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音路町ナビゲーション

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 世の中には、覆面作家ってもんがいる。まぁ平たく言うならば、顔を表に出さないクリエイターってやつ。何か理由があって顔を出せないって人もいれば、そうでない人もいるだろうな。そういう覆面作家、覆面クリエイターは大体が素性がミステリアスなぶん、作品が思い切り突っ走ることができる。作品にミステリアスというエフェクトがつく訳だ。
 俺のやる今川焼き屋はそうはいかない。顔を出さない今川焼き屋なんて怪しくて客なんか来やしないんじゃないかな?人柄というエフェクトをつけた作品をリリースする。まぁそれでちゃんとした人気もあるからな。さて、今回はその覆面作家の話。むちゃくちゃいいセンスを持ってるクリエイターの、新世代アーティストを発掘するプロジェクトの話。
 意外に、あんたの隣にいる人が、凄腕の覆面クリエイターかもしれないね?



 俺の妹である、美音が今暇さえあればずっと同じアーティストの曲をリピートしている。休憩時間になればキッチンカーの端っこにあるベンチに座り、いつもポッケにしのばせてるポータブルプレーヤーで聴いている。

「最近の音楽、俺にはよくわかんねぇけどお前、誰聴いてるんだ?」

 美音は「んっ!」と言ってイヤホンを渡してきた。俺はそれを耳に差し込む。ポップなビートとキャッチーなメロディに、ユニセックスな感じの声が聞こえて来る。よく分かんないなりにではあるが、いい曲だ。

「なんて人?」
「知らないのお兄ちゃん、最近この人知らないとモグリだよ?モグリ」
「もう俺おっさんだもんよ」
「やだなぁ、お兄ちゃん。それ言っちゃったらあたい、おばちゃんみたいに聞こえるじゃん」
「んで?誰よ」
「Dr.カスタネットよ。知らない?」

 はっきり言って、最近の流行にはついて行けていない。言い訳がましいかもしれないが、今川焼き屋の売れ行きが良く、なかなか暇がないのだ。時間があるなら今川焼きを一個でも多く焼いて売る必要がある。充のカフェにも、助けられている。

「知らん」
「素性が分からない覆面シンガーソングライターよ。作る曲がまたクオリティが凄くて、それでいてメロディも耳に残る。知らない?【虹色クレヨン】」
「だからそのドクターなんたらを知らねぇんだって」
「あらっ、アマさんの口からDr.カスタネットの名前が出るなんて…」

 鵲だ。今日は少しお洒落をしているようだ。いつもは灰色のパーカーばかりなのに、今日はジャケットなんて羽織って…悔しいが似合ってる。美音は顔をピンクにして黙ってしまった。

「知ってるんですか?」
「いや、美音から聞いたばっかだ」
「そうなんだぁ。美音ちゃんもDr.カスタネット、好きなんだね?」
「はっ、はぁい」
「【虹色クレヨン】は名曲だよね。あ、知ってる?新しいアーティストのプロデュースを企画してるんだって、言ってたよ?」
「ど、どこ情報なんですか?」
「公式ホームページで言ってたよ。半ば決まってるんだって!」
「そっ、そうなんですか?」

 いつものオドオドした感じが美音にスイッチしたようになっている。こんな饒舌な鵲は久しぶりだ。鵲もファンなのだろう。そのドクターなんとかの。

「あ、白一個ください!仕事終わって口寂しくて…」
「鵲も好きなんだな?」
「えぇ、曲がとってもいいから、暇さえあれば聴いてますよ。こないだ【甘納豆】がカバーしましたし」
「お、あれそうなのか?」
「そうですよ?あの綺麗な声を彩羽が出してて…」
「女かもしれないって噂も…」

 覆面作家あるあるのようだ。キャラはベールに包まれてはいるが、楽曲のよさとクオリティは文句なし。ミステリアスな魅力ってずるいよな。

「あ、そう言えば、そのアーティストって…ボクらがよく知ってる人かもしれないんですよね?」
「え?そうなのか?」
「えぇ、そうみたいですよ。噂によれば……」
「あっ!MLちゃん!アマさんに鵲くんも!」

 乃月だ。嬉しそうに手を振りながらこっちに走ってきた。

「乃月ちゃん、いらっしゃい。何焼く?」
「ずんだ一個ください!あれ?皆どうしたの?」
「乃月さん、知ってますよね?Dr.カスタネットは」
「えっ?知らない人いるの?」
「…悪かったな」
「あっ!あ、アマさんはその、渋いから興味がないのかも…」
「有難う。さっき聞いたからもう大丈夫だよ。ドクターなんたらは」

 俺は生地にずんだ餡を落とした。鉄板の脇でプツプツと出る気泡からいい匂い。焼いてる側に許された特権。

「次から次に色んなアーティストが出て来るよな。変わらないのは、俺の今川焼きだけか。」
「変わらないって、凄い大事ですよ!アマさん」
「あ、そういやこないだ充さんのカフェに一緒にいたあの男の人、誰ですか?」

 美音が聞いた。俺は若干ヒヤリとしたが、乃月はふふっと笑う。やましい関係では全くないようだ。

「内緒」
「なんだぁ、教えてくれてもいいじゃん」

 俺は焼き上がったずんだを乃月に渡した。手にした乃月の背中には後光が差しているようにも見えた。
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