上 下
5 / 8

5、貴方の働きに期待してるわ

しおりを挟む
 その後のリットミンスターまでの旅路を、ふたりはゆっくりではあるが順調に進んだ。
 メリアデューテは相変わらず奔放なものの、サイオンの教えや約束を破るような無茶はしない。これまでさんざんわがままな依頼者に振り回された経験のあるサイオンにしてみれば、かえって微笑ましいくらいのものだ。

 そんな彼女は、旅程が後半に差し掛かったところで急に「剣術を教えてほしい」などと言い出した。
 これが同業者の、あるいは本格的な依頼であれば答えはノーだ。中途半端な知識や技術はかえって身を滅ぼすし、そもそもあと数日の旅路で身につくような安いものではない。

(まあ、どうせ貴族のお嬢様の気まぐれだ。そう真面目に考えるほどのことでもないか)

 サイオンはコミュニケーションの一環だと割り切って、旅の合間に簡単な護身術を教えてやることにした。
 貴族の令嬢が、そこらの樹に向かって一生懸命掌打の練習をしているところは、見ているだけでも存外面白い。

 ――ただ問題は、日に日にその姿すら魅力的に見えてくることか。

 今日も「腕を掴まれた時の対処法」として習った、急所への蹴り上げを練習しようとするメリアデューテ。筋は悪くないのだがいまいち重心が安定しないので、後ろからへっぴり腰を支えてやる。
 その、なんとはなしに掴んだウエストのあまりの細さに。
 サイオンは思わずごく、と喉を鳴らした。

「どうかしら。痛そう?」
「どうせやるなら変な遠慮はせず潰すつもりでやれ」
「うふふ、そうね。きっついのをお見舞いしてやるわ!」

 肩越しに振り返る彼女のきらきらした瞳も、汗の香りも、妙に男の好奇心を刺激する。
 白布の上に縫い付けて、身体の隅々まで暴いてやりたくなるような。

(重症だな)

 サイオンはもやもやした感情を持て余していたが、目的地であるリットミンスターが近づくにつれもはや諦めつつあった。
 なにせこちらは男で、向こうは女――しかもとびきりの美女だ。それが無警戒になつき、可憐な笑顔をふりまいてくるのだ。これで何も感じない方がおかしい。

 とはいえ、あくまでふたりの関係は依頼人と護衛の冒険者だ。
 仕事に私情を挟まないという己の信条を、サイオンは固く守り通した。


 そして、十五日目。


 ついにふたりは目的地であるリットミンスターまでたどり着いた。
 といっても、貴族の保養地を含むリゾート街はここからさらに少し山間にある。リット湖と呼ばれる湖を囲むように上流階級向けの別荘が並んでおり、ここはそのふもとにあたる。
 すでに日が傾きかけていたので、ふたりはリット湖を目指すのは明日に延ばし、ふもとで宿を取ることにした。

(この旅も明日で終わりか)

 いつものようにひとり部屋を二部屋確保し、受付で金を払う。観光地だからか、こじんまりした庶民向けの宿にもかかわらず清潔感があり、内装も品が良かった。

 今日は早く休み、明日は朝一番にここを発つ。そうすれば午前中のうちにウィットフォード侯爵家の別荘に着くだろう。
 メリアデューテを屋敷に引き渡せば、この旅は終わりだ。

 最終日だからといって、特にいつもと変わらない。変わる必要もない。
 夕食は各自で、と告げた。これもいつも通りだ。
 サイオンがカウンターの上に置かれた鍵の片方を受け取って背を向けると、去り際の二の腕にメリアデューテが触れた。

「……サイオン」

「なんだ?」とふり返ると、いつもは屈託なくサイオンを見つめてくる翠緑の瞳が戸惑いがちに泳いでいた。
 メリアデューテはしばらく無言でうつむいていたが、やがて、ふう、と小さなため息を零す。

「今日までありがとう。ここまで来られたのは貴方のおかげよ」
「ずいぶんと気の早い挨拶だな。まだ明日がある」
「ええ、そうね……。だけどこうやってゆっくりお話しできるのも、きっと今夜で最後でしょうから」
「まあ、たしかにな」

 メリアデューテと過ごした十五日間は、サイオンにとっても心穏やかで楽しい旅だった。
 依頼者とは付かず離れず。それが本来のサイオンの仕事のやりかただ。
 だがこの世間知らずでお人好しな令嬢を放っておけなくて、ついつい必要以上にかまってしまった。
 思った以上に情が移ってしまっている。明日目的地に着いて、そのまま「じゃあな」と別れるのは名残惜しい――。そういう気持ちが湧いていた。

「デューテ。なら最後にふたりで食事でも――」

 なにげなくディナーの誘いを口にしようとしたサイオンの唇に、そ、とメリアデューテの指が触れて言葉を留まらせた。そのまま白魚のような両手が、サイオンの左手を包み込む。

