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2巻
2-2
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そうしている間にリディスたちは穴を掘って盗賊の死体を処理しはじめた。
クロトものんびりとその作業を眺めていたのだが――。
「……ん? ……っ、危ないっ!!」
レアスキル〈天眼〉で、穴の中で何かが蠢いたのを見つけた彼は、叫ぶと同時に『短距離転移』を使用する。
転移した先は、魔法で穴に死体を運び込んでいた双子魔法士、フーシアとクレイシアの背後だ。
二人は穴の中の変化を理解できておらず、目をぱちくりさせている。
直後、死体が穴から飛び出して襲ってきた。
「GAAAAA!!」
クロトはこれを『星影の剣』で迎撃する。
「『炎剣』――魔法剣『火炎十字閃』!!」
刃はメラメラと燃え盛る炎を纏い、蠢く死体を十字に切り裂いた。
だが、四つに切り分けられた死体はなおも動き続け、這い寄ってくる。
クロトは双子魔法士を両脇に抱え、蠢く死体から距離をとった。
ようやく異常に気づいた他の護衛たちが騒ぎはじめる。
「そんな馬鹿な!? 死んだ人間が動くなんて!!」
護衛すら慌てているのだから、一般人の乗客の方はパニックだ。
この世界では『死体系』や『死霊系』のアンデッドモンスターは決して珍しくはない。しかし、さっきまで生きていた人間が目の前でアンデッドになるなど、前代未聞のことだった。
エスティアが商人に指示を出し、馬車を遠くへ離れさせたが、そうしている間にも穴から死体が這い出してくる。
「クロトさん、これは一体……!?」
エスティアとリディスと一緒にアクアが駆け寄ってきた。
「何なんだろうね? 『解析』も通らないし、普通じゃないのは分かるけど。さて、どうしようか?」
クロトは応えながら双子姉妹を地面に降ろす。
Dランク冒険者三人は馬車の護衛にあたっている。
「アンデッドの弱点は火属性。『深淵』、とりあえず燃やしてみては?」
「了解。もう少し調べてみたいところだけど――火魔法奥義『火炎地獄』!!」
エスティアに頼まれ、クロトが渋々奥義魔法を発動する。
地面から超高温の炎が噴き出し、蠢く死体を呑み込んだ。
十数秒後、火魔法で焼かれた蠢く死体たちは、ドロドロに溶けて動かなくなっていた。
「火の魔法剣では倒せなかったけど、全身を溶かしてしまえば問題ない、か……」
「そうだな。死体が動き出した時はどうなることかと思ったが……終わってみれば、呆気ないな」
リディスとエスティアはホッと一息つくと、後のことをクロトたちに任せ、馬車を呼び戻しに向かった。
急に動き出した原因を突き止めるために溶けた死体を探っていると、何者かがクロトのコートの裾を、くいくい、と引っ張った。
フーシアとクレイシアの姉妹だ。
茶髪のサイドテールがチャームポイントで、瓜二つの顔をしている。まだ幼く、十五歳にも満たない年齢なのは明らかだ。
姉妹はいつも被っているフードを外し、光る水晶のようなものを差し出した。
素材名:『魂魄水晶・改』
レアリティ:《希少級》
「これは……?」
「「見つけたから、あげる。……助けてくれてありがと」」
二人は声を揃えて助けてもらったお礼を言うと、水晶を押し付けて足早に離れていった。
素直に感謝を伝えるのが恥ずかしい年頃なのだろう。将来有望な天才児と名高い姉妹だが、子供であることには変わりないらしい。
蠢く死体という思わぬアクシデントにより予定が狂った結果、その日のうちに中継地点の村まで辿り着けず、途中で野営することになった。
一行は馬車で円型のバリケードを作り、その内側で暖をとっている。辺りはすっかり暗くなっており、パチパチと音を立てて燃え盛る焚火が、皆の顔を赤く照らす。
結局、死体が動き出した原因は不明のままだったが、クロトは『魂魄水晶・改』が関係しているのではないかと睨んでいた。
「クロトさん、何か分かりましたか?」
「……いや、全然分からない。僕の『解析』だと、どう頑張っても『魂魄水晶』の改造品、ってことまでしか調べられないみたいでね」
「『魂魄水晶』……。確か、クロトさんが探している素材の一つでしたよね?」
「ああ。この『冥界シリーズ』を進化させるのに必要な素材の一つだ」
クロトは自分が着ている漆黒のロングコート、『冥界の衣』の裾を軽くつまんだ。
この防具『冥界シリーズ』を進化させるのに必要な素材は四つある。
一つは、今クロトが口にした『魂魄水晶』。
今回の旅の目的は、ソーラドールの町にある死者の迷宮に潜り、この魂魄水晶を手に入れることだ。かの場所は魂魄水晶の産出地として有名なのである。
二つ目は『天界の羽』。三つ目は『魔界の羽』。
これらは『石と鉱山の町・レクスシール』にある『天使の迷宮』と『悪魔の迷宮』で既に入手済みである。
素材の提供者は、文字通り天使と悪魔だ。
別に魔物の羽をむしったわけではない。アークエンジェルとアークデーモンを討伐すると、死体が消える代わりに、ドロップとして羽を残すのだ。
何故そうなるのか詳しい仕組みは不明。推論を立ててみたものの、どうにも分からず、クロトも匙を投げた。
四つ目は『精霊結晶』。
未だ手元にはないものの、『水と海の町・シレーマ』近辺で産出されるらしい。この情報は、以前シレーマの町まで修業の旅に出ていたアクアがもたらした。
彼女は再び修業のためにシレーマに向かう予定で、クロトとはソーラドールで一旦お別れだ。
