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Ch.1
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病院内の誰もいないミーティングルームに案内された野生司は、ドアのスライドする音に立ち上がった。若い医師が片手にタブレットを持ち軽く会釈して部屋へと入ってきた。
「お忙しいところ、ありがとうございます。向島警察署生活安全課、野生司巡査です」
野生司は、ポケットから警察用モバイルを取り出し警察官身分証を宙に表示させて挨拶をした。この若い医者には、前にも会った気がするが思い出せない。
「お疲れ様です。飯野です」
宙空ディスプレイの向こうに見える野生司のリアルの顔と、宙に映し出された映像を見比べて飯野は挨拶した。
「あ、僕のIDも必要でしたよね?」
「え?ええ、はいっ お手数ですがお願い出来ますでしょうか」
「もちろん」
飯野は手にしていたタブレットの画面に医師身分証を表示して野生司に提示した。野生司のような警察官は宙に自分の顔を浮かべることに慣れているが、一般人はそうはいかない。IDの提示を求められても特別に指示がなければ宙に自身の顔を投影することは気が引ける。野生司は気にすることなく「ありがとうございます。失礼します」と言って、警察用モバイルを相手の身分証の上にかざして飯野のIDを読み取った。飯野が持つタブレットも仕事用のもので、医療用に特化し、かつこの病院用にカスタマイズされたAIが機能している。
今の時代、AIは生活から、人生からもはや切り離すことのできない存在となっている。どんな仕事にもサポートAIの存在は欠かせないし、プライベートであっても、ほとんどの人間が持つ “モバイル” の中には個人に特化したAIが住んでいる。
野生司が手にした警察官サポートAIから過去にも、飯野の登録履歴があるとポップアップが表示された。野生司はポップアップを指でタップし表示された内容に「あ」と小さく声を上げた。そう言えば、向島署生活安全課に配属されて間も無く、自転車で怪我した少年をここまで連れてきたことがあった。少年は鶯太、その時担当した医師が目の前の彼だった。
「あの、その節はお世話になりました」
「はい?」
「以前にもお世話になってました」
「ああ、やっぱり。僕が初めて警察の方にID見せたの、あなただったかなと思っていたんです。すっきりしました」
もやもやがすっきりしたのか、リラックスした飯野は、どうぞ、と野生司に席を勧めた。
「運ばれた方はIDを持っていらっしゃらなかったので、仮にAさんとお呼びしますね」
「やはりなかったですか?」
「はい。体内埋め込み型もありませんでした」
「そう、ですか。では、Aさんでお願いします」
「Aさんは外傷はありませんでしたが、衰弱と認知症の症状が見られます。IDを持っていないので、医療機関受診記録は検索出来ませんでした。あと、ついでと言ってはなんですが、認知症における徘徊も医療機関のネットワークで全国網羅できるのですが、こちらにもAさんに該当するようなデータはありませんでした。この検索履歴と結果、持ち帰られます?」
「ありがとうございます!」
「いえいえ」
飯野は手にしていたタブレットを机の上に置くと、画面の上で指をつまみあげるように持ち上げ “Aさん(仮名)” と書かれたフォルダを宙に出現させる。その中へ、指を素早く左右に動かし、患者Aに紐づく情報を放り込むと、どうぞ、と野生司に手を差し出した。野生司
「何から何まで本当にありがとうございます。Aさんをどうぞお願い致します」とデータを受け取りふかぶかと頭を下げた。
病院のエントランスを出ると、手にしていたモバイルが、羽田がすぐ近くまで迎えに来ていることを伝えてきた。
「有難うございます。迎えに来ていただいて」
「どういたしまして。で、どうだった」
「衰弱はしているようですが、命に別状はないそうです。ただ、やはり持ち物が一切なくて身元を割り出すには時間が掛かりそうです」
