獅子王と海の神殿の姫

若島まつ

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十七、火花 - une étincelle -

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 テオドリックの視線は肌を灼くように熱かった。
 キセが恥ずかしさにまぶたを伏せ、腕で胸を隠そうとすると、テオドリックはキセの手を掴んで床に敷いた毛布に押し付けてしまった。
「…そんなふうに見ないでください」
 恥ずかしくて死んでしまいそうだ。心臓が痛いほどに脈打ち、腹の奥が不可解な熱を持って締め付けられているというのに、テオドリックはまるで意に介せず、宝探しをしているような丹念さでキセの素肌に触れている。
「どんなふうだ」
 自分がどんな顔をして彼女を見ているか、まるでわからない。分かったところでやめてやれるわけでもないが。
「ん…」
 テオドリックが臍の周りをくるくると指で撫でた時、キセが小さく声を上げた。
「きれいだ」
 テオドリックは恍惚とした声色で言った。キセの身体は、今まで見た誰のものよりもきれいだった。ぎゅう、と、キセの鳩尾がまた痛くなった。
「あなたも、きれいです」
 テオドリックはちょっと目を見開いた後、しかめっ面になった。
「それは褒め言葉か?」
「もちろんです。髪もお顔立ちもそうですけど、それ以上に目が、海のようで、なんだか――」
 キセは言葉を続けられなかった。テオドリックの唇が降りてきたからだ。キセはそれに応えた。テオドリックが大きく筋張った手で頬に触れ、肩に触れ、腕を撫で、胸を覆って、長い指で愛らしく色づいたその先端を撫でた。キセはテオドリックの唇の下で悲鳴をあげた。小さな火花が無数に散って、身体中を走り回っている。
 キセの乳香のような匂いが濃くなり、テオドリックの鼻腔に広がって神経をますます昂らせた。こんな場所では初夜を迎えたりしない。そんなつもりは全くないが、途中で止められるか怪しいものだ。
 彼女を女神のものになどしておけない。自分のものにしなければ――。
(だめだ)
 キセの舌の温度が、息遣いが、テオドリックから冷静さを奪っていく。自分の立場をキセに理解させるためだなどと言いながら、自分でも滑稽なほど身体が熱くなっている。呑まれているのはどちらだ。自分自身なのではないか。
「キセ」
 テオドリックが掠れた声で呼び、キセの黒い瞳を見つめた。キセは呼吸をするのがやっとだった。
「懇願してもやめてやらないぞ」
 テオドリックが言うと、キセは今にも泣き出しそうなほど目を潤ませ、頬を赤く染めて言った。
「…ここにいます。一緒に」
 意地でも。と続くのだろう。テオドリックは複雑に口の左側だけで笑い、下唇から頬へ、首へと吸いついた。サラサラした金色の髪が喉元をくすぐったとき、キセは身体を硬くした。
「――!テオドリック…あっ」 
 胸の先端をテオドリックに啄まれている。キセはびくりと身体を震わせて悲鳴をあげた。
「んんっ、待ってくださ…それ、あっ…」
「待たない」
 テオドリックの吐息がそこに掛かる。それだけで刺激になった。キセは上がってしまう声を抑えることができず、唇を噛んだ。熱く滑らかなテオドリックの舌が胸の頂の周りをくるりと這い、更にそれを覆うように舐め、つついてくる。
 キセは迫り来る不可解な感覚に身を捩って抵抗した。小さな火花が弾けながら全身を巡っていくようだった。
「んんんっ…、ふ、いや。だめです」
「嫌?」
 テオドリックが顔を上げた。キセは言葉を発せず、ただ何か重大なことに気付いたような顔でテオドリックを見上げた。テオドリックに見えたのは、拒絶ではなく、羞恥でもなく、困惑だった。
 キセが戸惑ったのは、自分の中の欲望に気付いたからだ。この小さな火花が快楽であり、嫌かと訊かれて肯定できないのは、それを自分も望んでいるからに他ならない。そういう自分がひどく淫らな存在に思えた。その先にあるものを知るのが怖いと思った。
「…怖いです」
 キセの頬に涙が落ちた。それはテオドリックの憐憫を誘うものではなく、胸を熱くさせるものだった。
「怖くない。俺が教えてやる」
「あ…」
 テオドリックの口がキセのもう片方の乳房を覆った。キセはテオドリックの肩にしがみついて再び身体中を走り回り始めた小さな火花をやり過ごそうとした。が、逸る鼓動も荒くなる呼吸も上がってしまう声も、どうにもできない。
