444 / 472
ゆく末への抗い
106.
しおりを挟む以前よりも遥かに実感を増したからなのか。
目の前の彼が、冬乃の愛してやまない人の生まれかわりなのだと。
瞳にその姿を映した刹那、
むしろ感傷にも似た、深く込み上げてくる情感に冬乃は、息を奪われていた。
「・・冬乃さん」
心配そうに見下ろす彼の、よく見ればあの人と同じ澄みわたる双眸は、やがて冬乃のひとつふたつ続けられたゆったりとしたまばたきと、
「統・・真さん」
息を吹き返したかの呟きに、
安堵の色を広げるように見開かれてゆき。
「貴女を呼んだら・・目覚めるような気がした」
ぽつり囁かれた言葉に、
それでも、冬乃のほうが瞠目した。
「また二日も昏睡状態だと聞いて、学会の手伝いが終わってすぐ戻ってきた。そういえば一週間ほど来ないでいいと言われていたのを思い出したけど」
思い出した時はもう此処まで来ていたと、統真は困ったように微笑い。
「・・・何度か、貴女は俺が来るとすぐ目覚めたから。今回も或いはと、そう思ったら取るものも取りあえず京都に向かってた」
枕元から冬乃は、おもわずじっと統真を見上げた。
彼はどこまで、この現象もとい、その魂の作用に気づいているのだろう、
そして、
冬乃のことに。
(総司さん・・・)
彼が、貴方の、生まれかわりで。
そして、
あの僧の言ったような存在なら。
「昏睡から覚める事例に、よく聴覚への刺激が言われる。どの音に反応するかは人によって様々だけども、たまたま俺の声の特定の周波数帯が、貴女の覚醒を援けているのかもしれない」
「・・・」
まだ。統真の"覚醒" のほうは、訪れてはいないようで。
冬乃は幾分がっかりした心地で、統真のいかにも医者の卵らしいその分析に、緩慢に頷いてみせた。
(・・あれ)
つと統真が点滴スタンドのほうへ寄ったことで不意に鮮やかな色が目の端に映りこんで、冬乃は次には首だけ動かしてそのほうを見遣った。
(・・あのバッグ・・)
たしか、違うバッグで京都には来ていたはず。なのに家に残してあったはずのショッキングピンクのボストンバッグが、統真の背後の椅子の上に乗っている。
「貴女のお母さんがいらしてるよ」
未だぼんやりしたままの冬乃の視線を追って、統真がバッグの存在理由を教えてくれた。
(お母さんが・・・?)
「俺とすれ違いで電話しに出て行かれたけど、そろそろ戻られるんじゃないかな」
(電話・・)
母の名に続いてその既に懐かしい響きを耳に、冬乃は小さく息を吐いた。
――平成の世に、本当に帰ってきてしまったのだと。
現実感が、俄かに増して。
(・・・もう時間が無い・・)
伴って急襲した不安感は、たちまち冬乃の心を覆い出した。
早く戻らないと間に合わなくなる
幕末の世で、藤堂の命の刻限はあと半年まで迫っていた。きっと此処では、あと一日あるか無いかなのではないか。
そして、
(二日・・・総司さんの最期までは、きっと此処ではそのくらいしかない・・)
胸を焼くような焦燥が冬乃を襲った。
いったいどうしたら、母にこれ以上の心配をかけずにすぐまた昏睡状態に戻れるというのだろう。
(それに最後まで幕末にいられるためには・・本当にもう、どうすれば)
「冬乃・・!」
すっと横開きの扉が流れ、携帯を手にした母が入ってくるなり、冬乃が目を開けているのを見とめて声をあげた。
次には脱力したように深く安堵の表情を浮かべた母が、足早にベッド脇まで向かってきて。
自ら作り出す罪悪感ならば捨て得たはずなのに、ちりりと再び冬乃の胸奥を奔り抜けた。
こんなに冬乃の目覚めを喜んでくれる母を置いて、冬乃は今すぐにでもまた向こうへ戻りたいと、そればかり願ってしまっている事に。
「・・ごめんなさい」
冬乃から零れ出た言葉へ、母が「いいの」と囁く。
この先また心配をかけることを含めての咄嗟の詫びだったけども、母には勿論伝わっていないだろう。
冬乃は母の目を見ていられずに逸らした。まるで長い昏睡の後で疲れているかのふりで、目を瞑ってしまおうとして、
けど統真にはまだ此処に居てもらわなくてはならない以上は休むふりをするわけにもいかないのではと、またすぐに目を開ける。
「眠気があるなら無理しないで寝たほうがいいよ」
冬乃の様子に統真がそんなふうに声をかけてきて、冬乃は急いで首を振り。
「あの・・」
そのままつい縋るように彼を見上げていた。
「京都にはいつまで・・」
彼は少し困惑したように微笑んだ。
「まだ決めてはないけど」
どうしてそれを聞くのか知りたげな眼が、冬乃を見返し。
「貴女の容態が落ち着くまでは居るつもり」
冬乃は返事どころか、全く考えがまとまらないままに、
統真がコールボタンを押していたのかまもなく入ってきた看護師と医者へと、視線を流した。
冬乃の問診が始まっても、冬乃の意識は考えるほど迫りくる恐怖に圧し潰されそうになり、
返答も途絶えがちな冬乃の状態を昏睡後の疲労だと思ったらしい医者は、早々に切り上げると、話があると言って母を連れて出て行った。
看護師が無言でてきぱきと動いている横で、統真が再び心配そうに冬乃を見遣って。
やがて看護師が出て行くと、彼は冬乃の枕元まで戻ってきた。
「またあの夢を見たりした?」
(・・・え?)
