上 下
162 / 472
禁忌への覚悟

69.

しおりを挟む
 
 
 

 今日の持ち回りになった掃除箇所を一通りまわった冬乃は、いったん使用人部屋に戻り、前掛けを取り換えた。
 
 この後の夕餉の支度の前に、おやつにでもと、
 それからすぐに厨房へと向かい、先日に出しそびれた野菜の味噌漬けを切って、
 山南と土方のぶんも添えて副長部屋を訪れると、沖田が居なくなっていた。
 
 (さっきまで声していたのに)
 「あの、沖田様は・・」
 
 「あいつならついさっき出かけたよ」
 土方が文机に向かった姿勢で、顔だけ冬乃を見やって答えた。
 
 冬乃が一瞬に残念そうな顔になったのをしっかり見られたのか、土方はにやりと哂い、
 「まあ野暮用だ。夕餉には戻ってくるだろ」
 あいつのぶんは俺がもらっとく
 と漬物に早くも気づいた様子で手招いてきて。
 
 冬乃は仕方なしに、土方の傍へ漬物とともに茶を乗せた盆を置く。
 
 局長部屋のほうで何やら書簡を見ている山南のところにも、盆を置いて、厨房へ戻ってきた。
 
 
 戻ってきたものの、夕餉の支度の開始まで、しばらく時間がある。
 さあどうしようかと思って、ふと、千代にまだ空いている日の返事を濁したままであることを思い出し。
 
 (いつまでも避けてるわけにいかないよね・・)
 
 あとで茂吉に次の休みを聞いておかなくては、と諦めつつ、
 
 ここにいても手持ち無沙汰なので、結局、使用人部屋で休むことに決めて厨房の戸へ手をかけた時、外で原田と井上の声がした。
 
 「なんだよ、あいつ、行くなら俺も連れてけってんだよなー」
 「どうせおまえはもうこの前で金ないだろう」
 
 
 戸の向こうから響いてくるふたりの声の距離からして、こちらのほうへ歩いてくるようだ。
 
 「しかし、この前みんなで行ったばかりなのになあ・・総司もああ見えて、けっこう露梅には入れ込んでんのかねえ」
 
 (・・え?)
 
 「な。傍から見てると、全然そう見えないんだけどな」
 「いや、待てよ。たしか例の潜入捜査って、昨夜じゃなかったか・・」
 
 
 もはや戸口の前、出るに出れなくなった冬乃が固まっていると。
 
 「あ、そうだよな?昨夜か!」
 「どうりで・・!」
 途端に、げらげら笑う二人の姦しい声が続き。
 
 (?)
 
 なぜそこで二人が笑い出すのか困惑する冬乃の前、
 そのままガラガラと、外から戸が開けられた。
 
 「「うお!」」
 冬乃の出現に、原田と井上が同時に驚いた声を挙げ、冬乃も冬乃で驚いて目を瞬かせれば、
 「ご、ご苦労さん!」
 一寸おいて井上が、首の後ろを掻いた。
 
 わけがわからぬままに冬乃が井上の労いに頭を下げると、
 「なあなあ、小腹減ったんだけど何か摘まむの無えかい?」
 どこか苦笑いな原田が、厨房へ来た目的とおもわれる台詞を告げてきた。
 
 「あ、頂き物の野菜の味噌漬けがあります・・」
 (って、)
 冬乃と沖田へとどうぞと貰ったのに、こんなに分けていいんだろうかと、ふと惑いつつ、
 
 「おお!ほしい!」
 原田が例によって可愛く目を輝かせたものだから、冬乃はおもわずハイと微笑い返し、
 「では少々お待ちください」
 と中央へ戻るべく踵を返した。
 
 そして、沖田がいま露梅に逢いに行っているのだと知って穏やかでない心境を、
 断ち切るべく、味噌漬けに包丁を入れ。
 
 (もちろん傍に居れるだけで、幸せなのだから)

 やはり前よりかはずっと乱れなくなっている己の心に安堵しつつ、
 切り揃えた漬物に茶を添えて、二人へ盆ごと手渡した。
 
 「ありがとよ!」
 何故か始終気まずそうな二人の顔を不思議に思いながら冬乃は、どういたしましてと再び微笑み返した。
 
 
 
 
 
 
 結局沖田は夕餉も島原で済ませてきたのだろう、それから冬乃が沖田の帰屯を知ったのは、もう部屋で寝るしたくをしている頃だった。
 
 襖越しに聞こえてきた沖田の話し声に、小さく騒いでいる心を抑えつけたまま冬乃は、おかえりなさい、と胸内に呟いて。
 
 
 やがて物音も聞こえなくなり迎えた静寂の内、冬乃は冷たい布団の中でそっと目を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 「冬乃さん、稽古してみる?」
 
 突然にそんなふうに聞いてきた沖田を。
 朝餉の席で冬乃は、箸の動きも止まり、今のは聞きまちがえではなかろうかと見上げていた。

 「防具は着けなくていいよ」
 茫然としたままの冬乃へ、沖田が話を続ける。
 「そもそも野郎の防具を使えというのも、貴女には酷だろうから」
 
 つまり道場に置いてある持ち主の定まっていない防具を冬乃へ貸すことは、選択肢に無いらしい。
 そんなに気遣われるほど、それらは男の汗と匂いで大変なことにでもなっているのだろうか。

