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五蘊皆空
146.
しおりを挟む町に着いて二人は駕籠を降り、最初の店に向かう。
すれ違う人々から強い視線を感じるが、やはり女の男装だと容易に見破られてしまっているのだろうか。冬乃は顔を伏せるようにして、近藤の後に続く。
まもなく入った小物屋には、冬乃の瞳がおもわず輝いてしまうような、あらゆる種類の簪や櫛が並び、一瞬ここへ来た目的を冬乃は忘れかけて。
慌てて冬乃は、隣でどれがいいのか分からなそうに早くも目を回し始めている近藤を向く。
「あ・・の、お妾さんはどんな方ですか。普段、彼女がよく使われている色とかも教えてください」
近藤がほっとしたように冬乃を向いた。
「とても淑やかな女性だよ。私などは色遣いには疎くてよく分からないが、みるたびに違う色を着ている気がするよ、・・ただ、印象としてはそのどれもが落ち着いた色が多いように思う」
(完璧すぎる。)
冬乃は近藤の回答に、おもわず瞠目していた。
大体、みるたびに違う色を着ているなど、よく彼女に気を配っていなければ分からないのではないだろうか。
(きっとほんとに大切に想ってるんだ・・)
おもえば、贈り物も他人任せの適当になどせず、こんなふうに見立てを欲し、そして自ら買いに来るほどの人だ。
近藤が色街の女性達に人気がある理由が、冬乃は分かった気がした。決して使う金額だけではない、無骨そうにみえて濃やかな近藤の持つ魅力ゆえなのだと。
(さすがは総司さんの尊師)
冬乃は嬉しくなって、今の近藤からの完璧なまでの情報を元に、居並ぶ簪を端から見ていくことにした。
(落ち着いた色が多いってことは・・・)
逆に小物の一点を引き立たせるならば、ありかもしれないと。冬乃は、煌めいて派手めな色遣いの簪を幾つか選び出し、近藤の前に並べる。
落ち着いた色の中から選んでくると思っていたらしい近藤が、驚いた様子で目の前に並んでゆく色とりどりの簪を見下ろしている。
「お淑やかで、気品のある艶やかな女性だと想像しました。そういう方こそ、こういった濃い色の小物が品良く似合うと思います。普段使われていない色だからこそ、おもいきって贈ってみてはいかがでしょうか・・というより、」
顔を上げた近藤に、冬乃はにっこりと微笑み返す。
「近藤様からの贈り物なら、きっと本当のところは、なんだって嬉しいと思いますけども」
彼女の喜ぶ顔を想い起こしたのか、近藤は少し照れたような顔をした。
「この中で、彼女に一番似合いそうな物、ありそうですか?」
冬乃の問いに。近藤が簪を再び見下ろし、真剣な表情になって選び始めた。
「これ・・のように思う」
やがて近藤が持ち上げた簪は、冬乃もじつは並べた中で一番美しいと思っていた物で。
冬乃は想像の中の彼女に、その簪を合わせてみた。
(うん)
絶対、似合う。
「近藤様がそうお思いになったのなら、間違いありません」
近藤は、冬乃の確信に満ちた声に、安堵した表情になって。
「有難う」
にこにこと頷いた。
「やはり冬乃さんに来てもらって良かった」
冬乃のほうもほっとして、首を振った。
「お役に立てたなら嬉しいです」
入った最初の店で贈り物が決まったので、二人は早々に帰ることにした。
往来の邪魔にならないよう町の角で待たせてある駕籠へと、二人はあいかわらずの炎天下で生じている陽炎の中を歩む。
町中はさすがにこの気温でも、人通りはそれなりにあり。
やはりこの気だるくも平穏な昼下がりに、斬り合いなんて起こらないはずだと冬乃はぼんやりと思う。
二人はまもなく、次の角を曲がれば待たせている駕籠がいる路地まで、難なく戻ってきた。
(・・あれ?)
「冬乃さん」
近藤が前でゆっくりと立ち止まった。
振り返らぬままの近藤の背が、腰の大刀に手を遣る。
「このまま今来た道を戻って、貴女は先程の店へ。そこで屯所に使いを頼み、待機していてくれ」
「・・ですが・・っ」
近藤の睨む路地の先では、
待たせているはずの、あれだけ賑やかな駕籠かき達の声がいま全く聞こえず、不気味なほど静まりかえっていた。
明らかに近藤の様子では、そこにある別の気配も、殺気も。感じているのだろう。
つまり、
(待ち伏せ・・)
「近藤様だけ置いていけません・・!」
小声で返す冬乃に、
だが近藤は前を見据えたまま首を振る。
「貴女が安全な場所まで行ったのを確認したら、私もすぐに追う。向こうは未だこちらに気づいていないところへ、一人でわざわざ飛び込む必要は無い」
(あ・・)
近藤の言葉に少し安堵した冬乃は、「承知しました」と一言小さく返して。
急いで今来た道を引き返し始めた。
ここで押し問答をしているより、言う事を聞いて冬乃が急いだほうがいいと。
冬乃のことを待たず近藤も一緒に引き返してほしいところだが、近藤は何としてでも先に冬乃の安全を確保するまで動かないだろう。
一緒に行動しては、もし移動し終えるよりも前に敵に気づかれた場合に、冬乃を戦闘に巻き込むことになると、近藤は心配しているのだ。
しかし結局これでは、近藤の足手まといではないか。冬乃がいなければ、今からすでに近藤は引き返せたのに。
冬乃は急ぎながら、溜息をついて。
(ごめんなさい、総司さん)
今はとにかく冬乃に課された事をするしかない。滲む汗を払いながら冬乃は小走りに急いだ。
二つめの角を越し、あと数歩で先程の店の前というところで、冬乃は振り返った。
近藤が暫し後、こちらをちらりと見て、冬乃が十分に遠くまで来たことを確認し。遠目でも分かるくらいに、ほっとした様子で、やっと近藤もこちらへと向かい始めたのを。冬乃もまた、ほっとしながら見守り。
だが、数歩も来ないうちに、近藤は再び冬乃へ背を見せた。
(・・え)
刹那に。
近藤の向こうの角から、浪人達がばらばらと走り出てきたのを、
見とめて。
冬乃は咄嗟に、先程の店へ駈け込んだ。
「すみません・・!」
突然飛び込んできた冬乃を見て驚いた客に、冬乃はもう一度「すみません」と口走りながら、
先程応対してくれた店の者を見つけて駆け寄る。
「お西さんの新選組屯所に、この先の路地で局長が襲撃されているため援隊を寄越すよう、伝えてはいただけませんか、お願いします・・っ」
店の者は頷いて、すぐに裏へ入るとまもなく、使いの者が走り出て行き。
「有難うございます・・!」
冬乃は、すぐにまた店を飛び出して、
考える間もなく。再び近藤の元へと走り出していた。
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