「アクアは中継地の村を出た後、ソーラドール経由でシレーマに向かうんだよね? 『精霊結晶』のこと、お願いしてもいいかな?」
「もちろんです。不安はありますが、精一杯、頑張るつもりです」
「そんなに気負わなくていいよ。別に、無理をさせたいわけじゃないし」
クロトは苦笑してアクアの肩をポンポンと叩く。
クロトの綺麗な顔を間近で直視していられず、アクアは咄嗟に目を逸らす。胸の鼓動は早鐘を打ち、頬がほんのりと赤く染まっていた。
そんなアクアの心情に気づいたのか、クロトも目を閉じて心を落ち着かせる。
しかし、いつまでも甘酸っぱい空気に浸っているわけにはいかないので、どちらからともなく、二人は夕食の支度を始めた。
主に調理を担当するのはクロトで、今日のメニューは、ファングラビット肉の野菜たっぷりシチューだ。
クロトは手際よく食材を刻んで火にかけ、シチューを完成させた。
「召し上がれ。熱いから気をつけてね?」
「いただきます」
お礼を言ってシチューの木皿を受け取ったアクアは、スプーンで掬い、ふーふー、と息を吹きかけてから口へ運んだ。
「あふっ、はふっ……!! んんっ……。とっても美味しいです……っ!!」
まだ少し熱かったようだが、見ている者まで幸せにする満面の笑みを浮かべた。
クロトはその表情に思わずドキリとしたが、顔に出すことなく微笑みを返す。
「……って、クロトさん!! どうして私が食べるところをずっと見てるんですかっ!?」
「……え?」
「いえ、恥ずかしいのであっち向いてください……」
「残念だけど、そのお願いはお断りで」
「えええっ!?」
アクアが慌てふためくさまを見て満足したクロトは、自分のシチューをよそう。そこへ――。
「美味しそう、なのです」
「ん? 君は確か……もう一台の馬車に乗っていた子、だよね?」
アクアとクロトが漫才をやっている間に、近くまで忍び寄ってきたようだ。敵意の類を向けているわけではないため、クロトも直前まで気づかなかった。
しかし、実はこの子供、クロトが警戒した三人のうちの一人だった。
簡素な灰色のローブで隠れて顔は見えないが、声の高さで女の子だというのが分かる。背はアクアの胸くらいまでしかない。
「えっと……これがほしいの?」
「はいなのです!! でも、ダメなら我慢するのです……」
一応警戒してはいるものの、しおらしい態度をとる女の子に、クロトは毒気を抜かれてしまった。
「ダメじゃないよ。多めに作ってあるから、どうぞ召し上がれ」
「ありがとうなのですっ!!」
少女は喜んで木皿を受け取り、スプーンで美味しそうに食べはじめた。
(なんだか警戒していたのが馬鹿らしくなってくる。でも、やっぱり隙がない。一体何者なんだろう?)
クロトが警戒していた理由は、まさにその点だ。
見た目は間違いなく子供なのに、隙のない足運びは一流冒険者のそれ。子供らしい純真さに溢れているのに、決して扱いやすいと思えない。あまりにもちぐはぐで、怪しさ満点なのである。
リディスやエスティアは、彼女を含む三人の不自然さにまるで気づいていない。つまり、それほど上手く強さを隠しているということだ。
「ところで、連れの人はどうしたの? 確か、一緒に居た人が――」
クロトが慎重に言葉を選んで問いかけると、もう一人近づいてくる者がいた。
「――ここに居たのか、ユフィ。探したぞ」
「あ、レフィなのです!!」
「……はぁ。まさか、食い物に釣られてフラフラしているとは。呆れてものも言えん」
ユフィを迎えにきたらしい人が、こめかみに手を当ててため息をついた。
こちらも簡素な灰色のローブに身を包んでいて、男性か女性かも定かではない。
「うちの者が迷惑をかけたな。私はレファイス。こっちは妹のユフィアスだ」
「へぇ? 馬車に乗った時の名前と違うみたいだけど……」
馬車の振り分けの時に呼ばれていたものと違う名前を耳にして、クロトは首を捻る。
「あれは偽名だ。わけあって、本名を名乗ることが躊躇われてな。まあ、ユフィが気を許す者たちなら、名前を明かしても問題なかろう」
それでは、今クロトに本名を告げたのは、妹が食事を世話になったことへのけじめ、ということか。
何か事情があるらしいが、義理堅い人物だと判断し、クロトは警戒を解くことにした。
「そうなんだ。あ、僕はクロト。よろしく」
「私はアクアです。よろしくお願いします」
「よろしくなのです!!」
ユフィアスが元気よく返事をした。
ともあれ、これで警戒対象は一人だけになった。
(フードで顔を隠して、本名もNG。指名手配犯なら護衛付きの乗合馬車なんて絶対に乗らないから、その線はなし。年齢に見合わない技術……ああ、そういうことか)
クロトはここまでの情報で二人の正体に当たりをつけた。
周囲を見回して誰も注意を払っていないことを確認すると、答え合わせとばかりに小声で呟く。
「エルフ、か」
「っ!?」
レファイスが驚いたように息を呑む。まさか、いきなり正体がバレるとは思いもしなかったのだろう。
異世界ジェネシスアイにおけるエルフとは、非常に個体数が少ない希少種族で、滅多にその住処から出て来ないことで有名だ。彼らがどこで生活を営んでいるのかは一般には知られておらず、もし、エルフが近くに居ると分かれば、良くも悪くも大騒ぎになる。
レファイスはそれを警戒しているのだ。
フードを被っているのは、特徴的な長い耳を隠すため。
ユフィアスの年齢に見合わない腕前も、長く生きているエルフだからと考えれば説明がつく。
「――という風に推理したんだけど、正解だったみたいだね」
