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第七章
3.『紫』
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リンッと音色が聞こえた。
ナナがはっと顔を上げる。鈴の音のように、綺麗な音は段々と大きくなって行き、輪唱している。
家中に涼やかな鈴の音が響き渡った。
「ナナ、これは一体何の音なの?」
ナナはにいっと笑い、立ち上がった。
「ティアルーヴァがカイユに来たらしいね。…これは、光使いだよ」
そう言えば、そんな話を聞いたような気がした。ティアルーヴァがカイユに入ると音がする、と。
「…七、八…おやおや十名もの光使いを遣してきたよ、ネリアムの鼻たれめが」
ナナはひゃともひょともつかない、奇妙な笑い声を立てている。
「重い腰をとうとう上げたようだね」
「…光使いが十名」
エリスは息を飲んだ。
もしかしたら、リョウラたちが来たのかもしれないとエリスは思った。
しばらくして、キーンと耳なりがした。
どこかで大きな術を施したらしい。
「ほう、『光輪』かいな。なかなかやるもんだね」
ナナはとても感心したようすで、声を上げた。エリスも驚いた。『光輪』と言えば、かなり高度な術である。
「間違いなく上級者を揃えて来てるねぇ。はっぱかけただけあったよ」
「うまく行けば良いが…」
ルーリックが思慮深げにつぶやいた。
「何か、あるの?」
寝台に横になったまま、エリスは辺りを窺う。
しばらくして、無気味な地鳴りが聞こえて来たと思ったら、突然、地面が大きく揺れ始めた。
「何、地震?」
エリスは悲鳴に似た声を上げ、驚いて起き上がる。ルーリックが庇うようにして、その肩を押えた。
「大丈夫。落ち着いて」
不思議とルーリックにそう言われると、落ち着けた。
ルーリックを覆っている温かい光を感じると安心出来る。
「何が起こったの?」
ルーリックなら何でも分かっていそうな感覚が有って、エリスは青年に尋ねる。
「光の浄化に闇が反発して、地震が起きたんだ。この土地が、それだけ闇を浸透させているということだ」
ルーリックは厳しい顔で言うと、立ち上がり出て行こうとする。
慌てて、エリスは青年の服をつかんだ。
「待って、ルーリック。どこに行くの?」
「このままでは、本当にバランスが崩れてしまう。それだけは、絶対に阻止しなければならない」
断固とした口調でルーリックは言い放つ。バランスを崩そうとしている誰かを、青年は容赦しないだろう。
それ程までに、青年は怒っていた。
「待って、光使いの『光輪』じゃダメなの?」
「違う。別の…大きな闇が近付いてくる」
「私も行く」
「君は、怪我をしているだろう?」
「足手まといかも知れないけど…」
青年の制止を振り切って、寝台から身を起こす。なかなか思うように力が入らない体を叱咤し、立ち上がる。
立てる。
エリスは顔を上げ、青年に笑いかける。
「私も、一緒に行くから」
「…仕方がないな」
青年は、肩を竦めつつ微笑んだ。
闇がまるで生き物のように、ゆらゆらとうごめいている。
音のない暗い世界が無限に広がっているようだ。
エリスは息を飲む。心臓の音がやけにはっきり聞こえて来る。強い不安を揺り起こす闇がこんなに怖いと思ったのは初めてだった。
「エリス」
不意に、ルーリックの声と共に、左手から温かい光が流れ込んで来た。顔を上げると、闇の中に眩しいくらいに輝いたルーリックがいた。つないだ手の先から、どんどん光が送られて来る。力が沸いて来る。
「大丈夫。行きましょう」
エリスはまだ、微笑むことが出来た。
活性化した闇は、光に敏感に反応し、躍起になって消そうと襲い掛かって来る。
ルーリックの回りに覆われている光によって、それらは直に触れることもなく消え去って行く。
厳しい顔で真っすぐに歩いていたルーリックは、急に立ち止まる。
エリスもその気配に気が付いた。
前方にぼんやりと光が見える。闇鬼がその光に照らされつつ、それを消そうと躍起になっているのだ。
闇鬼は一匹だった。
地面におかれた小さな光玉に手を伸ばし、光を揉み消す。奇声を上げて闇鬼は喜ぶが、一端は消えたはずの光玉は、すぐに音を立てて発光し、闇鬼を焼く。その繰り返しを、闇鬼は懲りずに続けている。
エリスは目を凝らしてみた。
