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禁忌への覚悟
58.
しおりを挟む気がつけば、泣きながら目が覚めた。
(・・・・ここ、)
「冬乃?」
ひどく驚いた千秋の顔が、覗き込んできて。
「気がついた?」
医大生の声がする。
「どうしたの冬乃、なんで泣いてるの」
千秋の声が、重なった。
「ん、だい・・じょぶ」
微笑ってみせ、手の甲で涙を払いながら周囲を見渡せば、
カーテンで囲まれたベッドの横に千秋が立っていて。
「開けて平気?」
カーテンの向こうで医大生の声がもう一度した。
「あ、はいっ」
千秋が答えると、カーテンは引かれて、心配そうな顔をした医大生が顔を出した。
その向こうに見えた光景に、冬乃は状況を理解した。
「ここ、保健室だよね・・?」
「うん。冬乃、お昼買いに出てるとき倒れたのおぼえてる?」
「うん・・」
「また統真さんがー運んでくれて、あ、」
名前わかったよ、と千秋が笑って。
「そういえば名乗ってなかったよね、ごめん」
千秋の横に並んだ医大生が継ぐ。
(とうまさん、ていうんだ)
「何度もすみませんでした・・」
冬乃が心底申し訳なくなって謝ると、
「それはいいんだけど、こうも何度も倒れると心配だね」
統真が溜息をついた。
「一度、精密検査を受けたほうがいい。
貴女の身体反応の状態からは、意識障害よりも深睡眠と診ていたけども、それにしたって長時間の深睡眠に移行する特殊なてんかんのケースのように思えてきた・・ただの失神では無く」
「・・最初のとき、貴女は数分で目覚めて、脈などにも目立った症状が無かったことから俺は一旦心配は要らない失神と判断していたけど、・・その後のときも、心配のない範囲での疲労と睡眠薬の残存による深睡眠だろうと。
でもそれらが見られない今回も、今まで目覚めなかったとなるとね・・」
統真のそんな説明をぼんやり聞きながら冬乃は、
ほんの少し前まで、女使用人部屋で呆然と帷子を脱いでいたことを思い出す。
帰ってきて部屋にひとりになったら、こらえていたものが溢れ。着替えながら、頬を涙が伝い出したときに、
(・・急にまた霧がみえて)
「ねぇ、ほんとどうして泣いてたの?痛いとことかあるの?」
千秋が改めて聞いてきて、冬乃はもう一度微笑む。
「痛いところはないよ。ありがと、だいじょぶ」
「あ、起きてた」
開かれたカーテンの向こうから真弓が現れた。
「具合平気?」
「ん」
冬乃は起き上がりながら、頷く。
(そういえば)
「今ってもしかして・・」
「そ。放課後」
間髪入れず真弓が答えた。
(そうだ、)
終業式が近いので短縮時間になっていて、午後の授業は二つしか入っていなかったのだった。
「統真さんがあのあと保健室まで運んできてくれてー、今また心配して様子見に来てくれたんだよ、」
そしたら冬乃がすぐ目さめた
と千秋が言い添える。
「大丈夫、帰れそう?」
統真の問いかけに、
「はい」
冬乃は恐縮して頷いた。
「そしたら俺は大学戻るから、・・本当に一度早めに精密検査うけてね」
「はい。本当に有難うございました」
(そうだよね・・フツーへんだよね、これって)
千秋達がねんのため腕を支えてくれる中、ベッドから立ち上がりながら、冬乃は溜息をついた。
(精密検査、ほんとに受けたほうがいいのかな)
「私このあとバイトあって、千秋、冬乃まかせてへいき?」
真弓の依頼に千秋が頷きかけたところへ、
「私なら大丈夫」
冬乃は遮った。
「千秋も今日部活だよね?行って」
「なんだ、千秋部活なんだ。ほんとに冬乃へいきなの」
「うん。大丈夫。ごめんね、何度も」
「また、沖田さんに逢えてたんだよね・・?」
その千秋の確認に。
真弓もはっと冬乃を見た。
冬乃は頷いて。
「・・・そっか」
先程の涙も、何か沖田と関係していると、千秋は心配してくれているようだったが。冬乃の性格上、話したくなったら話すと思ったのだろう、
「なんかあったらぁすぐ電話してよ?」
それだけ言うと、冬乃を覗き込んだ。
「ほんとマジに」
まだ少し心配そうに真弓も念押しする。
「ん。ありがと」
椅子の上のカバンを取り、冬乃は微笑ってみせる。
(あ、お財布)
中を見れば、千秋達が入れてくれていたのか、一番上に乗っていた。
(やっぱちゃんと平成にあるままなんだ)
そういえば冬乃が向こうで消えた瞬間に、服はどうなっているのだろうか。
(・・てか、)
服なら、そもそも帰るたびに行李に何事も無かったかのように入っているではないか。
(だからたぶん意識の実体も、まとう服も、きっと向こうでは一旦まとめて消えてて・・)
そして、戻ればリセットされて。幕末にある物は幕末に、その侭また存在している、ということだ。