「そういえば……確か高ランク冒険者にエルフの方が二人ほどいらっしゃいましたね」
話を聞いたアクアが何気なく口にした一言が、クロトの推理をさらに推し進めた。
「あ、本名を名乗らなかったのは、ひょっとして名の知れた冒険者だから、とか?」
「……ああ、そのとおりだ。私たちはこう見えてSランクの冒険者でな。私が『悠久』、ユフィが『金翼』という異名を持っている」
もはや取り繕っても無駄だと判断したのか、レファイスはちらりとフードをめくって顔と長い耳を見せ、自分たちの正体を明かした。
「今更だが、アンデッド騒動の時は助太刀できなくてすまなかった。あの面子なら問題ないと思って、こちらの都合を優先させてもらった」
「別に構わないよ。実際、大したことはなかったんだし。あ、ところで、これについて何か知らない?」
クロトが取り出した魂魄水晶・改を二人が覗き込む。
「これは、魂魄水晶? いや、違うか。すまないが、私では役に立てそうにない」
「ユフィも分からないのです……」
「ま、駄目で元々だし、気にしないで」
クロトは魂魄水晶・改をアイテムボックスに仕舞って話を変える。
「失礼かもしれないけど、レファイスは何歳くらいなの?」
「私か? 私は今年で八十二歳だ」
「見た目は二十代半ばなのに、八十二歳か。てことは、ユフィは四十歳くらい?」
先程ちらっと見えたレファイスの顔が二十代くらいだったので、十歳前後に見えるユフィアスは半分くらいと予想した。
しかし、レファイスからは予想を裏切る、衝撃の回答が返ってきた。
「いや、こいつは私より前に生まれている。精神的にも肉体的にも若そうに見えるだろうが、これには深い事情があって、な……」
レファイスが言葉を濁したので、クロトとアクアは深くは聞かないことに決めた。
結局レファイスにもシチューをご馳走し、しばらく雑談したのだった。
食事を終え、見張りの者以外が皆寝静まった後、クロトとアクアは馬車の中で語り合っていた。
「まさかエルフの方だったとは、本当に驚きました……。しかも、Sランク冒険者ですよ?」
「いつかエルフに会ってみたいと思っていたけど、こんなところで会えるとは、嬉しい誤算だ」
二人とも好奇心旺盛なので、エルフと出会えたことが嬉しくて、興奮していたのだ。
「今思い出したのですが、『金翼』のユフィアスといえば、数百年前、『月光』という名の最上級魔人と死闘を演じた冒険者でしたね」
「そうなんだ? 魔人については色々調べたつもりなんだけど、それは初耳」
「私も小さい頃、実家の書庫にあった文献でちらっと読んだだけですので、今の今まで忘れていました」
「最上級魔人というのは?」
「えっと……確か、上級魔人よりも圧倒的に強い、レベル100超えの魔人のこと、だったはずです」
「あのバルディアやレーゼンよりも強いのか……」
クロトの脳裏に浮かぶのは、未だ記憶に新しい二人の上級魔人、ゴブリンの魔人バルディアとオークの魔人レーゼンだ。レーゼンはヴィオラのおかげもあって倒すことができたが、バルディアとの戦いは、非常に危うい綱渡りであった。一歩間違えば負けていたかもしれない。
そんなバルディアより圧倒的に強い『最上級魔人』なる者が居ると知り、クロトは顔をしかめる。
「アクア、他に何か、本に書いてなかった?」
「そうですね……魔人関連なら幾つか思い出しました。うろ覚えですが……」
アクアはそう前置きして話し出した。
愛する人を惨たらしく殺され、人の世界に絶望した真夜中の王。怒りに打ち震え、世界を滅ぼそうと立ち上がった、ヴァンパイアの最上級魔人――『月光』。
愛しい娘を人間に奪われ、余すことなく素材にされた憐れな日輪の王。人を憎み、栄華を誇ったガイア帝国を一夜にして滅ぼした、フェニックスの最上級魔人――『灰燼』。
永遠の支配を望み、全ての人間を隷属させようとした高慢なる女王。彼女の前では、全ての生き物が忠実なしもべに成り下がる、リビングドールの上級魔人――『傀儡』。
「――随分とまあ、驚きの内容だね」
「はい。幼い頃の私には、あまりにショックだったのを覚えています。それで記憶の片隅に追いやってしまったのかもしれません」
何しろ、かつて居た二人の最上級魔人の両方が、人間への怒りや憎悪で覚醒し、猛威を振るったというのだ。もし語られた内容が真実なのだとすれば、明らかに人間の自業自得。幼い頃の彼女がショックを受けたのも無理はない。
見方によっては、魔人は必ずしも悪ではないとも言える。
「ちなみに、『灰燼』と『傀儡』は、当時のSSランク冒険者が倒したそうです。特に、『灰燼』との戦いは三日三晩続き、SSランク冒険者がその身を犠牲にして倒すほどの死闘だったとか」
「かなり詳しいことまで記されている本だったんだね」
「そう、ですね……。私の実家は、とても古くから続く家ですので……」
あまり昔のことは話したくないのか、アクアは言葉を濁した。
いつものクロトなら、彼女に気を遣ってここで話を打ち切っただろう。
だが、詳しい話を聞くべきだと言わんばかりに、「直感」のスキルが激しく何かを訴えてくる。
「……アクア。実家というのは『ブルースフィア伯爵家』のことだよね。その辺の話を詳しく教えてほしい。何か、とても重要な気がするんだ」
「えっ……わ、分かりました。あまり気持ちのいい話では、ありませんけれど……」
アクアは少し渋っていたが、クロトの真剣な表情に負けて、深呼吸をしたのちに口を開いた。
青き瞳の継承者として、両親からとても大事に扱われていたこと。
