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禁忌への覚悟

67.

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 沖田が帰ってこないので冬乃は心配になっていた。
 
 
 彼が今の時期に死なないことだけは確かなので、その点は安心しているものの。
 
 (こんな時は未来を知っているって、わるくない)
 それでも、細かな情報までは無いために。もし何かがあって、怪我でもしていたらと、蠢いている不安に打ち勝つすべはない。
 
 剣豪の中の剣豪である彼に限って、何かあるはずが無い。
 そう信じていても。
 一方では居てもたってもいられないのだから、もう仕方がない。
 
 (やっぱり旅籠の庭や周辺だけでも探しにいこう・・)
 
 冬乃はさすがに遠くまで行くわけでもないのに袷に着替えるのも如何かと迷い、かといって寝衣の上に羽織るものがないので、湯冷めしないかどうしようかと散々唸った結果、結局そのまま頭巾だけ巻くと部屋を出た。
 
 
 
 
 
 沖田は、旅籠の外を流れる小川の小さな土手に腰かけながら、夜虫の声に延々と耳を傾けていた。
 
 いっそこのまま屯所へ帰って、朝になったら旅籠の者には早朝の散歩帰りのふりをして戻ろうか・・とまで思ったものの、
 さすがに冬乃をひとりきりで部屋に寝かせておいて、万一何かあっても問題だと思い留まった。
 
 (いいかげんに、腹を決めて戻るとするか・・)
 
 
 土方が放った言葉は、いったん記憶から抹殺するしかあるまい。
 
 大体。冬乃が沖田に想いを寄せることなど、はなからあり得ないだろうと。
 彼女は、未来の人間なはずだ。
 
 彼女の居場所は未来であり、ここに何のために来ているのかは分からないが、彼女が望む望まないにせよ、ああもしょっちゅう帰っているのだから、この先も彼女がここへ永住する可能性はほぼ無いだろう。
 彼女も、彼女の意志のほうは無視された、何らかの力によって行き来していると言っているではないか。
 
 そのような状況で、過去の世の存在である沖田に、懸想するということがそもそもあり得るのかと。
 
 
 (しかし、妙なものだな)
 
 仮に、
 生きる時代の違う存在と、情を交わすと。どうなるのか。

 
 (・・・百四十年、と言ってたよな・・)
 
 つまり彼女からみて、沖田は、
 百四十年昔に生きた彼女の祖先と、同時期の存在、ということだ。
 
 (・・・・)
 
 
 真剣に考えること自体、狂っている。
 
 沖田は、溜息をついて早々に立ち上がった。
 
 
 
 
 
 道の遠くから見て、旅籠の玄関口で道の左右を窺っているお高祖頭巾の女が冬乃だと、気づくのに時間はかからなかった。
 旅籠の者が彼女の挙動を気にして、近くでうろうろしている。
 
 その様につい笑ってしまいながら、やがて近づいた沖田に冬乃のほうも気がついて、駆け寄ってきた。
 
 「よかった・・。どこかへ・・?」
 多くを聞かない彼女の、こんなところも良いと、沖田は改めて思いながら、頷いてみせ。
 「そこまで涼みに」
 
 冬乃も小さく頷いた。何故かそして小動物のように小さく震えると彼女は、もう一度ほっとした様子で微笑んだ。
 
 この様子では存外、相当に心配かけていたのかもしれない。
 悪かったな、と反省しつつ沖田は、
 ふと、もし後少し戻るのが遅ければ、まさか冬乃はこの恰好で道にまで出てきていたのではないか、と同時に懸念をおぼえた。
 (いや、ありうる)
 
 そんな気配があったからこそ、旅籠の者が不安げに彼女の様子を見ていたのではないか。
 この時代の女性なら、まさか寝衣で外をうろついたりはしまいが、彼女は違う。
 
 「・・とりあえず、戻ろう」
 少し離れた位置で見守っている旅籠の者へと会釈を送り、沖田は冬乃の背をそっと押した。
 
 
 
 廊下を行きながら冬乃がまだ時おり震えているので、彼女が寒がっているのだと漸く沖田は気がついた。
 
 (ずいぶん寒がりだな)
 沖田にとっては気持ちのいい中秋の夜風も、冬乃の細い体には冷気なのかもしれない。
 
 さすがに袷に着替えるのも憚られたのだろうが、
 その寒がりで、その薄着のまま夜風のなかへ出てくるとは。
 
 前から感じていたが、どうもどこか抜けている。
 
 これまでも、彼女が未来の人間であるなら、時代なり文化なりが違うせいなのだろうと納得していたものだが、
 どちらかというと、
 (素、か?)
 
