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【 第二部 】 朱時雨
26.
しおりを挟む「うわあ・・冬乃ちゃんキレイ・・・」
まもなく皆が一堂に召集され。
広間に入ってきて傍まで来た藤堂が、開口一番にそんな感嘆の声を挙げる中、
広間の奥で沖田の隣に座っている冬乃へ、先程からまたも男達の視線が集中していた。
明らかに今回の視線は、以前のような奇異の存在へ向けるものではなく。
(どちらにしても穴に入りたい)
「紅一点、とは言ったものだな」
この場であまりに目立っている冬乃に、藤堂の並びに座った永倉が目を細めて微笑む。
「綺麗でびっくりしたよ」
「ありがとゴザイマス・・」
「これは遊女たちが嫉妬しちゃうよね」
冬乃も宴席に参列することをすでに聞いていたらしく、にこにこと邪気の無い藤堂の笑顔が向く。
「帯の蝶結びも新鮮で、逆におしゃれだし」
その言葉には、隣で沖田が小さく噴いたのだが。
(まさか沖田様に全部着付けしてもらったなんて、誰も思わないよね)
冬乃も苦笑を噛み殺して、ぺこりと返して。
ふと、何かひときわ強い視線を感じ、さすがに見やれば、山野が向こう側に座して居た。
一瞬で目を逸らした冬乃が、次に目にしたのは、黒地の紋付羽織で入ってくる近藤と土方だった。
(わあ・・かっこいい)
素直に感激する冬乃の視線の先で、二人は別って近藤だけ上座へ座りながら、珍しく先に来ていた芹沢へ、礼をした。
土方が山南の隣に座すと、
「一同、今宵は島原の角屋にて、組挙げての慰労会とします」
芹沢の隣で近藤が口を開いた。
今ので歓声に似たどよめきが広間に拡がる中、
「勿論、無礼講といこう。我ら皆、志同じくする同志として、改めて懇親を深めようではないか」
そうでしょう、芹沢局長。と、近藤が芹沢を向いて。
話はすでに聞いている芹沢は、うむ、と頷く。
「皆、これより各々で、用事の済んだ者より角屋に集おう。では解散します」
近藤の結びに、そして一同は今度は抑えることのない歓声を挙げた。
活気だつ広間で、芹沢と近藤が席を立つのを皮切りに、皆も立ち上がり、それぞれの抱える用事を急いで済ませるべく帰ってゆく。
沖田が藤堂とその向こうの斎藤を向き、
「おまえら、何か仕事残ってる?」
聞くのへ、
斎藤が無言で首を振り。
「俺も無いよ!」
今宵の芹沢暗殺の件を知らされてはいない藤堂が、そして純粋に懇親会だと喜んでいる嬉しげな顔で返して。
そんな笑顔を横に見ながら、冬乃が胸奥に奔ったちくりとした痛みに、目を伏せた時、
「じゃあ俺達は、もう出ようか」
藤堂に合わせるように、楽しそうな沖田の声が続いた。
(・・沖田様)
この二人の親友にも、彼が告げることのできない今夜の暗殺の計画を。
今から想像するだけで胸内が澱み。冬乃は、あわててまた思考を止めた。
(歩きづらい・・)
そして、島原への道すがら。
沖田達が気遣って冬乃の歩調に合わせてくれているのが申し訳なくなるほどに。冬乃の動きは亀だった。
(もう、膝上まで捲って歩いちゃだめかなあ)
下駄の踵よりは少しだけ上の位置にある裾は、そのまま歩くと引っ掛けてしまうので、少しばかりたくし上げて両手に支えて歩くことになる。
町行く女性達が同じようにして歩んでいた以上、下駄がなければ確実に地面を掃除してしまう裾の長さが、この時代の普通なのだろうが、
今まで稽古着袴でさくさく歩いていたり、仕事着の略装で足首までしっかり裾を上げていられた冬乃にとって、
こんなに両手が塞がって、なお足に絡まるような状態は、苦痛に近く。
(仕事着の足首までの裾だって、慣れないくらいなのに)
(・・でも捲って歩いてたら、私がよくても、一緒にいる沖田様たちが、すれ違う人の視線で恥ずかしいよねきっと)
もちろん冬乃自身がどうしようもなく恥ずかしい、とまでは思わないことに問題があるのだが。
だが平成の世で、太腿を出して歩いているのが普通だった冬乃にとっては、そこまでの恥じらいが生じるはずもなく。
(ここに居る以上、生じさせないとだめなんだけど)
「って、きゃ」
そんなことを思っている間も、下駄のつま先を荒れた地面につっかけてしまい、おまけに裾にその足をとられて、おもわず転びそうになった。
途端に、
沖田と斎藤に左右から、冬乃は支えられて。
「あ・・ありがとうございます」
前を行く藤堂も振り返って、「大丈夫?」と笑う。
(うぅ。)
もどかしすぎる
今のまだ他人がすれ違わないような、こんなのどかな田舎道をゆく間くらい、もう裾を捲ってしまってもいいのではないだろうか。
ついにそこまで思考が追い詰められている冬乃の、
その後ろから、不意に声がかかった。
「ったく、遅っせえな、邪魔だ」
(・・・。)
振り返らずとも、こんな悪態をつく人物の声は、当てられぬはずもない。
「土方さん、ひどいよ」
冬乃達のほうへ向いたままでいた藤堂が、冬乃の心の言葉を代返してくれたようだ。
「遅えもんは遅え。なに初めて着たみてえな動きしてんだよ、七歳児か」
七五三の元である、帯解きの儀を迎えて、七歳になった童女は初めて大人と同じように着付けたという。ようは土方はそれに言及して冬乃を揶揄しているようだ。
「もう、初めて着るわけないじゃない」
と藤堂がさらにやり返してくれたものの、今回は冬乃の心の代返とは成りえなかった。
(たしかに初めてのようなものだもの)
まさに着物を着たのは七歳以来ではないかと。
おもわずちらりと横の沖田を見上げれば、
着付けがわかってなかったくらいだから、当然土方の揶揄は遠からずだと沖田にはばれているようで、すっかり面白そうな顔で冬乃を見返してくる。
どうやら今回は、助け船は期待できそうにないらしい。
「わかりました。やっぱり、こうします」
・・そして。
冬乃は、腹を決めた。
というより、自身を解放した。
この果てしない、煩わしさから。
「・・・冬乃ちゃん!!」
藤堂の悲鳴が飛んできたが。
今まで手に抱えていた裾を、膝上まで引っぱり上げ終えた冬乃は、
そうしてとたんに涼しくなった脚の、その解放感に心底感動し。
両隣では、もはや言葉を失くした様子で、沖田達が歩みを止め。
「おめえ、・・・馬鹿だろやっぱり」
そして背後からは。
土方の心底呆れかえった声が。届いた。
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