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【 第二部 】 朱時雨

6.

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 夕餉が始まっても、沖田は現れなかった。
 土方も近藤も。
 
 (新見様も、いない)
 
 芹沢が何も知らないのか、周囲に侍らせた隊士達と陽気に話しているのを目に。冬乃の耳奥では、昼間沖田が告げてきた言葉が甦ったきり残響している。
 
 『新見局長を糾弾する手はずでね、今夜にでも』
 
 (きっと今、沖田様たちは・・)
 
 「冬乃ちゃん、」
 (え)
 横に座っていた藤堂に不意に声をかけられて、冬乃ははっと振り向いた。
 
 「沖田達しらない?」
 (冬乃”ちゃん”、て)
 苦笑してしまいながら、冬乃は呼ばせたままに頷く。
 「存じません・・」
 「山南さんも井上さんもいないし・・急の仕事かな?」
 
 近藤、土方、沖田、山南、井上、という、近藤一派の中でも最も中核を成すこの五人が、揃いも揃って居ないというのは、さすがに妙に不穏なものを感じさせるのか、
 藤堂も、その隣の原田も見れば落ち着かなそうにしていて。その向こうには、常以上に黙したままの斎藤がいて。
 そして向かいの席では、永倉と島田が歓談しながらも、やはりどこか気にしたふうで、広間の入口に不在の彼らが現れるのを待つかのように時おり視線を走らせている。
 
 
 「あ・・」
 やがて藤堂が声を挙げ。
 
 (来た)
 
 不在だった五人が、自然に談笑しながら姿を現した。
 
 「なんじゃ、遅かったのう」
 芹沢が持参の酒で少し蒸気した顔を上げて、近藤達を出迎えて。
 
 ほっとしたように藤堂たちが彼らを見上げているのを目の端に、冬乃は、彼らと一緒に居たであろう新見が続いて来ないことが気になった。
 
 (まさか、まだ・・・亡くなってはいないよね・・)
 
 「芹沢局長、」
 近藤が座しながら芹沢を向いた。
 「後でお話が。お時間頂戴できますか」
 
 「うん?」
 芹沢が盃を膳に置いた。
 「ここでよかろう」
 
 近藤の声はごく自然に小さく発せられたものだったが、芹沢は地声なのか大きな声で返したものだから、周囲は何事だと一斉に視線を寄こして。
 近藤は一瞬、困ったような表情を浮かべたが、すぐに芹沢へと膝を向け直した。
 
 「それでは。新見局長のことで」
 
 冬乃は息を呑んだ。
 
 近藤を囲うように山南と沖田が左右に、その後ろには井上が座し。土方がまだ立ったままで、入口に背を凭せかけて腕を組んだ。
 
 
 「・・新見が何だ」
 
 新見の姿がみえないことに気が付いた様子で、芹沢が近藤を睨む。
 
 明らかに、灯った不穏な空気に、場は静まりかえった。
 

 「新見”元”局長は、本日付けで脱退なされた」
 
 
 (・・え?)
 
 もしかしたら切腹という言葉が出てくるのではないかと不安になっていた冬乃の耳に飛び込んできたその予想外の台詞に、
 冬乃は驚いて近藤と、その隣で近藤を見守る沖田を見つめた。
 
 脱退?
 
 「どういうことだ?新見は今どこにいる!」
 芹沢の苛立った大声が場に落ち。
 
 「芹沢局長もご存知のように、」
 落ち着きはらった近藤の声が、朗々と響いた。
 
 「新見元局長は、これまで数々の私用目的の金策、酒の席での狼藉、暴行を繰り返されてきた」
 
 山南が、おもむろに懐から数枚の書類を取り出し、芹沢の膝元へと並べる。
 それへ目をやった近藤が、改めて芹沢の目を見て。
 「これらはほんの一部ですが、新見元局長の金策の証しとして押収した借用書です。これらの殆どはつい先程、守護職へ渡して参りました」
 
 (じゃあ、あれは、会津の守護職へ提出するための・・)
 昼間、沖田が選別して持ち出していた書類の類いは、そのためだったのか。
 
 「ただちに、これらの証拠をもって最終判断とされ、守護職から我々へ新見元局長を罷免するよう下知が下された。我々は先程、新見殿へその旨を伝えて参りました」
 
 
 新選組を召し抱える身として守護職会津が、仮にも一局長である新見のこれまでの所業を良しとしていなかったのは明らかで、
 おそらく近藤達は、糾弾のための決定的な証拠を求められていたに違いない。

 そして、それを入手できても、できなくても。責任を取らせ詰め腹を切らせることも。
 
 土方達はそのために実行日を定め、計画していたはずだ。  
 
 (なのに、脱退・・って?)
 
