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禁忌への覚悟

51.

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 夕餉の席、
 冬乃の顔を見た藤堂に、抱きつかれるかの勢いで歓迎された冬乃は、
 周囲でやはり一様に驚いている男達の視線を、激しく浴びていた。
 
 あれから事情を土方から聞いているらしい幹部達と違い、嫁に行ったと未だ思っているままの平隊士達からすれば、半年で“出戻ってきた”冬乃へ、いったい何があったのかと同情の念を禁じ得ないのだろう。
 
 食事を終えて間もなく、山野と蟻通がやってきて、先の厨房での会話をほぼ同じように繰り返し、随分とほっとした様子で去ってゆく二人の次には、安藤が声をかけてきた。
 
 「土方殿から聞いたでござる。またお会いできて何より」
 「こちらこそ!」
 安藤は助勤職なので、やや末席ながら幹部の一人だ。すでに土方から、隊の女中、つまり冬乃が、家の用事から帰っている旨を聞かされたという事だろう。
 「長い間ご無沙汰して申し訳ありません」
 冬乃は頭を下げた。
 
 下げながら。
 一瞬に思い出した、安藤の、
 ついに迫った、この先もう短い命に。冬乃は、まだ頭を下げたまま顔を強張らせた。
 
 
 (安藤様)
 
 「あの、お話があります」
 
 
 自分で口にしながら、何を言うつもりかと、自身に問いかけつつ冬乃は。胸内を掴まれるような苦しさに喘いだ。
 
 急に声音が変わった冬乃に驚いたふうで安藤が、「いかがした」と聞き返すのへ、顔を上げながら冬乃は、少し周囲を見やって小声になり。
 
 「半刻後に、厨房へ来てはいただけないでしょうか」
 
 「・・・それは構わぬが・・」
 冬乃の様子に心配そうに見てくる安藤に、冬乃は無理に微笑んでみせて「それではまた後程」と背を向けた。
 
 
 
 (馬鹿・・何を、話すつもり)
 
 だが、放っておくことができない。
 安藤が、五日後の池田屋事変で致命的な深手を負ってしまうことを、知っていながら。
 何も言わぬままなど。
 
 
 (だけど五日後の大捕り物は、まだ誰も予想だにしていない)
 当日の早朝から昼にかけて急速に動き出す事だ。今の時点では未だ何も知られていない事について、
 冬乃が何を言及できるというのか。
 
 (どうすれば・・。でも、当日になってからじゃ、騒ぎでとても声を掛けられる機会があるかわからない)
 
 今のうちに、なにか伝えておけることはないものか。
 
 (だけどそもそも、何かを伝えることは)
 
 それにより安藤が深手を負わないで済んだ場合、
 冬乃は、完全に安藤の『歴史』を変更したということになる。
 
 (許されること・・・?)
 
 
 冬乃は。小さく息を吐いた。
 
 (いまさら)
 
 もう、ずっと迷ってきた事だ。沖田の迎える命のさだめに、何か冬乃が出来ることはないのかと、探りはじめたその時から。
 
 
 
 
 
 かけるべき言葉を考えながら、何度も食器を洗う手を止めてしまっていた冬乃は、
 時間になって戸口に来た安藤に、顔を上げた。
 そして、
 
 「私の家、じつは占いの家系なんです」
 
 
 悩みに悩んで、思いついたものは。これだった。
 
 (未来から来た、って訴えるよりは、ずっと信じてもらえそうだし)
 苦肉の策である。
 
 「占いの御家でござられるか」
 珍しいのだろう、というより、いきなり何の告白なんだ、とびっくりしたのかもしれないが、目を丸くしたきり黙ってしまった安藤に、「それでですね」と冬乃はむりやり続ける。
 
 「五日の夜、北東から東の方角にかけて、安藤様に不吉な相が出ているんです」
 
 「はあ・・」
 「私にもこれが何なのかはよく分かりません。ただ、」
 
 我ながら言っていて、不審がられないか気が気でないが。
 「最近、捕り物が頻発しているそうではありませんか。ですから、これも捕り物に関するものではないかと思うのです。ねんのため、五日の夜の捕り物では、頭のてっぺんからつま先まで、厳重に隙なく装備してください。くれぐれも、いかなる時も軽装にはなられませぬよう」
 
 「・・・・」
 
 (だめ、かな)
 無理がありすぎた・・だろうか。
 
 
 「承知した」
 
 だが、返ってきたその返事に。冬乃は激しい安堵とともに、こんなんで本当に信じてもらえたのだろうかと、むしろ訝って。安藤の目を覗き込むようにして凝視してしまった冬乃に、
 安藤はにっこりと微笑んだ。
 
