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枯芙蓉

96.

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 冬乃は、千代の家に滞在する時間を減らした。
 
 毎日訪ねることだけは変えなかったが、まるでもう様子を見るだけ、食事と薬を届けるだけの、そんな束の間の訪問となり。
 
 だけど千代は、心得たように何も言わなかった。
 只、ひどくほっとした表情でいつも、そんな冬乃を見送って。
 
 
 
 沖田の、最期の時まで傍に居たい
 なにより、
 彼に辛い想いはさせたくない。
 
 その想いが、冬乃の出した結論だった。
 
 一番の望みという名の。
 
 
 藤堂の言葉と、
 
 千代の言葉、
 
 沖田の言葉を。
 
 何度も何度も、冬乃は反芻して、導き出した。
 

 そして
 千代の、この魂が望んでいることが、何かを
 
 突き詰めれば、
 答えは自ずと出て。
 
 
 
 
 
 
 やがて桜が咲き。
 
 満開を迎えた頃、
 
 千代の命日まで、あと一月となった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その少しばかり前の頃の事。
 
 
 「どうしても行っちまうんだな・・本当に」
 
 原田の涙声が、静まった場に落ちる。
 この場に明るい表情でいるのは、藤堂だけで。
 
 開け放たれた障子の向こうには、穏やかに春の日差し、
 そして西本願寺の桜が咲き誇る。
 
 そんな白昼酒盛りでも始めたいような陽気だというのに、一様に浮かない顔をした者達が、その日、藤堂を囲んでいた。
 
 
 「だからさ、そんな今生の別れみたいに言わないでよ。別動隊に行くだけだってば」
 
 「だけどよぅ・・!」
 「もう、原田さん寂しがりすぎ!」
 「俺もだってのっ」
 「永倉さんまで・・って痛たた!二人していちいち抱きつくなー!」
 
 三人のいつもの戯れに、場は多少なごんだものの。
 部屋の隅で隠れるようにして座る冬乃は、自分が今うまく微笑むことができているのか分からなかった。
 
 
 伊東率いる隊の分離が正式に決まり。その予定日は刻一刻と迫っている。
 
 旅装の藤堂が、部屋に詰めかけていた試衛館仲間を今一度見渡して、ついに小さく肩を竦めた。
 
 「じゃあそろそろ行くからね」
 
 各方面に分離の決定を伝えてまわる役目を負って、藤堂は一足先に立つことになっている。
 
 
 立ち上がった藤堂を皆、名残り惜しげに見上げた。
 
 分離組の隊士は、もう新選組に戻ることは無い。
 統制の乱れを防ぐため、
 また、伊東の九州遊説の際に志士側には意見の相違と伝えてある以上、更に余計な懐疑を生まないためにも、分離後の両組間の移籍は禁じる取り決めを交わしたのだ。
 
 つまり藤堂はもう、この先、皆と寝食を共にすることも、巡察に廻ることも、共に稽古することも無くなる。
 
 
 (・・・藤堂様)
 
 だけど、
 それだけなら、まだ。
 
 現実はもっと、この先に冬乃しか知り得ない未来をも含んで。
 もし全てがうまく運び、藤堂たちが組の裏切者として粛清される未来を回避したとしても、
 藤堂の命の刻限までは残り僅かという、決して変えることの叶わない未来が。
 
 
 それを、
 もしも藤堂が知ったなら。彼の選択は変わっただろうか。
 
 江戸の頃からの仲間たちと共に過ごす最期の日々を、選んだだろうか。
 
 それとも尚、伊東の元で志に従って過ごす最期を選んだのだろうか。
 
 
 いま唯、冬乃にも分かっている確かな事ならば、
 
 藤堂が皆と共に暮らして共に笑っていた、今日までのそんな日常は、
 もう二度と、戻らない事。
 
 
 
