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うき世の楽園

198.

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 「・・・おお?!」
 
 冬乃の部屋の方角から揃って歩いてきた沖田と冬乃を見て、井戸場で永倉が声をあげた。
 
 冬乃は、咄嗟に沖田の背に隠れそうになりながら、まだ目撃者が土方じゃなかっただけ良かったと内心ほっとして。
 
 「“健全” な夜でしたよ」
 そんな冬乃をよそに沖田が、にこにこと。永倉の無言の問いへ返答した。
 
 (健全!?)
 今ので結局、そそくさと沖田の背に隠れた冬乃は、
 
 以前、帰京直後の土方に叱られた(と冬乃は思っている)時、そういえばそんな語彙が出てきたと思い出す。
 
 それにしても、不健全な夜を過ごしていた場合、沖田はやはり正直に返答したのだろうのかと、冬乃は内心唸る。
 
 
 (・・てか、何からが不健全なんだろう)
 
 そういえば、そのあたりを冬乃はいまひとつ判っていないまま。
 
 「大体よ、どのへんまでが健全なんだよ?」
 そこにまさかの永倉から、冬乃の疑問の代弁が起こり、
 冬乃はどぎまぎと、目の前の沖田の背を見上げた。
 
 「さあ。その本人が健全だと思う範囲でいいのでは」
 
 「「え」」
 
 永倉と冬乃の声が重なり。
 
 沖田が冬乃を振り返って笑った。
 「なんで隠れてるの」
 
 沖田のもはや無駄に爽やかな笑顔を。見上げた冬乃は返事に詰まる。
 
 とりあえず沖田が健全だと思う範囲を切に知りたくなった冬乃は、だがもちろん聞けるはずもなく、
 「その範囲・・」
 永倉が、恐らくは冬乃の心の代弁を再びしてくれそうな言葉を発した時。
 
 「なんだおまえら、早えな」
 
 (ひゃあ!)

 幹部棟の玄関のほうから、土方の声が遮った。
 
 さいわいにして冬乃達はもう井戸場に来ている。大丈夫なはず、と冬乃は思い直すも心拍の上昇は免れない。
 
 「土方さんこそ、珍しく早いですね」
 沖田が何事も無かったように、けろりと返し、
 
 「あ?ああ、起こされたんだよ、」
 
 土方はというと。急にげんなりした顔で、舌打ちした。
 
 「原田のばかやろうにな」
 
 
 朝から何があったのか。永倉達の興味は、早くもそれへ移動したのは言うまでもなく。
 
 
 
 早々に洗顔を終えた冬乃たちが、急いで幹部棟に向かってみると、
 
 「ふおおおおう・・」
 
 玄関に入る手前から、
 当の原田の弱りきった悲鳴が聞こえてきた。
 
 まだ未解決らしい。問題が何なのかは、まもなく玄関を上がった冬乃たちの目に明らかとなった。
 
 
 原田の部屋から片足が、襖を突き破って廊下に飛び出しているのである。
 
 (て、ホラー!?)
 
 慄く冬乃の横で、永倉と沖田が笑い出した。
 
 「あいつ、またやったのか!」

 (え)
 
 「あ、こら!下手に引くんじゃない!」
 井上の声が原田の悲鳴に交じって、閉じきった部屋の中から聞こえてくる。
 
 「い・・っててて、もう足つっちまうよぅ~!」
 「だからって怪我していいのか!」
 
 
 冬乃はなんとなく状況が分かってきた。
 
 襖は、格子状の骨組みの上に何枚も紙を貼り合わせて作られているはずだ。
 つまり原田の片足は、襖を蹴破った際に、その格子のひとつに見事にはまってしまったのだろうと。
 
 原田の足が突き出ている位置は、人の膝あたりの高さほどある。
 これでは部屋の向こうの原田が、いったい今どんな姿勢なのか心配になるが。
 
 (無理に引き抜いたら、井上様が仰るように怪我しかねない・・)
 
