても可愛らしいです」
「まあ」
ヴェロニクが羽飾りのついた扇子を広げて口元を隠し、ころころと笑い声を上げた。
「なんと嬉しいお言葉でしょう。本当に可憐な方。お似合いのお二人ですわ。兄君のバルーク殿下も――」
と、ヴェロニクはスクネにねっとりと視線を向けた。スクネは王太子らしく礼儀正しい笑みでその視線に応えた。
「素晴らしい男振りですこと。美男美女ばかりで、本当に、両国の将来が楽しみでございます」
「はい。是非――」
とキセが言った。
「お二人にもご協力をいただけたら、とても嬉しいです」
テオドリックとスクネは静かに目配せし合った。
スクネもヴェロニク・ルコントがどういう女か何となく理解している。彼女の立場を考えれば、キセのこの言葉は挑戦とも受け取れるが、本人にそんなつもりはない。注目すべきは、ヴェロニクがどう反応するかだ。
「もちろんでございます、姫殿下」
果たして、ヴェロニク・ルコントは赤い唇を三日月のように吊り上げた。
目は弧を描いてこそいるが、長く黒いまつ毛の下の薄灰色の目は、敵意に満ちている。上品で友好的な仮面に微かなヒビが入った瞬間だ。
これまで控えめにスクネの隣でにこにこしていたシダリーズも、何かを感じ取ったらしい。表情こそ変わらず朗らかだが、スクネのそばにそそ、と寄ってきて、その腕にそっと手を添えた。
しかし、キセはこれを特に敵意とも危険とも感じずに、いつもの可憐な笑顔を見せた。
「ありがとうございます。とても心強いです」
キセに他意はない。国王の愛人であり貴族の奥方たちから一目置かれているルコント侯爵夫人がこの婚姻に賛同してくれるのならば、本当に心強いと思ったからそう言ったまでだ。
だからこの後、侯爵夫人が主催する「花の園」という婦人限定の集まりに誘われた時、キセは迷いなく招待を受けることにした。
「姫殿下にお越しいただけましたら、いっそう華やぎますわ。嬉しいこと」
そう言って弟と微笑み合ったヴェロニク・ルコントは、すっかり瞳の奥の敵意を隠していた。
「楽しみにしています」
テオドリックはまったく警戒する様子を見せないキセの腕を掴みそうになったが、その直前にキセはテオドリックににっこりと笑いかけた。
ヴェロニクとドーリッシュがその場を離れた後、四人が肩の力を抜く暇もなく、楽団が軽快な三拍子の曲を奏で始めた。ダンスの曲だ。
「踊りましょう、テオドリック」
キセはテオドリックの腕を引いた。テオドリックはいつものようににこやかに応じたが、どこか冷淡だった。
理由は分かる。ヴェロニクの招待を二つ返事で受けたキセを怒っているのだ。
キセの心がちくちくと痛む。しかし、海に潜らずして真珠は手に入らない。
「今宵は皆さまご存じのエメネケット・ロンドでダンスを始めましょう」
アニエス・コルネールが兄のガイウスを伴い、大広間の中央へやって来て、招待客に言った。「エメネケット・ロンド」の名が出た途端に、婦人たちの楽しそうなくすくす笑いが聞こえて来た。男性たちも多くが含み笑いをしている。
「エメネケット・ロンドってなんですか?」
キセがこっそりテオドリックに訊ねた。
「若い貴族の間で流行してるやつだ。エメネケットを大勢で輪になって踊る。位置を入れ替わるときに男が斜めに回って、パートナーを順繰りに交替していく。…本当にやるのか?」
テオドリックは気乗りしないようだが、キセは「はい!」と元気よく応えた。
「とっても楽しそうです」
「キセさま、エメネケット・ロンドは足をもつれさせたら罰ゲームがあるんですよ」
シダリーズがくすくす笑った。
「罰ゲーム?」
「足がもつれたら、その時のパートナーの頬にキス」
スクネが言った。
「お兄さま、ご存じなのですね」
