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それから

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昌磨はニコニコしながら、よく似合ってますよとお世辞を言ってくれた。いつもなら、あっそと受け流していたが、普段着ない服のせいか、なんとなく気恥ずかしかった。正直、身長が高く、鍛えられたモデル体型の昌磨の方が断然似合うだろう。当然言い出せるものではないので、そのことに関しては黙った。
コンサート会場までたいした距離ではなかったので歩いて行った。小さなコンサートと言っていたから、誰かの邸宅で開かれるのかと思っていたが、それは違った。別荘が集まるこの地区の中央に、ドーム状の会場があった。中は小さいながらも、しっかりとしたコンサート会場で本格的だった。
会場に入るや否や、昌磨は人気者らしく、すれ違う人みんなに声をかけられていた。こういう場面に慣れているのだろう、全て丁寧に応えながらも自然に話を切り上げて、すんなりと会場席に着いた。シートに腰を下ろしても、何人かの人たちはまだ昌磨に話しかけていたが、開演のブザーが鳴ると、皆にっこり笑って切り上げた。照明が落ちて、観客席は暗くなりステージには強い光が当てられた。
「お前って、こういうの慣れてるよな。」祐樹は小さな声で、昌磨に話しかけた。昌磨は意味が分からなかったのか、首を傾げた。その仕草を少し可愛いと思ってしまった。たぶん、昌磨にとってはこれが当たり前なのだろう。自然に振る舞っていることは、指摘しないとわからないものだ。
ステージ上には、若いバイオリニストとピアニストが現れて、観客の拍手に応えていた。拍手が鳴りやむと、ステージ上の二人はお辞儀をして演奏は始まった。しかし、祐樹はクラシック音楽を聴く習慣がなく、開始10分で既に睡魔に襲われた。

昌磨は、演奏に集中できなかった、まだ若い演奏家の技術が未熟なせいではない。車で、のことを思い出していた。あの時も電車で告白したとき同様考えず、衝動でやってしまった。本当は今日プレゼントをもって、別荘に遊びに来てほしいと誘うつもりだったが、順序が逆になってしまったうえ、あんな迫り方をして無理やり別れさせてしまった。迫っているときは気が付かなかったが、自分の希望する言葉を引き出した後、ようやく我に返って改めて見た祐樹さんは、なぜかすごく可愛くなっていた。今思い出しても、心臓の鼓動がはやくなる。白い肌が全て桜色に染まって、瞳は憂いを帯びるように潤んでいた。本当は唇に口づけをしたかったが、自分が作り出した状況でそうするのは、卑怯すぎる気がしてできなかった。しかし、嫌いかという問いにわからないというのはどう捉えればいいのだろう。昌磨が悩んでいるとき、隣から安らかな寝息が聞こえた。祐樹は開始10分も経たないうちに寝てしまったようだ。先ほどから頭が、ゆらゆら動いて隣の人の肩にもたれかかりそうになっていた。ついに揺れていた頭が祐樹の隣人の肩に寄りかかるという段階で、慌てて受け止めた。ゆっくり、自分の肩に寄せる。規則正しい息遣いが時たま昌磨の手の甲にかかる。昌磨はそれを、くすぐったいようなむず痒い思いで受け止めた。

