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解けゆく時

160.

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 一夜明けて。
 さいわいに殆ど覚えていないものの、恐らく悪夢にうなされていたかの頻度で冬乃は、浅い眠りを繰り返して朝を迎え。寝不足で、気持ち悪いほどの体調ながら、なんとか朝食をとって。
 
 「気をつけて行ってきなさいよ」
 未だに慣れない一昨日からの会話量に戸惑いながらも、冬乃はそうして母の見送りを背に京都へと出立した。
 
 
 昼前の11時に京都駅のホームに降り立った時、冬乃は高鳴る鼓動を胸に、統真に電話をかけた。
 
 (暑い・・・)
 
 呼び出し音が鳴っている間、早くも流れ始める汗に、冬乃は手の甲で首すじを払う。
 
 だが、呼び出し音は留守番メッセージの録音へと切り替わり。
 後でかけ直すしかないと諦めて、冬乃はひとまず駅を出ることにした。
 
 
 冬乃は先程の新幹線の中で、時おり寝落ちしてしまいながらも、統真と会う前に先に電話で伝えておく事をメモに整理しておいた。
 当然に、会った瞬間にタイムスリップは発動してしまうために、
 統真に伝えたいことは、電話やメールなどで事前に伝えるしかないのだ。冬乃は統真のメールのアドレスを知らないので、電話口で伝えることになる。
 
 冬乃はその箇条書きにしたメモをバッグへ一度戻して、かわりに特急券の切符を取り出すと、改札を抜けた。
 
 
 駅を出て。最初に目についた喫茶店に、冬乃は飛び込むように入った。
 涼しい店内の一角にそっと座りながら、冬乃はテーブルに置いた携帯の横へ、再びメモを取り出して並べる。
 
 (まず、)
 統真には、“体調が悪いので” 会っている時に倒れるかもしれないと、冬乃は言ってしまうつもりでいる。
 そして、その場合どこかの病院に運んでほしいが、また一時的なことだろうから母には心配をかけたくないので、病院側が待てなくなるぎりぎりまで連絡しないでもらえることはできないかと、相談し、
 そんな迷惑をかけてしまう事を先まわりして謝って、
 
 (そして・・、もうしばらくは、私に会わないようにしてもらうように・・)
 
 どう頼んだら不自然でないのか。結局、これに関しては名案が浮かばずじまいだったが、それでも頼まないわけにはいかない。
 
 (それにお千代さんの、薬を)
 貰えないかと、ダメ元でも聞いてみなくては、と。
 
 
 冬乃はメモから視線を逸らし、溜息をついた。
 これだけのことを頼む図々しい己に呆れようとも、それでもこれらの“おねだり” は敢行しなくてはならない。
 
 注文を取りに来た店員にアイスティーを頼み、なにとはなしに冬乃は数席向こうの窓の外を見た。陽炎にゆらぐ路上の様子が、こちら側の涼しい店内を小さな楽園のように思わせる。
 
 冬乃はまもなく運ばれてきたアイスティーを、乾いた喉に押し入れるように一気に飲み干した。

 そろそろもう一度かけ直してもいいだろうか。冬乃が暫く後そして携帯を手に取ったとき、
 (あ)
 不意の着信とともに、
 液晶には、統真さんと表示が出て。冬乃は慌てて通話ボタンを押した。
 
 
 (てか、服・・ぅ!!)
 
 また忘れてた。
 冬乃は、俯きかげんで携帯を耳に当ててつと目に入った自分の太腿に、今更ながら思い起こして慌てる。
 
 今日はもちろんパジャマ代わりのキャミソール一枚の恰好でこそないものの、
 ミニ丈のワンピースから脚がおもいっきり覗いた、やはり幕末ではありえない恰好に変わりなく。
 
 (もうぅ、ばか)
 
 「冬乃さん?」
 
 電話の向こうで統真の訝る声が聞こえた。冬乃が電話に出たまま無言だったためだ。
 
 「あ、ごめんなさ・・、えと」
 急いで電話へと意識を戻し、冬乃は次いでテーブル上のメモをバッグへ戻し、伝票を手に席を立った。
 
 「いま京都駅の近くにいます。これから伺ってもいいでしょうか。あの、でも、先にお伝えしたいことが」
 
 「ああ、丁度良いや。いま俺も駅まで来ているからそっちへ行くよ、どこにいる?」
 
 
 (え)
 
 冬乃は顔を上げた。思わず目を奔らせた窓の向こう、駅へと歩いてゆく統真の姿が、交差点を挟んだ反対側の歩道に見えて。
 
 (あ・・)
 この距離って

 大丈夫だったっけ
 
 どきりと硬直した冬乃に、しかし例の霧は現れず。
 ほっとしながらも、冬乃は首を傾げる。
 
 (そういえば、どうなってるの)
 今のように、こちらが一方的に統真を見ている場合には、タイムスリップは起こらないということなのか。つまり、互いが互いの姿を認識しないかぎり・・?
 
 いや違う。
 そもそも毎回、冬乃は統真の姿を見ているわけではない。それでもタイムスリップは発動する。
 冬乃が統真を見ているかどうかは関係が無いのだ。
 あくまで統真が、冬乃を見た時なのだろう。
 
 (あれ・・・でも、下の玄関に来てくれた時、顔あわせてはない)
 
 
 「冬乃さん、聞こえてる?」
 「は、はい!」
 「今、どのへん?」
 (う)
 
 冬乃は焦った。
 「近くの・・喫茶店にいますっ・・今から出て、こちらから伺いますので。統真さんはどちらへ、・・」
 
 「話するんだから、その店に居て。俺が向かうから」
 「あ、」
 「何て店」
 
 (どうしよう)
 「ちょっと・・だけ、このままお時間いただけませんか」
 
 「・・このまま?」
 「このまま電話でお話したいことがあって」
 「すぐ会うのに・・?」
 
 確かに、まったくもって、明らかに変だ。
 
 「その・・・すみません」
 いっそタイムスリップの事象を話してしまおうかとの考えが冬乃の脳裏によぎるが、唐突すぎて理解されるはずがないと、すぐに思い直し。
 
 「め、面と向かってはお願いできないことなんです」
 
 「・・・何」
 
 どこか苦笑するような声と共に。
 冬乃の凝視する窓の外、統真の姿が立ち止まったのが見えた。
 
 
 「いいよ、じゃあ話して」
 
 この距離は。
 いつかの昼休みに、交差点で向こうから来る統真を見かけた時の距離と、そう変わらない。
 (あの時・・)
 
 目が合い。合って、統真がしっかりと、冬乃の体調を気遣うかのように心配そうに見てきたのだ。
 冬乃はその残像を思い出した。
 
 
 (・・・もしかして)
 タイムスリップが、起こるのは。
 
 ふたりの肉体の距離が近づいて、そして、

 ただ統真の目に冬乃が映るだけでは無くて。そもそも、その肉体の目で見たかどうかは必要では無く、
 
 統真が、
 “見る” は見るでも。彼の意識なり何か、内在の『目』が、冬乃を見た時。
 
 
 玄関で顔を合わせていなくてもタイムスリップが起こったのは、
 統真が訪ねてきて、そのとき二階に居る冬乃の方へ、彼がその『目』を向けてきたから。
 
 
 
 「とりあえず、暑いから俺もどこか入るよ」
 
 冬乃の見つめる窓枠の、中。
 統真が振り返る。
 
 それはスローモーションのように。冬乃の視線と、統真の視線が、
 かち合って。

 統真が瞠目した。


 冬乃は、そのまま、霧に覆われた。
 
    








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