雪原脳花

帽子屋

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間奏曲

lamentazione(23)

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 薄暗い部屋の中で、兄が持って帰ってきたこの家には不釣合いな新しいモデルの宙空投影機能付きのディスプレイ。「いちばんいいやつを盗んでやったんだぜ」と鼻をふくらませて兄は言っていたが、こんなたいそうな物を盗むような器量は兄は持ち合わせていない。自分はグループのリーダーで手下もいると口を開けばそんなことばかり言っているが、それはきっと嘘で。悪いグループの仲間に入れてもらっているかもしれないけれど、盗みの時だって見張りぐらいしかさせてもらえないんじゃないかなと、キャロルは思う。
 アニタの家に一度だけ誘われて遊びに行ったときに同じようなディスプレイを見たことがあった。もっともアニタがお気に入りのバンドのライブだと宙に映し出してくれた映像はその部屋の大きさに比例して、登場したミュージシャンたちは等身大の大きさで、おとぎ話に出てくる王子様のようなきらびやかな衣装に楽器を携え、まるでXRシネマの中に入り込んだように楽しかった。
 だが今、キャロルは沈痛な面持ちで、壊れかけの少し傾いた椅子の上にひとり足を抱えて座り、目の前に小さく浮かぶ動画を食い入るように眺めていた。   
 壁にはヒビが幾筋も入り、かび臭く今にも崩れそうなこの家にひとりでいるのは心細いが、寂しさよりもずっと暗く重い気持ちが余計に募るのは、兄がいないことよりも母親が今日何人目かの男を数時間前に部屋に連れ込んでいることを、揺れる床とともに音が嫌になるほど伝えてきていたからだった。
 キャロルはあの奥の部屋から響いてくる音が言いようもなく不気味で気持ち悪く大嫌いだった。いつか自分もあの気味の悪い音の中に引きずり込まれてしまうのではと恐怖を背筋に感じながら日々過ごす。明るい昼間ならまだしも、夜が足音を忍ばせるこの時間となっては逃げる場所がない。この地区で太陽が落ちかけ光を失い始めた時間から再びその光を取り戻す間、非力な人間が独りで外に出るのは自殺行為だった。人が消えても騒がれることもない。すぐに周囲は忘れてしまう。殺されて翌朝凍死体で転がっていたとしても、嬲られた痕もなくきれいな姿で凍っているだけならマシだと大人たちは口にする。
 外に逃げ出すことも出来ず、耳を塞いで耐えるしかない自分の為に、兄はどうにかしてこのディスプレイをもらってきたに違いない。グレンは、母親からも近所の住人からも、以前は一緒に通っていた学校の教師でさえも、バカで役立たずな人間だと言われていたが、キャロルにはグレンこそが人間らしい優しさを自分に向けてくれる唯一の存在だった。
 その兄が持ち帰ったディスプレイがもうもうと粉塵をあげながら崩れる教会の立体映像を淡々と、そして新しいモデルらしく緻密な像を宙に投影する。同じ映像を繰り返し流しているのか、キャロルの目の前で、兄が最近で入りしているはずの、時にはスープやパンを持ち帰ってくる小さな教会は何度も崩れ落ちては巻き戻されまた崩れていった。
<ある筋によれば、ここにはカルト集団の一派が潜んでいたとも言われています。彼らは、GATERSゲーターズや代理母を神への冒涜と敵対視する集団、“神の手”の一派かもしれません。彼らの主張は言論に留まらず最近は暴力的訴え、テロ行為へと発展しつつあります。こういった集団は今回の事件現場のような、人が関心を寄せず、行政の目も行き届かなくなった場所を温床に成長し地元のストリートチルドレンやホームレスを仲間へと抱き入れることも多く、GATERSの人口割合が少ない地域への進出が昨今懸念されています。また、新たな集団の出現は地元ギャングとトラブルを起こすケースも多く、今回もこういった問題を起因とした爆破事件なのかもしれません!>
 キャロルからすれば “おねえさん” と呼ぶような若い女性リポーターは頬を紅潮させ興奮気味に捲くし立て、矢継ぎ早に口を動かしていたがその音声は途中からボリュームを落とされ最終的にミュートされた。  
 どこかで、この“おねえさん”の顔をみたことがあるような気がしたが、思い出す前にリポーターの映像は小さくなって消え、あとは倒潰した教会の映像だけが大きく映し出された。代わりに画面にはニュース番組でよくみるオジサンの顔が大きく映し出された。
 キャロルはグレンと一緒に番組を観ていて、この男の顔が映るたびに“オジサン”と“オッサン”としか呼んでいなかったので名前を知らない。グレンはいつも「このオッサン何言ってんだかよくわかんねーし、なんか顔が嘘くせぇ。こういうオッサンは裏で汚ぇことしてたりするんだぜ。オショクとかワイセツなんとかかな」と言ってすぐにチャンネルを変えてしまう。学校で1日1回はニュースを見るように言われているキャロルは、兄がいないときにこのオジサンの番組を見ることにしていた。そして今日もお気に入りのアニメチャンネルを見終わったあと、この番組にチャンネルを変え、見覚えのある一角と教会の映像に息を呑んだのだった。
「ありがとう、アン。まだその場は騒然としているようだから十分に気を付けて。それから、君が言うような爆破事件ではなく事故だと情報がこちらには入っているから安心してくれ!ただ君のお得意の最近話題のゾンビやアンデッドがもしもそこにいたら、真っ先に僕に教えてくれよ」
 真面目な顔と冗談でスタジオのアンカー、リン・フィドラーはオンライン出演するコメンテーターたちに話しを繋いだ。
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