 しかし何故、蹴破ったのだろう。
 
 
 「よしっ、紙は剥がせた。これでよく見えるだろう、さあ引っこ抜くぞ!」
 つと部屋の中から、井上の奮った声がした。
 
 「ふおおおおう」
 原田の雄たけびとも悲鳴ともとれる返答。
 
 廊下側で様子を見ていた藤堂が、しゃがみこむ。
 
 「俺、こっちから押したげるよ」
 
 今しがた井上が原田の足まわりの紙を剥がしたことで、部屋側が少し見通せるようになったその穴を、藤堂が覗き込んで言った。
 
 「た、頼む~」
 原田の涙声が返る。
 
 「足裏くすぐりたくなるな、あれは」
 ぼそっと、冬乃の隣で沖田がドS悪魔な発言をするのを、冬乃は聞かなかったことにして、はらはらと様子を見守る。
 
 「じゃ、いくぞ!ゆっくり、よく見てなるべく擦らないよう引くんだぞ、焦るなっ」
 「ふごおおお・・・ッ」
 
 
 
 そして。
 
 なんとか怪我もなく、無事に原田の足は向こう側へと引っ込んだ。
 もとい、格子にはまるほど勢いよく突き破った時点で、よく怪我をせずに済んだものだと。いろいろ冬乃は不思議に思うものの。
 
 
 「終わったか」
 いつのまにか土方が戻ってきていて。怒りを通り越した呆れきった表情で、足が抜けた後の穴を見やると、すたすた自室へ帰っていった。
 
 「あの、なんでこんなことに・・?」
 事情を知ってそうな藤堂へ、冬乃は恐る恐る尋ねてみる。
 
 「また原田さんの、いつもの寝相の悪さのせいだよ」
 藤堂が立ち上がりながら、苦笑して返してきた。
 
 (あ)
 そうだった。
 
 原田のすこぶる酷い寝相を一瞬に思い出した冬乃は。それでも、
 どうすると、この高さを足が突き破るのか、なお理解できずに首を傾げる。
 
 「夢のなかで賊と闘ってたらしいよ」
 
 冬乃が穴を凝視しているのをみて藤堂が、冬乃の納得していない理由を察し、追加で答えてくれた。
 
 「前にもあったぜ、こんなことが」
 永倉がしゃがんで穴から部屋の様子を覗きつつ、付け足す。
 原田と目が合ったのか、ひらひらと手を振っている。
 
 (前にも、って・・)
 
 もう時々しか泊まることのないはずの屯所でもこれでは、原田の奥方おまさは苦労していそうだと。
 冬乃は噴き出しそうになりながら、彼女に同情してしまい。
 
 原田は結婚してからは、夜番の後や激務期間でないかぎりは、おまさのところへ帰っている。
 
 昨晩は、原田の隊は沖田の隊と共に夜番で、手分けして町を巡察していた。そうして帰ってきた原田が、夢でまで仕事をしているさまなら、もうすこし見直してもいいのかもしれないが。
 
 
 「いやあ、良かった良かった」
 これまで固唾を呑んで見守っていた、人の良い近藤が、四角い顔を綻ばして安堵しているなか、
 
 穴の開いた襖が開き、井上が出てきた。
 「まったく、朝一番に奇声あげて、何事かと思いきや。人騒がせもいいところだよ」
 
 部屋の向こうの障子が、開け放たれている。きっと井上は、わざわざ縁側から回って、騒いでいた原田の部屋に入り、彼を今まで助けたのだろう。
 
 「御無事でしたかな?」
 そこへ伊東が、廊下の向こうから顔を出した。
 
 「あ、伊東さん、朝からお騒がせして申し訳ない」
 井上が原田の保護者さながら頭を下げる。
 
 原田は部屋のなかで、現在、足がつっているらしく悶えているので声が出ない。
 
 斎藤は騒ぎだから出て来ないのか、朝番に行っているのかは分からないが、冬乃は斎藤ならどんな台詞を言うだろうと、つと想像してみるも浮かばない。
 
 原田の部屋から玄関までを伝って、時おり気持ちのいい風が駆け抜ける廊下に佇みながら、そして冬乃はもう、こみ上げる笑いを抑えるのに必死で。原田のつった足をちょっとばかり案じつつ。
 
 (総司さんと家でふたりきりの朝が一番だけど、)
 
 屯所の皆と迎える、こんな賑やかな朝も捨てがたいと。
 冬乃はそんなことを想って。
 
 
 (・・ずっと続いたらいいのに)
 
