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【 第二部 】 朱時雨

15.

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 食事が始まっても。
 
 (ごはん、)
 
 隣の沖田に。
 冬乃の全神経が、引っぱられたまま。


 (全然、のど通らない・・)
 
 
 「冬乃ちゃん、山野さんと何かあったの?」

 「えっ」
 突然あらぬ方向から、冬乃にすれば神経ごと総毛立つような質問が投げられて、冬乃は飛び上がりそうになった。
 のどに通らないどころか、逆に今ので一瞬つまりそうになりながら反射的に藤堂を向いた冬乃に、勢いよく向かれた藤堂のほうが驚いて目を見開く。
 
 「何も無いですよ」
 そのまま早口で即答してしまった冬乃の、何か隠していることがこれでは筒抜けであろう態度を前に、案の定、藤堂が無言になる。
 
 (広間に居た藤堂様にまで、いつのまに、さっきのやりとり見られてたんだろ)
 
 このぶんでは、沖田も何か気が付いているに違いなく。
 
 ますます沖田のほうを見られなくなった冬乃は、再びのどを通らなくなった煮物を諦め、味噌汁を手に取った。
 何も聞いてはこない沖田に、安堵とうらはらに余計な寂寥感をまたも感じて、そんな自分に呆れながら。
 
 
 
 そのうち沖田が近藤との会話に夢中になっているのを耳に、冬乃は早々に食事を切り上げて、席を立った。
 
 藤堂がどこか心配そうに見上げるのへ、会釈で返して。朝の巡察を割り当てられている隊士達が、同じく早々に片付けだした膳を、受け取りに向かった。
 
 
 
 次に沖田の姿を見たのは、一刻後だった。
 厨房の仕事を終えた冬乃が、掃除の道具を手に隊士部屋へ向かうさなかに、沖田と斎藤が並んで道場のほうへ向かっている後ろ姿が、遠くに見えた。
 
 (これからお二人で稽古なのかな)
 
 見たい・・・
 
 心に沸き起こったその欲求に、冬乃は二人の消えた遠くの角を見つめる。
 (ちょっとくらいなら、・・いいよね)
 茂吉に心内で詫びながら。
 冬乃は、彼らを追って道場へと足を向けた。
 
 
 近づくにつれ、期待が冬乃の胸を躍らせて。向かう冬乃の足どりは自然と早まる。
 床を踏み鳴らす、その剣道特有の音が辺りに鳴り響き、大小様々な掛け声がその音を追う。
 
 
 「試合すんだってよ」
 入口の手間で、永倉の声がした。
 
 「あいつら今来たばかりだろ?もうやるの」
 半分呆れたような原田の声が続いた。
 「ほんと好きだねえー」
 
 入口から覗くと、戸のすぐそばに居る永倉と原田が、外した面を抱えて立っている。
 「あれ、嬢ちゃん」
 すぐに気づかれて冬乃は草履を脱ぎながら、ぺこりと会釈した。
 
 「ここなら、俺らでいつも掃除してるから、やらなくていいよ」
 手に持っている掃除道具に気づいたのか永倉が、声をかけてきて。
 「あ、はい」
 きっと朝、道場の端から端まで、皆で雑巾がけをしているに違いない。冬乃は想像しておもわず微笑んだ。
 
 視線を遣れば、道場の向こう側には沖田と斎藤が、それぞれ座って防具をつけていた。
 先程聞こえた永倉達の会話からすると、二人が試合を始めるということなのだろうか。
 
 「いや、新八さんがいる時でないと、試合できないからだよ」
 永倉の横で黙って腕を組んでいた島田が、ふと思い至った様子で呟いた。
 
 
 (・・どういう意味だろ?)
 
 冬乃が首を傾げる先、防具を着け終えた二人がほぼ同時に立ち上がり、道場の中心へと向かってゆく。合わせて周囲が竹刀を止め、端へと移動してゆき。
 
 道場の中心には、沖田と斎藤だけになった。
 
 永倉が、おもむろに彼らのほうへと歩み出し。
 
 「では審判は私、永倉が務めさせていただく」
 「お願いします」
 沖田と斎藤がどちらともなく返しながら、距離を取って竹刀を構え。
 
 
 次の刹那。
 
 びりっ、と冬乃の肌が鳥肌を立てた。
 
 (・・・え)
 
 静かに竹刀の先を互いへ向け合った二人の。
 発した気であると。
 
 冬乃が思い至ったその時、更なる威圧感が冬乃を襲った。
 「っ・・」
 一瞬息が止まって、冬乃は慌てて意図的に空気を吸い込む。
 こんな重圧な闘気を浴びるのは、冬乃の師匠の集まりでの試合以来だ。
 
 (でも今、ここまで離れてるのに)
 道場の中心に居る二人から、冬乃までは相当距離がある。
 それなのに息をするのも苦しい、酸欠に近い状態を感じながら、冬乃は手に持つ箒の柄を握り締めた。
 
 
 充満する闘気の中、道場じゅうの人間が固唾を呑んで見守る先で、
 微動だにしない二人の竹刀が、互いの間合いの一寸外で、まるで真剣を突き合わせているかのように留まり。
 