(何かのゲームの世界みたい)
まるで向こうの世界が冬乃という存在を、そのつど準備を整えて受け入れているかのように。
いまさら何であろうと、冬乃はもはや驚かないが。
(奇跡のかみさま、)
どうか、これからも私を向こうへ送り続けてください
最早、なにかしらの意図のある力が、働いていることを。ほぼ確信している冬乃は、
千秋達と別れて家への路を歩きながら、おもわず天を仰いで頼んでいた。
(・・だいたい潜入捜査もあったのにな)
といっても、
もう間もなく新選組は、長州が京都へ攻め入ってくる『禁門の変』関係の出兵で長期にわたり壬生を離れがちになるため、どちらにしても潜入捜査は延期になっていたかもしれないが。
家に帰ると、母は仕事からまだ戻っていなかった。
誰もいない家のなかを横断し、冬乃は二階へ上がってゆく。
(なんでこんなに疲れてるんだろ・・)
精神が時を行き来する異常な現象は。冬乃の平成での肉体に、現実的な影響を与えているのだろうか。
ベッドに腰かけてすぐ、そのまま横になって目を閉じた。
いつのまにか寝てしまって、起こされたのは母の食事で呼ぶ声だった。いつも通りに会話もなく食事を終えて、シャワーで済ませてすぐまた横になる。
(今日は問題なく眠れそう)
考えてみれば、心は苦痛の中に沈んだままなのだ。
こうまで気だるく疲れているのも、そのせいなのかもしれない。
これから、
沖田と千代、
運命の二人を、引き裂かなくてはならない。
(決して許されるはずのないことを私はしようとしているのだから)
だけど、どうやって。
(それに・・)
沖田を千代から遠ざけ、沖田が結核を発病しなくて済んだとしても、
本当にそれが、沖田の幸せにつながるのだろうか。
運命の存在を、奪うことが。
(もっとも、それが出来るのなら、の話だけど)
だが、冬乃は実際に、
藤堂を大怪我から護れた。
安藤を致命傷から救えた。
彼らの運命を、変えてしまえる可能性を、その影響力を。冬乃は確かに抱えているのだ。
(そもそも、・・また戻れる・・んだよね?)
冬乃はどうしようもなさに、大きく息を吐いた。
(絶対に何かあるはず、戻れる方法が・・)
そして。帰ってきてしまう方法も。
(思い出して。何か見落としてるはず)
これまでの、行き来で。
何か、共通していることは、本当に無いのか。
(寝て行けるわけでもない、おなかすいてても、すいてなくても戻ってくる、時間帯・・天気・・・)
ひとつひとつ思い起こしながら、冬乃は溜息をついた。
やはり、まちまちだ。
(みのまわりの現象でないなら、そばにある物・・?)
道着を着ている時もあれば、裸の時もあった。制服の時もあった。何も持っていない時もあれば、財布を持っている時も。
ベッドがある時もあれば、ない時もあった。
場所までもまちまちだ。
物にも共通点があるようには思えない。
(じゃあ後は・・、そばにいる人とか・・?)
(千秋と真弓・・なわけないもんね・・)
もとい、彼女たちは居る時もあれば居ない時もあった。
(・・え、待って)
・・・ひとり。
必ず、居た人があったことに。
冬乃は。気づいて。
(え・・・でも、・・・)
何で
おもわず冬乃はテーブルの上の携帯を見やる。
そういえば、また連絡先を聞くのを忘れた。
(統真さん、・・・・)
彼が。
常に、冬乃の行き来する時、必ずそばに居た、唯一の人ではないか。
(いや、でも)
やっぱり偶然では・・
(だけど、他に、おもいあたる共通点なんて、ある?)
「どういうこと・・・・?」
おもわず声にしてしまいながら、
連絡先をまたも聞き忘れた以上、何か尋ねてみることもできそうにない、と溜息をつく。
(千秋たち、聞いておいてくれてたりしないかな・・・)
携帯に手を伸ばしかけて、
冬乃はだがすぐに、自嘲に手を止めた。
どちらにせよ。
彼に何を聞くつもりかと。
(何か、まだ統真さん以外にも、行き来した時の共通点はきっとあるはず)
・・・そして。気づいたら朝だった。
考えているうちに電気も消さずに寝てしまっていたらしい。
(ていうか)
体が、昨夜よりもだるい。
(起きなきゃ・・・)
目だけ動かして壁の時計を見れば、八時に近く。
(学校、遅刻しちゃう)
つと、玄関のチャイムが鳴った。
「まだ起きて・・・学校へそろそろ支度・・・のにあの子ったら」
すぐに出たらしい母の声がところどころ聞こえてくる。
(誰と話してるの・・?)
「無理に起こさず、今日は・・を休ませたほうが・・・・思います」
(・・統真さん!?)
冬乃は起き上がろうとしかけて、
霧を見た。
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