「以前顔を出した茶会でやった」
「あの時はスクネさまとわたしだけが最後まで躓かずに躍れたのですよ」
シダリーズが得意げに言った。
「すごいです。お兄さまはわたしよりも後に練習を始めたのに、そんなに上達されたのですね」
「ダンスの才能があるのですね。エマンシュナ人よりもお上手でした」
シダリーズはそう言ってスクネを賞賛したが、キセはこれがダンスの才能によるものではないと知っている。スクネはこの国で、和平という使命を課せられた王太子としての役割を果たそうと必死なのだ。
エマンシュナ人との交流手段のひとつである伝統舞踊を完璧に踊れるようになったのも、他人の見えないところで努力を重ねたからに他ならない。もっと言えば、招待される集まりをできる限り拒まずに参加しているのも、使命感によるものだ。国と国の結びつきを、自らをもって体現しているのだ。
「では、わたしも頑張ります」
キセは胸を膨らませた。
「…転ぶなよ」
キセはやや不機嫌なテオドリックの顔を見上げて腕にそっと触れ、既に輪になっている招待客の列に入って行った。
彼らは二つの国の王太子と姫君をダンスの輪に歓迎した。その中には、主催者であるコルネール兄妹とヴェロニク・ルコントとその弟の姿もある。
コルネール兄妹が何故この夜会にエメネケット・ロンドを採用したのか、キセにはすぐに分かった。今夜の集まりは主に和平への賛同を表明した者たちが招待されているらしく、みなイノイルのシトー兄妹には友好的だ。しかし、中には中立の立場の者もいる。彼らとの良好な関係を築くため、このエメネケット・ロンドを有効活用しろという意図が含まれているのだろう。
ヴェロニク・ルコントも表面上はアストレンヌ王家とシトー王家の婚約を祝福しているから、この友好的な集まりの中にいても不自然ではない。ここでガイウスも彼女に近付くことができる上、内実は二人の婚約を破棄させたいと思っていることを侯爵夫人に匂わせれば、その懐に入り込むきっかけになる。
(なるほど。策士でいらっしゃいます)
キセはパートナーを何人か交替してガイウスが目の前に回ってきた時、尊敬の眼差しで目の前の紳士を見た。
「素晴らしいです、ガイウスさま」
速くなったテンポで懸命にステップを踏みながら、キセが言った。
「あなたこそ素晴らしい。キセ」
ガイウスが目を細め、唇を吊り上げた。
「そう言えば、以前あなたが忘れていった靴とタイツはわたしの寝室で預かっているが、このあと取りに来るか?」
と、ガイウスが誘惑するような低い声で言ったので、キセは顔を赤くした。
「えっ…。あっ、あの、わぁ!」
動揺して足を滑らせたキセの手をガイウスはしっかりと握り、腰を支えてちょっと悪戯っぽく笑った。
「おっと、罰ゲームだ」
「うう、わざとですね」
キセは頬を膨らませて爪先立ちをし、ルールに則ってガイウスの頬にキスをした。
罰ゲームとは言え罪悪感がある。ステップを踏みながら既に何人かを挟んだ向こう側にいるテオドリックの方をちらりと見ると、テオドリックもパートナーの若い貴婦人から頬にキスを受けていた。ふと、テオドリックもキセの方を見た。が、ツイと視線を逸らされてしまった。
眉の下を曇らせたキセに、ガイウスが小さく言った。
「位置を入れ替わるときにわたしの目を見て、微笑むんだ」
今度は誘惑するような目ではない。真剣だ。何か考えがあってのことだと察し、キセは男性側が斜めに回って次のパートナーに移るときに言われた通りのことをした。
それから五人ほどの紳士と友好的な世間話を交わしながら踊り、今度はドーリッシュが軽やかなステップを踏みながら目の前に現れた。肌が黒い分、笑ったときに見せる歯がいっそう白く見える。