 キセの身体は熱く、甘く、心地よい。テオドリックは自分の強運に感謝した。この女性がキセ・ルミエッタ・シトーとして存在していたことこそが、まさしく僥倖だ。そうでなければこの肌に触れる男は自分ではなかったかもしれない。そんなことは想像したくもない。許せない。
 舌の先で先端を転がすようにつつき、もう片方の乳房を手のひらで覆い、その頂を人差し指と親指の間で挟むようにそっと愛撫した。キセが声を押し殺して喘ぎ、テオドリックの肩を強く掴んでくる。この時テオドリックは自分の身体が反応していることを知った。いつの間にか、脚の間が痛いほど硬くなっている。
「あっ、テオドリック――」
 キセが叫ぶように言った。胸に触れていた手が、腰へ、腹へと下りて、腰で引っ掛かったままのドレスの下へと潜り込んできた。そして、臍の下へ。――
「ああっ…――!」
 強烈な刺激だった。テオドリックの長い指が自分でも触れたことのない器官に触れている。パチパチと弾けるように火花が大きくなって身体中に散り、キセの思考を徐々に剥ぎ取っていく。
「熱い。ほら…」
 テオドリックは薄い茂みの奥のキセの中心に指を忍ばせ、既に潤っているその奥から手前側へと指を沿わせて、上部の突起へ塗りつけた。その行為がキセの身体に更なる火花を放った。
「ひゃ、あっ」
「濡れているのが分かるか」
 恥ずかしくて死にそうだ。キセは懇願するようにテオドリックを見上げた。緑色の瞳に燻る炎がキセの身体をもっと熱くした。
「お、おかしいことですか?ここが、こう・・、なるのは…」
 テオドリックは唇を吊り上げた。キセはこの行為で女の身体がどう反応するか知らないのだ。テオドリックが内部の浅い部分へ指を入れると、腰が跳ね、中でひどく湿った音がした。キセは耳を塞ぎたくなった。
「これは、身体が悦んでいる証拠だ。ここに男を受け入れるためにこうなる。あんたも、俺をここに」
「あ…」
 キセは顔を真っ赤にして両手で覆った。テオドリックがゆっくりと羽で触れるような柔らかさで中心を撫で続け、奥から溢れる蜜を指に絡めてキセを快楽へ誘った。
「堪えるのをやめて、息をしろ」
「あっ、あ…でも…」
「息をしろ。唇を噛むな」
 ぐり、とテオドリックがそこを強く擦った。キセは悲鳴を上げた。
 キセの息が上がり、身体中の温度が上がっていく。キセの細い指が波に抗うような必死さで肩を掴んでくる。テオドリックは胸が痛くなるほどの興奮を覚えた。今夜抱かずにいることに耐えられるだろうか。
 突起と内部の浅いところを解すように愛撫していると、キセの呼吸が変わった。胸が大きく上下し、黒い瞳が霞みがかって虚空を見つめ、全身で快楽を受け入れようとしている。
 キセが助けを求めるようにテオドリックの目を見た。
 無垢なものに手を掛ける背徳感と、キセをこの手で未知の絶頂へ導けることへの歓びが絡み合ってテオドリックの胸に迫った。
「いい。そのまま委ねろ」
 怖い。
 このまま未知の世界へ放り出されそうだ。小さな火花と大きな火花が全身を無数に駆け回って爆発を起こさせようとしている。
 ぞくぞくと身体の中心から未知の感覚がせり上がり、テオドリックの創り出す悦びが身体中を灼いた。
「――っ!あっ、ああ…――!」
 キセが一際高い声で悲鳴をあげ、身体を震わせて腰を逸らせ、テオドリックの肩をぎゅうっと強く握った。
 頭の中で真っ白な爆発が起きたような感覚だった。心臓がばくばくと脈打っている。あれほど緊張していた身体からふつと力が抜け、くたっと身体を毛布へ横たえた。テオドリックの手が絶頂の余韻を残してそこから離れ、汗の浮いたキセの額に唇が降りてきた。労わるような優しいキスだ。
「大丈夫か」
 テオドリックはキセの横に自分も肘をついて身体を横たえ、乱れた黒髪を指にくるくると巻いて弄んだ。
 キセはもぞもぞとテオドリックに背中を向け、下に敷いてある毛布を手繰り寄せて顔を覆い隠した。
「…怒ったか?嫌だった?」
 テオドリックはキセの白い背に向かって問いかけた。キセは無言のまま、頭をぶんぶんと横に振り、鼻を啜った。
 恥ずかしくて顔が見られない。声を出すと喉が痛い。脚の間にまだ痺れが残り、ひどく濡れている。理由ははっきりしている。あられもない姿で、テオドリック以外のことを何も考えられず、快楽に乱れたからだ。
 快楽。あれが快楽――。
 キセは自分の身体がまだ熱を持っていることにひどく戸惑った。テオドリックを困らせたくないのに、今はどうしても顔を見ることができない。
