獅子王と海の神殿の姫

若島まつ

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十六、塔の一夜 - une nuit dans la tour -

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 テオドリックは窓の外を見た。
 殺風景なクーポラの塔の下では、城の改修工事を行う人夫が忙しく立ち働き、遠方から集まってくる連絡兵や武器などの輸送に携わる者たちが多く行き交っていた。城下の雰囲気と同じく、物々しさの中に、どこか陽気さが感じられる。
 ふと視線を感じて上を見た。半円形の天井に丸く開けられた小窓から光が射し、その光の輪の中で狂暴な目をしたステンドグラスの青い鷲がギラギラとこちらを見下ろしていた。足元にはステンドグラスをすり抜けた青や黄色や緑の光が落ち、床に色を付けている。この場所に調度品を置いてダンスホールにでもしたら美しいだろうが、生憎今は壁に大きな鷲のタペストリーが掛かっている他は、何の装飾もない。
 部屋の隅には大きな布が敷かれ、その上に四角く切り出された大理石やノミ、刷毛などの資材がいくつか置かれているから、ここも改修中に違いない。埃っぽい空気の中に、樹脂やニカワの混ざったようなにおいが微かに漂ってくる。窓だけでなく扉も全開にして換気をしたいところだが、生憎扉は外から施錠されてしまっている。唯一の救いは、部屋の一番隅の小さな扉の奥にきちんと陶器でできた便座付きのトイレがあることだ。
 この部屋に軟禁されてから、既に一時間以上が経っている。
(キセと同じ目に騙された)
 とんだ食わせ者だ。
 まさかあの虫も殺さなそうな顔をした男が人を謀り、あまつさえ妹の強い抗議も無視して閉じ込めてしまうとは、全く予想もしていなかった。
(俺が誰か知っているのか)
 あの番犬のような侍女が書いて寄越したということも有り得るが、テオドリックの見立て通りセレンが骨の髄までキセに忠実であれば、きっと主人の意に沿わないことはしないはずだ。
 そして、これもまたテオドリックの見立て通りであれば、イユリ・スキロス王子は妹が連れてきた男が例え敵国の王子でなかったとしてもこの塔に連れてきただろう。妹と親しくする男は誰であろうと同じ扱いを受けるに違いない。
 外に見張りがいる気配はないから、扉を蹴破って抜け出すこともなんとかできそうではあるが、正式にキセを妻として請いに来たのだ。案内された部屋から勝手に抜け出しキセを連れ去ることに成功したとしても、ここから逃げれば最後、計画は失敗に終わる。
 それから更に時間が経って窓の外が暗くなり始めた頃、ガチャガチャと扉が鳴った。テオドリックは襲いかかられた時に備えて護身用のナイフをブーツの内側から取り出して袖に隠し、貴公子らしく正面で待ち構えた。
 鍵がカチ、と鳴った後、ゆっくりと開いた扉の奥から現れたのは、キセだった。供連れもなく、手には燭台を持ち、申し訳なさそうに正面のテオドリックを見た。世話係に着替えさせられたのか、供に馬に乗って城門をくぐったときとはまったく違う格好をしていた。蔦模様の地紋がある珊瑚色のドレスで、胸から腰の線につやつやした生地がぴったりと沿い、臀部の丸みを覆って足元へスカートが流れるように落ち、肘から下にかけて袖が軽やかに広がっている。襟はオシアスの装束ほど開いていないが、ドレスの珊瑚色が羞恥に火照ったキセの肌の色を思い出させ、その下を想像させる。いつも腰まで下ろしている漆黒の巻き毛は、太さの違う三つ編みをいくつか作って中央へ寄せ、そこからくるくると巻いてまとめられていた。どこから見ても完璧な王女の装いだ。
 そのキセが、王族の装いには全く似つかわしくない労働者の男が持つような大きな革の鞄を肩から斜めに掛け、燭台を持っていない方の手で分厚い毛布を抱えて部屋の中へ入ってきた。足取りは重く、しょげている。
「どうした」
 キセはすぐには答えず、燭台と鞄を床に置き、テオドリックの隣へやって来てちょこんと座った。テオドリックもそれに倣って腰を下ろし、ナイフをブーツに仕舞った。キセからは、仄かに乳香とオレンジの香りがする。風呂に入れられでもしたのだろう。
