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僕と兄やんはまた居酒屋一銭に戻ってきた。するといっちゃ…いや、いち姉が小さな猫を抱いている。茶虎の丸っこい塊がもぞもぞと動いている。
「おかえり、どやった?」
「いやぁ、見つからないです…」
倭同さんは鼻を啜りながら涙声で言う。
「マリアンヌぅ…」
「そんな悲しい顔しないでくださいよ、ねぇ」
「そのにゃんこは?」
「あ、あたしの猫ちゃんなんです。チャーシュー」
凄いネーミングだと思ったが、それは飲み込んだ。チャーシューは倭同さんに手を伸ばそうとするが、倭同さんは顔を左右に振りながらただただ泣いているだけだ。
「なぁ、いっちゃん。チャーシューはいっちゃんが来てからずっとお店におった?」
「えぇ、寂しがり屋さんで…」
「気付かなかったよ。大人しいコなんだね」
いち姉は僕の話など聞かずに茶虎のチャーシューをひたすらあやしている。兄やんは外の様子をタバコをふかしながら姐さんに世間話のように話している。
「なんや、そうやったんか」
「そうやったって、姐さんどうしたんですか?」
「アタシ、マリアンヌの行方が分かったかもしれん」
倭同さんは顔をがばっと上げると、ひっくり返った声で言う。
「ど!どこに!」
「なんや、倭同はんやったっけ?何で言ってくれへんかってん」
「な、何をですか?」
「マリアンヌって、蛇なんちゃうん?」
僕らは一斉に姐さんを見た。姐さんはさも当然と言わんばかりに仁王立ちのままだ。
「ど、どうして分かったんですか?」
「アンタ、ずっと鼻をぐすぐすさせよるのって、猫アレルギーなんやろ?そんな酷いんやったら、多分犬もあかんのやろうな」
「えっ、えぇ」
「頑なにマリアンヌが蛇やって言わんかったのは、きっと蛇が逃げたとか言うたら、誰も協力なんかしてくれへんと思ったんやろ。アホか、そないなことするから時間ばっかかかるねん」
「ちょ、ちょっと待ってや姐さん」
兄やんがタバコを挟んだ指を左右に振る。
「それはええとしてや。マリアンヌの場所が分かったいうのは、どないやねん?」
「兄やん。ケーキ屋のくだりや」
「え?」
「ケーキ屋のおっちゃんが、卵を割りよったって。普通卵割りながら、怪訝そうな顔で首傾げるのって、なんや変な卵が混ざっとったんか、それか卵の員数が合わんかったかどっちかやろ。倭同はん、あんさんのマリアンヌは、でっかいんか?」
「えぇ、そりゃ」
「なら、そのマリアンヌは卵を食べよったんやろ。蛇っちゅうのは、卵を丸呑みすんねんて。殻を割らへんのや。せやからおっちゃん、卵が食べられたの、気付かんかってん」
「って、ことは…」
「ケーキ屋のおっちゃんが見つけて混乱する前に、急がんとあかんで。早う行ったりや」
†
倭同さんと僕と兄やんは、店を飛び出して洋菓子店に向かった。勿論ダッシュだ。蛇なんかが店から出てきたらもう大混乱に間違いない。倭同さんは洋菓子店のシャッターの裏手に回ると、ドアを叩きながら言った。
「すいません!ごめんください!」
「あかんで!おっちゃんこっちに気付いてへん!」
「兄やん、あの窓から呼びましょ……」
と、言っている間に厨房のあたりから甲高い悲鳴が聞こえた。マズい。僕は窓を拳でバンバンと叩く。
「すいません!すいませんっ!」
コック服の店主は完全に失神している。窓は強化ガラスのようだ、割ることはまず無理そうだ。中には黄色い大蛇が鎌首をもたげながら作業台の上に置かれた卵に向かって大きな口を開いている。
「あれ、あれがマリアンヌ…?」
「マリアンヌぅ!僕だよぉ!」
飼い主の倭同さんのことなど意に解さないような様子で卵を丸呑みにするマリアンヌ。あんなのと同じ空間にいたら、僕も間違いなく失神してしまうだろう。
「おい、めいちゃん!」
「?」
「こうなったら、これ破るしかあらへんで!」
「裏口の窓ですか?」
「せや、鍵がかかっとるやろ?」
「でもこれも、強化ガラスですよ?」
「俺に任せたらんかい!おい倭同はん!ハンカチや何や持ってへんの?」
「あっ、はぁ。あります!」
「よこさんかい!あと小銭や。10円よこさんかい!」
兄やんは財布を一銭に忘れたらしい。倭同さんからハンカチと10円玉を受け取ると、ハンカチに10円玉を包み、ヌンチャクのように強化ガラスにぶち当てた。
「あたぁ!」
「あっ!ガラスが!」
強化ガラスは小さな粒になって崩れた。兄やんはそれから中のクレセント錠を開き、ひょいと中に飛び込んだ。
「すげぇ、なんで?」
「車に閉じ込められた時に使うハンマーや。あれって先が尖っとるやろ?強化ガラス言うても、表面積の小さい奴をぶち当ててやったら割れんねん。よかったわぁ、まさか経験が役に立つなんてな」
倭同さんは洋菓子店の中に入ると、マリアンヌを抱き抱え、首に得意げに巻き付けた。恍惚とした顔をしている。
「うわぁ、マリアンヌぅ」
「あはは、んじゃ帰りましょうか…あはは…」
「めいちゃん、俺はちょっとおっちゃんに事情説明したるさかい。先に帰っててや。このおっちゃんにはカシがあんねんから」
「えっ?」
「さ、早う行ったり…な」
兄やんの顔には、微かな恐怖の表情が垣間見えた。マリアンヌはちろちろと舌を出している。