権力を振りかざす、愚かで傲慢な子供に育っていたこと。
十歳の誕生日を迎えてすぐ、嘘がつけなくなるレアスキル〈虚言の枷〉が発現し、それが原因で親の不正を暴露するという大失態を演じたこと。
それからすぐに家が没落し、愛していた両親から暴行を受け、瀕死の状態で森の奥に捨てられたこと。
アクアは何一つ隠し立てせず、クロトにありのままを話した。
親の教育が悪かった、などの自分を擁護する発言は一切ない。
「――気がついた時には、何故かほとんどの傷が治っていました。それからすぐに、生計を立てるために冒険者になって、五年ほどあちこちの村を渡り歩き、今に至ります」
過去の話を終えたアクアは、大きく息を吐いて体から力を抜いた。
自分の汚点を他人に話すのは、相当なストレスになったらしい。
クロトは彼女を労って、そっと頭を撫でる。
(今の話におかしなところはない。でも、何か引っ掛かる。どこだ? 怪我が治ったこと……いや、違う)
異世界ジェネシスアイには、俗に言うポーションのような万能の回復薬は一般に普及していない。怪我をした人は自己治癒に頼るのが基本だ。
ただ、ダンジョンの初踏破報酬に『生命の水』という名前のアイテムがあり、これを飲むと瀕死の人間でもすぐさま健康になる。
クロトもオーガの迷宮を踏破した時に小さな瓶を三つ手に入れていた。
つまり、アクアが気を失っている時に誰かが『生命の水』を与えた、と考えれば、怪我の治癒については一応の説明がつく。
「つかぬことを聞くけど、アクアって今何歳なの? ステータスの年齢が『?』になっているんだけど」
「えっと……あと二日で十五歳になりますが……?」
ステータス画面を開いて自分の年齢を確認したアクアが、不思議そうに首を傾げる。「別におかしなことはありませんよね?」とでも言いたげである。しかし、クロトはそうは思わない。
十歳の頃に家が没落し、そこからすぐに五年近く旅をしたのだから、十五歳という年齢でもおかしくはないように思える。
だが、以前手に入れた情報と明らかな食い違いがあったのだ。
オルランド伯爵に捕われたアクアを助けた後、怒りが収まらなかったクロトは、土下座する伯爵に彼女を攫うに至った経緯などを洗いざらい喋らせた。
しかし、その時の話では、伯爵はアクアのことを十六歳で、もうすぐ誕生日を迎えると思っており、虚言の枷の一件も、彼は約七年前のことだと記憶していた。
クロトがそれらの事実を伝えると、すぐには意味を理解できなかったのか、アクアは小首を傾げた。
しかしやがて、彼の言いたいことを理解するにつれて、徐々に顔が青ざめていった。
もしオルランド伯爵とアクアの話が両方正しいとするならば、アクアが十歳から十二歳までの間に二年近い空白の時間がないと、つじつまが合わなくなる。
・ブルースフィア家が没落したのはアクアが十歳になってすぐ。
・瀕死状態から目覚めたアクアが旅をしたのは約五年間で、彼女は二日後に誕生日を迎える。
・アクアは十歳+五年で、十五歳だと思っている。
・しかし、クロトがオルランド伯爵を締め上げた段階で、没落から約七年が経過している。つま
り、アクアの実年齢は次の誕生日で十七歳。
クロトに殺されかけて怯えきっていた伯爵が嘘をついたという線はない。わざわざクロトを怒らせるような真似をするとは到底思えないからだ。
伯爵の記憶違いも十中八九ないと考えていいだろう。
オルランド伯爵は仮にも貴族であり、下衆な性格を除けばそこそこ優れた統治者なのだ。重大な出来事の年月を間違えて覚えるような残念な頭はしていない……はずである。
となると、二年間の空白期間があるのはほぼ間違いない。
知らないうちに自分の記憶が二年分もなくなっていると知れば、誰だって恐怖する。
「クロト、さん……。私……私は、二年間何をしていたのでしょうか……? もしかして、生まれてから旅に出る前までの記憶も偽物なんじゃ……!? 私は一体……」
努めて冷静さを保とうとしていたアクアだったが、次第に落ち着きを失い、ついにはポロポロと涙を流しはじめた。か細く小さな嗚咽が聞こえてくる。
「っ……。ッッ……!!」
「大丈夫。大丈夫だから。僕が好きになったのは、ほんの二ヵ月前に出会って同じ時間を過ごした君なんだ」
小刻みに震えるアクアを放ってはおけず、クロトは彼女を抱き締めてそっと囁く。
「たとえ過去に何があっても、僕の想いは変わらない。今この瞬間、僕の目の前に居るアクアのことが、この上なく……好きだ」
突然の抱擁に呆然としていたアクアだったが、クロトに今の自分を肯定してもらえたことで、感極まり、無我夢中で抱き締め返した。
「っ……クロトさんっ……!!」
真っ暗な中、クロトとアクアは自然と見つめ合う。
涙で濡れたアクアの青い瞳が、月明かりに照らされて幻想的に輝いている。
――そして二人は、軽く触れるだけの優しい口づけを交わしたのだった。
――翌日の早朝。
地平線の彼方から太陽が昇り、眩い朝日が商隊の馬車を照らす。
遮るもののないだだっ広い平原では、より一層、日の明るさが際立つ。
眩しさのあまり予定より早く目を覚ました乗客たちは、荷台から伸びる影に駆け込んで、出発までの間しばしの睡眠を貪った。
「あ……お、おはようございます、クロトさん……」
「あ、うん……おはよう、アクア」
まだ眠い目をこすりながら馬車を降りたアクアは、先に起きていたクロトと挨拶を交わす。
昨夜の一件があって恥ずかしいからなのか、妙なぎこちなさがある。
幸いなことに、アクアは昨夜の動揺から立ち直ったようで、表情は明るい。
