碧恋の詠―貴方さえ護れるのなら、許されなくても浅はかに。【現在他サイトにて連載中です(詳細は近況ボードまたは最新話部分をご確認ください)】

宵月葵

文字の大きさ
上 下
266 / 472
うき世の楽園

175.

しおりを挟む




 冬乃が、それから夢うつつのまどろみの中、沖田の話し声を聞いたのは。夕の橙光が襖の隙間から煌めく頃だった。
 
 
 
 (この声・・)
 
 沖田の姿が見えず、顔を動かした先、隣の部屋から聞こえてきたのは沖田と、井上の声のようで。
 
 (・・・急な隊務?)
 
 
 起き上がろうとして、冬乃は体の奥の重い気だるさに、深く息をつく。
 先ほどまでの時間を想い出し。冬乃はひとり薄闇で頬を赤らめた。
 
 沖田はかわらずその心の冷静を保ったままに。
 冬乃のこわばりを和らげ、ほぐすように愛してくれた。
 
 (総司さん・・)
 
 いつかは彼と最後まで近づきたい、その想いはむしろ増すばかりで。
 
 それなのに、この底の無い惧れを消し去るには最早どうすればいいのか、もう冬乃には答えが出なかった。一度はあれほど己自身を説き伏せて、心晴れやかになれたはずが。
 
 
 (もう・・いや)
 
 
 此処の世に来た最初の日、蔵で夕陽のなか沖田達を扉の外に見て、あの時に受けた強烈な疎外感を今でも体感で想い出せる。どころか冬乃はもう、あの時のように視覚から体感することすらなく、
 ふとした不意の瞬間に、これまで幾度も『観てきた』。
 
 それはその瞬間にまるで、透明な薄氷の被膜が、肉体をするりと通り越し冬乃の心をひやりと直に覆うかのような。
 
 そしてその冷たさは、
 此処で時を重ねるごとに強くなっている感がしてならない。
 
 
 (だけど・・これまでは)
 
 沖田に触れられて抱きしめられている、その時だけは。
 そんな心が凍える疎外感に覆われても、それは一瞬で温められるように解け落ちて。
 
 彼に抱きしめられ温められて熱をもつのは、肉体だけではないということが、
 
 肉体が、心を凌駕する、
 その、沖田との触れあいによってすでに幾度となく経験してきたことが。
 
 
 (さっきは、・・なのに)
 
 
 禁忌
 冬乃が懼れてきたその行為を直前にしたあの時。
 
 起こることは、無かった。
 
 
 
 (・・・ねえ、お千代さん・・)
 
 私はどうすれば、いい
 
 
 (やっぱり本当に・・・これは決して許される事じゃない、ってことなの・・?)
 
 
 
 
 「冬乃」
 
 つと襖が開き、橙光がすべりこみ。
 
 光を背に沖田が入ってくるなり声を掛けてきた。冬乃が目覚めたことを分かっていたようだ。
 
 冬乃はあまりの眩しさに目を細めて。
 そして半ば体を起こしただけの姿勢で、着物を寄せて胸元を隠しながら、細めた視界に井上の姿が映らなくて内心ほっとした。冬乃を気遣ってどこか離れた所に居るのだろうか。
 
 「これから先生の急用で祇園へ行くことになった。貴女は・・」
 ここにいる?
 と沖田が聞きながら、いつのまに着込んで刀を差したのか、すっかり外出できる姿で懐手に佇んで。
 
 「此処は、幹部しか場所を知らない。来る時に誰かにつけられていない事も確認している。心配は要らない」
 
 来るとしても泥棒だ
 と、沖田はそして笑った。
 
 
 (どろぼう・・)
 たしかに泥棒なら、冬乃でも十分に対処できそうである。
 
 「貴女の護身用に木刀を」
 同じことを考えたのか、沖田がそんなふうに言うと押し入れを指した。
 「あの中に入れてある」
 
 「はい・・」
 冬乃は微笑ってしまって。
 
 「俺は深夜になるかもしれないが、此処へ帰ってくるよ」
 
 (・・・あ)
 
 その響きにとくりと、冬乃の鼓動が波打った。
 
 



 帰ってくる、それは言ってみれば、
 ふたりの家に。ということを強調している響きで。
 
 (嬉しい・・っ)
 