 「本来ならば、新見元局長は咎を負って、罷免のち、切腹を申し付けられる筈でしたが、」
 拳を戦慄かせている芹沢に、諭し聞かせるように。近藤が続けた。
 
 「酒癖さえなければ、あれほどの人物。死なせるには惜しいと、恩情を求めるその筋の訴えをお聞き入れになった会津公により、内々に脱退させるよう申し付けられ、新見元局長は追放と致しました」
 
 芹沢の眉間は激しく狭まった。
 「その筋とは誰ぞ?」
 「それは今この席でお伝えする事ではござらぬ故」
 近藤の、穏やかながら追尋を許さぬ断言が返った。
 「・・・」
 
 場に流れる緊張の糸が。今にもぷつんと切れそうで。
 冬乃は、息を凝らして芹沢の動向を見守った。
 
 「・・・この話は、真か?ならば何故、新見はわしに別れの挨拶にも来んのか」
 「世話になった芹沢局長に、恥を知った身で顔を合わせるわけにはいかぬと言って去られた」
 
 「そのような話、信じられるか!!」
 
 芹沢の一喝に、部屋の隅で縮こまって食事をしていた藤兵衛が、小さく声を漏らして飛び上がった。

 「さては主ら、謀ったな!?新見はそんな殊勝な男でないわ!追放なんぞにも応じるわけがない、今頃どこぞに捕らえられているのではないのか!?」
 「そのような事、」
 近藤が、諫めるように芹沢を見据えた。
 「有り得ませぬ」
 
 「芹沢局長」
 つと、今まで黙っていた土方が、
 戸に立ったままに、口を開いた。
 
 「貴方の仰りようは、いかにも我々が会津公と示し合わせ、新見元局長を陥れたというふうに聞こえる。お言葉を慎まれたほうがよろしい」
 
 「・・・貴様」
 「そもそも、新見元局長は、腹を召されてもおかしくなかったのですぞ」
 土方が、その秀麗な眉ひとつ動かさず。
 言葉に詰まった芹沢を冷えびえと見下ろした。
 「それでも我々を中傷なさるおつもりなら、芹沢局長といえど、捨ておけませんな」


 ───刹那。
 ガタンッと膳が乱暴に退かされる音とともに、
 芹沢の周りで殺気立っていた芹沢一派の隊士達が、中腰の態勢で大刀を引き寄せ。
 それを受けて近藤の左右で、山南と沖田が、そして藤堂達が、片膝を立て同じく大刀を引き寄せ、
 場は一触即発となった。
 
 「芹沢局長、」
 
 悠然と懐手でありながら、隙の全く無い近藤の。低く制するその声音が、殺気の満ちた空間に響いた。
 
 「我々は、謀ってなどおりません。隊の誰にとっても、新見殿が脱退されたことは重大な損失であり痛恨の極みです。ましてや、昵懇であらせられた芹沢局長の御心中、如何ばかりか測り知れません」
 
 
 近藤の目をじっと睨んでいた芹沢は。
 ふっと息をついた。
 
 右腕であった新見を失い、今夜で芹沢派閥の勢力は大きく傾いた。その上、ここで闘争を起こせば、もし本当に守護職からの下知であった場合には取り返しのつかないことになる。
 納め時だと悟ったのだろう。
 
 「御前達、静まれよ」
 己の周囲で柄に手を添え構えていた、残る腹心達へと。そして芹沢は声をかけた。
 
 
 忌々しげに、彼らは座り直して大刀を置き。
 山南達も態勢を解いて、土方は空いていた席へと向かい座った。
 
 

 「・・・」
 (さっきの土方様の)
 挑発にも近い台詞は、わざとなのではないか。
 
 冬乃は、涼しい顔で食事を始める土方と、
 もはや無言で酒を手酌しだす芹沢とを交互に見やった。

 
 新見を失った芹沢の怒りを行き場の無いままにせず、一度爆発させ、
 それを近藤に鎮めさせた。

 (なんでだろ。そんな気がしてならないんだけど)


 あの場での、近藤の重厚な態度は当然、ここに居た隊士達の目に際立って見えたことだろう。

 その効果を土方が十分に狙っていたとしたら。


 (・・土方様、お見事です)

 収まった場に少しずつ安堵が広がった様子で、息をひそめていた隊士達がまた歓談へと徐々に戻ってゆく。
 
 (新見様も、本当に追放なら、これで切腹しなくて済むのかな?)
 冬乃は、ふと思い巡らせた。
 
 
 史実として伝えられているのは、九月十三日に新見が切腹して亡くなることである。
 (でも、伝わっていた記録のほうが間違えていたのなら)
 
 どうせなら、間違えであってほしい
 
 冬乃はそんなふうに願っていた。
 人が亡くならないで済むのなら、それがいい。
 
 
 
 (・・だけど、・・)
 
 後世に残っている話では。
 すでに近藤達には、守護職から、もうひとつの下知が下されているはずだった。
 
 
 芹沢も始末せよ、との。
 
 
 
 
 



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