闇鬼がいる光玉の向う側に、人が立っている。精神統一の状態で、両手から光を放出している。
闇鬼がエリスたちの存在に気付き、振り返った。
この闇の中で、これだけの輝きを放つルーリックを脅えたように見上げ、闇鬼は後ずさる。歴然としている力の差を悟ったらしい。闇鬼は、悲鳴を上げて、逃げて行った。
エリスはほっとした。
闇鬼に付けられた傷を思いだし、足が竦んでしまっていたのだ。
ルーリックはわざわざ追い掛ける気はなかったようだった。
エリスはもう一度目を凝らし、光の中の人物を見る。
白い、透き通った光を纏って、青年が立っていた。
エリスは目を見開いて、その人物を見詰めた。
「リョウラ…」
やっぱりそうだ。途中ではぐれてしまって以降、連絡も取れず、きっと心配かけていただろう。
『氷』の光使いは、全身を光で纏い、無心に祈りを続けている。
『光輪』はまだ発動していない。邪魔をしては行けないとエリスは思った。
そして、心の中で謝る。
『遠耳』は気付いてくれるだろう。エリスの心の声を。
「ごめんなさい」
エリスはもう一度、声に出して、頭を下げた。
振り返ると、ルーリックが厳しい表情のまま、彼方を睨みつけている。
「エリス」
名を呼ばれ、青年の視線の先を見ると、闇に紛れて、黒髪の男が慌てて走り去って行った。
「待て!」
エリスとルーリックは同時に走り出した。
あの顔には見覚えがあった。現役の闇使いであることは、一目で分かる。
闇使い『鴉』、それがあの男の称号のはずだった。
この状況で、逃げ出す人物がまともであるはずがない。
あいつが黒幕なのか。
エリスは先を行くルーリックに叫んだ。
「お願い、つかまえて!」
エリスの声が届いたのか、青年は振り向かず、微かに頷いたようだった。
男は必死の形相で振り返り、ルーリックに向けて闇玉を投げ付ける。
ルーリックは立ち止まることなく、軽くそれを一払いしただけで消し去ってしまった。
悲鳴を上げて、男は逃げる。
ルーリックは右手をかざし、男に向けて光を放った。光は尾を引き、ぐんぐん伸びて行くと、男を捕え、その場に呪縛する。
エリスは駆け足で、ルーリックの後に続く。
神々しい光を纏う青年は、男にとって死の使いそのものだ。輝ける光を纏う青年に捕えられ、男は顔を引きつらせ泣きわめく。
「た、助けてくれ。頼む」
ルーリックとは顔を合わせられないらしく、エリスに懇願してくる。この男が本当に黒幕なのか、とエリスは思った。大それたことをしでかしたわりには、小心者すぎる。
男を睨みつけながら、一歩踏み出した。
「リヴァがどこにいるのか知りたいの。リヴァ、星の光使いを知っているでしょう?」
男は死物狂いで頷いた。助かるのであれば、相手が小娘でもひれ伏すようだ。
エリスに取っては一応、闇使いの先輩になるはずだが、言葉使いなど構っていられなかった。
「どこにいるの?」
「や、闇の塔だ」
エリスは思わず聞き返そうになった。闇の塔は、緑の塔の目と鼻の先である。そんな所にリヴァがいるはずがない。第一、緑の塔がそれほど近くにいるリヴァの存在を感知出来ぬはずがない。
「馬鹿なことを言わないで!リヴァが闇の塔にいるはずがないわ!」
「ほ、本当だ。嘘は言ってない」
「リヴァは、光使いなのよ!彼に何をしたの?」
闇の塔は闇で満ちている。光使いが入れる場所ではない。青年が自ら闇の塔に入るはずがないのだ。
エリスの脳裏に、リヴァの倒れ付す映像が浮かび上がる。頭を振り、その映像を頭から追い払う。
鋭く睨みつけると、男は喉の奥を引きつらせ、呻いた。
「カ、カイユをエルナーダにするために、運命の乙女を呼ぶ…がはっ!」
「なに?」
突然男は血を吐いて、倒れた。
男の首に、闇の矢が貫いていた。
「どこまでも、使えん奴よ。役立たずが」
冷やかな男の声が上空から振って来た。エリスはぎくりと上を見上げる。
闇の中から浮かび上がってくるシルエット。
人の形をとったそれは、だんだんと姿を現していく。
長身の男が、冷ややかにエリスたちを見下ろしていた。
男の後ろに子どもの影がある。
「イアン…」
子どもはイアンだった。拘束されて動けないようだった。
そして、声の主をエリスは信じられないものを見るような目で見詰めた。
「…まさか?」
男もエリスを見て、にやりと笑った。
「運命の乙女よ。待ち侘びたぞ」
「そんな…」
エリスは、呆然と目の前に立つ黒髪の男を見上げた。見間違えようもない。