 (平成の剣道試合とは違う。・・・おそらく、)
 前提が、まるで違うのだ。
 冬乃は食い入るように、制止したままの、二人の竹刀の先を見つめ。
 
 ―――初めから、
 『殺し合うこと』を想定している、試合。
 
 
 「・・・」
 全く動かない二人を、周囲が同じく動きの一つも起こせぬままに。勝敗の決する瞬間を今か今かと待つ。
 
 (凄い)
 
 この、緊迫感。
 冬乃の手に、汗が滲んでゆく。
 
 (・・・二人の)
 
 間合いさえ、
 
 (あんなに広い)
 
 
 
 ―――間合い、
 それは、剣の結界であり。
 
 攻撃が一瞬に届く距離。
 
 よって達人ほど、相手の間合いに、不用意に侵り込むことは無い。
 
 
 沖田と斎藤は、当然、その互いの間合いの、僅か一寸だけ外で構えているはずだ。
 二人が動いた瞬間が、勝敗の決まる瞬間ということになる。
 



 (・・・・)
 
 どのくらい、時間が経っただろう。
 
 
 開け放たれたままの、道場の外から、
 一陣の風が、つと
 木の葉を伴って吹き込んで。
 
 
 ダンッ
 パァン・・・!!
 刹那に、連続で鳴り響いた衝撃音が、止むより早く、
 「一本!!」
 永倉の鋭い声が、道場を震撼させた。
 
 (え・・・?)
 
 冬乃が目を凝らす先、
 沖田の剣先は斎藤の喉元に、斎藤の剣先は沖田の籠手に在った。
 
 
 (うそ)
 
 今どっちが先に決まったの・・?
 
 (全然・・・見えなかった)
 
 道場に動揺が広がる中。
 
 永倉の手は、沖田の側を差して上がった。
 
 「勝負あり、沖田ッ」
 
 
 途端、周囲から様々な歓声が上がり、
 二人は竹刀を下ろす。
 
 
 
 (・・・・なんか、ショック・・)
 
 一応は平成の世で全日本三年連続優勝の身でありながら、いま二人の剣筋が全く見えなかったことに、
 冬乃は衝撃を抑えきれず。茫然と、面を外して永倉とこちらへ向かってくる二人を見つめ。
 
 「は、・・あいかわらず、すげえな」
 隣で原田が、三人の方向を見たまま、ぼそりと呟く。
 
 「ほんと永倉さんじゃなきゃ分かんないよね、あんなの」
 いつのまに来てたのか、続いた藤堂の声に、
 そして冬乃ははっと彼を見やった。
 
 (藤堂様でさえ、見えなかったんだ・・)
 
 島田が言っていたことは、そういう意味だったのだ。
 
 
 (あれ、なんか目がかすむ)
 
 「冬乃ちゃん・・!?」
 「え」
 藤堂の驚いたような声に、冬乃は目を瞬かせた、
 同時に、頬を伝う熱を顎先に感じて。
 
 (あ、・・)
 
 自分の目から溢れた涙だった。
 
 まさか、本当に泣くとは。
 自身で驚いた冬乃は、慌てて手の甲で涙を払って、
 その横で原田が、冬乃を覗き込んで笑った。
 
 「あーあ、やつら嬢ちゃん泣かした」
 「大丈夫?そんな泣いちゃうほど怖かった?」
 (え)
 藤堂が心配そうに見つめてきて、冬乃は急いで首を振る。

 「違うんです、その、感動して」
 
 冬乃の返しに、藤堂達が目を見開いた。
 「ああ、」
 ややあって、島田が微笑って。
 「あの二人の試合を初めて見た時は、私も感激して泣きそうでしたよ」
 
 「そうか。そうだよね。さすがに俺らは見慣れたけど」
 「まあ、いつも沖田が勝つんだけどな」
 (え)
 そこに、ちょうど永倉達が、辿りついた。
 
 三人へ顔を向けた冬乃の前で、
 斎藤が無表情のままに沖田を見やった。
 
 「全く、あんたは一度くらい譲る気は無いのか」
 
 「許せ」
 そんな斎藤に、沖田が答えて笑った。
 「おまえ相手じゃ、手を抜く余裕がないんだ」
 
 冬乃は声もなく、まじまじと二人を見つめて。
 「冬乃ちゃん、」
 藤堂がそんな冬乃に声をかけた。
 「そういえば、どうしてここにいるの?」
 
 (・・・あ)
 
 二人の稽古見たさに、覗きに来た。
 なんて言えない。
 
 「掃除に来たんだよね」
 永倉が、冬乃の手に握り込まれたままの箒を指して言った。
 「そ、そうです」
 乗じて頷く冬乃に、藤堂が、ああと微笑う。
 「ここは皆で朝掃除するから、大丈夫だよ」
 「それ俺言った」
 永倉が横から言い足す。
 
 「はい、お邪魔いたしました!」
 冬乃はくるりと方向転換して、高鳴ったままの鼓動を胸に、足早に道場を出た。
 
 
 
  

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