碧恋の詠―貴方さえ護れるのなら、許されなくても浅はかに。【現在他サイトにて連載中です(詳細は近況ボードまたは最新話部分をご確認ください)】

宵月葵

文字の大きさ
上 下
452 / 472
ゆく末への抗い

114.

しおりを挟む
 

 藤堂を一階まで降りて見送ってから、冬乃は沖田に助けられつつも、階段から廊下を着物の長すぎる裾でずっと掃除しながら部屋へと戻ってきた。
 
 襖を閉め切るなり、片頬に添えられた手に冬乃の視線は持ち上げられ。その目の前を懐紙がよぎった。
 
 驚いた冬乃の、紅を湛えた唇は、幾度かの掠めるような口づけと交互にそっと懐紙でも柔く拭われてゆく。
 
 (あ・・)
 次の刹那にシュッと解かれた帯が、落ちきるよりも前、きつく抱き締めてきた沖田の力強い腕のなかで冬乃は、反面小さく溜息をついた。
 
 露梅を、思い出して。
 きっと彼女のこともこんなふうにして、紅を落として、こうして強く抱き締めていたのかもしれないと。次にはそんな光景まで想像してしまい。
 
 冬乃のいま芽生えた想いなど知らなそうな沖田が、
 つと冬乃の後頭部から首元へと流してきた片手でそっと、促すように冬乃の顔を沖田へと擡げさせ、
 
 残る片腕ならば冬乃の躰を抱き寄せたままに、
 唇、徐々に首すじへと、少し横から屈むようにして口づけを辿らせてきて、
 
 その常の巧みな手捌きで、
 気づけば冬乃の纏う着物を脱がし始め、
 
 冬乃は不意に。思い出した。
 
 遊女の恰好の冬乃だけども、
 いまは月のものだったことに。
 
 (あっ・・)
 熱を帯びた大きな手の感触が、
 「総…司さ、…んっ」
 冬乃の襟内へと潜り込んで。首すじに口づけられたままに、
 冬乃は慌てて声をあげた。
 「いま…私…っ…」
 
 ぴたりと沖田の動きが止まり。
 
 「・・・」
 いま私
 だけで分かったらしい、まさかの彼を。冬乃はおずおずと見返す。
 
 「残念」
 と笑ってみせる沖田の、未だ熱を孕んだ眼にかわらず心の臓を跳ねさせた冬乃こそ、内心残念でたまらないなんてことは、
 どうせ見透かされてるだろうから言わないけれど。
 
 大きな手が今度は、目の前をよぎった。
 冬乃の結い髪の左右に差された大小様々に煌びやかな簪へは視線もよこさず、
 冬乃の前髪をふんわりと留め上げる櫛へと、そっと沖田の手が触れたのを感じ。
 
 いま冬乃の髪を彩る飾りのうちで一番高価な物でもあるだろうそれは、勿論のこと沖田の贈ってくれたあの結婚の証。
 あれから冬乃がこの櫛を差さなかった日は無い。さすがに男装の時は例外だけれど。
 
 「いつも差してくれてるね」
 沖田が嬉しげに微笑んで、冬乃はどぎまぎと頷いた。
 
 「これも」
 と沖田の手が更に、櫛のすぐ後ろへ横向きで差し込まれている簪へ触れる。
 
 そう。この簪はそして、沖田に最初に買ってもらえたあの簪だ。
 これもまた冬乃の髪にいつも居る。
 ちなみに北野で買ってもらえたあの予備としての簪は、行李のなかで留守番している。
 
 
 「はい・・」
 冬乃は微笑んだ。
 
 「だってこの先も一生、つけていたいくらいですから・・」
 
 
 (なのに・・)
 いずれも、未来へは持ち帰れない
 
 一生と、口にした刹那に想い起した、その胸を衝く哀しみに冬乃は咄嗟に目を伏せた。
 
 だからいつか還されてしまうその前に、この櫛と簪たちを地中へ埋めて未来で掘り起こそうと本気で考えていた。
 
 あの僧に会うまでは。
 
 
 (・・私の居る未来の世は、元の歴史の未来)
 
 あの僧はそう言ったのだ。
 それなら、
 
 此処で冬乃が巡った全ての軌跡も、冬乃の世ではみることができない歴史で、
 
 此処の世で櫛たちを地中へ埋めても、
 そのタイムカプセルが、元のままの未来に還ってしまう冬乃へ届くことは無い。
 
 
 (・・・・あれ・・ちょっとまって・・)
 
 それでも、
 変更が成されたこの歴史の、続く未来のほうにも別の冬乃が存在するのなら。
 その冬乃が手にすることはできるのではないだろうか。
 
 (・・・え?)
 