闇の塔を統べる闇使い。
「紫の長さま…」
ナナがはっと顔を上げる。鈴の音のように、綺麗な音は段々と大きくなって行き、輪唱している。
家中に涼やかな鈴の音が響き渡った。
「ナナ、これは一体何の音なの?」
ナナはにいっと笑い、立ち上がった。
「ティアルーヴァがカイユに来たらしいね。…これは、光使いだよ」
そう言えば、そんな話を聞いたような気がした。ティアルーヴァがカイユに入ると音がする、と。
「…七、八…おやおや十名もの光使いを遣してきたよ、ネリアムの鼻たれめが」
ナナはひゃともひょともつかない、奇妙な笑い声を立てている。
「重い腰をとうとう上げたようだね」
「…光使いが十名」
エリスは息を飲んだ。
もしかしたら、リョウラたちが来たのかもしれないとエリスは思った。
しばらくして、キーンと耳なりがした。
どこかで大きな術を施したらしい。
「ほう、『光輪』かいな。なかなかやるもんだね」
ナナはとても感心したようすで、声を上げた。エリスも驚いた。『光輪』と言えば、かなり高度な術である。
「間違いなく上級者を揃えて来てるねぇ。はっぱかけただけあったよ」
「うまく行けば良いが…」
ルーリックが思慮深げにつぶやいた。
「何か、あるの?」
寝台に横になったまま、エリスは辺りを窺う。
しばらくして、無気味な地鳴りが聞こえて来たと思ったら、突然、地面が大きく揺れ始めた。
「何、地震?」
エリスは悲鳴に似た声を上げ、驚いて起き上がる。ルーリックが庇うようにして、その肩を押えた。
「大丈夫。落ち着いて」
不思議とルーリックにそう言われると、落ち着けた。
ルーリックを覆っている温かい光を感じると安心出来る。
「何が起こったの?」
ルーリックなら何でも分かっていそうな感覚が有って、エリスは青年に尋ねる。
「光の浄化に闇が反発して、地震が起きたんだ。この土地が、それだけ闇を浸透させているということだ」
ルーリックは厳しい顔で言うと、立ち上がり出て行こうとする。
慌てて、エリスは青年の服をつかんだ。
「待って、ルーリック。どこに行くの?」
「このままでは、本当にバランスが崩れてしまう。それだけは、絶対に阻止しなければならない」
断固とした口調でルーリックは言い放つ。バランスを崩そうとしている誰かを、青年は容赦しないだろう。
それ程までに、青年は怒っていた。
「待って、光使いの『光輪』じゃダメなの?」
「違う。別の…大きな闇が近付いてくる」
「私も行く」
「君は、怪我をしているだろう?」
「足手まといかも知れないけど…」
青年の制止を振り切って、寝台から身を起こす。なかなか思うように力が入らない体を叱咤し、立ち上がる。
立てる。
エリスは顔を上げ、青年に笑いかける。
「私も、一緒に行くから」
「…仕方がないな」
青年は、肩を竦めつつ微笑んだ。
闇がまるで生き物のように、ゆらゆらとうごめいている。
音のない暗い世界が無限に広がっているようだ。
エリスは息を飲む。心臓の音がやけにはっきり聞こえて来る。強い不安を揺り起こす闇がこんなに怖いと思ったのは初めてだった。
「エリス」
不意に、ルーリックの声と共に、左手から温かい光が流れ込んで来た。顔を上げると、闇の中に眩しいくらいに輝いたルーリックがいた。つないだ手の先から、どんどん光が送られて来る。力が沸いて来る。
「大丈夫。行きましょう」
エリスはまだ、微笑むことが出来た。
活性化した闇は、光に敏感に反応し、躍起になって消そうと襲い掛かって来る。
ルーリックの回りに覆われている光によって、それらは直に触れることもなく消え去って行く。
厳しい顔で真っすぐに歩いていたルーリックは、急に立ち止まる。
エリスもその気配に気が付いた。
前方にぼんやりと光が見える。闇鬼がその光に照らされつつ、それを消そうと躍起になっているのだ。
闇鬼は一匹だった。
地面におかれた小さな光玉に手を伸ばし、光を揉み消す。奇声を上げて闇鬼は喜ぶが、一端は消えたはずの光玉は、すぐに音を立てて発光し、闇鬼を焼く。その繰り返しを、闇鬼は懲りずに続けている。
エリスは目を凝らしてみた。
闇鬼がいる光玉の向う側に、人が立っている。精神統一の状態で、両手から光を放出している。
闇鬼がエリスたちの存在に気付き、振り返った。
