碧恋の詠―貴方さえ護れるのなら、許されなくても浅はかに。【現在他サイトにて連載中です(詳細は近況ボードまたは最新話部分をご確認ください)】

宵月葵

文字の大きさ
上 下
168 / 472
禁忌への覚悟

75.

しおりを挟む
 
 
 駕籠で乗り付けた上七軒の、とある料亭は、
 豪奢な出で立ちの二人を慇懃に出迎えた。
 
 格子窓からの静風に、置行灯の幽かな火がそよぐ個室をあてがわれ、
 運ばれてくる京料理と酒肴はどれもが逸品で。
 
 そんな時間を、
 沖田と過ごせることで冬乃が、先程の落ち込んだ心から快復しつつあることは。
 
 いわずもがな、で。
 
 (だって、こんなにも)
 
 幸せなのだ。
 断らないでよかった、に決まってる。
 誤解は、どうすればいいかは分からないが追々、なんとか解かなくてはいけないにせよ。
 
 
 ただ不思議なのは、先程から沖田が、あれこれ冬乃のことを聞いてくることだった。
 
 
 (私のことなんか聞いたってつまんないと思うのに)
 
 好きな食べ物や、好きな季節にはじまり、何に興味があったり、どんなことをしている時が楽しくて、どんな子供時代を過ごして、そして未来での冬乃がどんなふうに生きているのかを。
 
 
 なのに何度も答えに困っては、一問一答ですらなく一問零答になって途切れてしまい、全く話が続かない苦しい事態になっている冬乃に、
 
 そして沖田が段々と呆れたのか、いや諦めたのか、ついには笑い出した。
 
 「尋問でもしてる気分になってきた」

 「ご・・ごめんなさい」
 もはや謝るしかない冬乃に、
 
 「いや、いいけど」
 沖田が笑ったまま、仕方なさげに首を振る。
 
 「逆にどんな話なら、進んでしてくれるのかな」
 
 
 (どんな話と言われても・・)
 
 冬乃にとっての関心事なんて、すべて、沖田に関わることに集約されてしまうというのに。
 
 そこを避けてあれこれ話そうとしても、土台むりがあるのだ。
 
 (でも)
 そんなことを説明するわけにはいかない。
 
 
 「・・・・」
 
 結局黙ってしまった冬乃に、沖田がますます苦笑し。
 
 (つまんない女だと思われてそう・・)
 
 冬乃はせっかく一時は快復したのに、またしても落ち込む次第で。
 
 
 「私は・・」
 そして、もう。最後の最後に。
 冬乃は勇気を出してみた。
 
 「沖田様のお話がもっと聞きたいです」
 
 
 「・・・俺の話、ねぇ・・」
 
 苦笑したままの沖田が、冬乃のその投げかけに、
 ふっと冬乃の目を見つめてきた。
 
 その眼は、
 あいかわらず掴み所なく。
 
 それでいて、冬乃の事はまるで丸裸にして、見透かしているかのようで。
 
 
 (・・・っ)
 
 いつかのような、蛇に睨まれた蛙のごとき気分になってしまった冬乃が、
 とうとう逸らす機会まで欠いて、結果、見つめ合う状態になってしまったことに。気づいたのは。
 
 「冬乃さん、て」
 
 沖田が再び笑い出した時だった。
 
 「見つめられると逸らさないね」
 前にもあったような。
 と、面白そうに沖田が呟き足す。
 
 冬乃は慌てて視線を外した。やっと。
 
 
 
 
 
 
 冬乃が今さら気がついたように、ついと目を逸らし、
 沖田は。息をついた。
 
 
 『私は沖田様のお話がもっと聞きたいです』
 
 それを冬乃が望む理由を、
 彼女の口から聞いてみたいものだ。
 
 
 要は、
 
 (この子は一体、何を考えているのか)
 
 
 その胸内に疼く疑問への、
 明確な解答が、欲しい。

 時代を超えて、沖田に想いを寄せる彼女の、
 真意がこうも掴めない以上、もはや直接聞いてしまいたいものだと。
 
 
 とはいえど江戸の“歯に衣着せぬ”が信条のこの身とて、
 (さすがに出来た芸当じゃないが)
 
 
 
 徳利を持つ手を前の冬乃へと伸ばした。
 促すと、冬乃はすぐに気づいて膳の上の猪口を、恐縮した様子でおずおずと差し出してくる。
 冬乃が続いて自分の徳利を持って沖田に注ごうと体を乗り出してくるのを制して、手酌し沖田は、そのまま杯を一度に呑み干した。
 
 どうも今日は一片も酔えない。沖田の側の膳にすでに大量に連なる空の徳利に、己で哂ってしまいながら、
 
 そろそろ冬乃のほうは止めておかないと、また島原の時のようになりかねないかと様子を見れば。
 
 目元に見事な紅を纏ってとろんとした瞳が、沖田を見返してきた。
 
 
 
 
 
 
 「おきたさま、」
 
 ちょっと重たくなった瞼を懸命に持ちあげて、沖田と目を合わせて。
 冬乃は酔いのまわりに勢いづいた勇気を、あともう一度だけ、奮ってみた。
 
 「お伝えしたくおもうことがあるるのです、」
 いま微妙にろれつが回らなかったのを自覚しつつも、
 頭の芯はしっかりしているから、冬乃は未だ酔い過ぎたつもりはない。島原の時で学んで、量にも気を付けている。
 