「キセ姫殿下はコルネール公と親しいのですね」
「エマンシュナへ来て初めてのお友達なんです。まだ出会ってから日が浅いのですが、これからもっとたくさん知り合えたら嬉しいと思っています」
「それはそれは」
ドーリッシュが目を細めた。下がり気味の目尻がいっそう垂れ下がって見えた。
「これからが楽しみですね」
「はい。とても」
キセが深い青のドレスを翻してくるりと回った。この時のドーリッシュの目を見てキセは確信した。
ガイウスの策謀が効力を見せ始めている。
国王を虜にするだけあって、ルコント侯爵夫人の美的感覚は優れている。巷で流行のおろし髪だが、自分が魅力的に見える方法でアレンジを加えていた。
片側に編み込んだまとめ髪を作り、もう片方の前側へ流して、結い髪には青みがかった白の花を一輪挿している。
ドレスは春の宵に相応しい爽やかな勿忘草色の軽やかな仕立てで、釣り鐘の形に広がるスカートがさらさらと足元を嫋やかに見せている。上品で優雅な貴婦人に相応しい装いだ。
「キセ姫殿下、テオドリック王太子殿下」
と、ヴェロニク・ルコントと連れの男が二人に恭しく膝を折った。続いてスクネとシダリーズにも膝を折り、侯爵夫人はにっこりと赤い唇を吊り上げた。
「こちらは弟のジョフロワ・ドーリッシュと申します。折よく田舎から王都へ遊びに来ておりますので、せっかくならとコルネール閣下のご好意に甘えて連れて参りました」
テオドリックは礼儀正しい挨拶を交わしながら、目の前の姉弟を観察した。ジョフロワの波打つ髪は茶色く、唇は厚く、くっきりとした二重の目は薄茶色をしていて、肌はやや浅黒い。金髪に白い肌をした侯爵夫人とは対照的だ。輪郭は顎ほどの長さの髪が覆っているからよく分からないが、顎の中心に筋がある。この特徴は、ヴェロニク・ルコントと同じに見える。
コルネール兄妹といい、この姉弟といい、どうも不可解な点が多い。
ジョフロワ・ドーリッシュはどこか野性味を感じさせる唇を控えめに吊り上げ、片手を胸に添えてキセの前に跪いた。
「女神のように輝かんばかりです、キセ・ルミエッタ姫殿下。あなたのような方を王太子妃としてお迎えできますこと、エマンシュナの国民として嬉しく思います」
本心かどうか、見え透いている。
テオドリックは鼻頭に皺を寄せそうになったが、堪えた。
キセが輝くばかりなのは事実として、この男は姉の権勢が、妃のいない宮廷における国王の寵愛によるものであることを承知しているはずだ。キセが正式に王太子妃として迎えられた時に姉が辿る凋落を、理解していないはずがない。
一方で、キセは素直に反応した。
「光栄です、ドーリッシュ閣下。オレンジ色のタイが肌の色に映えてとてもお似合いです」
ドーリッシュは太い眉を開き、キセに微笑みかけた。男が若い娘を誘惑するときに見せるような笑みだ。テオドリックはひどい嫌悪感を持った。
ところがキセはテオドリックの感情などに気付くことなく、彼女らしく心を込めた挨拶を交わしている。
「ルコント侯爵夫人もとてもお綺麗です。髪飾りのお花がとっても可愛らしいです」
「まあ」
ヴェロニクが羽飾りのついた扇子を広げて口元を隠し、ころころと笑い声を上げた。
「なんと嬉しいお言葉でしょう。本当に可憐な方。お似合いのお二人ですわ。兄君のバルーク殿下も――」
と、ヴェロニクはスクネにねっとりと視線を向けた。スクネは王太子らしく礼儀正しい笑みでその視線に応えた。
「素晴らしい男振りですこと。美男美女ばかりで、本当に、両国の将来が楽しみでございます」
「はい。是非――」
とキセが言った。
「お二人にもご協力をいただけたら、とても嬉しいです」
テオドリックとスクネは静かに目配せし合った。
