警視庁生活安全部ゲーターズ安全対策課

帽子屋

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 有栖川宮記念公園から、旧白金御料地遺跡までを結ぶ緑の丘、小高い山々は高級マンションが立ち並び造りだす風景であった。緑に覆われたマンションに跳ね返った朝日は新緑の葉にはじけ、低層ではフィトンチッドが空気中のわずかな粒状物質をもとらえて包み込み、その光の微粒子は、土壌へと静かに落下していく。
大災害前の東京からは想像も出来ない自然の恩恵、小鳥のさえずりが響く朝、平和な一日の始まり。
 
 それを悲壮な叫び声がつんざいた。
 
 叫び声を上げた男は、それこそ叫びを具現化した代名詞、オスロ国立美術館が誇る “叫び” ムンクさながらの表情で耳を塞いだまま自宅の窓から飛び降りた。
 ムンクは自然を貫く果てしない叫びに恐れ慄き耳を塞いだが、たった今、飛び降りた男は人外からのメッセージ、宇宙人の欠伸も反論も差し入れる暇もない早口長口上、要約すれば「あんたの遺伝情報を持ってるんだ。絵に才能がなくても当然、子供にはなんの罪もない。あんたの絵を、退屈で周囲に負担をかけると言ったあの子は、あんたに似ず賢い。パートナーに感謝するんだな。あんたのツマラン絵をせっせと購入しているのは、パートナーとその親で、そんなことにも気付かず、自分の才能だと酔っているあんたは度し難い愚かな大人だ」
 要約にしても長いこの台詞を、飛び降りた男がどこまで聞いていたかは不明だが、ただ一点「己の遺伝情報は天才の情報ではない。よってその情報を持つ子供が絵描きの天才になるわけがない」と言う自然を貫く原理に嘘だ嘘だと繰り返し、己の叫びに耳を塞ぎながら最終的には「私は天才だ!天才の私は天才の親になるんだ!」と大声で叫び男はルーフバルコニーの柵めがけて一目散に走ってそのまま落下した。
「なにやってんですか!ロクさん!!」
 叫び声を聞きつけた野生司が部屋へと走りこんできたが、ロクは肩をすくめるだけだった。
「なにもしてない」
「なにもしてないわけないでしょう?! どこにいるんですか、来田らいださんは?」
「そこだ」
「そこって……」
 ロクが腕組みをしていた左手をほどき、窓の外、空っぽのルーフバルコニーを指差すのを視線で追っていた野生司は全身から冷や汗が吹き出る感覚に襲われた。
「そんな」
 慌てて柵にかけより身を乗り出すと、木々の緑が眩しい光景の中に暴れる緑の繭を見た。
「この手のマンションにはツタを利用したセーフティネットが必ず装備されている。このマンションは管理も行き届いているからな。投身自殺など、夢のまた夢だ」
「セーフティネット」
「そうだ」
「そうだじゃないでしょう! 来田さんが落ちるのを見てたんですか?!」
「話をしていたら急に走り出した。止める暇はなかった。罪の意識によって自らを罰しようとしたのかも、愚かな方法だが」
「なにをいってるんですか、一歩間違えば大事故になってたんですよ」
「僕は間違わない。それより養育法違反で逮捕が先だな、引き上げるぞ」
「引き上げるってどうやって……」
 困惑と怒りのごった煮となった野生司を無視して、ロクは職務用のモバイルを取り出し「あげてくれ」と一言告げ通話を切ると、葉のこすれる音がバルコニーの下から響き、来田が丁寧にくるまれた緑の大きな繭がゆっくりとバルコニーの上に現れた。
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