「モバイルやウェアラブル型IDは病院への搬送中に探したけど持ってなかったし、埋め込みIDもなしかー」
「はい」
「取られちゃったか、捨てちゃったか? 盗難だったらすぐにアシがつくけど」
「捨てちゃったとしたら、家出、ですかね。捜索願いも出てないなら、単身者って可能性もありますよね。国のライフコミュニティ、生活仕事支援機構にも問合せします。どうしてもそこが水に合わなくてIDを捨てて、路上生活に出ちゃう人もいらっしゃいます」
「にしてもさ、どこからどうやってあそこまでやってきたんだろう? 少なくとも少年の話では昨日から居たわけで」
「そうですよね。交通局のAIに公共機関の利用がないか確認してもらいます。IDもモバイルもないってことは、現金で利用した可能性があります。現金利用者であれば、すぐに見つかるかもしれません」
「いまどき現金で電車やバスに乗る人いないもんなー」
「隅田川のあの場所に来る途中で、落としたり、盗難にあっていたら別ですけどね」
「あとは地道に私が、あのおばあさんの特徴をデータ化してAIとともに全国のカメラどもが視ている情報から探すかー」
「先輩が引き継いで下さるんですか」
地道な作業嫌いなのに。野生司は知らなかった。羽田が、野生司からの引継ぎがあれば、仕事と称して密な連絡が今後も取れると画策していることを。
「まーねー」
「珍しい……明日はぶたさんが降るかもしれませんねー」
「なんだそれは」
「昔、大好きだった本で。教育実習しに行った幼保園にもありました」
くすくすと笑う野生司に思わず羽田もにやりとする。
「野生司の本庁初登庁は、周りがぶたさんだらけってことか。ぷぎぷぎの合唱の中、クローゼットから引っ張り出した着慣れないスーツ着て、転びそうなヒール履いて行くんだな。それはそれで面白い」
「……前言撤回致します。明日は晴天でありますように」
「いやいや、ぶたさんだ。うしさんでもいいぞー」
「底抜けの晴天でありますように!」
開けた窓から風に乗せて「ぶたぶた うしうし」と唱える羽田を遮るように、春の空に向けて野生司は祈りの声を上げた。
「お忙しいところ、ありがとうございます。向島警察署生活安全課、野生司巡査です」
野生司は、ポケットから警察用モバイルを取り出し警察官身分証を宙に表示させて挨拶をした。この若い医者には、前にも会った気がするが思い出せない。
「お疲れ様です。飯野です」
宙空ディスプレイの向こうに見える野生司のリアルの顔と、宙に映し出された映像を見比べて飯野は挨拶した。
「あ、僕のIDも必要でしたよね?」
「え?ええ、はいっ お手数ですがお願い出来ますでしょうか」
「もちろん」
飯野は手にしていたタブレットの画面に医師身分証を表示して野生司に提示した。野生司のような警察官は宙に自分の顔を浮かべることに慣れているが、一般人はそうはいかない。IDの提示を求められても特別に指示がなければ宙に自身の顔を投影することは気が引ける。野生司は気にすることなく「ありがとうございます。失礼します」と言って、警察用モバイルを相手の身分証の上にかざして飯野のIDを読み取った。飯野が持つタブレットも仕事用のもので、医療用に特化し、かつこの病院用にカスタマイズされたAIが機能している。
今の時代、AIは生活から、人生からもはや切り離すことのできない存在となっている。どんな仕事にもサポートAIの存在は欠かせないし、プライベートであっても、ほとんどの人間が持つ “モバイル” の中には個人に特化したAIが住んでいる。
野生司が手にした警察官サポートAIから過去にも、飯野の登録履歴があるとポップアップが表示された。野生司はポップアップを指でタップし表示された内容に「あ」と小さく声を上げた。そう言えば、向島署生活安全課に配属されて間も無く、自転車で怪我した少年をここまで連れてきたことがあった。少年は鶯太、その時担当した医師が目の前の彼だった。
「あの、その節はお世話になりました」