午前七時になると、商隊は予定どおり動き出した。
中継地の村までは四時間弱の道のりだ。
クロトものんびりとその作業を眺めていたのだが――。
「……ん? ……っ、危ないっ!!」
レアスキル〈天眼〉で、穴の中で何かが蠢いたのを見つけた彼は、叫ぶと同時に『短距離転移』を使用する。
転移した先は、魔法で穴に死体を運び込んでいた双子魔法士、フーシアとクレイシアの背後だ。
二人は穴の中の変化を理解できておらず、目をぱちくりさせている。
直後、死体が穴から飛び出して襲ってきた。
「GAAAAA!!」
クロトはこれを『星影の剣』で迎撃する。
「『炎剣』――魔法剣『火炎十字閃』!!」
刃はメラメラと燃え盛る炎を纏い、蠢く死体を十字に切り裂いた。
だが、四つに切り分けられた死体はなおも動き続け、這い寄ってくる。
クロトは双子魔法士を両脇に抱え、蠢く死体から距離をとった。
ようやく異常に気づいた他の護衛たちが騒ぎはじめる。
「そんな馬鹿な!? 死んだ人間が動くなんて!!」
護衛すら慌てているのだから、一般人の乗客の方はパニックだ。
この世界では『死体系』や『死霊系』のアンデッドモンスターは決して珍しくはない。しかし、さっきまで生きていた人間が目の前でアンデッドになるなど、前代未聞のことだった。
エスティアが商人に指示を出し、馬車を遠くへ離れさせたが、そうしている間にも穴から死体が這い出してくる。
「クロトさん、これは一体……!?」
エスティアとリディスと一緒にアクアが駆け寄ってきた。
「何なんだろうね? 『解析』も通らないし、普通じゃないのは分かるけど。さて、どうしようか?」
クロトは応えながら双子姉妹を地面に降ろす。
Dランク冒険者三人は馬車の護衛にあたっている。
「アンデッドの弱点は火属性。『深淵』、とりあえず燃やしてみては?」
「了解。もう少し調べてみたいところだけど――火魔法奥義『火炎地獄』!!」
エスティアに頼まれ、クロトが渋々奥義魔法を発動する。
地面から超高温の炎が噴き出し、蠢く死体を呑み込んだ。
十数秒後、火魔法で焼かれた蠢く死体たちは、ドロドロに溶けて動かなくなっていた。
「火の魔法剣では倒せなかったけど、全身を溶かしてしまえば問題ない、か……」
「そうだな。死体が動き出した時はどうなることかと思ったが……終わってみれば、呆気ないな」
リディスとエスティアはホッと一息つくと、後のことをクロトたちに任せ、馬車を呼び戻しに向かった。
急に動き出した原因を突き止めるために溶けた死体を探っていると、何者かがクロトのコートの裾を、くいくい、と引っ張った。
フーシアとクレイシアの姉妹だ。
茶髪のサイドテールがチャームポイントで、瓜二つの顔をしている。まだ幼く、十五歳にも満たない年齢なのは明らかだ。
姉妹はいつも被っているフードを外し、光る水晶のようなものを差し出した。
素材名:『魂魄水晶・改』
レアリティ:《希少級》
「これは……?」
「「見つけたから、あげる。……助けてくれてありがと」」
二人は声を揃えて助けてもらったお礼を言うと、水晶を押し付けて足早に離れていった。
素直に感謝を伝えるのが恥ずかしい年頃なのだろう。将来有望な天才児と名高い姉妹だが、子供であることには変わりないらしい。
蠢く死体という思わぬアクシデントにより予定が狂った結果、その日のうちに中継地点の村まで辿り着けず、途中で野営することになった。
一行は馬車で円型のバリケードを作り、その内側で暖をとっている。辺りはすっかり暗くなっており、パチパチと音を立てて燃え盛る焚火が、皆の顔を赤く照らす。
結局、死体が動き出した原因は不明のままだったが、クロトは『魂魄水晶・改』が関係しているのではないかと睨んでいた。
「クロトさん、何か分かりましたか?」
「……いや、全然分からない。僕の『解析』だと、どう頑張っても『魂魄水晶』の改造品、ってことまでしか調べられないみたいでね」
「『魂魄水晶』……。確か、クロトさんが探している素材の一つでしたよね?」
「ああ。この『冥界シリーズ』を進化させるのに必要な素材の一つだ」
クロトは自分が着ている漆黒のロングコート、『冥界の衣』の裾を軽くつまんだ。
この防具『冥界シリーズ』を進化させるのに必要な素材は四つある。
一つは、今クロトが口にした『魂魄水晶』。
今回の旅の目的は、ソーラドールの町にある死者の迷宮に潜り、この魂魄水晶を手に入れることだ。かの場所は魂魄水晶の産出地として有名なのである。
二つ目は『天界の羽』。三つ目は『魔界の羽』。
これらは『石と鉱山の町・レクスシール』にある『天使の迷宮』と『悪魔の迷宮』で既に入手済みである。
素材の提供者は、文字通り天使と悪魔だ。
別に魔物の羽をむしったわけではない。アークエンジェルとアークデーモンを討伐すると、死体が消える代わりに、ドロップとして羽を残すのだ。
何故そうなるのか詳しい仕組みは不明。推論を立ててみたものの、どうにも分からず、クロトも匙を投げた。
四つ目は『精霊結晶』。
未だ手元にはないものの、『水と海の町・シレーマ』近辺で産出されるらしい。この情報は、以前シレーマの町まで修業の旅に出ていたアクアがもたらした。
彼女は再び修業のためにシレーマに向かう予定で、クロトとはソーラドールで一旦お別れだ。
「アクアは中継地の村を出た後、ソーラドール経由でシレーマに向かうんだよね? 『精霊結晶』のこと、お願いしてもいいかな?」
「もちろんです。不安はありますが、精一杯、頑張るつもりです」