 「気を付けて行ってこいよ!」
 「手紙よこせよ!」
 「手紙だすほど長旅するわけじゃないし・・」
 「違えよ、分隊に行った後の話だ!」
 「同じだよ、手紙だすほど遠くに移るわけじゃないんだから」
 「つったって、すぐ隣なわけじゃねえじゃんか!」
 「同じ京でしょ!大体いったん報告に戻ってくるよって言ったじゃん」
 「だったら、戻った後そのままもうどこにも行くなよぅ!!」
 
 「最後まで五月蠅えおめえら!!藤堂、いいからもう行け!!」
 
 恒例の土方の締めの一喝が落ち、藤堂が今度は大きく肩を竦めて部屋を出た。
 皆もぞろぞろと結局その後に続く。
 
 「え、どこまで見送ってくれる気」
 
 「門まで行くに決まってら!」
 原田と永倉が藤堂の肩に腕を回し。
 「歩きづらいよ!」
 すかさず藤堂が抵抗するも。
 
 「おまえはなーもうすこし置いてかれる俺らの寂しい気持ちを察しろよー!」
 原田がそんな藤堂をさらに引き寄せて頬を膨らませる。
 
 「俺だって寂しいし!でも落ち着いたらまた呑みに行く約束してるんだしさ」
 「だからって俺ら、もう表立ってこうやって肩組んで呑み歩けるわけでもねえんだろ?これだけでも寂しいと言わずして何と言う!?」
 「おうよっ、寂しいのなんの」
 永倉が横から同調した。
 「もうおまえの寝顔にいたずら書きすることもできねえんだぞ!?」
 「それ俺、何も寂しくないよね?!」
 
 わーわー喚きながら数珠つなぎのようになって歩いている藤堂たちの背を見つつ、一団の最後尾をゆく冬乃は、
 
 少し向こうを歩む沖田と斎藤が始終無言でいる事に、ふと気づいた。
 
 気になって二人の背を見つめはじめる冬乃の、すぐ前では、あいかわらずの喧しさにか土方が小さく舌打ちする。
 
 いや、土方なりの寂しさの表現なのかもしれない。
 「もうあのやりとりも聞けなくなるんだな・・」
 土方の隣でぽつりと近藤が、そんな土方の代弁をするかのように呟いた。
 
 
 
 
 
 「こっちのことは任せたよ」
 
 前夜に、
 風呂場の先ですれ違った冬乃を呼び留めた藤堂は、そんな言葉で託してきた。
 
 伊東と近藤の仲に、これまで遂にさしたる変化は無く。
 やはり分離した後になって二人がどこかで違えてゆくのだとしたら、
 この先ますます冬乃にとっては、伊東に働きかける機会など得ようもないだろう。
 それは藤堂にとっても、近藤に対し同様で。
 
 ならばこそ。
 
 (近藤様のことは、私が必ず)
 
 「はい」
 
 (だから、伊東様のことは・・)
 
 「どうか宜しくお願いします、藤堂様も」
 
 想いを籠めて冬乃は、藤堂を見つめ返した。
 
 「うん」
 藤堂が頷き。
 
 刹那、冬乃は強く抱き締められた。
 
 瞠目した冬乃を離さないままに藤堂が、
 「おしおき」
 そんな柔らかい声音で微笑うのを、冬乃は耳元で聞いて。
 
 (あ・・)
 
 「藤堂さ、ん」
 
 「今さら言い直しても遅いから」
 
 「・・元気でね」
 直後に続いたその言葉は、
 
 刻一刻と迫る別離に冬乃が堪えてきた涙を、一瞬で溢れさせた。
 
 「藤堂さんも・・・お元気で」
 
 震えそうになる声を懸命に押し出して冬乃は、咄嗟に藤堂の肩越しに空を仰いで。
 
 抑えきれなかった涙が、一すじ冬乃の頬を伝い落ちても、
 きっと気づかれずに済んだほど、
 それから長いあいだ藤堂は冬乃を抱き締め続けていた。    
 
 
 
 
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