 つい微笑んでしまったのだろう、沖田が微笑み返してきた。
 
 「冬乃さん、」
 そこに、やはり襖の向こうに居たらしく井上の声がして。
 
 「すまないね・・勇さんは、今夜の護衛は総司に頼むのを遠慮すると言ったんだが、歳のやつが・・」
 
 どうやら近藤は気遣ってくれたのだろう、だが土方が押し通したといったところか。
 「いえ」
 襖の向こうの井上へと届くように声を上げて返しながら、冬乃も内心で土方に賛成する。
 
 これまでも近藤には何度かあった。急遽、上から呼び出しを受けて会合へ出席するといった事が。
 そんな時は、沖田が護衛として、
 そして沖田が夕番や夜番の日で、どうしても急すぎて巡察の組を他に振り替えられない場合は、屯所に居る腕の立つ幹部が同行していた。
 
 
 冬乃は思う。きっと土方なら近藤にこう言ったのではないか。
 
 今夜、万一あんたに何かあったら総司は悔やむどころじゃねえし、あいつを呼ばなかった俺のことも許さねえだろ、と。
 
 (私も総司さんにそんな想いはしてほしくありません)
 
 
 近藤の死期は未だ今では無い。だが、怪我となると、記録に無いだけかもしれず。
 死に至る重症の怪我もまた起こらないとはいえ、他のどんな事があるかまでは分からない。
 
 
 「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
 
 つい冬乃は畏まって、沖田へと頭を下げた。
 
 
 「・・いってくるよ」
 
 穏やかな優しい声が、返ってきて。冬乃が顔を上げると、その声の通りの表情で目を合わせてくれた沖田が、一寸のち背を向けて出て行った。
 
 その背を見送った冬乃は、もし沖田が早めに戻った場合のためにも、少し多めに夕食の食材を買い出しに行こうと、あれこれ考え始めた。
 
 
 
 
 
 
 この界隈は野菜を売り歩く女性の行商も多い。
 
 夕食の準備がなされる時間帯のおかげで、干物を担いでいる行商とも出会えて、ひととおりの食材を難なく揃えることに成功し、
 冬乃はそれらを風呂敷に抱えて少々ふらつきながら帰ってきた。
 
 
 沖田の存在さえ周囲に気取られずにいられるかぎり、道ゆく行商人に家にまで来てもらってもいいのだが、彼女たちと話し込んでしまうのもそれはそれで避けたかった。
 
 そこで往来まで出ていって購入するほうを選んでみたのだった。やはり道の真ん中なだけに、それぞれの行商人とは手短な会話で済ませることが出来たので、正解だったようだ。
 

 (お風呂も焚かなきゃ)
 広い台所に食材を並べながら、冬乃はどうしても顔がにやけてくる。
 
 なんだか早くも沖田との結婚生活をしているようで。
 
 それにしてもこうして江戸時代での生活の準備ができるのも、使用人をしていたおかげなのだから、そのきっかけをくれた沖田や土方、あれこれ教えてくれた茂吉たちに感謝してもしきれない。
 
 
 (ん・・)
 
 起きがけの倦怠感が納まっていることに、体を自在に動かしていた冬乃はふと気がついた。
 夕方までいつのまにか少し寝ていたおかげもあるかもしれない。
 
 同時に冬乃はふたたび、昼間の沖田との濃厚な時間を想い出してしまい、誰もいないのに一瞬つい顔を覆った。
 
 
 (倦怠感とか)
 冬乃の此処での体はこうして、この世界にこんなにも如実に存在しているというのに、
 
 どうしてこれに住まう精神・・心までは、受け入れてもらえないのだろう。
 
 (魂は・・?)
 
 
 冬乃はおもわず、まな板と包丁を取り出そうとした手を止めた。
 
 (・・・そもそも)
 
 千代から受け継いだかの魂はまるで、冬乃の心を操って、
 そして冬乃の心は、この借りものの体を操って。
 
 そして、ときに逆転し。体が、体感が、心を操ってきた。
 
 でも魂は。
 
 
 (決して私の心にも、この体にも、操られることは無い・・・てことだよね)
 
 
 「・・・・」
 
 冬乃は混乱してきて。
 
 やがて諦めて思考を停止させた。
 
 
 (ごはん)
 
 いいから、ごはん作ろう
 
 冬乃の “心” は、自身の “心” にそう命じると。気持ちを準備へと集中させ、ふたたび手を動かし始めた。
 
 


しおりを挟む
感想 71

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

処理中です...