 でもそうとしても。その冬乃は、もう別の冬乃だ。
 
 (“私” じゃない私・・ってこと・・?)
 つまり此処での記憶を持っているはずが、ない。
 
 
 それに――――
 
 
 
 「冬乃・・」
 
 
 沖田の呼びかけに、どきりと冬乃は目を瞬かせた。
 
 心配そうな顔が見下ろしている。
 
 一生つけていたい、と言ったきり固まっていたのだから当然だ。
 
 「ごめんなさい、ちょっと・・いろいろ思い出すことがあっただけです、なんでもないです」
 
 「・・・」
 沖田が常に違わず無理に追及してくることはなく、唯その手を簪から降ろしてきて、冬乃の片頬を柔く包んだ。
 
 それだけで、注がれるように深い愛情を感じて冬乃は、
 温かなその手のなかで自然と微笑んで。
 
 
 冬乃の表情に少しほっとしたような顔になった沖田を冬乃は、まっすぐ見つめ返していた。
 
 
 櫛も簪も、
 沖田と過ごした此の日々も、
 
 何もかもが、未来の世には遺らなくても。
 
 冬乃の記憶のなかには、鮮明に存在し続けるのだからそれでいいと。
 懸命に己に言い聞かせる。
 
 
 (私が・・)
 
 その記憶だけで、ずっと生きていけるのなら
 
 (そうやって耐えられればの・・前提だけど・・)
 
 だけどそんな未来は、日ごとに薄れゆき。



 思考ごと刹那に目を瞑り冬乃は。目の前のまだある幸せを見据えるべく、それからしっかりと瞼を擡げた。
 
 「総司さん」
 
 まだ彼の傍に居られるこの幸せを。
 
 「今夜は・・私が総司さんにできること・・させてください」
 
 全身全霊で、彼を愛せる幸せを。
 
 いつかのような台詞を囁いて冬乃は沖田を見上げる。
 
 
 嬉しいよ
 とすぐに沖田が、それは愛しげに返してくれて。
 
 「にしても、」
 と、つと笑んだ。
 
 「・・よりによって、その恰好で」
 「え?」
 
 (あ・・)
 
 そうだ冬乃は、いま“遊女” なのだった。
 
 「そ・・の、露梅さんのようにはきっと上手に・・できないです…けど…」
 どんどん語尾が掠れるようになってしまって思わず俯いた冬乃の、
 体が不意に強く抱き寄せられ。
 
 「有難う、・・・と言いたいところだが」
 ぎゅっと冬乃は一瞬さらに抱擁を受けた。
 「別の機会に、存分に頼もうかな。今夜は休んで・・」
 
 「いや、こういう時ぐらいは、というべきか」
 言い直す沖田に冬乃は目を瞬かせる。
 
 こういう時、つまり冬乃が月のものの時という事だろう。
 
 
 
 そうしてその夜は。
 
 艶やかな褥の上、冬乃は沖田の温かい腕のなか、
 延々ととりとめのない話をして時々額に降る口づけに気が散りつつ。
 
 気づけばその深い温もりに包まれたまま、
 朝を迎えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 屯所が広すぎて今まで何処に居たのか、見かけることすらなかったニワトリたちを冬乃は今、ようやく瞳に映していた。
 
 なおも、未だ豚たちにはお目にかかれていないのだが。
 
 (そういえば何か動物たちのコトで、総司さんに聞こうと思ってたような・・・)
 
 頭の隅に引っかかる朧な記憶に、冬乃は首を傾げる。
 (なんだっけ?)
 
 ぼんやりと、向こうをゆくニワトリたちの行軍を見送ったのち。そういえば放心している時間は無かったと、冬乃は慌てて目の前の火へと視線を戻した。
 
 
 近藤が今日も立て込んでいる。
 遂に、大政奉還を迎え。
 
 冬乃も、本当はすぐにでも藤堂へ話を聞きに行きたいのだが、
 近藤と新選組、そして幕閣、いや旧幕閣、はいま蜂の巣をつついたが如き事態の収拾に奔り回っていて、
 当然に近藤の付き人の冬乃まで、大量のやりとりの書簡にここ連日、文字どおり埋もれている。
 
 勿論、処理の終わった書簡は片っ端から庭で燃やして灰にしてゆく。それなのに、そのぶん新たな書簡が舞い込むものだから、近藤の部屋はいつまでたっても踏み場が無い。
 
 一日の終わりに明日の再開に向けて整理しながら書簡を隅へと寄せてゆく作業が、おっくうですらある。どうせ明朝また全て開いてしまうのにだ。
 近藤が布団を敷いて寝られる場所を確保するためには、致し方ないのだが。
 
 
 (それにしても・・)
 
 
 つと、びゅうと風が吹いて、顔の位置にまで煙が被さり、
 冬乃は慌てて手にしている書簡で扇いだ。
 
 (・・きっとこういうの全部、のちの世に遺してあったら史料としてすごく役立ったと思うのに・・ほんともったいない・・)
 
 今も裏庭で大量の書簡を燃やしながら冬乃の胸にはそんな想いがよぎったりするのだけど、勝手にどこかに隠しておいたり埋めたりして万一よからぬ結果になってもいけないと、諦めの溜息をつく。
 
 「冬乃さん、これも追加で頼みたい」
 
 「はいっ」
 縁側に出てきた近藤の掛け声に振り向き、冬乃は急いで受け取りに向かった。
 
 
 
 
 
 (あ、そうだ!)
 
