碧恋の詠―貴方さえ護れるのなら、許されなくても浅はかに。【現在他サイトにて連載中です(詳細は近況ボードまたは最新話部分をご確認ください)】

宵月葵

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禁忌への覚悟

70.

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 隊士たちのように井戸場で裸になって汗を流すわけにもいかないので、八木家の風呂場を昼間から借りてしまいつつ、
 
 すっきりして部屋へ戻るまではよかったものの。座り込んだ途端に、一気に疲れが噴き出してきた。
 
 
 (くらくら・・)
 
 沖田が止めてくれていなかったら、そのうち卒倒していたかもしれない。あの時は全く自分の状態が分からないほどに夢中になっていたのだろう。
 
 
 
 「冬乃サンいる?」
 
 そこへ不意に聞こえてきたのは、山野の声だった。
 
 (なに、こんな時に)
 
 仕方なしに声のした庭側の襖を開ける。
 目の前に現れた山野が開口一番、
 「さっきの見たよ。どこであんなの習ったんだよ」
 尋ねてきた。
 
 「未来です」
 それをわざわざ聞きに来たのかと眉間に皺を寄せつつ、
 疲労困憊の身を襖に寄りかからせ、部屋の前を塞ぐような姿勢になる冬乃へ、
 
 「・・おまえがさ、俺から身を護ろうとして簪、向けてきただろ。やっとわかったよ、なんで咄嗟にああいう動きしたのか」
 そしてあの時は本当にごめん。山野が頭を下げてきた。
 
 「・・・」
 もういいですか?そう暗に込めた眼で冬乃は、顔を上げた山野を見返した。
 
 その冬乃の無言の眼に。山野はさすがに溜息をついて。
 「おまえ、ほんとに俺のこと許す気ないんだな・・」
 
 (そんな悲しそうに訴えたってむりだから)
 山野はそれだけのことをしたのだ。
 
 「・・・おまえの好きな男が誰なのかくらい、もう分かってるよ。だてにおまえのこと見てきてないからな」
 (え)
 だが次に発せられたその唐突な台詞に。冬乃はぎょっとした。
 
 「正直、さすがに敵わないのも分かってる。だからといっておまえのこと、どうしても諦めきれない」
 押し黙る冬乃に、山野は淡々と続け。
 
 「・・沖田さんと、」
 そして、山野がはっきりと口にしたその名に。動揺を隠せず瞠目した冬乃を山野はじっと見つめた。

 「うまくいかなかったら。俺がいるってこと忘れんな。・・・言いたかったのはそれだけだから」
 
 邪魔したな、と背を向けた山野が手を振った。
 
 
 
 (・・そんなに周りからは分かりやすいの)
 
 襖を閉じ、再び畳に座り込みながら。冬乃はぶるりと不安に震えた。
 
 山野が諦めないことよりも、
 冬乃の懸念は沖田にいつか想いを気づかれて、もし嫌がられたらと。そのほうが強く、
 いや、それしかないに等しく。
 
 好きだと伝えてしまいたい衝動よりも、はるかに大きな、その不安が。いつだって冬乃を苛んできた。
 
 
 山野に諦めないと宣言されたのも、それはそれで懸念でないわけでは決して無いけども、
 
 それでも、あれだけ反省を示している山野が、まさかまた襲ってくることは無いだろうと。山野に関して、だいぶ信用し始めてはいる。
 
 (ただ、一度ああいう行動してるのだから、また何がどうなるか分かんないから安心しちゃだめだよね・・)
 
 おかしなものかもとは、思う。
 こんなふうに油断しないようにと、山野に対しては警戒しつつも、
 
 一方で、好きな男の腕のなかでは眠れるのだから。
 
 好きでも、
 
 過去と未来の時間軸の、
 一線を、決して越えてはならないのに。
 
 それなのに。警戒もなく。
 
 
 (沖田様のコトは、好きすぎて緊張はしても、警戒する気持ちにはなぜか全然ならないもんね・・)
 それほど信用しているに違いなく。自分で不思議になる程に。
 
 (沖田様だって同じ男の人なのに)
 
 逆に、本当に沖田は冬乃を腕に抱いて、妙な気分になったりはしないのだろうか。
 
 
 (やっぱしないんだろうな・・)
 最初に温めてくれたあの時なんて、ひとり舞い上がる冬乃と対照的に、沖田はさっさと寝てしまったくらいだ。
 
 
 もちろん妙な気分になられても冬乃にはどうしようもない。・・だから、それでいい。
 
 (寂しくてもね・・)
 
 
 
 冬乃は小さく溜息をついた。
 (もう考えてないで、少し横になろ)
 
 今日は、幸いお孝が休みなので、日中ここを占拠していても問題ない。
 どころか冬乃自身、夕餉の支度の前まで、千代のところへ行くつもりで、昨夜のうちに茂吉に休みをもらっている。
 
 (休みでよかった・・・)
 この体の疲れのままでの昼餉の支度は、辛かっただろう。
 
 冬乃は畳にそのまま身を横たえると、静かに目を閉じた。   









 昼餉の席に、冬乃が来なかった。
 
 (まさか倒れてたりしないよな)
 
 沖田は空にした膳を前に、立ち上がりながら思い巡らす。
 大方彼女は疲れて寝ているだけだろうとは思うものの。あともう少しぐらいは早く、彼女を止めるべく声をかけてもよかったと、少々反省している身としては、気がかりであり。
 