「そんなに気負わなくていいよ。別に、無理をさせたいわけじゃないし」
クロトは苦笑してアクアの肩をポンポンと叩く。
クロトの綺麗な顔を間近で直視していられず、アクアは咄嗟に目を逸らす。胸の鼓動は早鐘を打ち、頬がほんのりと赤く染まっていた。
そんなアクアの心情に気づいたのか、クロトも目を閉じて心を落ち着かせる。
しかし、いつまでも甘酸っぱい空気に浸っているわけにはいかないので、どちらからともなく、二人は夕食の支度を始めた。
主に調理を担当するのはクロトで、今日のメニューは、ファングラビット肉の野菜たっぷりシチューだ。
クロトは手際よく食材を刻んで火にかけ、シチューを完成させた。
「召し上がれ。熱いから気をつけてね?」
「いただきます」
お礼を言ってシチューの木皿を受け取ったアクアは、スプーンで掬い、ふーふー、と息を吹きかけてから口へ運んだ。
「あふっ、はふっ……!! んんっ……。とっても美味しいです……っ!!」
まだ少し熱かったようだが、見ている者まで幸せにする満面の笑みを浮かべた。
クロトはその表情に思わずドキリとしたが、顔に出すことなく微笑みを返す。
「……って、クロトさん!! どうして私が食べるところをずっと見てるんですかっ!?」
「……え?」
「いえ、恥ずかしいのであっち向いてください……」
「残念だけど、そのお願いはお断りで」
「えええっ!?」
アクアが慌てふためくさまを見て満足したクロトは、自分のシチューをよそう。そこへ――。
「美味しそう、なのです」
「ん? 君は確か……もう一台の馬車に乗っていた子、だよね?」
アクアとクロトが漫才をやっている間に、近くまで忍び寄ってきたようだ。敵意の類を向けているわけではないため、クロトも直前まで気づかなかった。
しかし、実はこの子供、クロトが警戒した三人のうちの一人だった。
簡素な灰色のローブで隠れて顔は見えないが、声の高さで女の子だというのが分かる。背はアクアの胸くらいまでしかない。
「えっと……これがほしいの?」
「はいなのです!! でも、ダメなら我慢するのです……」
一応警戒してはいるものの、しおらしい態度をとる女の子に、クロトは毒気を抜かれてしまった。
「ダメじゃないよ。多めに作ってあるから、どうぞ召し上がれ」
「ありがとうなのですっ!!」
少女は喜んで木皿を受け取り、スプーンで美味しそうに食べはじめた。
(なんだか警戒していたのが馬鹿らしくなってくる。でも、やっぱり隙がない。一体何者なんだろう?)
クロトが警戒していた理由は、まさにその点だ。
見た目は間違いなく子供なのに、隙のない足運びは一流冒険者のそれ。子供らしい純真さに溢れているのに、決して扱いやすいと思えない。あまりにもちぐはぐで、怪しさ満点なのである。
リディスやエスティアは、彼女を含む三人の不自然さにまるで気づいていない。つまり、それほど上手く強さを隠しているということだ。
「ところで、連れの人はどうしたの? 確か、一緒に居た人が――」
クロトが慎重に言葉を選んで問いかけると、もう一人近づいてくる者がいた。
「――ここに居たのか、ユフィ。探したぞ」
「あ、レフィなのです!!」
「……はぁ。まさか、食い物に釣られてフラフラしているとは。呆れてものも言えん」
ユフィを迎えにきたらしい人が、こめかみに手を当ててため息をついた。
こちらも簡素な灰色のローブに身を包んでいて、男性か女性かも定かではない。
「うちの者が迷惑をかけたな。私はレファイス。こっちは妹のユフィアスだ」
「へぇ? 馬車に乗った時の名前と違うみたいだけど……」
馬車の振り分けの時に呼ばれていたものと違う名前を耳にして、クロトは首を捻る。
「あれは偽名だ。わけあって、本名を名乗ることが躊躇われてな。まあ、ユフィが気を許す者たちなら、名前を明かしても問題なかろう」
それでは、今クロトに本名を告げたのは、妹が食事を世話になったことへのけじめ、ということか。
何か事情があるらしいが、義理堅い人物だと判断し、クロトは警戒を解くことにした。
「そうなんだ。あ、僕はクロト。よろしく」
「私はアクアです。よろしくお願いします」
「よろしくなのです!!」
ユフィアスが元気よく返事をした。
ともあれ、これで警戒対象は一人だけになった。
(フードで顔を隠して、本名もNG。指名手配犯なら護衛付きの乗合馬車なんて絶対に乗らないから、その線はなし。年齢に見合わない技術……ああ、そういうことか)
クロトはここまでの情報で二人の正体に当たりをつけた。
周囲を見回して誰も注意を払っていないことを確認すると、答え合わせとばかりに小声で呟く。
「エルフ、か」
「っ!?」
レファイスが驚いたように息を呑む。まさか、いきなり正体がバレるとは思いもしなかったのだろう。
異世界ジェネシスアイにおけるエルフとは、非常に個体数が少ない希少種族で、滅多にその住処から出て来ないことで有名だ。彼らがどこで生活を営んでいるのかは一般には知られておらず、もし、エルフが近くに居ると分かれば、良くも悪くも大騒ぎになる。
レファイスはそれを警戒しているのだ。
フードを被っているのは、特徴的な長い耳を隠すため。
ユフィアスの年齢に見合わない腕前も、長く生きているエルフだからと考えれば説明がつく。
「――という風に推理したんだけど、正解だったみたいだね」
「そういえば……確か高ランク冒険者にエルフの方が二人ほどいらっしゃいましたね」
話を聞いたアクアが何気なく口にした一言が、クロトの推理をさらに推し進めた。