スクネもヴェロニク・ルコントがどういう女か何となく理解している。彼女の立場を考えれば、キセのこの言葉は挑戦とも受け取れるが、本人にそんなつもりはない。注目すべきは、ヴェロニクがどう反応するかだ。
「もちろんでございます、姫殿下」
果たして、ヴェロニク・ルコントは赤い唇を三日月のように吊り上げた。
目は弧を描いてこそいるが、長く黒いまつ毛の下の薄灰色の目は、敵意に満ちている。上品で友好的な仮面に微かなヒビが入った瞬間だ。
これまで控えめにスクネの隣でにこにこしていたシダリーズも、何かを感じ取ったらしい。表情こそ変わらず朗らかだが、スクネのそばにそそ、と寄ってきて、その腕にそっと手を添えた。
しかし、キセはこれを特に敵意とも危険とも感じずに、いつもの可憐な笑顔を見せた。
「ありがとうございます。とても心強いです」
キセに他意はない。国王の愛人であり貴族の奥方たちから一目置かれているルコント侯爵夫人がこの婚姻に賛同してくれるのならば、本当に心強いと思ったからそう言ったまでだ。
だからこの後、侯爵夫人が主催する「花の園」という婦人限定の集まりに誘われた時、キセは迷いなく招待を受けることにした。
「姫殿下にお越しいただけましたら、いっそう華やぎますわ。嬉しいこと」
そう言って弟と微笑み合ったヴェロニク・ルコントは、すっかり瞳の奥の敵意を隠していた。
「楽しみにしています」
テオドリックはまったく警戒する様子を見せないキセの腕を掴みそうになったが、その直前にキセはテオドリックににっこりと笑いかけた。
ヴェロニクとドーリッシュがその場を離れた後、四人が肩の力を抜く暇もなく、楽団が軽快な三拍子の曲を奏で始めた。ダンスの曲だ。
「踊りましょう、テオドリック」
キセはテオドリックの腕を引いた。テオドリックはいつものようににこやかに応じたが、どこか冷淡だった。
理由は分かる。ヴェロニクの招待を二つ返事で受けたキセを怒っているのだ。
キセの心がちくちくと痛む。しかし、海に潜らずして真珠は手に入らない。
「今宵は皆さまご存じのエメネケット・ロンドでダンスを始めましょう」
アニエス・コルネールが兄のガイウスを伴い、大広間の中央へやって来て、招待客に言った。「エメネケット・ロンド」の名が出た途端に、婦人たちの楽しそうなくすくす笑いが聞こえて来た。男性たちも多くが含み笑いをしている。
「エメネケット・ロンドってなんですか?」
キセがこっそりテオドリックに訊ねた。
「若い貴族の間で流行してるやつだ。エメネケットを大勢で輪になって踊る。位置を入れ替わるときに男が斜めに回って、パートナーを順繰りに交替していく。…本当にやるのか?」
テオドリックは気乗りしないようだが、キセは「はい!」と元気よく応えた。
「とっても楽しそうです」
「キセさま、エメネケット・ロンドは足をもつれさせたら罰ゲームがあるんですよ」
シダリーズがくすくす笑った。
「罰ゲーム?」
「足がもつれたら、その時のパートナーの頬にキス」
スクネが言った。
「お兄さま、ご存じなのですね」
「以前顔を出した茶会でやった」
「あの時はスクネさまとわたしだけが最後まで躓かずに躍れたのですよ」
シダリーズが得意げに言った。
「すごいです。お兄さまはわたしよりも後に練習を始めたのに、そんなに上達されたのですね」
「ダンスの才能があるのですね。エマンシュナ人よりもお上手でした」
シダリーズはそう言ってスクネを賞賛したが、キセはこれがダンスの才能によるものではないと知っている。スクネはこの国で、和平という使命を課せられた王太子としての役割を果たそうと必死なのだ。
