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再逢の契り
54.
しおりを挟む泣いた理由など、沖田に言えるはずもなく。
言い訳ひとつ思い浮かぶことなく結局、月のものの前で気分が不安定なのです、などと下手すぎる嘘なら口奔って、冬乃は罪悪感に沈みながら残りの夕夜を過ごし。
心配した沖田が、翌昼、見舞いがてら千代の所へ出向いたことを冬乃が知ったのは、
その日の夕餉の席。千代からの山菜の煮物を分けられながら。
冬乃はその更に翌日、慌てて千代を訪ねていた。
「もう冬乃さんたら、泣いて帰ってきたんですって・・?」
どんな大病かと思われたじゃない
と微笑う千代を前に。
冬乃は己の愚かしさに。眩暈がしていた。
(ばか私・・・)
何も言えない冬乃を心配した沖田が、状況の確認に動く事くらい想像できてもよかったものを。
幸いに沖田が訪ねた時には千代の熱はすでに下がっていて、起きて動き回っていた千代は沖田から事情を聞くなり、ただの風邪で今はこのとおり元気ですわと、朝に作ったばかりの山菜の煮物を沖田に渡したという。
「私が労咳だと思った・・?」
千代が、じっと冬乃の瞳を見つめた。
冬乃の瞳は大きく見開いただろう。
一寸のち冬乃は、諦めて小さく頷いた。泣いて帰った理由として千代に納得してもらえる嘘など、もう無い。
「・・・」
土間のほうから、喜代が茶の用意をする物音が聞こえていた。
それへちらりと千代が視線を投げて、小さく咳をすると、冬乃へ向き直った。
「大丈夫よ。沖田様には風邪と信じていただけたと思うわ」
「・・え」
「冬乃さんには隠せないと思うから正直に言うわ。たしかに私、労咳に罹ってしまったみたいね」
冬乃が言葉も無く硬直したのを前に千代は、
「お願いがあるのよ」
静かな声で、そっと続けた。
「この先、私の症状が悪化したら、もう此処には来ないでいただきたいの」
「・・お千代さ・・」
漸う絞り出したのに語尾が掠れた冬乃は。目の前の穏やかな微笑みを浮かべるままの千代を茫然と見つめた。
「絶対よ」
そんな冬乃に、千代が念を押して。
「冬乃さんのことだから、お見舞いに来てくださるどころか、母をさしおいてでも私の看病を買って出そうですもの。そんなの嫌なのよ、」
「いいですこと、冬乃さんは友人。私の親や夫じゃないわ。覚えててくださいね、“赤の他人” の貴女に、看病なんて頼みたくないこと」
その、およそ千代らしくない物言いに。冬乃は千代がわざとそんな慣れない言い回しをしているのだと、気づかないわけにはいかなかった。
「冬乃さんの忠告も無視して“赤の他人” の患者を看病して、あげく病をもらってしまった私が言えたことじゃないけれど・・・でもお願いよ。貴女にうつしてしまったら、沖田様や貴女のご家族に申し訳が立たないわ。病をもらってしまった私だからこそのお願いと受け取って。どうか・・」
返す言葉が見つからず黙り込んだままの冬乃に、千代はつと頭を下げた。
「そして本当にごめんなさい。あんなに止めてくださったのに」
その声に、だが後悔の音色は感じられず、冬乃は唖然と、千代を尚言葉なく見つめた。
やがて顔を上げた千代の瞳は、深く澄んで静かだった。
まるで、己の正しいと信じた道の果てに死ぬことなど。本望と言うかのように。
「病が蝕むものは、肉体だけではないの・・病の末に心から寄り添う存在が居なくなってしまえば、心までもその病に蝕まれてしまうのよ。だけど・・」
静かだった表情に、悲しげな色が滲む。
「今まで、散々みてきたわ。労咳に罹ったと知ったとたん、近寄らなくなったり離縁すらしてしまうご家族をたくさん」
千代が最後に看た患者の家族も、そうだったのだろう。
「そのご家族を、でも冷たいなんて言えないのよ・・だってその方々だって、色々な理由で未だ生きていかなくてはならないんですもの」
「それでも一方で、うつる危険を顧みず、最期まで傍に寄り添うご家族もいたわ・・特に仲の良いご夫婦は・・どんなに患者のほうが、うつってしまうからもう放ってほしいと懇願したって、絶対に離れようとはなさらなかった。そういうご夫婦は、」
連れ添う相手を見捨てることなど、決してしない。
千代に対して沖田が、そうであったように。
「・・強い絆で結ばれているのよ。きっと・・次の世までも」
はっと冬乃は、千代の瞳を見た。
「もう一度、言わせていただくわ」
千代がその深遠の瞳で、そんな冬乃を見返した。
「貴女は大事な友人だけど、そういう強い絆で結ばれた家族ではないのよ」
逆だと、
出会った時からすでに二人が感じていた、強い絆を、
持つ相手だからこそ。千代は冬乃をなんとしてでも護ろうとしているのだと。
冬乃は気づいて。
「だから家族でもない貴女が、危険を背負うことなんかないの。家族だって背負わなくていいのに・・いま母のことも、いずれどうやって説得したらいいのか悩んでいるところなのよ」
千代の意志の強い瞳を冬乃は食い入るように見つめた。
「ほんと、とても私が言えたことではないことは分かってるわ・・だけどどうかお願い。あと少ししたら・・もう来ないで」
喜代が向こうの土間を上がってくる姿を目に、千代は口を噤んだ。
「冬乃さん、かすていら美味しかったわあ」
どこか無理に明るい笑顔で喜代がそんなふうに言いながら、茶を乗せた盆を手に向かってくる。
「ええ本当に。冬乃さん、ありがとう」
千代がすぐに言い添えて。
その千代の笑顔は、常の大輪の花のように清らかだった。
「やっぱり冬乃さんって多才ね」
ふふ、と嬉しそうに微笑む千代を前に、冬乃は唯小さく俯いた。
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