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五蘊皆空

153.

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 敬語抜き。
 
 以前に棒読みでしか果たせなかった難題に。
 冬乃は内心、戦慄中である。
 
 そして例に漏れず緊張で煮物を喉に詰まらせかけた冬乃が、
 (そうだ話さなきゃいいんだ)
 導きだせた自己救済策は、無口を貫く。で。
 
 
 
 あえなく玉砕に至る。
 
 
 「そう、古着屋に行ったんだ?なら現在持ってる服は、全部で何着」
 
 先程からの沖田との会話。
 全てが、首の縦横振りだけでは答えられないものばかり。絶対わざとに決まっている。

 「ええと・・六、いえ、七着で・・・ある」
 
 七着です。
 今もまた、ですます調で答えかけた冬乃は咄嗟に、であるに変換してしまった。この際、冬乃の喋りとしてはキャラじゃない。だとかは言っていられぬ。
 
 「そう。次買うとしたら、どんな色で、ガラは」
 
 沖田が更に畳みかけてくる。
 
 「す・涼しげな青系とかで、でもガラについてはすみま、隅まで青々しているガラを」
 
 すみません、詳しくないのです
 危うく言いそうになってしまった台詞は、突如まったく違う台詞へと化した。
 隅まで青々しているガラとは何ぞ。そんなのは言ってる冬乃本人にももちろん謎である。
 
 「じゃ、次の俺の非番あたりに一緒に見に行こうか」
 
 「は、・・やく総司さ・・きに、私も準備しておきたいから、非番の日わかったらすぐおしえて」
 
 はい!と嬉々として即答しかけ、咄嗟に、はやく総司さんの非番の日が来ないかな、に変換、
 しようとして、
 現在『総司さん』も禁じられているため(そしてこれが一番冬乃には難しい。)
 総司、先に、とさらに変換し。そこへ何とか文を続けたところで、
 
 ついに冬乃の息は切れた。
 
 (むり・・・!もうむりっ)
 
 
 冬乃からは変な返答の連続なのに、普通に会話を続けてゆく愉快そうな沖田を横に、
 
 幹部棟へ帰る道すがら、
 真夏の夜の生ぬるい微風に纏われながらも冬乃は、背に酷くひんやりとしたものを感じている。
 
 (総司さんのいじわる・・っ)
 
 「フ」
 冬乃の息遣いだけで、冬乃の心の叫びをも読み取ったかの絶妙な時間差にて、沖田がその相好を崩すなりニヤリと哂った。
 
 案外よくここまでがんばっている。とでも思っているに違いなく。

 
 
 すっかり沖田の玩具状態な冬乃だが。
 
 難題を遂行すべく焦る反面、どうしても彼にこうして揶揄われることが嬉しい自分を想うに、どうやら、
 (私ってドMだったのか・・・)
 冬乃は溜息をつく。
 
 今夜はこの調子が続くであろうことに、
 幸せと同時に緊張で心拍がおかしなことになりつつも。冬乃はおそるおそる沖田を盗み見た。
 
 これから近藤が休息所へゆく護衛を兼ねて、共に紺屋町へ駕籠で向かうのだ。そして、その後に冬乃と沖田は・・・
 
 
 (・・きゃあああぁぁぁ)
 
 想像してはいけなかった。
 よけいに乱れた心拍で酸欠になった冬乃は、慌てて前へ向き直る。
 
 「冬乃」
 (きゃう)
 
 そこへ間髪置かず沖田から声を掛けられ、冬乃は跳ねた。
 
 「貴女は一度、部屋に戻って帷子に着替えておいて。先生の準備が整ったら迎えにいくから」
 
 「は、はい」
 
 (あ゛)
 
 沖田の目が細まった。
 冬乃は。黙り込んだ。
 
 はい、ではなく。うん、であるべきところだったのに。
 
 (や・・・やば)
 
 
 「冬乃」
 
 にっこりと沖田が微笑む。
 
 
 「どうやらもっと“お仕置き”されたいようだね」
 
 
 邪気溢れるドS笑顔の、愛しい彼は。
 
 「・・ならば、お望みの侭に」
 震える冬乃の、頬へと手を伸ばし。

 「たくさんしてあげるよ」
 
 優しく撫でながら。恐ろしい宣告を下した。
 
 
 