 こんな日々が、いつまでも続いてくれたらと。
 次にはまた、そんな悲観的な感情が押し寄せてきて冬乃は、慌てて思考を閉ざそうと頭を振った。
 
 
 「冬乃」
 
 掛けられた優しい沖田の声に、冬乃は顔を上げる。
 
 「朝餉まで、俺の部屋に居る?」
 
 (居ます・・っ)
 
 一瞬にして先の思考は消え去って。目を輝かせた冬乃に、
 
 「ほんと見せつけてくれるよなあ」
 永倉の苦笑が追うも。
 
 「冬乃ちゃんが幸せだったら、俺はそれでいい」
 藤堂を見やった永倉へと、藤堂が返事をした。
 
 (藤堂様・・)
 
 「でも沖田にいじめられたら、俺のとこおいでよ?」
 
 (・・ん?)
 いじめられる、という点では日常茶飯事な気が。
 冬乃は押し黙った。
 
 「やらない」
 そこへ突然、沖田の腕が伸ばされた。
 (きゃ)
 腰を攫われた冬乃は、沖田の腕にそのまま腰を抱かれながら、促されて歩き出して。
 
 (いま、やらないって言った?)
 
 どきどきと冬乃は横の沖田を見上げる。
 冬乃を藤堂の元へはやらない、という意味に違いなく。
 
 (総司さん・・っ)
 時折こうして見せられる沖田からの独占欲に、冬乃が本当はその場で舞い踊りたいほど喜んでいることを、沖田はどこまで分かっているのだろう。
 
 
 「ったく、あーもう、二人ともさっさと俺の視界から消えて!」
 藤堂がぶんぶんと顔の前で手を振るのが、冬乃の目の端に映った。
 
 「平助ちゃん大丈夫だ、おまえには俺がいる!」
 永倉が藤堂へ抱きつこうとするのを、藤堂がすばやく避ける。
 「俺もいるぜいッ」
 足が復活した原田が、さらに横合いから藤堂に飛びついた。
 
 「嫌だああぁぁ」
 
 藤堂の悲鳴を背後に。冬乃と沖田は、部屋へと入って。
 
 
 襖を閉めた途端、
 冬乃は強く抱き締められていた。一瞬息も止まるほどのその抱擁に、遅れて零した吐息は、
 
 次には顎を持ち上げられて塞がれた唇へ、まるで押し返されて。冬乃は、
 それからもう、あいかわらず腰が砕けるまで吸われて、
 
 やっと解放されるとともに、しがみついた沖田の襟に頬を寄せた頃には、息も絶えだえで。
 
 躰の、芯が。苦しいほど、熱く。
 
 
 (も・・う、これから朝ごはん・・なのに・・っ)
 冬乃は思う、
 
 「何か、もの言いたげだね」
 
 どこか揶揄うような、それでいて冬乃を蕩かしてしまう甘く愛しげな眼差しで、見下ろしてくる沖田へと。
 
 今だって。まさに冬乃は思いっきり“いじめられている” のだと。勿論、
 愛の籠もった、恋人同士ならではの。
 
 「べつに何も…ありません…っ」
 
 そんないじめを。沖田にならもっとしてもらいたくなるなんてことは、絶対に口にすまいと。冬乃は、目の前の沖田の襟で口を塞ぐ。
 
 「ふうん・・」
 
 尤も、どうせ分かりきっているくせに、沖田が愉しそうに喉を鳴らし冬乃の両肩を掴んで離すのへ、冬乃はちょっと抵抗するも、
 
 「なら、まだ遠慮なく」
 
 あっさりと冬乃の体は離されるどころか、抱き上げられ。
 
 (え)
 反転した視界に、瞠目した冬乃が運ばれた先は。何故か、押し入れで。
 そのまま冬乃は上の段の、布団の上へと降ろされ、
 
 (え?え?)
 追って上がってくる沖田の、朝光の内で柔らかに微笑む浅黒い男顔が、冬乃を見下ろしたのを。冬乃の瞳が映した刹那。
 
 ぴしゃりと押し入れの襖が閉められ、
 視界は、真っ暗になった。
 
 
 
 
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