「あ、本名を名乗らなかったのは、ひょっとして名の知れた冒険者だから、とか?」
「……ああ、そのとおりだ。私たちはこう見えてSランクの冒険者でな。私が『悠久』、ユフィが『金翼』という異名を持っている」
もはや取り繕っても無駄だと判断したのか、レファイスはちらりとフードをめくって顔と長い耳を見せ、自分たちの正体を明かした。
「今更だが、アンデッド騒動の時は助太刀できなくてすまなかった。あの面子なら問題ないと思って、こちらの都合を優先させてもらった」
「別に構わないよ。実際、大したことはなかったんだし。あ、ところで、これについて何か知らない?」
クロトが取り出した魂魄水晶・改を二人が覗き込む。
「これは、魂魄水晶? いや、違うか。すまないが、私では役に立てそうにない」
「ユフィも分からないのです……」
「ま、駄目で元々だし、気にしないで」
クロトは魂魄水晶・改をアイテムボックスに仕舞って話を変える。
「失礼かもしれないけど、レファイスは何歳くらいなの?」
「私か? 私は今年で八十二歳だ」
「見た目は二十代半ばなのに、八十二歳か。てことは、ユフィは四十歳くらい?」
先程ちらっと見えたレファイスの顔が二十代くらいだったので、十歳前後に見えるユフィアスは半分くらいと予想した。
しかし、レファイスからは予想を裏切る、衝撃の回答が返ってきた。
「いや、こいつは私より前に生まれている。精神的にも肉体的にも若そうに見えるだろうが、これには深い事情があって、な……」
レファイスが言葉を濁したので、クロトとアクアは深くは聞かないことに決めた。
結局レファイスにもシチューをご馳走し、しばらく雑談したのだった。
食事を終え、見張りの者以外が皆寝静まった後、クロトとアクアは馬車の中で語り合っていた。
「まさかエルフの方だったとは、本当に驚きました……。しかも、Sランク冒険者ですよ?」
「いつかエルフに会ってみたいと思っていたけど、こんなところで会えるとは、嬉しい誤算だ」
二人とも好奇心旺盛なので、エルフと出会えたことが嬉しくて、興奮していたのだ。
「今思い出したのですが、『金翼』のユフィアスといえば、数百年前、『月光』という名の最上級魔人と死闘を演じた冒険者でしたね」
「そうなんだ? 魔人については色々調べたつもりなんだけど、それは初耳」
「私も小さい頃、実家の書庫にあった文献でちらっと読んだだけですので、今の今まで忘れていました」
「最上級魔人というのは?」
「えっと……確か、上級魔人よりも圧倒的に強い、レベル100超えの魔人のこと、だったはずです」
「あのバルディアやレーゼンよりも強いのか……」
クロトの脳裏に浮かぶのは、未だ記憶に新しい二人の上級魔人、ゴブリンの魔人バルディアとオークの魔人レーゼンだ。レーゼンはヴィオラのおかげもあって倒すことができたが、バルディアとの戦いは、非常に危うい綱渡りであった。一歩間違えば負けていたかもしれない。
そんなバルディアより圧倒的に強い『最上級魔人』なる者が居ると知り、クロトは顔をしかめる。
「アクア、他に何か、本に書いてなかった?」
「そうですね……魔人関連なら幾つか思い出しました。うろ覚えですが……」
アクアはそう前置きして話し出した。
愛する人を惨たらしく殺され、人の世界に絶望した真夜中の王。怒りに打ち震え、世界を滅ぼそうと立ち上がった、ヴァンパイアの最上級魔人――『月光』。
愛しい娘を人間に奪われ、余すことなく素材にされた憐れな日輪の王。人を憎み、栄華を誇ったガイア帝国を一夜にして滅ぼした、フェニックスの最上級魔人――『灰燼』。
永遠の支配を望み、全ての人間を隷属させようとした高慢なる女王。彼女の前では、全ての生き物が忠実なしもべに成り下がる、リビングドールの上級魔人――『傀儡』。
「――随分とまあ、驚きの内容だね」
「はい。幼い頃の私には、あまりにショックだったのを覚えています。それで記憶の片隅に追いやってしまったのかもしれません」
何しろ、かつて居た二人の最上級魔人の両方が、人間への怒りや憎悪で覚醒し、猛威を振るったというのだ。もし語られた内容が真実なのだとすれば、明らかに人間の自業自得。幼い頃の彼女がショックを受けたのも無理はない。
見方によっては、魔人は必ずしも悪ではないとも言える。
「ちなみに、『灰燼』と『傀儡』は、当時のSSランク冒険者が倒したそうです。特に、『灰燼』との戦いは三日三晩続き、SSランク冒険者がその身を犠牲にして倒すほどの死闘だったとか」
「かなり詳しいことまで記されている本だったんだね」
「そう、ですね……。私の実家は、とても古くから続く家ですので……」
あまり昔のことは話したくないのか、アクアは言葉を濁した。
いつものクロトなら、彼女に気を遣ってここで話を打ち切っただろう。
だが、詳しい話を聞くべきだと言わんばかりに、「直感」のスキルが激しく何かを訴えてくる。
「……アクア。実家というのは『ブルースフィア伯爵家』のことだよね。その辺の話を詳しく教えてほしい。何か、とても重要な気がするんだ」
「えっ……わ、分かりました。あまり気持ちのいい話では、ありませんけれど……」
アクアは少し渋っていたが、クロトの真剣な表情に負けて、深呼吸をしたのちに口を開いた。
青き瞳の継承者として、両親からとても大事に扱われていたこと。
権力を振りかざす、愚かで傲慢な子供に育っていたこと。
十歳の誕生日を迎えてすぐ、嘘がつけなくなるレアスキル〈虚言の枷〉が発現し、それが原因で親の不正を暴露するという大失態を演じたこと。
