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うき世の楽園
232.
しおりを挟む風呂を焚くとき脱衣所に用意しておいた着替えは、予備の普段づかいの襦袢のほうで。
それと気づかれるはずもないと分かっていても、恥ずかしくて例の襦袢のほうを沖田の目の前で着る勇気が出なかったのだ。
冬乃はこっそり、沖田が風呂場の掃除に行っている間に台所から部屋へ戻って着替えなおした。
(もお。)
冬乃がそんな葛藤をかかえていることなど、沖田のほうはよもや想像もしないだろう。
食器を片付け終えて寝室に戻りながら、冬乃はひとり顔を赤らめる。
寝室の前まで来て冬乃は震える息をついて。そろそろと襖を開けると、だが沖田は居なかった。
布団はすでに敷いてくれてあり。あたりまえのように、ふたつの隙間が無いぴたりとした敷き方で。
揺れる行灯の火がつくるどこか妖艶な空間で、またしても顔が熱くなる感をおぼえつつも冬乃は、沖田を探しに寝室を横断し、客間側の襖を開けてみた。
月光が、庭に面する障子の隙間から射していて。
冬乃はその障子まで近寄ると隙間をそっと広げる。その先に、振り返った沖田を見とめた。
「冬乃」
雨がやみ、薄い雲のとばりから月が出ている。
月光を背に纏う沖田を見上げて、冬乃は小さく溜息を零した。
同時に、冬乃の体は抱き寄せられた。
常の、冬乃を深い安心で包みこむ温もりのなかで。うっとりと、冬乃は天上の月を見上げる。
「満月だったんですね・・」
ずっと雨が降り続いていたから気づかなかった。
「長らくの夜の巡察、本当におつかれさまでした」
そんな雨の中を笠と蓑をかぶって巡察に廻っていた沖田たちに、冬乃は改めて労いの想いでいっぱいになる。
「有難う」
冬乃の真上から穏やかな声が下りて、より深々と抱き締められ。
冬乃は背に受ける硬い胸板に、そっと頭を凭せ掛けた。
「冬乃と、早くこうしたかった」
愛しげに冬乃を迎えるその言葉は。
前にも長くすれ違って逢えなかった後にかけてくれたもの。おもえばいつもこうして、隣にいない喪失感が冬乃だけの想いではないことを沖田は教えてくれた。
それでもきっと、ひとりの夜が寂しくて寂しくて、強く待ち望んできたのは自分のほう。
胸内に呟き。冬乃は温かな腕のなかで、宵の空へ小さく息を吐く。
まっすぐ上には煌々と満月が。見透かすように、冬乃を見下ろして。
「総司さん……」
鼓動が、とくとくと強く奏ではじめる。
伝えたい想いは、冬乃の心の縁から溢れ出すように、苦しいほどに、解放を求める。
きっと禁忌にはかわらない。
冬乃が、それに、それが及ぼす疎外感に、
やっと抗う強さを得ただけ。
だけど、
「私は……もう」
魂からの、この希求を。
「大丈夫ですから」
今度こそ叶えたい。
「だから、お願い…します」
息が、途切れ。
「総司さ…ん、」
押し出す声は、弱くても。
冬乃は、
沖田に向き直り。まっすぐに、見上げる。
「…今夜は」
震える声に、精一杯の想いをこめた。
「最後まで……抱いて」
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