「サイオン……。楽しい旅をありがとう。最後まで、あなたの働きに期待しているわ」

 そう言って、ゆっくりとこちらを見上げた。その瞳は受付のランプの光を受けて潤み、長いまつ毛が何度も瞬く。
 相変わらず美しい女だ。まるで今生の別れのようにせつなげな表情を浮かべられて、サイオンは思わずどきりとさせられる。
 ガラにもなく見とれていた隙に、無骨な手に握らされていたのは――ずっしりと重たい硬貨の感触。

「あっ、おい……」
「じゃあね」

 サイオンの手に乗せられていたのは、三枚の金貨だった。
 その意味を問う前に、メリアデューテはロングスカートの裾をひるがえして脇の階段を上がっていってしまう。
 固まるサイオンを横目に、カウンターの中にいる宿の主人がひゅ~~と口笛を吹いた。

「あのバカ……!」

 サイオンは金貨の入った拳でドカンとカウンターの天板を叩いた。

 潤んだ瞳で見つめられて、名残惜しそうに「期待してるわ」などとささやかれて。
 ここは小綺麗な宿屋で、手に握らされたのはどう考えても“心付けチップ”の額を超えている金貨三枚。

 ――さて。この状況を、普通の男ならどう思うか。

ひと晩売ってくれ・・・・・・・・って意味に取るだろ……」

 現に、一部始終を見ていた宿の主人は完全にそういう意味・・・・・・だと理解したらしく、グッと親指をサムズアップさせてこちらを見ている。

「や~うらやましいねえ! オレならあんな美女、こちらから金払ってでもお願いしたいもんだぜ!」
「おい兄ちゃん、代わってやろうかあ?」

 日も沈みきる前から脇のバーで飲んだくれている連中に冷やかされて、サイオンは頭を抱えた。

 名うての冒険者として界隈ではそれなりに知られている――しかも美男である――サイオンに、寄ってくる女はそれこそ星の数ほどいる。これまで、ギルドの依頼で顔を合わせた仲間や依頼者に関係を迫られたのも、一度や二度ではなかった。

 仕事に私情は持ち込まないのが信条だが、後腐れのない女の誘いには乗ることもある。
 ただし、二度同じ女は抱かない。

 それがこれまでのサイオンのやりかただった。
 だが自分でも気付かぬうちに、この半月でサイオンはすっかり変わってしまっていた。

 弾けるような笑顔。
「まあ」と品良く驚いた顔。
 頬を膨らませて少し怒った顔。
 彼女の赤い髪、翠緑の瞳、美しいかんばせからしぐさのひとつひとつまでが、脳裏に焼き付いて離れない。

 メリアデューテを抱きたいか? と問われれば、答えはイエスだ。

 あんなに愛らしく魅力的な女はそうそういない。
 もしや、金貨を託した彼女も同じ想いでいるのではないか。
 めくるめく夜への期待に胸を高鳴らせて、部屋でサイオンの訪れを待っているのではないか?

「いや、何余計なことを考えてんだよ。いつも通り金銭感覚がおかしいだけだろ……」

 そうだ、これまでの彼女のとぼけ具合からしてそれはない。単にこれまで通り、金を渡すという行為の符丁をよくわかっていないだけだ。

 部屋に備え付けられたバスルームで汗を流そうとしたサイオンは、頭から冷水を被って都合のいい幻想を振り払った。

 メリアデューテは庶民とは縁遠い高貴な令嬢だ。
 目的地であるリットミンスターの別荘とやらにも、お抱えの召使いが山といるはず。今回の旅が終われば、また元の上げ膳据え膳の生活に戻るだけだ。
 この地で第二王子との破局の傷を癒やしつつ、心ないゴシップの嵐が過ぎ去るのを待つ目算なのだろう。
 ひと月もおとなしくしていれば、噂好きの貴族たちの関心は他に向いている。社交界とはそんなものだ。

 メリアデューテは社交界に咲く赤い薔薇。
 そこらの露店の揚げ菓子の値段や、路地裏の靴磨きの相場など、本来なら知る必要などなかった。
 もちろん、男を買う方法だとか後腐れのない夜の誘いかただなんて、教えてやる義理もない。

(――とはいえ、このまま黙って金貨三枚を懐に入れるのもわりが悪い)

 まず、彼女の部屋を訪ねてこの金をつっ返す。
 それから少し説教して、適正なチップの額を教えてやらなくては。
 そう決意して、サイオンはもう一度頭から水を被った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