 くしゅん、とついに冬乃が跳ねた。
 
 
 
 部屋に入り、沖田は冬乃に、布団へ早くくるまるように言い、
 窓すらまだ開いたままだったので急いで閉め、奥の間の灯りのみ残し、後は吹き消して回り。
 
 冬乃が遠慮がちに布団に入るのを目に、沖田も奥の間へと進むと、今さら布団を離すのもわざとらしいかと、そのまま隣の布団に座り込んだ。
 
 まだ寒そうな様子で、掛布団にくるまっている冬乃の体を掛布団の上からさすってやり。
 冬乃が恐縮した様子で目を瞬かせるのを見下ろしながら、
 
 やはりよほど心配させたのだろうと、沖田は沖田で済まなく思っているわけで、
 冬乃に他に何が出来るかを考えてから、温かい茶でももらってこようと思い至り。立ち上がろうとした時、
 
 「おきたさま・・?」
 またどこへ行ってしまうのかと、
 言葉に乗せてこなくとも伝わるほどの不安げな声音で、冬乃がその潤んだ瞳を揺らして沖田を見上げてきた。
 
 
 (・・・これは、まずいような)
 
 すでに己の置かれた状況に半ば俯瞰の姿勢をとっている沖田だが、心根なり体の根なりに留まったままのもう半分の己が、今ので何やら騒いだのを感じ。
 
 沖田は。
 決して言い訳を得たからなわけではないが、と誰に言うでもなく心内で前置きしつつ、
 とりあえず茶を取りに立ち上がるわけにもいかなくなったと。
 いや、茶を取りに行くだけだと、ひとこと言えばいいだけなのだが、
 なにもそうせずとも、
 寒がる彼女にしてやれることなら、まだ残っている事を、思い出しており。
 
 
 ただ、“あれ”と同じことを今した場合、
 あの時と違い、恐らくその間、己が完全に寝つけなくなるだろうことは悟りつつも。
 
 しょうもなく燻る一片の期待の一方で、手を出さないでいる自信ぐらいは、残っている以上。
 冬乃が温まり次第、離れればいいと。
 
 
 
 
 
 
 
 沖田がおもむろに冬乃の掛布団を持ち上げ。
 「入るね」
 
 (え)
 次の瞬間、冬乃の横へと沖田が、その大きな体を滑り込ませて冬乃の布団へと入ってきて、
 冬乃は一瞬に奔った緊張で固まった。
 
 冬乃の緊張にまるで構う様子なく、
 横向きの沖田がその太い腕を伸ばし、冬乃の背を軽々と持ち上げるようにして引き寄せ。
 冬乃は沖田の腕の中へと、いつかのように抱き包まれて。
 
 (あ・・)
 
 甦ったあのぬくもりと。
 
 果てしない緊張の内での、相反する安堵感が――それが包まれて護られているからの安堵なのだと、
 思い至った頃には、
 急速に温まってゆく体と心を感じながら冬乃は、幸福感にさえ深く包まれてゆき。
 
 (沖田様・・)
 「ありがとうございます・・」
 
 囁いた冬乃の耳元で、
 「どういたしまして」
 沖田の微笑う息を受けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 すうすうと聞こえてくる寝息に、沖田は腕の中の冬乃を覗き込む。
 すっかり寛いで無防備な寝顔が沖田の目に映り。
 
 ここまで安心しきって身を委ねてくる彼女を見ながら、
 これは沖田に対してでなくとも、他の誰がこうして冬乃を温めていても彼女は同じ様なのだろうか、と一瞬、なんともいえない感情が胸内を駆け抜けた。
 
 「・・・」
 
 沖田の腕の中では今も、冬乃はあまりに幸せそうにしていて。
 彼女の細い肩は、規則正しく上下し。
 長い睫毛は、薄光に翳を落とし。
 
 その先には。吐息を零す、
 力なく、小さく開かれた唇。
 
 
 ふと触れたくなった情動は。
 沖田を衝き動かした。
 
 
 顔を近づけ、

 唇で、冬乃の吐息を塞ぎ。
 
 
 だが次の刹那に離した。
 
 (・・何を、やってるんだか俺は)
 
 触れた唇の柔らかさを思い出さぬようにしながら、沖田は冬乃から身を離す。
 彼女の体はすっかり温まっている。これ以上、抱きしめている必要もなかった。
 
 沖田は冬乃の布団から出ると、
 己の布団を冬乃の側から気持ち離し、冷えた布団に入り、彼女に背を向けた。



             
    





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