碧恋の詠―貴方さえ護れるのなら、許されなくても浅はかに。【現在他サイトにて連載中です(詳細は近況ボードまたは最新話部分をご確認ください)】

宵月葵

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解けゆく時

155.

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 「・・今までずっと、」
 そんな母を前にして。
 
 「産んでなんて頼んでないって、言ってきたけど」
 
 冬乃は、緊張のあまり母の目から逸らしそうになるのを抑えて、
 母を見据えた。
 
 「今は、産んでくれてありがとうって思う・・」
 
 
 「・・言いたいのはそれだけ」
 恨み言ならば、あるものの。それを口にするつもりも無い冬乃は、そして顔ごと背けた。
 
 「あんたが、」
 だが背けた冬乃の耳に、母の押し殺した声が届いた。
 
 「このまま起きなかったらと思ったら・・・怖くなった」
 
 
 おもわず冬乃は再び母を見た。
 
 「・・私こそ、」
 母の少し震える声が。
 
 「あんたに産まなきゃ良かったなんて言ってしまって」
 目を合わせてきた母から零れ。
 「そんなこと思うよりもはるかに、あのとき産む決心して・・あんたを諦めなくて、本当に良かったって、」  
 
 「あんたには・・産まれてきてくれてありがとうって。・・・思ってるのに」
 
 
 零れ落ちてきた、その予想もしなかった母の言葉は。冬乃の心の内に、少しずつ意味を成して沁みわたってゆき。
 
 冬乃は茫然と、先の自分のように顔を背けてしまった母の横顔を見つめた。
 
 「お母さ、」
 「あんたには父親が必要だと思ったの」
 
 (え・・?)
 口走るように放たれた次の母の台詞に、だが冬乃は息を呑んだ。
 
 「前にあんたが・・実の父親に会いたいと言ってきた時、・・どうしても会わせたくなくて。あんたを取られたらと、思うと」
 
 「なん・・で」
 
 冬乃から目を逸らしたままの母が、自嘲にか小さくその頬を歪ませた。
 
 「あのころ仕事ばかりだった私をあんたは嫌になったんだと思って。今にしておもえば、どうして信じられなかったのか・・あの頃のあんたが、私を見捨ててあの男のほうを選ぶはずなかったのにね」
 
 (見捨てる・・って、・・何言ってるの・・?)
 
 「父親を与えればあんたの気持ちも変わるかもしれないと、もうあの男に会いたいなどとも思わなくなるかもしれないと、願って。だから再婚した」
 
 
 
 冬乃の瞳は目一杯に見開かれたに違いなく。冬乃に視線を合わせないままの母に、その様子は映らなくとも。
 
 
 あんな男のことを口にするな
 そう怒鳴った母の顔を冬乃は今でも鮮明に想い出せる。
 
 あのとき母の心の、ふれてはいけない部分にふれてしまった冬乃に、母は愛想が尽きて、冬乃より義父を選んだのだとばかり。思っていた。

 (なのに、私に父親を与えるため、って・・・そんな)
 
 
 「でもね、あんたの為と思いながら・・私の為だったのね。あの頃は、仕事で大きな失敗して・・そんなのあんたには関係無いのに、でももう、疲れてたのよ。私ひとりで何もかも背負うのが」
 

 連日のように遅く帰宅していた母の、疲れ切った姿を冬乃は想い起こす。
 
 幾度となく、考えた事だった。あの時にもっと母を気遣っていたら、もっと援けていたら、母に愛想を尽かされることもなかったのだろうか、と。


 「あのとき通い出した心療内科の医者には、私はあんたに依存しすぎだと言われるしね」
 
 冬乃の戸惑いを置き去りに、母の悲鳴のような告白が続く。
 
 「依存しすぎなら、あんたとの・・距離を、どうとればいいのか分からなくなって。きっと、それも変わると思ったのよ、もうひとり家族ができたら」
 
 冬乃に何も言わずに突然再婚した母の、そうしていま明かされたその時の心境に。
 冬乃は、もはや呆然と母を見つめた。
 
 
 あの頃の。漠然と冬乃にとって大人の存在であったはずの母は。孤独のなかで悩んで苦しんでいた、
 大人でも母でもある前に、ひとりの女性だった。
 
 今の冬乃になら解る気がする。あの頃の冬乃には、きっと理解できなかった事でも。
 
 「依存、してくれててよかったのに」
 冬乃は呟いた。
 
 
 親が大人である事を、
 当然のように思っていた冬乃に。母は精一杯に応えようとしていたのだろう。
 
 それが解らなかった冬乃には、ただ突然、心を閉ざした母の背しかみえなかった。
 だからこそ、あの頃の冬乃に対しては、
 「変に距離なんかおかないで、もっと話してほしかった・・」

 だがそれを今更言っても、もう仕方がない。
 
 
 「これからは、・・できれば」
 
 まだ、間に合うかもしれない。
 
 愛されていた記憶と。幸いに今も、愛されているのだと、感じることができた心のままに。
 沖田が提案してくれたように、只、成り行きに任せてみようと。もし未だ母との関係が修復できるのなら、きっと、そうなってゆくだろう。

 
 冬乃は、どこか怯えたようにすらみえる瞳を向けてきた母と、目を合わせた。
 
 「もっと話して、ください。・・私も、そうさせてもらうから・・」
 
 
 母は。見開いた瞳を揺らし、
 再び視線を逸らすように小さく頷いた。
 
 「もう、少し横になりなさい・・まだ目が覚めたばかりだから、きっと体に障るでしょ」
 
 栄養を摂り入れるための点滴が繋がれるままの冬乃に、そして母は困ったように囁いた。
 
 
   

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