碧恋の詠―貴方さえ護れるのなら、許されなくても浅はかに。【現在他サイトにて連載中です(詳細は近況ボードまたは最新話部分をご確認ください)】

宵月葵

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うき世の楽園

225.

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 音もなく。しっとりと降りつづける雨のなか、
 傘を手に、その白皙を陰に、部屋内の冬乃を見上げる眼は、冬乃の表情の動きひとつとして逃さぬように構えているかのようで。
 
 「・・はい」
 
 だから嘘など、きっと見破られてしまう。そんな緊張に圧されて冬乃は、答えるより他なかった。
 
 
 すでにその返答など予測していたかのように。土方は、ふっと諦めた眼をした。
 
 「結果はどうなる」
 
 
 だがそれでも、今の追ってきた問いにばかりは。
 
 冬乃は、
 「忘れてしまいました」
 
 どんなに嘘と見破られるかもしれずとも、
 
 口奔っていた。
 
 「“この時期の歴史” の勉学を怠っておりましたので。ごめんなさい」
 
 
 幕府側が事実上の敗戦
 
 
 それを、はっきり伝えたところで、土方が知ったところで。
 
 
 (誰にも。どうにもならない)
 
 
 
 強張った冬乃の表情など、よまれていることは感じた。それでも、
 冬乃は前で握りしめた両手に、視線を落とし。頑なに口を噤み。
 
 
 
 「・・・」
 
 
 良い結果じゃなさそうだな
 
 とは土方は言わなかった。
 
 
 
 「・・歴史は、変えられるか?」
 
 
 代わりに投げかけられた言葉に、冬乃ははっと顔を上げた。
 
 
 
 「・・・いいえ」
 
 
 冬乃の答えに、土方は薄く目を細め。「そうか」と呟いた。
 
 
 
 
 横を向いた土方の、傘がやけに大きいと、そんなことをふと思いながら冬乃はまもなく土方が縁側の角を曲がって去っても、まだぼんやり佇んでいた。
 
 
 人がつくるものが歴史なら。
 
 人の命の刻限を変えられない、この世界で、
 変えられる歴史も、また無いということ。
 
 
 初めて此処に来たときの、あの問いの答えは。
 
 冬乃が何をどうしようと。
 歴史の流れは変わらないほうだったのだ。
 
 
 (ううん、・・でも少し違う)
 
 死を迎える原因ならば変えられるということは、
 
 それを変えるという事が、ときに、生き様そのものを変える事になるのなら。
 その日その時までのすべての人々が、違う道を生きることもできるはず。
 
 そして、それができるのなら。歴史も変えられるはずなのだ。
 
 
 (だけど、)
 そんな簡単にいくはずがないことを。もう冬乃はわかっている。
 
 その者がいま進んでいるその道が、望み選んできた道であることもあれば、
 他に確たる選択肢がないがゆえにその道を進みながらも、決して現状を否定的に捉えているわけではないこともあり。
 
 いったいどれだけの人が、違う道を欲するものか、
 
 そして、いったいどれだけの人が違う道を歩めば。歴史の大流までも変えることが叶うのか。
 
 
 
 歴史には、
 歴史を動かす、引き金となる人達がいる。
 
 おそらくはその多くが、後の世に名を残されている人々で、そしてそれには勝者も敗者も問わない。
 結果的に勝者としての働きかけもあれば、結果的に敗者としての働きかけもあり、
 そのどちらもが、作用し合うことで、
 
 そして、そんな彼らの進む道を、共に歩む者が、増えてゆくことで。歴史がつくられてゆく。
 
 その波を、変えることなど到底、できないだろう。
 
 たとえ最初の引き金の存在たちが仮に違う道を欲し、違う死を選び、そうして引き金と成りえなくなったとしても。
 
 元から。その存在たちに賛同する者たちがいたということは、
 
 代わりとなる他の者が必ず現れ、やはり引き金となり、その道を進むのだから。
 
 
 (・・・もし、)
 
 その時期に、ずれがあるなら、或いは、
 同じ結果をもたらさずに。
 
 勝者が敗者となり、敗者が勝者となることもあるのだろうか。
 
 
 
 (だとしても)
 
 
 もう遅い。
 土方のきっと望むような歴史へ、変えることは。
 
 
 この幕末の大流のみなもとは、すでに遥か昔に発していて。
 
 引き金の存在たちだけではない、もう彼らに賛同する者たちもまた、この大波をかたちづくって久しい。
 
 
 
 第一次長州征伐の頃、冬乃は、もしも別の結果がこのとき起こっていれば、と考えたことがあった。
 
 だが、そののちに山南の、人ひとりの歴史さえ。彼の意志は、それを変えることを許さなかった。
 
 
 (別の結果なんて)
 どんな働きかけがあっても。起こりえなかったのではないか。
 
 唯、遅らせるだけ。山南のときのように。
 
 遅かれ早かれ、きっと同じような結果へと収束しただろうほどに、
 
 そして今やこの先の勝者側と敗者側そのどちらをも、またはどちらか一方だけでもその勢いを鎮めるほど多くの者を、違う道へと導くことなど到底不可能なほどに、
 
 この大流は力強く。
 
 止めることなど叶わない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 冬乃の隠しているこの先の歴史が、どんなものなのか、
 土方は問いただせなかった。
 聞きたくなかった、といったほうが正しかった。
 
 
 己で聞きにいっておいて、結局、聞きたくなかったとは笑える。土方は、小さく自嘲に息をついた。
 
 
 (なんにせよ、よほどの結果になるってことか)
 
 土方は、歪めたままの唇を噛みしめ。雨の続く空を睨みつけた。
 
 
 どこかで、覚悟し始めていたことだ。
 
 いつか本当に覚悟ができた日には。己は、冬乃を問いただすだろうか。
 
 
 (だが、その時はすでに・・・・)
 
 
 
 そんな歴史なぞ。
 変えられるものならば、変えてやりたい。
 
 
 だが、冬乃は、変えられないと答えた、
 
 思い詰めた顔をして。
 すでに、試みそして敗れたことがあったのだろうと土方は気づいた。
 
 
 
 (・・・なら俺ひとりでも、抗ってやればいい。最後の一人になるまで)
 
 
 『この身を武士として』
 
 
 思い出すのは山南の最期の言葉だった。
 
 
 『志も、人の世の希望も見失った身で生き永らえるより
 
 決して自棄になるのではなく、私は、私の散り方を選びたく思う』


 山南がもしも生きる道を選んでいれば、今頃、その先見による眼でこの先を同じく見据え、それでいて、この流れに抗い、散る道を。やはり同じように選んだだろう。

 己の信念にのみ従い。
 
 
 この先、どんな運命が待ち受けていようとも。
 
 
 己の生き様を決めるのは、己だと。
 
 
 
 (・・山南さん。案外、あんたにまた会う日は思った以上に近いかもな)





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