冬乃は、すぐには彼の質問の意味が分からずに。
(・・・あ)
千代の薬をもらうために話した夢の事だと。暫しのち思い出して、
「はい・・っ」
横になったまま咄嗟に頷いていた。
「そう・・」
統真は少し考える様子になった後、
「一応、貴女に渡した薬はあれから保管庫へ全て戻したけど、・・また必要?」
ベッド脇の簡易椅子に腰を下ろしながら、気遣うように冬乃を見下ろしてきた。
「薬は・・おかげでもう大丈夫なのですが・・」
冬乃は統真を見上げながら、
もう、この流れで彼に頼むしかないのだろう事を、頭の内で懸命に並べてみる。
「代わりにお願いがあります。・・何度もごめんなさい、でも」
冬乃は統真の目を見据えた。
「夢の中で、ある人にさよならを―――してくるために・・そうして、もうこんなふうに昏睡しなくなるために・・必要なことで」
比喩にしたのに、言いながら涙が溢れそうになった冬乃は、最後まで言い切らぬうちに慌てて目を伏せた。
「あの」
ごまかすために冬乃は身じろぎし。
「起き上がっても、いいですか」
ベッドの背凭れに角度をつけるコントローラーの在り処を探してみると、統真がすぐに渡してきた。
礼を言って受け取り、背凭れを起こしながら、冬乃はなお顔を俯かせた、
「・・統真さんが仰るように、」
言葉を探しながら。
「統真さんが近くに来ると、昏睡から覚めるんです・・声だけじゃなくて、何かもっと・・」
(・・・だめ・・やっぱりどう伝えたらいいのか分からない・・)
どんな時に統真の魂の力が働くのか、冬乃も完全に説明できるわけではない。
物理的な距離の接近と、統真の意識が冬乃へ向いた時、
その両方が掛け合わされた瞬間だと、これまでの経験から漠然と想像してはいるものの、正確なところは分かりようもない。
そしてこれから先もずっと。冬乃と統真が人である以上、完全に知るすべは無いだろう。
そんななのに、統真の『声の周波数説』に合わせた別の尤もらしい仮説をいま適当に挙げてみることなんて、冬乃にはとてもできそうになく。
「・・・とにかく近くに統真さんが来ただけでも、これまで目が覚めてたんです・・」
冬乃は仕方なしにそれだけ言うと、ひとつ大きく息を吸ってもう一度統真を見上げた。
当然ひどく驚いている様子の統真が、冬乃の懸命な眼差しを見つめ返してきて。
それでも。
「お願いは・・」
冬乃は声を押し出すように、続けた。
「次にまた私が昏睡したら、三日・・いえ、せめて一週間は、私を起こさないでほしいんです。つまりその間は私から離れていて・・いただきたいんです・・・」
0
お気に入りに追加
926
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【R18】鬼上司は今日も私に甘くない
白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。
逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー
法人営業部メンバー
鈴木梨沙:28歳
高濱暁人:35歳、法人営業部部長
相良くん:25歳、唯一の年下くん
久野さん:29歳、一個上の優しい先輩
藍沢さん:31歳、チーフ
武田さん:36歳、課長
加藤さん:30歳、法人営業部事務
転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
夫の不貞現場を目撃してしまいました
秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。
何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。
そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。
なろう様でも掲載しております。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる