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壊劫の波間
34.
しおりを挟む「あ」
この時間に珍しく。お孝がすでに部屋に来ていた。
「ややわ!どないしたんそのクマはん」
冬乃の顔を見るなり瞠目するお孝に、
(クマはん?!)
お孝のクマの呼び方に冬乃のほうが瞠目しつつも、冬乃は急いで首を振ってみせる。
「よく眠れなかっただけです・・」
朝からそれなりの気温だ。ほんのり滲むのだろう汗をお孝がそっと拭いながら、
「眠れへんかっただけ・・ねえ」
フフと、これまた見透かしたように微笑むので、冬乃はもはや押し黙った。やっぱりそんなに分かりやすいのだろうか。
「仲良うしてはると思てたけど、冬乃はんは言いたいことまだ言えへんこともあるんやねえ」
「・・・」
やはり、お見通しのようで。
お孝とは昨夕も二か月ぶりの再会を果たし、もとより以前も時々部屋で顔を合わせて話をしているので、彼女はもちろん沖田が冬乃の想い人どころか晴れて恋人になっている事まで既に知っている、とはいえ。
「逢いとう思うてたのに逢えへんかったような顔、してはるえ」
どこまでお見通しなのだ。
「でも先ほど井戸場で逢いました・・」
冬乃が仕方なさげに手拭いを掲げてみせると、お孝は小首を傾げた。
「まあ。逢いとうないときには逢うてしまうんやね」
まったくである。
「せやけど沖田様やったら、そないクマはん気になんてしはらへんやろ」
慰めてくれるお孝に、
そうかもしれないけど、と冬乃は弱く微笑んだ。
もうすでに、冬乃は沖田から逃げ帰ってきてしまった。この後、どう繕おうかと冬乃は内心困っている。
「逢いとう思うてた気持ち、素直に伝えなあかんえ」
「・・え」
仕事着に着替え終えているお孝が、行李を押し入れに仕舞うと今一度冬乃を向いた。
「我慢してても、なあんも良い事あらへんし」
なんでも我慢せえへんことが一周まわって夫婦円満の秘訣
と、お孝が片目を瞑る。
(秘訣・・)
「ほな、またね」
冬乃の前を通って、まだ開いたままの障子の隙間から出て行こうとしたお孝は、
「あら沖田様」
ぴたりと止まった。
(え!?)
「おはようございます、お孝さん」
沖田の穏やかな声がした。
いつから居たのだろう。早くも冷や汗をおぼえる冬乃の前、
「あいかわらず、ええ男はんねえ・・!」
お孝がとびきり明るい声を出した。
そのいきなりの挨拶返しに沖田が少し驚いたような顔になるのを、冬乃はそっと覗いてみた縁側の先に見とめる。
「邪魔者は消えまひょ」
そんな冬乃の視界にそそくさと石段へ降り立つお孝の背が映りこんだ。
台詞通りあっというまに去ってゆくお孝から、冬乃はそしてどきどきと沖田へ視線を戻せば、
「冬乃」
優しく愛しそうに呼んでくれる沖田が、冬乃を見上げて。
冬乃は動きが止まったまま茫然と見つめ返すしかない。
「上がるよ」
沖田のほうはさっさと縁側へ上がってくる。
「逢いたかった、というのは、・・つまり」
冬乃に視線を絡めたまま、後ろ手に障子を閉め切った沖田の、
「昨夜、ってことか」
問いに。
そして冬乃は観念して、小さく息を吐いた。
「・・はい」
「だったら、我慢するんじゃなかった」
同時に零されたその言葉を、
(・・我慢?)
冬乃が咀嚼する前に。沖田の力強い腕が冬乃を抱き寄せた。
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