「イユリお兄さまにお願いを聞いてもらえませんでした。お父さまとスクネお兄さまはお母さま方とご一緒に外出していて明日まで戻らないらしく、お二人が帰ってくるまでどこの誰かも知らない方をお城に上げておくわけにはいかないそうです」
「まあ、それはそうだろうな。一理ある。一分の敬意もないが」
「すみません…。わたしがもう少しお兄さまに信用していただけていたらよかったのですが」
「謝るな。あんたのせいじゃない」
「ですが、わたしの力不足です」
 キセはきっぱりと言った。萎れているのに、断固とした口調だ。
「わたしはお兄さまたちのように剣を振るえませんし強くありませんから、頼りないのだと思います」
 すっかりしょげてしまったキセを不思議な気分で見つめ、テオドリックは別のことを訊いた。
「どうやって鍵を開けた」
「これで…」
 キセは編み込まれた髪の中からピンを一本取りだして、テオドリックに見せた。テオドリックは思わずにやりとした。
「本当に頼りないやつがこんなに器用なことができるか?」
 キセはちょっと笑った。
「子供の頃仲良くしていた庭師の息子さんに教えてもらったんです。よく庭師小屋の鍵で練習して、セレンに見つかって怒られました」
「意外な前科だ」
 テオドリックは唇を吊り上げた。初めて成功したときはきっと「すごいです」とか「できました」などと言いながら喜んだのだろう。幼い頃のキセを想像しておかしくなった。
 キセは神妙な顔をして続けた。
「ともかく、あなたをこんなところに入れておく訳にはいきません。かと言ってここから勝手に出ていくとなると印象も悪くなってしまいますし、ますます認めてもらえる可能性が低くなってしまいます。それでは本末転倒ですから、残念ですがここにいていただいた方がよいと思います。なので――」
 キセは革の鞄の中から飲み物の入っているらしい大きな瓶と大きなパン、それから干し肉とドライフルーツの入った瓶と、ソーダらしき飲み物の入った透明な瓶を取り出した。
 囚われの身となった自分が少しでも不便をしないようにと持ってきてくれたのだとテオドリックは思った。しかし、キセの意図はテオドリックの予想とは少し違っていた。
「わたしもお付き合いします」
 キセは鼻息も荒くそう言うと、抱えていたふかふかの羊毛の毛布をテオドリックに差し出した。キセの手元には、同じものがもう一つ残っている。
「あんたもここでオーレン王の帰りを待つつもりか」
「もちろんです。わたしもテオドリックと思いは同じです」
(いや。多分、違う)
 テオドリックは苦々しい思いがした。ここで夜を明かすことになれば、キセには想像もつかないほどの地獄をテオドリックは味わうことになる。
「あんたにはもっと温かくて快適な自分の部屋があるだろう。気持ちはありがたいが、そこまでする必要はない」
「必要ならあります。わたしがそうしたいんです。だって、夫婦になるのですから。不安なことも不便なことも、半分こです」
 テオドリックは唇を引き結んだ。当のキセはテオドリックの不都合など想像もせず、朗らかな笑みを浮かべている。
「あんたは存外頑固だな」
「はい」
 キセはにこにこ笑って言ったが、すぐに何か思い直したようにハッと口を押さえた。
「もしかして、だめですか…?」
 キセが不安そうに黒い瞳で覗き込んでくる。この目に逆らえる者がいるだろうか。
「…好きにしろ。どうなっても知らないぞ」
 テオドリックは吐き捨てるように言った。自分としては後半の方を強調したつもりだが、意に反してキセはぱあっと顔を輝かせた。前半部分を快諾として受け取ったらしい。さすがに意思疎通ができているのか不安になってきた。というより、苛々してきた。
 温泉宿の一件にしても、その後二人きりの時に彼女の身体に触れないようにしていたことにしても、どれほどの精神力でテオドリックが自分を抑え込んでいるか、キセは全く考えていない。
「本当にわかっているか」
 つい、苛立ちが声色に出た。キセは首を傾げた。
「俺と一晩同じ部屋で過ごした日に何が起きたか、ここで再現するか」