 それでも酒の力をちょっとだけ借りながら。
 伝えたいと、あれからずっと思っていた言葉は、
 「こんやのように、どなたかに誘っていただいても、わたしは」
 伝えられそうな今の機会に、早く言うべきだと。つまりは、
 
 「だれとも、お酒のみにきたりなんて絶対にしません、」
 
 だから軽い女だなんて、思わないで。
 
 そう、伝えようとして。
 
 
 「くるなら、おきたさまとだけですから」
 
 
 
 
 
 後から思えば。
 
 一体このとき冬乃の、どのへんの頭の芯が、
 まだしっかりしているつもりだったのだろうかと。
 
 
 後悔先に立たず。
 
 
 
 
 
 
 
 
 沖田はおもわず猪口を運ぶ手を止めていた。
 
 
 今の、冬乃の台詞は。暗に沖田へ告白してきている、としか受け取りようがあるまい。
 
 もう言われなくても貴女の気持ちなら分かっていると、返してやりたくなる。だが、
 すでに先刻結論づけたように、冬乃と安易に想いを通じ合わせていいはずも無い。
 
 
 大体、冬乃は今、酒に酔っているから口を滑らせただけに違いなく。
 
 (聞き流すしか・・ないよな)
 
 
 これからずっと、こうして冬乃の気持ちを知らないふりをしていくことになるのかと。沖田はげんなりしつつ、
 強く訴える様子で己を見つめてくる無邪気に残酷な冬乃から、目を逸らした。
 
 そう、
 己に芽生えているこの恋情もろとも、
 直視せぬようにしていく他無いのだと。
 
 
 本当に一体、彼女は何を考え、どこまで認識しているのか謎になる。

 
 ひとつ解るのは。
 
 好きになってはいけない相手に、
 
 互いに恋をしたと、いうことだ。
 
 
 
 
 沖田は膳に猪口を置いた。
 「冬乃さん、」
 
 いったん逸らしていた視線を冬乃へ据え直す。
 
 「だいぶ酒が回ってるようだし、そろそろ帰ろうか」
  
 
 
 
 
 
 
 沖田がそう言うなり冬乃の返答を待たず、あっという間に、帰り支度を始め、
 冬乃はぽかんとそんな彼を見つめた。
 
 
 何故また急に、沖田が話題を変えて帰ろうと言い出したのか、常以上に不思議な沖田の言動を冬乃が吟味する時間もなく、そのまま彼は立ち上がった。
 
 見上げた冬乃を「立てる?」と、その優しいままの眼で見下ろしてきて。
 只どこかその、優しいだけではない眼の奥の色に。冬乃は不安になって、
 
 また、何か言ってしまったのではないかと、思い巡らせ。
 そしてそれは、すぐに答えを出した。
 
 
 呑みに来るなら貴方とだけ
 
 そういう台詞を、冬乃が最後に口にしていた事で。
 
 (ばか、なんてせりふ言ったの・・!)
 
 沖田はどう受け取ったのだろう、彼のこの反応を見れば、良い結果ではなかったことは明らかで。
 
 
 冬乃はもう泣きたくなって、見下ろしてくる沖田から慌てて俯き、顔を隠しながら立ち上がった。
 勢いがよすぎた。瞬間、頭の上から一気に血が降りてゆく感がして、目の前が星だらけになり、
 
 よろけたところを沖田の片腕に抱きとめられ。

 まだ眩暈がしているなか、冬乃は沖田の太い腕につかまりながら、顔を上げられずに。
 「ごめんなさい・・」
 小さく呟けば、沖田の笑いが落ちてきた。
 
 「立てるだけ、学んだってことだね」
 
 立ち上がることすら出来なかった島原の時と対比しているのだろう。
 偉い。とそのまま戯れに褒めてくれる沖田に、
 もう冬乃は何も継ぎ返せないまま、会釈をしてそっと身を離した。
 
 冬乃が一人で立っていられることを確認した沖田が、そして背を返し襖へ向かっていくのを、冬乃は見上げて。諦念の内に追った。
 
  
  
 

しおりを挟む
感想 71

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

さよなら私の愛しい人

ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。 ※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます! ※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

目が覚めたら男女比がおかしくなっていた

いつき
恋愛
主人公である宮坂葵は、ある日階段から落ちて暫く昏睡状態になってしまう。 一週間後、葵が目を覚ますとそこは男女比が約50:1の世界に!?自分の父も何故かイケメンになっていて、不安の中高校へ進学するも、わがままな女性だらけのこの世界では葵のような優しい女性は珍しく、沢山のイケメン達から迫られる事に!? 「私はただ普通の高校生活を送りたいんです!!」 ##### r15は保険です。 2024年12月12日 私生活に余裕が出たため、投稿再開します。 それにあたって一部を再編集します。 設定や話の流れに変更はありません。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

余命1年の侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
余命を宣告されたその日に、主人に離婚を言い渡されました

処理中です...