上 下
4 / 79

3話

しおりを挟む
 伊吹に残る春岳の記憶は少ないものだった。
 乳兄弟として育ったと言え、幼少の頃は家事のお手伝いやお稽古等していてそうそう会えるような関係では無かった。
 たまに見かける春岳は若様と言うよりは姫様と言う感じに見えた。
 将来、彼を支える事が自分の仕事だと母から言われ、その為に勉強や稽古事もした。
 だが、伊吹にとっては春岳はまるで遠くの世界の人であった。
 

 春岳が寺に預けられたのは七歳の頃だ。
 春岳は次男であり、本妻ではなく側室の息子であった。
 その為、城ではなく、離で暮らしていた。
 だが、春岳は幼くして聡明であった為に本妻に妬まれ、危惧されてしまった。
 目を付けられたのだ。
 本妻の息子である長男は少し体の弱い所が有ったから尚更だろう。

 本来ならば伊吹も春岳に着いて寺に行かなければならなかったのだろうが、春岳は密かに連れて行かれ、どこの寺に預けられたかも内密のものとされてしまった。
 伊吹には知る手立ても無く、次第に春岳の事は記憶から薄れてしまっていった。



 伊吹が十三歳で元服し、その後、城に仕える様になった。
 そして、その二年後には城主が亡くなり、春岳の兄が新しく城主になった。
 既に本妻も隠居の身となり別邸に身を置いていた。
 春岳の兄は病弱では有ったが心優しい人であった。

「伊吹、春はどうしているだろうね。元気にしているなら良いのだけど……」

 そう、いつも春岳を気にしていた。
 伊吹も気になり調べたが、既に彼が預けられたと思われる寺は廃屋となっており、行方もようとして知れなかった。
 春岳の兄は結局子供を成すことも無く、城主となって三年後には流行病で亡くなる事となった。

 伊吹は直ぐに家臣達を集めて春岳を探させた。
 近隣に寺の事を聞いて周り、近くの城にも手紙を書いて情報を集めた。
 そうして、やっと見つけた。
『春岳様は、どうやら忍びの里で保護されている様です』
 そう報告を受けたのは城主が亡くなってから一年も経っていた。
 もう既に亡くなって居られるかも知れないと半ば諦めかけていた所で見つかった春岳に、伊吹は本当に喜んだ。


 そして帰ってきた春岳に伊吹は膝をついて深々と頭を下げ、挨拶した。

「お帰りなさいませ殿。私は伊吹と申します。殿の乳兄弟に当たります。今日から私が殿のお世話をさせて頂きますゆえ」

 きっと覚えておいででは無いだろう。

「伊吹さん、顔を上げてください。私、堅苦しいのは好みません」

 春岳は伊吹の肩を優しく掴む。
 随分、男らしい低くて艶やかな声だと思った。
 聞き惚れるいい声だ。

「私の様な者に敬称などおやめ下さい。恐れ多い事ですよ」

 殿はまだ殿としての立場に慣れておいででは無さそうである。

「ならば伊吹も私を呼び捨ててください」
「殿、お戯れを……」

 伊吹は春岳の言葉に困ってしまう。

「とにかく挨拶はもう良いですから顔を上げなさい」

 春岳に命じられ、顔を上げる伊吹。
 久しぶりに見た春岳の顔は相変わらず綺麗であった。
 声は男らしいが、やっぱり殿と言うよりは姫様だと思う伊吹である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

彼の理想に

いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。 人は違ってもそれだけは変わらなかった。 だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。 優しくする努力をした。 本当はそんな人間なんかじゃないのに。 俺はあの人の恋人になりたい。 だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。 心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。

淫愛家族

箕田 はる
BL
婿養子として篠山家で生活している睦紀は、結婚一年目にして妻との不仲を悩んでいた。 事あるごとに身の丈に合わない結婚かもしれないと考える睦紀だったが、以前から親交があった義父の俊政と義兄の春馬とは良好な関係を築いていた。 二人から向けられる優しさは心地よく、迷惑をかけたくないという思いから、睦紀は妻と向き合うことを決意する。 だが、同僚から渡された風俗店のカードを返し忘れてしまったことで、正しい三人の関係性が次第に壊れていく――

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

「イケメン滅びろ」って呪ったら

竜也りく
BL
うわー……。 廊下の向こうから我が校きってのイケメン佐々木が、女どもを引き連れてこっちに向かって歩いてくるのを発見し、オレは心の中で盛大にため息をついた。大名行列かよ。 「チッ、イケメン滅びろ」 つい口からそんな言葉が転がり出た瞬間。 「うわっ!?」 腕をグイッと後ろに引っ張られたかと思ったら、暗がりに引きずり込まれ、目の前で扉が閉まった。 -------- 腹黒系イケメン攻×ちょっとだけお人好しなフツメン受 ※毎回2000文字程度 ※『小説家になろう』でも掲載しています

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

処理中です...