「マリアンヌってば、めいさんが気に入ったみたい」
「あは、ははは…」
「おかえり、どやった?」
「いやぁ、見つからないです…」
倭同さんは鼻を啜りながら涙声で言う。
「マリアンヌぅ…」
「そんな悲しい顔しないでくださいよ、ねぇ」
「そのにゃんこは?」
「あ、あたしの猫ちゃんなんです。チャーシュー」
凄いネーミングだと思ったが、それは飲み込んだ。チャーシューは倭同さんに手を伸ばそうとするが、倭同さんは顔を左右に振りながらただただ泣いているだけだ。
「なぁ、いっちゃん。チャーシューはいっちゃんが来てからずっとお店におった?」
「えぇ、寂しがり屋さんで…」
「気付かなかったよ。大人しいコなんだね」
いち姉は僕の話など聞かずに茶虎のチャーシューをひたすらあやしている。兄やんは外の様子をタバコをふかしながら姐さんに世間話のように話している。
「なんや、そうやったんか」
「そうやったって、姐さんどうしたんですか?」
「アタシ、マリアンヌの行方が分かったかもしれん」
倭同さんは顔をがばっと上げると、ひっくり返った声で言う。
「ど!どこに!」
「なんや、倭同はんやったっけ?何で言ってくれへんかってん」
「な、何をですか?」
「マリアンヌって、蛇なんちゃうん?」
僕らは一斉に姐さんを見た。姐さんはさも当然と言わんばかりに仁王立ちのままだ。
「ど、どうして分かったんですか?」
「アンタ、ずっと鼻をぐすぐすさせよるのって、猫アレルギーなんやろ?そんな酷いんやったら、多分犬もあかんのやろうな」
「えっ、えぇ」
「頑なにマリアンヌが蛇やって言わんかったのは、きっと蛇が逃げたとか言うたら、誰も協力なんかしてくれへんと思ったんやろ。アホか、そないなことするから時間ばっかかかるねん」
「ちょ、ちょっと待ってや姐さん」
兄やんがタバコを挟んだ指を左右に振る。
「それはええとしてや。マリアンヌの場所が分かったいうのは、どないやねん?」
「兄やん。ケーキ屋のくだりや」
「え?」
「ケーキ屋のおっちゃんが、卵を割りよったって。普通卵割りながら、怪訝そうな顔で首傾げるのって、なんや変な卵が混ざっとったんか、それか卵の員数が合わんかったかどっちかやろ。倭同はん、あんさんのマリアンヌは、でっかいんか?」
「えぇ、そりゃ」
「なら、そのマリアンヌは卵を食べよったんやろ。蛇っちゅうのは、卵を丸呑みすんねんて。殻を割らへんのや。せやからおっちゃん、卵が食べられたの、気付かんかってん」
「って、ことは…」
「ケーキ屋のおっちゃんが見つけて混乱する前に、急がんとあかんで。早う行ったりや」
†
倭同さんと僕と兄やんは、店を飛び出して洋菓子店に向かった。勿論ダッシュだ。蛇なんかが店から出てきたらもう大混乱に間違いない。倭同さんは洋菓子店のシャッターの裏手に回ると、ドアを叩きながら言った。
「すいません!ごめんください!」
「あかんで!おっちゃんこっちに気付いてへん!」
「兄やん、あの窓から呼びましょ……」
と、言っている間に厨房のあたりから甲高い悲鳴が聞こえた。マズい。僕は窓を拳でバンバンと叩く。
「すいません!すいませんっ!」
コック服の店主は完全に失神している。窓は強化ガラスのようだ、割ることはまず無理そうだ。中には黄色い大蛇が鎌首をもたげながら作業台の上に置かれた卵に向かって大きな口を開いている。
「あれ、あれがマリアンヌ…?」
「マリアンヌぅ!僕だよぉ!」
飼い主の倭同さんのことなど意に解さないような様子で卵を丸呑みにするマリアンヌ。あんなのと同じ空間にいたら、僕も間違いなく失神してしまうだろう。
「おい、めいちゃん!」
「?」
「こうなったら、これ破るしかあらへんで!」
「裏口の窓ですか?」
「せや、鍵がかかっとるやろ?」
「でもこれも、強化ガラスですよ?」
「俺に任せたらんかい!おい倭同はん!ハンカチや何や持ってへんの?」
「あっ、はぁ。あります!」
「よこさんかい!あと小銭や。10円よこさんかい!」
兄やんは財布を一銭に忘れたらしい。倭同さんからハンカチと10円玉を受け取ると、ハンカチに10円玉を包み、ヌンチャクのように強化ガラスにぶち当てた。
「あたぁ!」
「あっ!ガラスが!」
強化ガラスは小さな粒になって崩れた。兄やんはそれから中のクレセント錠を開き、ひょいと中に飛び込んだ。
「すげぇ、なんで?」
「車に閉じ込められた時に使うハンマーや。あれって先が尖っとるやろ?強化ガラス言うても、表面積の小さい奴をぶち当ててやったら割れんねん。よかったわぁ、まさか経験が役に立つなんてな」
倭同さんは洋菓子店の中に入ると、マリアンヌを抱き抱え、首に得意げに巻き付けた。恍惚とした顔をしている。
「うわぁ、マリアンヌぅ」
「あはは、んじゃ帰りましょうか…あはは…」
「めいちゃん、俺はちょっとおっちゃんに事情説明したるさかい。先に帰っててや。このおっちゃんにはカシがあんねんから」
「えっ?」
「さ、早う行ったり…な」
兄やんの顔には、微かな恐怖の表情が垣間見えた。マリアンヌはちろちろと舌を出している。
「マリアンヌってば、めいさんが気に入ったみたい」
「あは、ははは…」
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