「キセ」
 テオドリックが甘い声で言い、乱れた結い髪をそっと解いて髪を首の後ろに分け、露わになった白い首筋に口付けをした。
 これ以上触れているとまた襲いかねない。今度はもっと深いところまで暴いてしまいそうだ。だが、地獄のような試練に耐えなければならないとしても、この柔らかく歓びに満ちた身体を離す気にはどうしてもなれなかった。
「可愛かった」
 つ、とテオドリックがキセの腰をゆるゆると撫でて言った。
 キセはますます顔が熱くなった。背中を丸めて小さくなると、テオドリックが追いかけてきて後ろから抱きしめた。
 キセは臀部に違和感を覚えた。それがテオドリックの身体の一部だと分かった途端、思わず真っ赤に染まった顔を後ろに向け、声も出せずにテオドリックの顔を見つめた。
 そのあまりに不安そうな様子がおかしくて、テオドリックは笑い出した。
「あんたがあんまり可愛いから、こうなった。生理的な反応だ。今日はもう何もしないから安心しろ」
「あっ、あの……、はい」
 キセが肩から力を抜いたのを見て、テオドリックは安堵した。
「このまま触れていていいか?」
「はい…」
 落ち着かないのに、大きくて温かいテオドリックの手は心地よい。その手が腰を撫で、髪を梳いて、柔らかい唇が背中にちょんちょんと触れてきても、キセは逃げようとしなかった。
「ふ、気持ちいいです…。テオドリック…」
 テオドリックはぴくりと眉を上げ、渋面を作ってキセの顔を覗き込んだ。この期に及んでまたこれか。この状況でそういうことを口にしたらどうなるか教えてやろうとした。が、キセのまぶたは既に閉ざされ、心地よさそうな寝息が聞こえてくる。
 テオドリックは深々と溜め息をついた。寝てくれて助かった。意識にない相手には、どのみち手を出せない。ひどく未練を感じながら、乱れたドレスを直し、背中のボタンもひとつひとつ留め直してやった。すっかり元通りの装いに直したキセの身体ごと毛布に収まり、彼女を腕に収めてテオドリックも目を閉じた。
 毛布からは、キセの匂いがした。乳香とオレンジと、それから何か瑞々しく甘やかな果実の香りだ。

 早朝、オアリス城では騒ぎが起きていた。使用人たちが城中を駆け回っている。
 ゆったりした麻の寝衣に葡萄色のローブを羽織ったイユリが、まだ覚めきっていない目で寝室の外へ出た。慌ただしく走り回っていた二人の女中が、寝室の前にぼんやりと佇むイユリの姿を認めて急停止し、揃いの青いドレス裾を持ち上げることも忘れた様子で軽く膝を折るだけに留まった。いつもなら裾をつまんできちんと身を低くするところだが、今朝は余程慌てているらしい。
「何事?」
 イユリが目をこすりながら訊くと、一人の女中が顔を蒼白にして叫ぶように言った。昨夜キセの入浴を手伝った女中だ。
「イユリ殿下!キセ姫さまがどこにもいらっしゃらないんです!」
「何?だって昨日僕が寝室まで送ったんだぞ。警備兵もいただろ?誰か見ていないのか?」
「そ、それが…部屋の窓に非常用のロープが掛かっておりまして…」
 イユリは頭上を仰いだ。
「…またか。キセ」
 子供の頃はしょっちゅうそうやって夜に城を抜け出しては星の観察をしていた。有事に備えた訓練で覚えてしまったのだ。
「君のせいじゃないよ。キセはああ見えてちょっとおてんばなんだ」
 責任を感じてしょんぼりした女中に、イユリは穏やかに笑って見せた。女中はうっとりしてイユリの顔を見、すぐにハッと我に返って姫さま探しを再開した。
(さて、どうしようかな)
 イユリが首を捻っていると、黒いローブを着た家令のミシナがバタバタとやって来た。ミシナはそこそこ年を取っているが背が高いから、あまり早歩きをしないように心掛けていると言っていたことがある。相手に無駄な威圧感を与えるからだ。だから、穏やかで品行方正なミシナがこれほど慌てているとなれば、相応の非常事態なのだ。
 まあ、無理もない。イユリはミシナに同情した。
 父親と兄と母たちが出払い、いつになく静かな日を過ごしていたというのに、キセが突然帰ってきたと思ったらこの騒ぎだ。
「キセが見つかったって言う話なら是非聞きたい」
「いいえ殿下。国王陛下と王太子殿下、王妃さま方がお帰りです」
「げ。こんな時に…」
 イユリはもう一度頭上を仰ぎ、額に手を当てた。
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