 見ていたかった、
 などと。
 
 声をかけてやるのが遅れた理由なぞ、とても知られていいものではないが。
 
 
 愛らしい小さな白い頬は紅潮し、細い体は汗で濡れそぼち、息もたえだえに。
 あのときの彼女の、
 そうして己に乱される姿は、あまりにも・・・
  
  
 曲がりなりにも稽古の場で、己がそんな邪念を懐いてしまったことなど、そもそも呆れて認めたくもない。
  
  
 (で。様子を見に行くか)
  
 放っておくわけにもいくまいと。沖田は溜息をついた。
  
  
  
  
  
  
 「冬乃さん?」
 襖越しに幾度となく声をかけども、間違いなく静かな気配はあるのに、先程から全く反応が無く。
 
 いいかげんに心配になってきた沖田が、相当の躊躇ののちに襖を開けると、
 やはりというか横になっている冬乃の姿が目に入り、
 しかも畳に直に寝ており。
 
 だが規則的な息遣いが見られるさまに、安堵しつつ沖田は困って見下ろした。
 (風邪ひくだろ・・)
 
 押し入れに向かい。
 布団を取り出し、冬乃を振り返った時、
 「お、き」
 彼女から声が零れてきた。
 
 覚めたのか、と目を凝らすが、まだすうすう寝息がしている。
 寝言か、と苦笑し、
 
 つと。今、何と彼女が言ったか、と。
 おもわず二度見した。
 
 おき・・?
 
  
 「ン、…」
 冬乃の続いたその声に、沖田は我に返り。抱えていた布団を冬乃の傍へと下ろした。
 
 もっとも、さすがに何度も襖越しに声を掛けられたうえ近くで人の動きまであれば、覚醒も近いかもしれないと、冬乃を覗き込む。
 
 が、あいかわらず、すうすうと寝息が返り。
 
 よほど、疲れさせてしまったようだと。反省の念が強まり沖田は、多少の罪滅ぼしに、起こさぬよう細心の注意で彼女をそっと腕に抱き上げ、布団へ移そうとし。
 
 「…おきた…さま…」
 
 そして、再び冬乃の唇が紡いだその言葉は。
 
 確実、だった。
 
 
 「・・・」
 冬乃を腕に抱いたまま、一驚に見下ろした沖田の。
 脳裏を、
 瞬間に過ぎったのは、角屋での潜入者の、話。
 
 (・・俺の名を寝言で呼んでいた、と言ったよな)
 
 寝苦しさでうなされ、援けを求めて呼んでいたか何かだろうと、あの時は思ったが。
 今、その様子は当然なく。
 
 
 (大体、人の名を、寝言で呼ぶものか)
 
 ―――こんなに幸せそうに。
 
 
 凝視してしまった沖田の視線の先、穏やかに冬乃は微笑みを浮かべてすうすうと寝ているまま。
 
 『あれはどう見ても、おめえに気がある』
 
 土方の言葉までも、過ぎり。
 
 
 (まさか、・・)
 だが真面にその視点で見てみれば、
 確かにこれまでも目を瞠る程の好意を、冬乃から受けることは多々あったではないか。
 
 沖田が、冬乃を世話している立場だからこそ、彼女の行き届いた、むしろ行き過ぎるほどの気遣いを受けるたびに、大層に義理堅い人なのだろうと感心していたが、
 
 (あれらが、もし・・・)

 沖田の立場へではなく、本当は、沖田自身へと、向けられていた好意だったのだとしたら。
 
 
 (いや、だが。だから、)
 冬乃は、
 住む時代の違う人だ。
 
 そんなことが、ありえるのか。
 
 
 
 それは一周していつかの問いへと戻ってきてしまったようだった。
 
 腕に抱えたままの冬乃を、沖田は自身の腕ごとそっと布団へおろす。
 堂々巡りでしかないその疑念を、追い遣ることが先決だった。
 
 疑念ごと、己から離すように。彼女の体の下から腕を抜く。
 
 掛布団をかけてやり。沖田は部屋を後にした。







 夢で沖田に抱き締められて。
 その硬い腕の温もりと、大好きな沖田の匂いも、確かにした気がした。
 
 (なんだ、夢・・)
 だから目が覚めた時、半ばがっかりすると同時に冬乃はおもわず苦笑していた。
 夢の中でまで、ぎゅっとされて、
 夢の中での感触までしっかり残っていて。自分はよほどあの特別な場所が好きなのだろう。
 
 
 (・・ん?)
 そういえばいつのまに布団を敷いたのか。記憶にない。
 
 とにかく起き上がった冬乃は、目を向けた障子の向こうで日が傾いている様子に、
 次には吃驚してそのまま布団を飛び出していた。
 
 (い、いま、何時!?)
 
 すぐに見れる時計が無いと、こんなとき不便すぎる。
 行ったほうが早いと、大慌てで押し入れの行李から前掛けだけ掴むと、庭側の襖を開けて草履をつっかけ、冬乃は厨房へと駆けた。

 
 はたして、すでに厨房には茂吉も藤兵衛も来ていて。
 「遅れてごめんなさいっ」
 深々と腰を折る冬乃に、
 「今始めたばかりや」
 気にしたふうもなく、しかしあいかわらずの早口で茂吉が返してきた。
 
 冬乃は幾分ほっとして、前掛けを着けると厨房の中へと急いで入った。
 
     


       

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