それからすぐに家が没落し、愛していた両親から暴行を受け、瀕死の状態で森の奥に捨てられたこと。
アクアは何一つ隠し立てせず、クロトにありのままを話した。
親の教育が悪かった、などの自分を擁護する発言は一切ない。
「――気がついた時には、何故かほとんどの傷が治っていました。それからすぐに、生計を立てるために冒険者になって、五年ほどあちこちの村を渡り歩き、今に至ります」
過去の話を終えたアクアは、大きく息を吐いて体から力を抜いた。
自分の汚点を他人に話すのは、相当なストレスになったらしい。
クロトは彼女を労って、そっと頭を撫でる。
(今の話におかしなところはない。でも、何か引っ掛かる。どこだ? 怪我が治ったこと……いや、違う)
異世界ジェネシスアイには、俗に言うポーションのような万能の回復薬は一般に普及していない。怪我をした人は自己治癒に頼るのが基本だ。
ただ、ダンジョンの初踏破報酬に『生命の水』という名前のアイテムがあり、これを飲むと瀕死の人間でもすぐさま健康になる。
クロトもオーガの迷宮を踏破した時に小さな瓶を三つ手に入れていた。
つまり、アクアが気を失っている時に誰かが『生命の水』を与えた、と考えれば、怪我の治癒については一応の説明がつく。
「つかぬことを聞くけど、アクアって今何歳なの? ステータスの年齢が『?』になっているんだけど」
「えっと……あと二日で十五歳になりますが……?」
ステータス画面を開いて自分の年齢を確認したアクアが、不思議そうに首を傾げる。「別におかしなことはありませんよね?」とでも言いたげである。しかし、クロトはそうは思わない。
十歳の頃に家が没落し、そこからすぐに五年近く旅をしたのだから、十五歳という年齢でもおかしくはないように思える。
だが、以前手に入れた情報と明らかな食い違いがあったのだ。
オルランド伯爵に捕われたアクアを助けた後、怒りが収まらなかったクロトは、土下座する伯爵に彼女を攫うに至った経緯などを洗いざらい喋らせた。
しかし、その時の話では、伯爵はアクアのことを十六歳で、もうすぐ誕生日を迎えると思っており、虚言の枷の一件も、彼は約七年前のことだと記憶していた。
クロトがそれらの事実を伝えると、すぐには意味を理解できなかったのか、アクアは小首を傾げた。
しかしやがて、彼の言いたいことを理解するにつれて、徐々に顔が青ざめていった。
もしオルランド伯爵とアクアの話が両方正しいとするならば、アクアが十歳から十二歳までの間に二年近い空白の時間がないと、つじつまが合わなくなる。
・ブルースフィア家が没落したのはアクアが十歳になってすぐ。
・瀕死状態から目覚めたアクアが旅をしたのは約五年間で、彼女は二日後に誕生日を迎える。
・アクアは十歳+五年で、十五歳だと思っている。
・しかし、クロトがオルランド伯爵を締め上げた段階で、没落から約七年が経過している。つま
り、アクアの実年齢は次の誕生日で十七歳。
クロトに殺されかけて怯えきっていた伯爵が嘘をついたという線はない。わざわざクロトを怒らせるような真似をするとは到底思えないからだ。
伯爵の記憶違いも十中八九ないと考えていいだろう。
オルランド伯爵は仮にも貴族であり、下衆な性格を除けばそこそこ優れた統治者なのだ。重大な出来事の年月を間違えて覚えるような残念な頭はしていない……はずである。
となると、二年間の空白期間があるのはほぼ間違いない。
知らないうちに自分の記憶が二年分もなくなっていると知れば、誰だって恐怖する。
「クロト、さん……。私……私は、二年間何をしていたのでしょうか……? もしかして、生まれてから旅に出る前までの記憶も偽物なんじゃ……!? 私は一体……」
努めて冷静さを保とうとしていたアクアだったが、次第に落ち着きを失い、ついにはポロポロと涙を流しはじめた。か細く小さな嗚咽が聞こえてくる。
「っ……。ッッ……!!」
「大丈夫。大丈夫だから。僕が好きになったのは、ほんの二ヵ月前に出会って同じ時間を過ごした君なんだ」
小刻みに震えるアクアを放ってはおけず、クロトは彼女を抱き締めてそっと囁く。
「たとえ過去に何があっても、僕の想いは変わらない。今この瞬間、僕の目の前に居るアクアのことが、この上なく……好きだ」
突然の抱擁に呆然としていたアクアだったが、クロトに今の自分を肯定してもらえたことで、感極まり、無我夢中で抱き締め返した。
「っ……クロトさんっ……!!」
真っ暗な中、クロトとアクアは自然と見つめ合う。
涙で濡れたアクアの青い瞳が、月明かりに照らされて幻想的に輝いている。
――そして二人は、軽く触れるだけの優しい口づけを交わしたのだった。
――翌日の早朝。
地平線の彼方から太陽が昇り、眩い朝日が商隊の馬車を照らす。
遮るもののないだだっ広い平原では、より一層、日の明るさが際立つ。
眩しさのあまり予定より早く目を覚ました乗客たちは、荷台から伸びる影に駆け込んで、出発までの間しばしの睡眠を貪った。
「あ……お、おはようございます、クロトさん……」
「あ、うん……おはよう、アクア」
まだ眠い目をこすりながら馬車を降りたアクアは、先に起きていたクロトと挨拶を交わす。
昨夜の一件があって恥ずかしいからなのか、妙なぎこちなさがある。
幸いなことに、アクアは昨夜の動揺から立ち直ったようで、表情は明るい。
午前七時になると、商隊は予定どおり動き出した。
中継地の村までは四時間弱の道のりだ。
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