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枯芙蓉
89.
しおりを挟む儚げに身を縮めたその姿は
枯れゆくなかにあってなお美しく
凍てつく風にただ静かに命の火をゆだねていた
酒井から、江戸へ夫の法事に向かっていた喜代の、突然の他界を聞いたのは、年の瀬も迫る頃だった。
道中での事故だったという。その地の管轄の役場からの手紙で、江戸の檀那寺へ連絡が行き、まもなく親戚を通じて京の千代まで知らせが届いた。
冬に入り千代の容態は、もはや誰の目にも明らかなまでに悪化の一途を辿っており、千代を残して喜代だけが江戸へ向かった矢先だった。
自分も一緒に旅路についていたなら何か違ったかもしれないと嘆く千代に、駆けつけた冬乃が掛けられる言葉など無く。
まもなく酒井がつけた供の者と共に、病を押して駕籠を乗り継ぎ江戸へ弔いに出向いていた千代が、その無理が祟って暫く親戚の家で寝込んだのちに、少し良くなるや否や江戸を発ち京へ戻ってきた。
戻ってすぐ再び寝込んでしまった千代を、冬乃は只々毎日食事を作って訪ねた。
やがて、起き上がっていられる時間が長くなってきても。
今は千代を独りにしたくなかった。
そんな想いは、
千代の本来の運命においてなら、沖田の抱いたものだっただろう。
そして、千代を看病し共に過ごす残りの月日も、また。
そうして内縁の夫として沖田が、喜代を亡くした千代にとっての最も近い縁者となり、千代を最期まで看取り、弔ったはずだった。
だが運命が変わった千代にとって、いま最も近い縁者は、江戸に居る彼女の親戚であり、
そして避けられない時が来たとき、冬乃が千代を無縁仏にしないためにできる事は、彼女の親戚へ弔いを願う事であり。それとなく冬乃は、親戚からの手紙を見せてもらい、連絡先ならば控えてある。
それでも江戸と京の距離ゆえ、どうにもならない時には、縁者でこそなくても友人としての縁で弔うと。
「お千代さん」
そんなことを考えながら。
今も冬乃は淹れた茶を手に、千代へと向き直った。
「どうか少し、食べてください」
持ってきた食事に手付かずの千代へ、冬乃は茶を差し出しながら促して。
千代が、力なく首を横に振った。それでも湯呑は受け取って口へ運んでくれるさまに、冬乃はほっと小さく息をつく。
いつも、翌日に冬乃が来てみると食器は空になって、そしていつからか綺麗に洗われて置かれるようになっていた。
冬乃が帰ってから少しは食べてくれているのか、どこかへ破棄されてしまっているのかは分からない。でも千代が冬乃の作ってきた食事をそんなふうに扱うとも想像できなかった。
きっと食べてくれているのだと、冬乃は祈るように信じている。
本当はできれば、この目の前で食べてほしいものの、冬乃は千代の意に反した事をしているのだから、そんな望みはきっと今日も叶わないのだろう。
千代はかわらず冬乃に、もう来るなと繰り返し言うのである。
いつかに千代が初めてそう言ったように、千代の病が日に日に進行してゆくなかで、千代のその頑なな拒絶は強くなっていた。
「お千代さん、私は何と言われてもまた来ます。・・もう、だから」
そんなふうに拒むことを
諦めて
去りぎわに、冬乃が残す言葉もかわらず。
立ち上がる冬乃に目を合わそうとはせず、正座の膝上に組んだ手を強い眼差しで見つめる千代に、そして冬乃は背を向けた。
すぐに千代の視線が冬乃の背へと移ってくるのを感じながら、もう前までの、ぼんやりと視線が定まりさえしなかった千代ではないことに、それでも心の底から安堵し。
「また明日来ます」
冬乃は振り返り、千代の視線が急いで逸らされるのを見届け、襖を閉めた。
(・・せめてお千代さんが、自分で食事を作れる気力が戻るまでは)
食材の存在が全く無い土間を抜けて、引き戸に手をかける。戸の横壁には心張り棒が、ひっそりと立てかけられて在る。
冬乃が来る頃を見計らって毎昼、千代が外してくれていた。
普段より早く来た時、戸は開かなかった。それで冬乃は気づいたのだった。
本気で冬乃に来るなと口で態度で拒みながらも、聞き入れず訪ねてくる冬乃を門前払いにまではしないでいてくれる事に。
澄み渡った冬空をひとつ仰ぎ、冬乃は帰路へ踏み出した。
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