雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

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 階段を下り続け目的の階へたどり着くと今度はジムだけではなく、三人にもそれぞれ生体認証が要求され、一通りの認証を済ますとようやく扉は開かれた。開かれた白い空間に待機していた白衣のスタッフは、ジムの後ろに続いていたブライアンが持っていたタブレットを渡すと「こちらです」と事務的に案内を始めた。

 AZに対して定期的に行われるクリーンアップは俺たちが繰り返す時間、時間が内包する記憶や経験をいとも容易くなかったことにする。上にとって必要と判断した記憶データだけを残し不要と判断された記憶を消去する。俺たちとの関係性が残っているなら、まだいい。AZである双子にとって忘れた方がいいことだってある。ただ今回、双子への命令は、初期化イニシャライズだった。
 それは、俺たちの時間を、全てなかったことにする。
 スタッフが案内する部屋はいつだって床も壁も天井も一面が白く、以前食べた菓子職人が趣向を凝らしたと言うアートなケーキが入っていた箱そっくりで、箱の中身を知っているからもう衝撃と言う程のダメージを受けることもない。蓋を開ければ相変わらずの恐ろしく綺麗な瓜二つのの顔が笑顔で俺にこう言う。何度見てもこの二人以外では見たこともないような笑顔で。

『初めまして、ジム。僕はエリック。こっちは弟のフレッド』
 そして、俺はこう返す。いつでも。
『俺はジムだ。こいつは副官のブライアン。それから、ロンとホリーだ』
 俺たちは何度だって初対面から始めるんだ。

 今もスタッフに案内された部屋はいつもと何一つ変わることなく真っ白な箱だった。ジムが蓋を開ければ双子が同時に振り返った。どこかはにかんだような顔の双子が、そろって中にいることにジムはまず安堵した。
 双子の側にいたスタッフはジムを認めると二人に何か囁きジムの方へと歩み寄ってきた。
 見たことのある顔だ。
 この前エリックを運び込んだ時にバレットに一人反対していた女性医師だとジムは気が付いた。
「初めまして。ウィリアムズです」
 ウィリアムズと名乗った医師は迷わずジムに手を差し出した。
「……ジムだ」
 任務中でなければ握手を求められることなど決してないジムだったが、差し出された手を握り返した。自分のすぐ後ろではやはり任務中でもなければ見ることのない光景にわかりやすく衝撃を受けている三人がいた。
「あなたが、Unwavering Jim(揺るがないジム)ね」
 そう言ってウィリアムズは優しく笑うと「それから……」とブライアンを見た。ジムがその視線に気付いて部下を紹介しようとしたとき、兄と遊んでいたフレッドが走ってウィリアムズに飛びついて来た。
「ブライアンだよ! そっちがロンでこっちはホリー! ジム! 迎えに来るの遅いよ! 待ちくたびれちゃった! ね! エリック!! 仕方ないからDarkダークSideサイドのライブ映像、全部見ちゃったもんね!!」
「全部見たいって騒いでジョアンナに全部持って来てもらったのフレッドだよ。僕とジョアンナも一緒に観ないと嫌だって騒いだのもフレッドでしょ」
 弟に呼びかけられたエリックは落ち着いた様子でこちらへ歩いてきた。
「エリックこまかい! いいじゃん! ジョアンナも楽しかったでしょ? すっごくカッコいいよね、ダークサイド!」
「そうね。カッコよかった。ヴァーチャルでも久し振りにコンサートに出掛けられて本当に楽しかった」
 腰に抱きつくフレッドの、彼らの瞳によく似合った金とも銀とも取れるような色合いの柔らかい髪を撫でながら「誘ってくれてありがとう、フレッド」そう言ってウィリアムズは微笑んだ。くすぐったそうなフレッドだったがジムの後ろで立ちすくんでいるホリーが片手に握り締めているフィギュアを目ざとく見つけたらしい
「あ! ホリー! それ! ライアン!! しかもDig(♪)のときのオニヴァージョンだ!! エリックみてみて!! すごいよ!! 超レアアイテム!!」
 弟の大騒ぎを、やれやれと言った笑顔で見つめるとエリックはジムを正面から見た。
「ジム。何だか久し振りな気がするけどそんなに経ってもいないのかな」
「そうだな」
「? もしかしてジム、疲れてる?」
「いや。そんなことはない」
「相変わらず表情からは全くわからないからなんとなくだけど。大丈夫?」
「ああ」
「良かった。いつものジムに会えて嬉しい。ジムのその不動が僕たちを安心させるんだ。曖昧な僕らのUnwavering Jim(揺るがないジム)」
  そう言って本当に綺麗にエリックはにっこりと笑った。
「エリックぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
 感極まったのか耐え切れずロンが飛び付こうとしたが子犬のようにじゃれ付くフレッドを抱えたホリーの足技を食らって墜落した。床に這い蹲りながら「何すんだ、このやろう!」とロンは声を上げ、ブライアンが「おいおいお前ら」とやんわりと嗜める日常いつもが場所もわきまえずに始まった。
 ウィリアムズはやや呆気に取られながらも興味深そうに三人と双子のやり取りをみていたが、一人納得したように頷くとジムへ向き直った。
「とてもよくチームとして機能しているんですね。今回の件ウィステリア博士が処置をなさいました。前回任務の記憶は検索キーも含め消去しましたが、その前後のデータ及びその連結は可能な限り残してあるようです。私が処置後を担当しましたが、データ消失によるリンク切れや、残留データによる記憶障害、データ不整合はほとんど発生していません。素晴らしい腕ですよ、博士は」
「命令では、初期化と」
「確かにそのオーダーが出ていましたが、ウィステリア博士曰く『僕が勝った。貸しはまだいくらでもある』と仰られ一部データ消去にオーダー変更となったようです」
「……」
 ジムは、この真っ白な箱の四方八方に、これでもかというほどニヤけた顔の化け猫が出現したように思えた。
 ジムが脳内の化け猫を追い払う作業に没頭していると、頬を紅潮させたフレッドが歓喜の声を上げブライアンを指差す。
「ジム! 僕たち次は日本に行くの?! ブライアンが言ってること本当?!」
「俺が嘘つくわけないだろうが。見ろ。」
 ブライアンがタブレットから作戦資料の一部、LIVE BAND AIDの映像を宙空に投影した。世界中から参加する超有名アーティストたちをフレッドが目を輝かせながら次から次へと展開させると、エリックもロンやホリーまでもがそこに引き込まれていった。
「次はコンサートのお仕事なの?」
 ジムが任務のことなど話すわけはないと分かってはいたが、双子と双子を囲む面々を見ていたウィリアムズは髪を解きながらつい尋ねてしまっていた。解かれた髪から柑橘系の匂いが微かに漂いジムは鼻でそれを音もなく吸い込んだ。
「そんなとこだ」
「そう」 
 目ざとくその動きを見ていたウィリアムズは『子犬パピーはきっと僕に感謝するね。間違いない。そう思うでしょ?』そうウィステリアに尋ねられたとき、てっきり双子のことかと思って『? そうですね』と半分濁して応えたことを思い出していた。
 まさかね……。ウルフハイブリッドだったとしても、とても子犬には見えない。
 真っ直ぐに宙空投影を見つめる目の前の男を眺め、ウィリアムズはやはり一人納得していた。
 ウィリアムズの視線をよそに、ジムは双子たちが騒ぐ一人のミュージシャンにある面影を見つけ釘付けになっていた。

 あの地獄からただ一人生還したと聞いた少年に。
 
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