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3、リリベットの願い

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「とにかく、わたしは王宮へは行かないわ」
「まったく、困ったものですねえ」

 時は戻って、再びリリベットの寝室。

 相変わらずの主の強情に、まったく困っていない顔でエリオスは肩を竦めた。
 部屋のカーテンを開け放った彼の左目の傷が窓からの光を反射して煌めくと、リリベットの胸はつきんと痛みだす。

 ――コンコン。

 不意に部屋の扉がノックされた。「入っていいかな」と声がして、リリベットはハッと顔を上げる。声の主は父親であるスローン侯爵だった。
「具合が悪いので…」と断ろうとしたのをさえぎってエリオスが勝手に扉を開けてしまったので、リリベットはあわてて猫のようにベッドへ潜り込む。

「リリ、調子はどうだい?」
「……とても悪いです」
「せめて顔を見せておくれ」

 この三日間、体調不良を理由に一度も父親と顔を合わせていない。
 さすがに良心が咎めて、リリベットはしぶしぶ布団から顔を出す。服の乱れを整えると、淑女らしくベッドの端にちょこんと脚を揃えて座った。

「ああリリ、やっと顔を見せてくれたね」
「ごめんなさい、お父さま」
「この間王城へ行ってからずっとこの調子だね」
「…………」
「君は未来のお妃様だよ。何か嫌なことがでもあったのかい?」
「すべてご存じのくせに、そんなことをおっしゃるなんてひどいわ!」

 突然愛娘に声を荒らげられたので、侯爵はぽかんとしている。

「先日の登城は、お妃教育のためだろう?」

 いやいやと首を左右に振り、リリベットは手で顔を覆った。

「ええそうです! でも、だって、あんな、あんなことされるなんて……!」
「引きこもりの原因はでしたか」

 エリオスにずばり言い当てられて、リリベットは涙目でうなずく。侯爵もようやく得心したようだった。

 処女検査。
 それはこの国の王族へ嫁ぐ者の義務であり、婚前のお妃教育の一環だ。
 複数人の監視の中、医官に指を突っ込まれて処女膜を確認されるという前時代的な検査である。

 あくまで形式的なものではあるが、正真正銘の無垢な乙女であるリリベットは大変なショックを受けた。
 さらにはその後、夜伽よとぎ――つまりは世継ぎを設けるために必要な行為――について懇切丁寧に説明する座学まであったものだから、思考がパンクして引きこもってしまったのだ。

「医官に指を突っ込まれたぐらいでくじけてどうするのですか。張型を使った実技指導もありますよ?」
「エリオス!」

 しれっと言い放ったエリオスを、侯爵が制する。

 そう。
 リリベットには超えなければならない試練がもうひとつあった。

 それは“夜伽指導”と呼ばれる実技訓練。
 男性器を模した張型を使って実際に夜伽の予行練習を行うという、箱入りの令嬢にはやや荷が重いものだった。

「あ、あんな行為を……しかも結婚後は旦那様と毎晩しなければならないのなら、わたし……。お嫁になんて、行きたくない」

 目に涙を溜めて懇願する愛娘を前に、侯爵は困ってしまった。

 彼の妻であるスローン侯爵夫人は、リリベットがわずか三つの頃に病で亡くなった。
 片親でも何不自由なく育て上げたという自負はあるが、性に関することは女親でなくては務まらない役目もあったろう。
 満足な性教育が行き届かないまま、リリベットは王太子妃の座という望外の栄誉を手に入れることになってしまった。

 男除けのために常にエリオスを側に置いていたのも災いした。
 あれだけ美しい存在が常に隣にいて、そこらの男に心動くはずもない。

 結果、リリベットは大変ピュアな――男女の情や性に疎い娘に育ってしまったのだ。

 このままでは王家に嫁げないばかりか、性行為に嫌悪感を抱いたままになってしまう。
 なんとかなだめようと、スローン侯爵は腹をくくって咳払いをした。

「リリ。愛する人とひとつになる行為は素晴らしいものだよ。私とカトリーネが愛し合い――その、うん。セックスをしたから、君が生まれたんだ」
「わたし、王太子さまを愛していないわ」

 リリベットが王太子と顔を合わせたのは、これまでわずか三度のみ。
 不敬な台詞が飛び出たので侯爵はあわてた。

「それはまだ、殿下のことをよく存じ上げていないからだよ。かの方の素晴らしい御人柄を知れば、必ずリリも殿下を愛するさ」

 王太子は品行方正、国民の誰からも慕われる人格者だということはリリベットも知っている。

「でも……夜伽指導はいや。わたしの“はじめて”が知らない人に道具を使ってだなんて、絶対いやよ」
「ああ、リリ。君の願いはどんなことだって叶えよう。叶えるから、どうすれば納得するのかを教えてほしい。夜伽指導はこの国の王家の伝統儀式なんだ。処女膜を貫いた張型を殿下に献上し、検分しなければならないという古くからの決まりなのだよ」

 これまで慣習になんの疑問も持たずにいた侯爵だが、いざ自分の娘がその立場に立たされてみてはじめて、夜伽指導の儀式がいかに女性の心身に負担を強いる旧態依然のものかを実感しつつあった。
 侯爵はベッドの前にひざまずき、娘の手を握ってゆるしを乞うた。

「リリ、すまない。だがこれは君の幸せのために必要なことなんだ」
「わたしのお願い、なんでも叶えてくれるの……?」
「ああもちろん。私にできることならなんだって」
「夜伽指導そのものを、無くすことはできないのよね……?」
「それは、できない……」
「――なら……」

 リリベットは侯爵に握られた拳をぎゅっと固くする。そして消えそうなくらい弱々しい声で、小さく小さく“お願い”を口にした。

「はじめては、エリオスがいい。エリオスじゃないと……いやなの」
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