「はい?」
「以前にもお世話になってました」
「ああ、やっぱり。僕が初めて警察の方にID見せたの、あなただったかなと思っていたんです。すっきりしました」
もやもやがすっきりしたのか、リラックスした飯野は、どうぞ、と野生司に席を勧めた。
「運ばれた方はIDを持っていらっしゃらなかったので、仮にAさんとお呼びしますね」
「やはりなかったですか?」
「はい。体内埋め込み型もありませんでした」
「そう、ですか。では、Aさんでお願いします」
「Aさんは外傷はありませんでしたが、衰弱と認知症の症状が見られます。IDを持っていないので、医療機関受診記録は検索出来ませんでした。あと、ついでと言ってはなんですが、認知症における徘徊も医療機関のネットワークで全国網羅できるのですが、こちらにもAさんに該当するようなデータはありませんでした。この検索履歴と結果、持ち帰られます?」
「ありがとうございます!」
「いえいえ」
飯野は手にしていたタブレットを机の上に置くと、画面の上で指をつまみあげるように持ち上げ “Aさん(仮名)” と書かれたフォルダを宙に出現させる。その中へ、指を素早く左右に動かし、患者Aに紐づく情報を放り込むと、どうぞ、と野生司に手を差し出した。野生司
「何から何まで本当にありがとうございます。Aさんをどうぞお願い致します」とデータを受け取りふかぶかと頭を下げた。
病院のエントランスを出ると、手にしていたモバイルが、羽田がすぐ近くまで迎えに来ていることを伝えてきた。
「有難うございます。迎えに来ていただいて」
「どういたしまして。で、どうだった」
「衰弱はしているようですが、命に別状はないそうです。ただ、やはり持ち物が一切なくて身元を割り出すには時間が掛かりそうです」
「モバイルやウェアラブル型IDは病院への搬送中に探したけど持ってなかったし、埋め込みIDもなしかー」
「はい」
「取られちゃったか、捨てちゃったか? 盗難だったらすぐにアシがつくけど」
「捨てちゃったとしたら、家出、ですかね。捜索願いも出てないなら、単身者って可能性もありますよね。国のライフコミュニティ、生活仕事支援機構にも問合せします。どうしてもそこが水に合わなくてIDを捨てて、路上生活に出ちゃう人もいらっしゃいます」
「にしてもさ、どこからどうやってあそこまでやってきたんだろう? 少なくとも少年の話では昨日から居たわけで」
「そうですよね。交通局のAIに公共機関の利用がないか確認してもらいます。IDもモバイルもないってことは、現金で利用した可能性があります。現金利用者であれば、すぐに見つかるかもしれません」
「いまどき現金で電車やバスに乗る人いないもんなー」
「隅田川のあの場所に来る途中で、落としたり、盗難にあっていたら別ですけどね」
「あとは地道に私が、あのおばあさんの特徴をデータ化してAIとともに全国のカメラどもが視ている情報から探すかー」
「先輩が引き継いで下さるんですか」
地道な作業嫌いなのに。野生司は知らなかった。羽田が、野生司からの引継ぎがあれば、仕事と称して密な連絡が今後も取れると画策していることを。
「まーねー」
「珍しい……明日はぶたさんが降るかもしれませんねー」
「なんだそれは」
「昔、大好きだった本で。教育実習しに行った幼保園にもありました」
くすくすと笑う野生司に思わず羽田もにやりとする。
「野生司の本庁初登庁は、周りがぶたさんだらけってことか。ぷぎぷぎの合唱の中、クローゼットから引っ張り出した着慣れないスーツ着て、転びそうなヒール履いて行くんだな。それはそれで面白い」
「……前言撤回致します。明日は晴天でありますように」
「いやいや、ぶたさんだ。うしさんでもいいぞー」
「底抜けの晴天でありますように!」
開けた窓から風に乗せて「ぶたぶた うしうし」と唱える羽田を遮るように、春の空に向けて野生司は祈りの声を上げた。
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