この闇の中で、これだけの輝きを放つルーリックを脅えたように見上げ、闇鬼は後ずさる。歴然としている力の差を悟ったらしい。闇鬼は、悲鳴を上げて、逃げて行った。
エリスはほっとした。
闇鬼に付けられた傷を思いだし、足が竦んでしまっていたのだ。
ルーリックはわざわざ追い掛ける気はなかったようだった。
エリスはもう一度目を凝らし、光の中の人物を見る。
白い、透き通った光を纏って、青年が立っていた。
エリスは目を見開いて、その人物を見詰めた。
「リョウラ…」
やっぱりそうだ。途中ではぐれてしまって以降、連絡も取れず、きっと心配かけていただろう。
『氷』の光使いは、全身を光で纏い、無心に祈りを続けている。
『光輪』はまだ発動していない。邪魔をしては行けないとエリスは思った。
そして、心の中で謝る。
『遠耳』は気付いてくれるだろう。エリスの心の声を。
「ごめんなさい」
エリスはもう一度、声に出して、頭を下げた。
振り返ると、ルーリックが厳しい表情のまま、彼方を睨みつけている。
「エリス」
名を呼ばれ、青年の視線の先を見ると、闇に紛れて、黒髪の男が慌てて走り去って行った。
「待て!」
エリスとルーリックは同時に走り出した。
あの顔には見覚えがあった。現役の闇使いであることは、一目で分かる。
闇使い『鴉』、それがあの男の称号のはずだった。
この状況で、逃げ出す人物がまともであるはずがない。
あいつが黒幕なのか。
エリスは先を行くルーリックに叫んだ。
「お願い、つかまえて!」
エリスの声が届いたのか、青年は振り向かず、微かに頷いたようだった。
男は必死の形相で振り返り、ルーリックに向けて闇玉を投げ付ける。
ルーリックは立ち止まることなく、軽くそれを一払いしただけで消し去ってしまった。
悲鳴を上げて、男は逃げる。
ルーリックは右手をかざし、男に向けて光を放った。光は尾を引き、ぐんぐん伸びて行くと、男を捕え、その場に呪縛する。
エリスは駆け足で、ルーリックの後に続く。
神々しい光を纏う青年は、男にとって死の使いそのものだ。輝ける光を纏う青年に捕えられ、男は顔を引きつらせ泣きわめく。
「た、助けてくれ。頼む」
ルーリックとは顔を合わせられないらしく、エリスに懇願してくる。この男が本当に黒幕なのか、とエリスは思った。大それたことをしでかしたわりには、小心者すぎる。
男を睨みつけながら、一歩踏み出した。
「リヴァがどこにいるのか知りたいの。リヴァ、星の光使いを知っているでしょう?」
男は死物狂いで頷いた。助かるのであれば、相手が小娘でもひれ伏すようだ。
エリスに取っては一応、闇使いの先輩になるはずだが、言葉使いなど構っていられなかった。
「どこにいるの?」
「や、闇の塔だ」
エリスは思わず聞き返そうになった。闇の塔は、緑の塔の目と鼻の先である。そんな所にリヴァがいるはずがない。第一、緑の塔がそれほど近くにいるリヴァの存在を感知出来ぬはずがない。
「馬鹿なことを言わないで!リヴァが闇の塔にいるはずがないわ!」
「ほ、本当だ。嘘は言ってない」
「リヴァは、光使いなのよ!彼に何をしたの?」
闇の塔は闇で満ちている。光使いが入れる場所ではない。青年が自ら闇の塔に入るはずがないのだ。
エリスの脳裏に、リヴァの倒れ付す映像が浮かび上がる。頭を振り、その映像を頭から追い払う。
鋭く睨みつけると、男は喉の奥を引きつらせ、呻いた。
「カ、カイユをエルナーダにするために、運命の乙女を呼ぶ…がはっ!」
「なに?」
突然男は血を吐いて、倒れた。
男の首に、闇の矢が貫いていた。
「どこまでも、使えん奴よ。役立たずが」
冷やかな男の声が上空から振って来た。エリスはぎくりと上を見上げる。
闇の中から浮かび上がってくるシルエット。
人の形をとったそれは、だんだんと姿を現していく。
長身の男が、冷ややかにエリスたちを見下ろしていた。
男の後ろに子どもの影がある。
「イアン…」
子どもはイアンだった。拘束されて動けないようだった。
そして、声の主をエリスは信じられないものを見るような目で見詰めた。
「…まさか?」
男もエリスを見て、にやりと笑った。
「運命の乙女よ。待ち侘びたぞ」
「そんな…」
エリスは、呆然と目の前に立つ黒髪の男を見上げた。見間違えようもない。
闇の塔を統べる闇使い。
「紫の長さま…」
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