 
 低い穏やかな彼の声に、冬乃を揶揄う音が混ざって、冬乃だけに向けられる愛しげな声音と成る。
 
 そんな声も当然大好きな冬乃は、まさにその声で下された先程の宣告に、
 沖田の着物を脱ぎながら、ぶるりと、いまいちど身を震わせた。
 
 (いったい何が待ってるんだろ・・・)
 
 どこかで、この後を期待している己の心に、冬乃はもはや失笑する。
 もう確実に沖田に、着々と“調教”されている気がしてならない。
 
 (めざめたらどうしよ)
 想像もしていなかったSMの官能の世界・・だとかが、待っているのだろうか。
 
 (て、もう何考えてんの・・っ)
 
 冬乃は。大慌てで首を振った。
 狂った心拍が。直りそうにない。
 
 沖田の着物を脱ぎきり、畳にするりと落としながら。息が乱れたままに、
 冬乃は、つと襦袢の下の湯文字を見下ろした。
 
 先程濡れてしまったこの湯文字も、替えたほうがいいだろう。
 (っ・・)
 想い出せば、
 それだけでまた、息があがる。
 
 
 沖田になら、何をされても受け入れて。歓んでさえ、いて。
 
 だから今夜も。沖田にだけは、もうずっと以前に冬乃が認めざるをえなかったように、 
 
 (“好色”・・・てコト、だよね・・)
 
 体が、なのか。
 冬乃にはよくわからない。
 
 心が、なのか。魂なのか。
 
 
 何による希求であっても。
 
 
 
 冬乃は、襦袢と湯文字も畳に落として。行李から新しい湯文字を手に取った。
 全裸となった己の体に目をやる。行灯の揺れる橙光のなかで、先程沖田が付けた跡が、乳房の脇に見えた。
 
 浅いままの吐息をひとつ零し、冬乃は、湯文字を着けると再び屈んで新しい襦袢も手に取った。とくとくと速い鼓動を耳に、襦袢に袖を通し、前の紐を結ぶ。
 
 またすぐ脱がされる、・・または命じられて脱がさせられる、だけなのに。いちいち全てを着込んでゆく自分は、きっと隠そうとしているのだろう。彼を求めてやまない、体なり、心なり或いは魂を。冬乃は小さく苦笑し。
 
 (不思議・・)
 一方で、冬乃は己の理解の及ばない領域につい想いを馳せる。
 
 なぜにも沖田が話してくれたように、体も意識の心も、現の世で生きるための器なのかもしれないのに、こんなにも囚われているのだから。
 そもそも生きているということが、そのままこうして魂が器に囚われていることなのだろう。
 
 (でも私の体は、本来の世にある)
 此処の世に冬乃が属せない、帰属を許されていない、冬乃を苛み続けるその感覚は、
 (そういうことなのかもしれない・・)
 
 この魂は、平成に在る自分の体に囚われているままで。
 どんなに此処で、こうして肉体を持ち、あらゆる五感を備えていても、仮のもの。
 
 「・・・」
 強い寂寥感に、冬乃は一瞬目を瞑った。
 
 
 (それでも、・・同じこと)
 
 冬乃は帷子を拾い上げ、慣れた要領で体に纏っていった。
 
 (どちらにしても、)
 
 どの世であっても。
 もし体は、魂がその世で生きるための仮のもの、いや、借りのものであるのなら。平成に存在する本来の肉体であろうと、此処に何らかの方法で存在するこの肉体であろうと、借りのものという点では変わらないのだ。
 
 その肉体の、五感に。
 囚われ。
 溺れて、意識の心も凌駕するほどに。
 
 沖田のおかげで冬乃は、そんなひとときを知ることができた。
 難しいことは分からない。冬乃は只、その奇跡の幸せを、いつかに心に決めたように、まっすぐに受け止めて、
 そして沖田の言ってくれたように“享受”しよう、と。
 
 思い直し。
 冬乃はそっと大きく息を吸って。まだ震えるままの息を吐いた。
 沖田に、今夜、この体を愛される時を前に。
  




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