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第3章 ウツロ VS 万城目日和

第60話 アポトーシス

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「これ、は……」

 万城目日和まきめ ひよりが放った紫色の煙。

 それをモロに浴びたウツロは、次の瞬間、地面へと倒れこんだ。

「アポトーシスだ、ウツロ。仕組み自体は俺にもわからねえんだが、こうしておまえの細胞の情報を調べてだな、この世にただひとつ、おまえだけを確実にぶち殺せる毒ガスが作れるってえ寸法よ」

「が……あ、が……」

 コンクリートをかきむしり、もだえ苦しむ。

 形容しがたい激痛が、彼の全身をじわじわとむしばんでくる。

 トカゲは悠々ゆうゆうと、転がる毒虫を見下ろした。

「苦しいだろ? 地獄を見ながらあの世に行くことになるから、せいぜい味わってくれや。はっは~!」

 万城目日和は嘲笑ちょうしょうした。

 だが、そんなものを耳に入れる余裕などない。

 それほどの苦痛だった。

「うが、あ、が……」

 肉体が崩れていく感覚。

 完成したジグソーパズルのピースが、勝手にぺりぺりとはがれていくような。

 少しずつ、だが、確実に。

 痛みだけではなく、そんな感覚が名状しがたい恐怖感を生み、ウツロの精神をも粉々に破壊しようとする。

「う、う……」

 動きがどんどんと鈍くなる。

 毒虫のデータをもとに、トカゲが作り出したアポトーシス。

 その効果によって、体細胞が分解されているのだ。

「う……あ……」

 うめく声すらも、ほとんど聞こえなくなってくる。

 万城目日和はいよいよ面白くなって、ウツロの近くに顔を寄せた。

「へへっ、まさに虫の息・・・ってか? とんだ皮肉があったもんだな、あ? ウツロおおおっ!」

「うっ……うっ……」

 体中から血が噴き出す。

 その無残な光景に、トカゲは勝利を確信した。

「どうだウツロ? 何か言い残す言葉でもあるか? ま、口に出せるかどうかが問題だがなあ。ははっ!」

「け……け……」

「ああ? なんだって? 聞こえねえなあ」

 万城目日和はさらに顔を近づけた。

「助け……たす、け……」

 トカゲの顔に亀裂が入った。

「ははっ! こりゃ傑作だ! おまえが命ごいとはなあ! しょせん、そんなもんなんだよ、ウツロ! 人間なんてなあっ!」

 毒虫のすぐ横でゲラゲラと笑う。

 しかし、そのとき――

「おまえを、助け、たい……」

 ささやきにすらなっていないような声。

 トカゲは目を真っ赤にした。

「なっ、なめやがってえええええっ……!」

 激高した勢いで、毒虫の腹にこぶしを振り下ろす。

「ぐふうっ――!」

 噴水のように吐血し、完全に動かなくなった。

 トカゲはゆっくりと、手を引き抜いた。

 そこには大きな穴が開いている。

「ふん、やっとくたばったか、ウツロ」

 生気など感じない。

 死んだ、ウツロは、死んだ……

「以外にあっけねえじゃねえか。ははっ、このガス、殺虫剤にでもしたら売れるかもな」

 万城目日和は勝利した。

 だが、わき上がってくるのは歓喜ではない。

 むなしさ。

 それはまるで、底の見えないふちでものぞきこんでいるかのような。

 彼女はかかんで、宿敵の死に顔を見つめた。

「これでよかったのかな、父さん……こいつを殺せば、あるいは見えると思ったのによ……なんだか、なんだかね……」

 なぜだ?

 なぜ、涙が?

 止まらない、あふれてくる……

「父さん、俺は……」

 穴の開いた腹部、そこに水滴がこぼれ落ちる。

「ははっ、まるで抜けがらだな……」

 抜け殻、抜け殻……

 何気なく言い放った言葉に、自身がハッとなった。

「――っ!?」

 遅かった、すでに。

「が……」

 トカゲのむなぐらに、硬い拳がめりこんでいる。

「あ、が……」

 急所へモロに入った一撃。

 万城目日和は足を震わせながらしりぞいた。

「なん、で……」

 「抜け殻」の中から、新しい腕・・・・が伸びている。

脱皮・・、した、だと……?」

 トカゲは体をかかえこみ、やっと地面に立っている状態だ。

「油断したな、万城目日和? よかった、間に合って・・・・・

 穴の中から声が聞こえ、腕に続き、全身がぬうっと姿を現す。

 だ。

「ウツロ、てめえっ……!」

 万城目日和は飛びこんできた映像に戦慄した。

「どうかな? 新しいデザイン・・・・・・・は?」

 現れた毒虫の戦士。

 しかしその姿は、さらに美しく、さらに鋭利になっていた。

 より人間の形に近づいた容姿。

 だがそこからは、以前とは比較にならないほど、まるで突風のようなオーラが放たれている。

 トカゲは圧倒され、全身が委縮した。

「名づけて、エクリプス・セカン――!」

 ウツロは高らかに、アルトラの進化を宣言した――
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