《R18短編》優しい婚約者の素顔

あみにあ
恋愛
私の婚約者は、ずっと昔からお兄様と慕っていた彼。 優しくて、面白くて、頼りになって、甘えさせてくれるお兄様が好き。 それに文武両道、品行方正、眉目秀麗、令嬢たちのあこがれの存在。 そんなお兄様と婚約出来て、不平不満なんてあるはずない。 そうわかっているはずなのに、結婚が近づくにつれて何だか胸がモヤモヤするの。 そんな暗い気持ちの正体を教えてくれたのは―――――。 ※6000字程度で、サクサクと読める短編小説です。 ※無理矢理な描写がございます、苦手な方はご注意下さい。

辺境騎士の夫婦の危機

世羅
恋愛
絶倫すぎる夫と愛らしい妻の話。

R18 優秀な騎士だけが全裸に見える私が、国を救った英雄の氷の騎士団長を着ぐるみを着て溺愛する理由。

シェルビビ
恋愛
 シャルロッテは幼い時から優秀な騎士たちが全裸に見える。騎士団の凱旋を見た時に何で全裸でお馬さんに乗っているのだろうと疑問に思っていたが、月日が経つと優秀な騎士たちは全裸に見えるものだと納得した。  時は流れ18歳になると優秀な騎士を見分けられることと騎士学校のサポート学科で優秀な成績を残したことから、騎士団の事務員として採用された。給料も良くて一生独身でも生きて行けるくらい充実している就職先は最高の環境。リストラの権限も持つようになった時、国の砦を守った英雄エリオスが全裸に見えなくなる瞬間が多くなっていった。どうやら長年付き合っていた婚約者が、貢物を散々貰ったくせにダメ男の子を妊娠して婚約破棄したらしい。  国の希望であるエリオスはこのままだと騎士団を辞めないといけなくなってしまう。  シャルロッテは、騎士団のファンクラブに入ってエリオスの事を調べていた。  ところがエリオスにストーカーと勘違いされて好かれてしまった。元婚約者の婚約破棄以降、何かがおかしい。  クマのぬいぐるみが好きだと言っていたから、やる気を出させるためにクマの着ぐるみで出勤したら違う方向に元気になってしまった。溺愛することが好きだと聞いていたから、溺愛し返したらなんだか様子がおかしい。

伯爵令嬢のユリアは時間停止の魔法で凌辱される。【完結】

ちゃむにい
恋愛
その時ユリアは、ただ教室で座っていただけのはずだった。 「……っ!!?」 気がついた時には制服の着衣は乱れ、股から白い粘液がこぼれ落ち、体の奥に鈍く感じる違和感があった。 ※ムーンライトノベルズにも投稿しています。

腹黒王子は、食べ頃を待っている

月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。

貧乳の魔法が切れて元の巨乳に戻ったら、男性好きと噂の上司に美味しく食べられて好きな人がいるのに種付けされてしまった。

シェルビビ
恋愛
 胸が大きければ大きいほど美人という定義の国に異世界転移した結。自分の胸が大きいことがコンプレックスで、貧乳になりたいと思っていたのでお金と引き換えに小さな胸を手に入れた。  小さな胸でも優しく接してくれる騎士ギルフォードに恋心を抱いていたが、片思いのまま3年が経とうとしていた。ギルフォードの前に好きだった人は彼の上司エーベルハルトだったが、ギルフォードが好きと噂を聞いて諦めてしまった。  このまま一生独身だと老後の事を考えていたところ、おっぱいが戻ってきてしまった。元の状態で戻ってくることが条件のおっぱいだが、訳が分からず蹲っていると助けてくれたのはエーベルハルトだった。  ずっと片思いしていたと告白をされ、告白を受け入れたユイ。

【完結】嫌われ令嬢、部屋着姿を見せてから、王子に溺愛されてます。

airria
恋愛
グロース王国王太子妃、リリアナ。勝ち気そうなライラックの瞳、濡羽色の豪奢な巻き髪、スレンダーな姿形、知性溢れる社交術。見た目も中身も次期王妃として完璧な令嬢であるが、夫である王太子のセイラムからは忌み嫌われていた。 どうやら、セイラムの美しい乳兄妹、フリージアへのリリアナの態度が気に食わないらしい。 2ヶ月前に婚姻を結びはしたが、初夜もなく冷え切った夫婦関係。結婚も仕事の一環としか思えないリリアナは、セイラムと心が通じ合わなくても仕方ないし、必要ないと思い、王妃の仕事に邁進していた。 ある日、リリアナからのいじめを訴えるフリージアに泣きつかれたセイラムは、リリアナの自室を電撃訪問。 あまりの剣幕に仕方なく、部屋着のままで対応すると、なんだかセイラムの様子がおかしくて… あの、私、自分の時間は大好きな部屋着姿でだらけて過ごしたいのですが、なぜそんな時に限って頻繁に私の部屋にいらっしゃるの?

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

処理中です...