 とはいえ平成の剣道で慣れてきた冬乃にとって、その防具無しの稽古にはいささか戸惑いながらも、冬乃はどぎまぎと頷いた。
 
 (夢みたい)
 沖田に稽古をつけてもらえる日がくるとは。
 
 
 (良かった、道着も残ってて・・)
 
 此処で揃えた服は、はなから当然に此処の世界に在り続けているが、
 
 今までの結果からいって、平成から着てきた服の場合は、
 それを着たままにこちらの世界で消えると一緒に消えてしまうらしく、下着類はそのせいで困ったことがあったものの、
 此処へ二度目に来た際に着ていた、あの道着は、その後に仕事着へと着替えていたために、まだ行李の中におとなしく残っているのである。


 (それにしても)
 冬乃の剣術は一度、沖田に褒められているとはいえ、
 今回きちんと竹刀を取って向き合った場合には、がっかりされたりしないだろうか。
 また褒めてもらえるのだろうか。
 
 考えているうちに襲ってきた緊張で冬乃は、早くも喉に詰まりかけた煮物に焦りながら、
 
 おそらく、冬乃が防具を着けないということは、防具を着けた沖田が一方的に冬乃の打ち込みを受けつける形の、打込稽古になるのだろうと、想像し。
 
 (でも・・・一撃でも入れられるとは、とても思えない)
 
 
 
 
 
 
 
 そして。
 想像通りに。というよりは、
 想像以上に。
 
 道場じゅうが興味深げに見守る中。
 
 先程から冬乃は一撃どころか、竹刀の先であしらわれてばかりであった。
 
 しかも、沖田のほうも防具を着けていないのである。
 
 
 仮にも平成で全日本三年連続優勝の身としては、ここまでされれば、悔しさに闘志も燃え滾るものなのだろうが、
 
 すでに沖田の剣を見てきている冬乃には、ある意味、当たり前の結果であり。
 
 
 (だけど、一回くらいは、沖田様に褒めてもらえるものを繰り出してみたい・・っ)
 
 
 もう何度めになるかも分からないながら、冬乃は構え直す。
 息は上がり、汗が滝のように冬乃の体を流れていても。
 
 
 沖田がこれまた、どこからでも打ってきなさいとばかりに無形の構え。
 
 一見、構えてもいないそれは、左手に竹刀を持っただけの姿勢であり。
 先程から、
 冬乃は。その沖田の構えが、一瞬にして鋼鉄の如き壁を造り出し、冬乃の竹刀をことごとく撥ねのけてしまうさまを味わっていた。
 
 もはや、
 こうまで成すすべなく、太刀打ちできない状況下に置かれるのは、久方ぶり過ぎて。
 剣道を始めたばかりの頃に戻ってしまったかの錯覚をおぼえる。
 
 平成の世で冬乃は、男子との試合も散々行ってきた。当然に、数多の勝利を得てきた。
 敗北、というほどの敗北の経験を長らくしていなかったそんな冬乃にとって、
 今の手も足も出ない事態は、
 陶酔感すら、
 揺り起こして。
 
 体はどこも打たれてはいないのに。
 心ばかり、激しく打たれてゆき。
 
 
 
 
 
 「・・そろそろいいでしょう」
 
 鍔元で受け止められた刹那に、
 ふと冬乃は沖田の声を聞いた。
 
 「これ以上やったら貴女の体力がもたない」
 
 (え?)
 そんなにも長く続けていただろうか。
 
 言われるままに、竹刀を引けば、確かに足元がふらついて。
 はあはあと、気づけば自分の息が耳に届いた。
 
 息を整えようと冬乃は、急いで大きく空気を吸い込む。
 「よくがんばったね」
 そんな冬乃を沖田が慰労し。
 
 「ここまで遣えれば、組の隊士として働いてもらってもいいくらいだ」


 (あ、・・)
 
 褒めて、もらえたのだと。
 冬乃は心内の震えるような想いで、沖田を見上げた。
 
 「ああ、ほんとに。大したもんだよ」
 井上の声に、そちらを見やれば、
 井上が傍までやってきて、本当に感心している様子で、その目を見開いてきた。
 
 「すげえじゃん嬢ちゃん!びっくりしたよ!」
 井上の後に続いた原田も、興奮した様子で声を上げてくる。
 
 (嬉しい・・)
 
 「やるじゃねえか、未来女」
 (え?)
 
 なんと、いつのまにか来ていた土方までが、冬乃を褒めたことに。
 
 (うそ)
 
 このあと槍でも降るんじゃないかと、
 目をまんまるにしてしまった冬乃の。横では原田が笑い出した。
 「こいつはすげえ。土方さんが褒めたよ」
 
 「風邪ひかないうちに汗流しておいで」
 同じく笑う沖田が、立ち尽くしたままの冬乃を優しく促した。
 
  





   
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【R18】鬼上司は今日も私に甘くない

白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。 逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー 法人営業部メンバー 鈴木梨沙:28歳 高濱暁人:35歳、法人営業部部長 相良くん:25歳、唯一の年下くん 久野さん:29歳、一個上の優しい先輩 藍沢さん:31歳、チーフ 武田さん:36歳、課長 加藤さん:30歳、法人営業部事務

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

処理中です...