エマンシュナ人との交流手段のひとつである伝統舞踊を完璧に踊れるようになったのも、他人の見えないところで努力を重ねたからに他ならない。もっと言えば、招待される集まりをできる限り拒まずに参加しているのも、使命感によるものだ。国と国の結びつきを、自らをもって体現しているのだ。
「では、わたしも頑張ります」
キセは胸を膨らませた。
「…転ぶなよ」
キセはやや不機嫌なテオドリックの顔を見上げて腕にそっと触れ、既に輪になっている招待客の列に入って行った。
彼らは二つの国の王太子と姫君をダンスの輪に歓迎した。その中には、主催者であるコルネール兄妹とヴェロニク・ルコントとその弟の姿もある。
コルネール兄妹が何故この夜会にエメネケット・ロンドを採用したのか、キセにはすぐに分かった。今夜の集まりは主に和平への賛同を表明した者たちが招待されているらしく、みなイノイルのシトー兄妹には友好的だ。しかし、中には中立の立場の者もいる。彼らとの良好な関係を築くため、このエメネケット・ロンドを有効活用しろという意図が含まれているのだろう。
ヴェロニク・ルコントも表面上はアストレンヌ王家とシトー王家の婚約を祝福しているから、この友好的な集まりの中にいても不自然ではない。ここでガイウスも彼女に近付くことができる上、内実は二人の婚約を破棄させたいと思っていることを侯爵夫人に匂わせれば、その懐に入り込むきっかけになる。
(なるほど。策士でいらっしゃいます)
キセはパートナーを何人か交替してガイウスが目の前に回ってきた時、尊敬の眼差しで目の前の紳士を見た。
「素晴らしいです、ガイウスさま」
速くなったテンポで懸命にステップを踏みながら、キセが言った。
「あなたこそ素晴らしい。キセ」
ガイウスが目を細め、唇を吊り上げた。
「そう言えば、以前あなたが忘れていった靴とタイツはわたしの寝室で預かっているが、このあと取りに来るか?」
と、ガイウスが誘惑するような低い声で言ったので、キセは顔を赤くした。
「えっ…。あっ、あの、わぁ!」
動揺して足を滑らせたキセの手をガイウスはしっかりと握り、腰を支えてちょっと悪戯っぽく笑った。
「おっと、罰ゲームだ」
「うう、わざとですね」
キセは頬を膨らませて爪先立ちをし、ルールに則ってガイウスの頬にキスをした。
罰ゲームとは言え罪悪感がある。ステップを踏みながら既に何人かを挟んだ向こう側にいるテオドリックの方をちらりと見ると、テオドリックもパートナーの若い貴婦人から頬にキスを受けていた。ふと、テオドリックもキセの方を見た。が、ツイと視線を逸らされてしまった。
眉の下を曇らせたキセに、ガイウスが小さく言った。
「位置を入れ替わるときにわたしの目を見て、微笑むんだ」
今度は誘惑するような目ではない。真剣だ。何か考えがあってのことだと察し、キセは男性側が斜めに回って次のパートナーに移るときに言われた通りのことをした。
それから五人ほどの紳士と友好的な世間話を交わしながら踊り、今度はドーリッシュが軽やかなステップを踏みながら目の前に現れた。肌が黒い分、笑ったときに見せる歯がいっそう白く見える。
「キセ姫殿下はコルネール公と親しいのですね」
「エマンシュナへ来て初めてのお友達なんです。まだ出会ってから日が浅いのですが、これからもっとたくさん知り合えたら嬉しいと思っています」
「それはそれは」
ドーリッシュが目を細めた。下がり気味の目尻がいっそう垂れ下がって見えた。
「これからが楽しみですね」
「はい。とても」
キセが深い青のドレスを翻してくるりと回った。この時のドーリッシュの目を見てキセは確信した。
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