 「仏の道も、占いの道も、救いの道につき、さして変わりはせぬ故。貴女の見立て、信じます」
 
 安藤の坊主頭を冬乃は、おもわず見上げる。
 「あ・・有難うございます・・!」
 
 「こちらこそ、有難う」
 安藤がぺこりと会釈して。
 
 「しかし、この暑い中、五日の日は拙者ひとり重装備となると笑われそうでござるな」
 ふふと微笑む彼に、冬乃は押し黙る。
 
 (大丈夫です。その日は皆さん、それなりに重装備になりますから)
 それでも、装備の仕方はまちまちだろう。だからこそ、安藤も致命傷を負うことになってしまうのではなかっただろうか。
 
 (でもこれで、安藤様が、たしかに隙の無い着込みをしてくれれば・・)
 
 きっと、
 彼は助かる・・かもしれない。
 
 
 または――助からないかもしれない。どちらにしても。
 
 歴史が、どこまでの変化を受け入れるものなのか、
 冬乃には未知なる事でしかなく。
 
 
 (どうか、池田屋から安藤様が無事に帰ってきますように)
 
 
 安藤が隊士部屋へ戻ってゆく背を見つめながら、冬乃は祈った。
 
 
 
 
 
 
 
 「冬乃さん、」
 
 襖ごしに聞こえてきた沖田の声に、どきりと冬乃は顔を上げた。
 
 お孝が帰り、冬乃はひとり、女使用人部屋で、沖田が先刻運び込んでくれた布団を広げていた。
 
 「開けて大丈夫?」
 沖田の声がさらに続いて。冬乃は、はい、と答えながらどきどきと襖を見つめる。
 
 襖のすぐ向こうは局長部屋で、
 その局長部屋と続きの副長部屋の間は、冬乃が以前推測したように、夜は開け放って、そこに近藤、土方、山南、沖田が寝泊まっている。
 時々、藤堂も遊びに来るようだが。
 
 まもなく開けられた襖の向こうに、行灯の穏やかな橙光を背にした沖田が立っていた。
 
 もう幾度と見た、その着流し姿は。だが何度見ようとも、冬乃を強く惹きつける。
 もっとも、着流し姿に限らないが。
 
 
 頬が紅くなりそうな感に、慌てて顔を背けてしまった冬乃に、沖田が「何か足りない物はある?」と尋ねてきて。
 
 すぐに見返した冬乃は、恐縮して首を振った。
 「全て揃ったと思います。有難うございます」
 
 沖田達の部屋には、先刻風呂に行く気配があった後、まだ誰も戻っていないようだ。
 沖田だけは早朝と夕方の巡察を終えてすでに、風呂は済ませていると、土方達と会話していたのが聞こえていた。
 (てか、)
 これほど筒抜けなのに、前回のように何やら会議の時になると、とたん襖越しに全く声が聞こえてこなくなる仕組みが、冬乃にはどうも分からない。
 
 会議は庭に面している副長部屋のほうで行うのだろうが、それにしても、
 (背を向けているとか・・よりも、声の落とし方なのかな、やっぱ)
 
 「眠そうだね」
 ぼんやりとして見えたのか沖田が、気遣うように冬乃を見下ろす。彼は襖の手前に立ったままだ。
 
 「手短に聞くよ。潜入捜査の件だけど、」
 
 その言葉に、はっと目を瞬いた冬乃を、
 沖田のいつもの穏やかな眼差しが迎えた。
 「無理してない?」
 
 「え・・」
 
 (もちろん無理なんて)
 「してません・・」
 
 「・・そう」
 まあ、ならいいけど
 彼の低い声が呟き。
 
 そこに少しばかり不思議そうな表情を、冬乃は見て取った。
 (沖田様だから、いいんです)
 それを言うわけにもいかないから、冬乃は、
 「新選組のお役に立ちたいんです」
 返して。
 
 だからって・・
 冬乃の台詞に却って、明らかに不可解そうな表情になった沖田が目を細めた。
 
 そりゃそうだ。雇い主の組のために、男と恋仲のふりをして旅籠の一つ部屋に泊まる女中など、普通に考えたら並の神経ではない。
 
 組の役に立ちたい、よりかは。まだ例えば、信頼できる沖田と一緒だから、のほうが自然だったかもしれない、と冬乃は今さら思うが、それでも恥ずかしくて言えたものではなかった。
 
 
 お互い黙ってしまった状況に、冬乃はいたたまれなさに俯く。
 
 沖田がやがて、どこか仕方なさそうな声音で「おやすみ」と言うのへ。
 その、もしかしたらもう、此処へ戻ってこれず一生聞けないかもしれないと一度は危惧した、彼のその台詞を耳に、
 冬乃は「おやすみなさい」と小さく囁いて。
 
 閉められる襖の音に、やがて顔を上げた。
 
 (沖田様・・)
 
 
 好きです
 
 言ってしまいたい衝動に、駆られる。もう幾度も。
 これからも、秘めた想いは流れつくすべも知らずに。溢れそうなほどに噴き出でて、その嵩ばかり増してゆくのに。
 
 
 冬乃は溜息をついて。
 行灯の傍へ行って火を吹き消すと、ゆっくりと目を闇に慣らしつつ布団の傍へと戻り、無心を努めて身を横たえた。   
 
 
 
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