 キセは目を伏せた。これ以上テオドリックの顔を見ていたら心臓が危うい脈を刻み始める。顔どころか身体中がじわじわと熱くなるのを感じた。忘れてはいない。忘れろと言われても無理だ。テオドリックの柔らかい唇が触れる感触も、耳に直接響く声も、毎夜暗闇の中で思い出してしまう程にキセの心に強く残っている。
 それでも、テオドリックのそばにいることが自分にとって何より大事だ。この国で今テオドリックの身を守れるのは自分しかいない。
 しかし、テオドリックは誘惑するような甘い声でキセに言った。
「既成事実を作るという手もある。存外そちらの方が簡単に事が運ぶかもしれないな。試してみるか?」
「…そ、それは、ここで婚儀を行うということですか?」
 エメラルドグリーンの瞳が射るようにキセを見た。
(ああ、破裂しそう)
 キセは思った。
 心臓の中に小さな怪物がいて、それがバタバタと暴れ回っているような感覚だった。
 テオドリックは眉を寄せ、キセの顎をつまんだ。
「神に祈る儀礼的な行為のことを言っているなら、違う。俺が言ったのは――」
 テオドリックの口がキセの唇を覆った。噛み付くようなキスだった。キセはテオドリックの肩を掴み、自ら唇を開いてそれを受け入れた。心臓の中にいる小さな怪物が心臓の壁を激しく蹴り続け、鳩尾が痛いほどに締め付けられる。テオドリックの息遣いがキセの肌をぞくぞくと震わせる。
 テオドリックはキセの唇を味わいながら腰へと手を滑らせ、毛布の上に押し倒した。
「ん…」
 キセは身をよじった。テオドリックの手がキセの細い手首を捕らえ、床に敷かれた毛布に押し付けて逃げ場をなくした。
 唇を解放されたキセが見上げた先に、眉を歪めて苦悶するようなテオドリックの顔があった。こちらを射竦めるような強い視線だった。キセの身体が燃えるように熱くなった。
「こういうことだ」
 ばくばくと音が聞こえるほど心臓が脈打っている。今すぐ逃げ出したいのに、身体が動くことを忘れてしまったようにテオドリックの顔をただ見つめることしかできない。
「この先どういうことをするか知っているのか」
 やおら伸びてきたテオドリックの手がキセの黒い髪を持ち上げ、そこに唇が触れた。
 ぎゅう、とキセの鳩尾がまた締め付けられた。今度はもっと痛かった。テオドリックが言っていることは分かっている。多分、自分の選択次第ではこの直後に実現するであろうことも。しかし、キセには漠然とした知識しかない。
「…痛みを伴うことらしいとは、聞いています」
 声がうまく出なかった。恐怖のせいではない。テオドリックの目が細まった。
「それは俺の努力次第で和らげられるな。痛みがあっても最初だけだ。あとは…」
 テオドリックの唇が首筋に触れ、キセはぴくりと肩を跳ねた。首筋に触れる柔らかい髪がくすぐったい。
「快楽の虜になる」
 テオドリックが耳朶に触れる距離で囁き、そこを円を描くようにぞろりと舐めた。
「あ…!」
 ざわざわと何か得体の知れないものが肌の上を走っていったような感覚だった。
 快楽の虜とは、一体どのような状態を指すのだろう。これを続けたらそうなるのだろうか。
 テオドリックは必死に何かに耐えているような顔のキセを複雑そうに眺めて唇に触れるだけのキスをし、頬、耳、顎へと唇で辿っていった。自分よりも少しだけ高いテオドリックの体温が気持ちいい。キセは白い喉を反らせて小さく呻いた。
 大きく筋張った手が背を包み、腰へ下り、腹を撫でて胸へと上がってくる。
「あっ、テオドリック…」
 キセが身をよじると、テオドリックはキセの口から拒絶の言葉が出る前に唇を塞いだ。
「んん…!」
 テオドリックはなだらかな丘を這い上がってキセの胸に触れた。ドレスが邪魔だ。
「直に触れたい」
「だっ、だめです…」
 キセは涙目になって言った。
「本当か?身体を熱くしているようだが」
 テオドリックはそう言って胸の頂のあたりを絹のドレスの上からするりと撫でた。小さな火花が飛んだような感覚に、キセは喉の奥で呻いた。恥ずかしくて死にそうだ。しかし、テオドリックは構わず手をキセの背中へ伸ばした。
「‘どうなっても知らない’と言ったはずだ。出ていくなら今のうちだぞ」