 唐突に。以前沖田へ聞こうと思っていた事を冬乃は思い出して、がばっと顔を上げた。
 
 急激な冬乃の動きに、沖田が笑って「どうしたの」と聞いてくれるのへ冬乃は恥ずかしくなりつつ、
 「総司さんも引っ越しの時、動物たちを捕獲して回られたのですか?」
 と尋ねてみる。
 
 「なに突然」
 更に笑いだす沖田の横から「それなら私も大いに走ったよ」となんと近藤が愉しげに会話に参加してきた。
 
 (って)
 「え?!・・近藤様まで、なさったのですか・・?」
 
 近藤は。最早、押しも押されもせぬ直参旗本である。
 そして、将軍御目見えの身分となったのは近藤だけとはいえ、新選組全員が幕臣の身分に取り立てられたのであり。
 
 (・・・。)
 
 それが正式に通達されたのは引っ越しの後だったはずとはいえ、すでに内示は出ていたわけで、
 そんな彼ら『最早まごうことなき武士』が屯所じゅうを走り回って大騒ぎしていただけでも色々あれなのに、
 仮にも直参旗本となる局長までが、ニワトリや豚たちを追っかけまわしていたとは、これ如何に。
 
 呆然と見つめてしまった冬乃の前では、そうと知らぬ近藤がその四角い顔でにこにこ微笑み、
 「しかし総司と捕獲数を競っていたのだが、段々わけがわからなくなった」
 などとぼやいている。
 
 「そりゃあ先生、」
 沖田が肩を竦めた。
 「数えるのはそっちのけで捕獲に熱中なさってたら、わけもわからなくなって当然です」
 
 「まったくだな」
 近藤が照れ笑いで返した。
 
 (・・近藤様ったら)
 見ていた冬乃までつられて破顔しながら。
 
 近藤の、公の場ではさすがに賜った身分に相応しい言動を敢えて行うようにも心掛けているだろうが、その心根ならば何も変わっておらず、
 高い身分を得たからといって急に周囲に偉ぶったりするわけでもない、
 そんな人となりに、改めて思い至って。
 
 (あ・・)
 以前、冬乃が近藤の養女となったことを知らされた時、手をついた冬乃たちへ、
 自分は殿様じゃないんだ、平伏されるのは慣れてないと、あのとき彼は不器用そうに「頭を上げてくれ」と言ってくれた。そんな光景までも、想い出し。
 
 その『殿様』に、今や本当に成った近藤だけども、
 きっと同じ場面でなら変わらず「慣れてないからやめてくれ」などと同じ事を言うのだろうことも、容易に想像できてしまい。
 
 
 「さて、そろそろ行くかな」
 
 近藤がにこやかに継いで、手にさげていた大刀を腰へ差した。
 すでに支度の出来ている沖田が、歩み出す近藤に続く。
 
 「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
 二人の背へ冬乃は慌てて声を追わせた。
 
 今日もこれから近藤は要人たちを訪問して回り、沖田はそんな近藤の護衛としてついてゆく。
 
 「有難う、いってきます」
 振り返って近藤たちが手を上げてくれた。
 
 二人の向かう先では、近藤の乗ってゆく立派な馬が、引いてきた隊士の横で嘶いている。
 『殿様』として、
 町へ出るとき近藤は敢えて馬に乗り、沖田と数人の隊士たちが傍を付き従う容をとるのである。
 
 
 尤も大政奉還によって、その幕臣の身分も在って無いようなものへと移ろってしまった。
 
 それでも、
 否、元々身分など賜っていてもいなくとも、
 この先も近藤が『元』将軍と亡き先帝に忠誠を尽くしてゆくこともまた、変わりのない事。
 
 そして傍をゆく沖田も、また。
 昔も今もこの先も、近藤を護りゆくことに何の変わりもない。
 
 
 時代の流れは目に見えて濁流と化していても、
 未来を知っている冬乃に、沖田は藤堂の分離の、あの時きりで、今回の大政奉還を受けてももう何も聞いてはこなかった。
 
 それは俯瞰しているようでもあり、また、近藤と同じく時代がどう動こうと元々の己の成すことは一徹して変わらないが故なのだろうと。
 
 
 (総司さん・・)
 
 冬乃は遠ざかる沖田たちの背を見つめながら、
 胸奥を締めつけた切なさに。小さく震える息を吐いた。
 
 
 
 
 
しおりを挟む
感想 71

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

余命1年の侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
余命を宣告されたその日に、主人に離婚を言い渡されました

目が覚めたら男女比がおかしくなっていた

いつき
恋愛
主人公である宮坂葵は、ある日階段から落ちて暫く昏睡状態になってしまう。 一週間後、葵が目を覚ますとそこは男女比が約50:1の世界に!?自分の父も何故かイケメンになっていて、不安の中高校へ進学するも、わがままな女性だらけのこの世界では葵のような優しい女性は珍しく、沢山のイケメン達から迫られる事に!? 「私はただ普通の高校生活を送りたいんです!!」 ##### r15は保険です。 2024年12月12日 私生活に余裕が出たため、投稿再開します。 それにあたって一部を再編集します。 設定や話の流れに変更はありません。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

処理中です...