祐樹は目が覚めると、自分が昌磨の肩を借りて眠っていたことに気が付いた。演奏は既に終わってしまったようで、二人を除いて人一人いない。
「目覚められましたか?」
祐樹はさすがに申し訳なく思い謝った。しかし、昌磨は全く気にしていないどころか優しく微笑んでくれた。
「警備の方に無理を言って、居させてもらっているので早く帰りましょう。」
「わかった。」
二人は、まず警備室に向かい一声かけてお礼をいってから、コンサート会場を出た。
「お腹すきませんか。」別荘に向かう帰り道で昌磨は聞いた。
そう言えば、何も食べていない。時刻はそろそろ19時になるころだ。
「結構空いてきたかも。」
「家に、ケータリングを届けさせているので、早く帰りましょう。」
別荘が見える距離まで歩くとリビングの電気が付いているのが見えた。玄関までたどり着いて中に入ると、コックの恰好をした二人組がちょうど調理を終えたところで、出迎えてくれた。俺と、昌磨が並べられたオードブルの前に立つと、一人は作った料理の説明をしてくれた。その後ろでもう一人は片付けを始めて、料理の説明が終わるころには帰り支度が完了して、二人はあっという間に帰っていった。無駄のない仕事ぶりだ。並べられた料理はどれもおいしそうで、早速食べた。実際に味わってみると、先ほどの二人が腕の立つ料理人だと分かる。箸をつけたどの料理もおいしく手が止まらない。それに加え、空腹なこともあり、いつもより早く食べ終えてしまった。昌磨は俺と同じくらい腹が減っているはずだが、おぼっちゃまらしく行儀よくゆっくり食べていた。
「お前って、行儀いいよな。お腹が空いてても、ちゃんときれいに食べるし。」
「食べ方は人の自由だと思いますよ。祐樹さんは、食べっぷりがいいので見ていて気持ちいです。さっきここにいて料理をしてくれた人たちも、きっと僕より祐樹さんの食べ方に好感を持ってくれると思いますよ。」こんな、些細な発言にもフォローを忘れない。こういうことを何気なく言える事もそうだが、やはり、こいつと俺では育った環境が圧倒的に違うと今更ながらに感じた。今までは、世界が違いすぎてそんなこと意識することさえしなかったが、同じようにする食事であれば比較できる。ただ食べるだけで、第三者から見たら二人の違いは歴然だ。気が付かないうちに昌磨の顔をじっと見ていたらしい。昌磨は困ったように祐樹を見た。祐樹は、なんとなくきまりが悪くなったので立ち上がった。
「えっとさ、先に風呂入りたいんだけど、教えてくれない?」
「気が利かなくてすみません。この廊下をまっすぐ行った突き当りです。ゆっくり浸かってください。」
教えられた風呂場はヒノキで囲まれた浴室で、戸を開けた奥には露天風呂があった。お湯はとろみがあってぬるぬるしている。温泉だ。祐樹は、肩までじっくりつかった。
まさか映画館で襲われる心配をした相手の別荘に泊るなんて、夢にも思わなかった。最初は昌磨をただの阿呆だと思っていた。それは、正直自分を相手に本気の恋を仕掛けようとしている点ではまだ考えは変わらないが、それ以外の面でみればあいつは究極に理想的で誰もが好きになってしまう相手だろう。こんなこと、普通の男はできない。しかし、自分がその相手となると問題は違ってくる。祐樹は同性愛者ではないが、男性と寝たことはある。母はパート仕事の傍ら、金が足りなくなったときに売春をしていた。祐樹は、母が相手する男性に時たま気に入られ、買われることが何度かあった。母は最初渋ったが、想像以上の金額を提示され承諾した。初めての時は、痛すぎて泣いて喚いたせいで殴られた。だけど、受け入れ方には息を吐いて力を抜くコツがあって、それを理解すれば我慢できるようになった。やり方を教えてくれたのは、母の再婚相手で重度のショタコン野郎だった。祐樹が中学生になるころには、離婚したので関係はもうないが、その時には母親も家に帰ってこなくなっていた。児童相談所に引き取られて、別の家庭に養子縁組されてからはそういうことと縁もなくなった。時たま、そういう目で見てくるやつや勘違いして告白してくる輩もいるが、無理やり押さえつけられてやられる事はさすがになくなった。
祐樹は、体を洗うために一度温泉の中から出た。顔を洗おうとしたとき、なんとなく額に触れることをためらってしまった。車の中での出来事を思い返す。あれは、襲われたうちに入るのだろうか。

昌磨は食事を終えてリビングで、本を読んでいたが、途中で集中力を保てなくなり読むのをやめた。本を棚に戻そうと立ち上がると壁の時計が目に入った。祐樹が風呂に入るといってから、既に一時間弱経過していた。昌磨は心配になって風呂場へ向かった。脱衣所を抜けて、入浴室の扉前に立って、ノックをしても反応がない。
「祐樹さん。入って、もうそろそろ一時間たとうとしていますが、大丈夫ですか。」声をかけてみても返事がない。もしかして倒れているのではないだろうか。勢いよく扉を開けた先で、祐樹は真っ赤になって石畳の上でしゃがんでいた。予想していた通り、湯あたりしていた。急いで、バスタオルを持って駆け寄り、祐樹の体にかけてから、持ち上げて運び出した。浴室から一番近いゲストルームのベットの上にそっと寝かす。
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