 キセの背中のボタンをひとつひとつ外しながら、低い声で囁いた。こんな場所で処女を奪うつもりなど更々無いが、何もせずやめるつもりもない。キセには不用意に男に近付くとどうなるか理解しておいてもらう必要がある。しかし、キセは首を振った。
「それは、しません…」
 この上擦った声がテオドリックの神経を昂ぶらせた。なんという強情さだ。身体を恐怖に強張らせながら、なおも意志を曲げようとしないとは。
「では、俺も好きにさせてもらう」
 テオドリックは腰まで並んだ小さなボタンを全て外し終え、編み上げられたアンダードレスの絹紐をするりと解いて肌から引き剥がし、背を暴いた。素肌は白く、温かく、つやつやとして、ずっと触れていたいほどに心地よい。キセの腰を抱いて身体を俯せにさせると、キセが不安そうにこちらを向いた。赤くなった目元は憐憫を誘うが、こちらもこのままでは終われない。
「ちょ、ちょっと待ってください…」
「出て行く気はないんだろう。夫婦だから一緒にいると言うなら、それに相応しい行為だ」
「まっ、まだ違います」
「だから今から、そうなろうとしているんじゃないか」
「そんな――ひゃっ!」
 キセが悲鳴をあげた。露わになった背中にテオドリックが口付けをしている。
 吸い寄せられるようだった。テオドリックは生成りのアンダードレスと珊瑚色のドレスを諸共に開いてキセの白い背に触れ、背中の至る場所に吸い付きながら、ぴったりしたドレスの中へ手を忍び込ませ、腰を通って鳩尾へと触れていく。
「あ、待って…」
「嫌か。なら出て行ってくれ」
 唇で背に触れながらテオドリックが言った。そうだ。出て行かないと止められなくなる。拒んでくれなければ、この吸い付くような肌から手を離せない。
 しかし、なおもキセは首を振った。
「ちがいます…。くすぐったくて…」
「ここが?」
 テオドリックが鳩尾から胸へと手のひらを滑り込ませ、下から胸の膨らみを覆った。
「あ――」
 キセは身を硬くした。なんだか変だ。自分でも聞いたことのない声が出る。ひどく恥ずかしくて顔が耳まで熱くなった。テオドリックの体温を直に感じる。熱くて、心地よい。それなのに、身体中の細胞が暴れ回ってキセの心と身体を落ち着かなくさせる。今にも逃げ出したいのに、どういうわけかそうできない。
 つ、とテオドリックの指が先端に触れた。
「んっ、あ…!」
 身体のどこかで小さな火花がパチッと弾けたような感覚だった。テオドリックが指の腹でそれを撫でるようにそっと触れると、意思とは関係なく身体が跳ね、声が上がってしまう。
「それ、だめです…あっ」
 テオドリックが胸を押し上げるように触れ、長い黒髪を掻き分けて露わになった首筋にキスをした。
「まだこれから深いところまで暴いていくのに、もう降参か?俺の我慢が辛うじて利くうちに出て行った方が賢明だぞ」
 キセは唇を噛んで喉の奥で唸り、テオドリックをどこか懇願するように振り返った。この期に及んでもやはり心は変わらないのだ。目が潤み、顔は火照り、息が上がっている。普段の可憐な様子からこれほど官能的なキセを誰が想像できるだろう。
(いや、これを見るのは後にも先にも俺だけだ)
 テオドリックは指の下で硬くなったキセの小さな実を優しく愛撫し、甘い声を聞きながらもう片方の手でドレスの袖をキセの肘へ落とし、腕を袖から抜いてドレスを脱がせた。
 キセは抵抗しなかった。というより、乳房への愛撫が抵抗を忘れさせた。腹の奥が熱い。これまで意識したことのなかった器官が反応し、何かを主張している。
 テオドリックは言葉を発することも忘れ、キセの肩を引いて仰向けにさせ、その上に覆い被さると、燭台の火に照らされて燃えるように輝くキセの身体を見つめた。白い肌に血色が昇ってほのかに桃色に染まり、小柄な身体にはやや大きく見える乳房はきれいな丸みを帯びて実り、先端は愛らしく色付いている。
 それは、清らかで美しく、何よりも無垢で、今この瞬間にテオドリックの中に存在する欲望と情熱の全てが向かう先だった。
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