碧恋の詠―貴方さえ護れるのなら、許されなくても浅はかに。【現在他サイトにて連載中です(詳細は近況ボードまたは最新話部分をご確認ください)】

宵月葵

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五蘊皆空

141.

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 曇り空の昼下がり。近藤達が松本を案内して廻っている間、
 冬乃は酒宴の用意のため、厨房に来ていた。
 
 茂吉の指示に従いながら調理をしていく。
 気を抜けば、あいかわらず昨夜の映像が頭に流れ出して手が止まる冬乃を、お孝がまるで全て分かっているかの表情で、そのたびにつついてくれて。
 
 茂吉がやがて手水と言って厨房を出て行った隙に、お孝が「冬乃はん」と嬉しそうな声をあげた。
 「え?」
 隣のお孝を見た冬乃に、
 
 「ついに、好いた殿方はんと結ばれはったんやなあ」
 と、
 ぎょっとする台詞が囁かれた。
 
 
 「ど、な、?」
 どうして・・なぜそう思うのですか
 言おうとした問いが動揺のあまり、おかしな短縮形になる。
 
 「ふふ」
 それでも分かったらしいお孝が、口元に手を添えた。
 「そない幸せそうにしてはったらね」
 
 (そ、そんなに?)
 
 「艶っぽい溜息までついて」
 言いながらお孝がくすくすと笑い出したところで、茂吉が戻ってきた。
 
 
 二人慌てて仕事に戻り。未だ声を抑えて笑っているお孝を隣に、冬乃は再び冷や汗をおぼえる。
 
 (もしかして)
 さっき土方の視線がなんとなく痛かったのは、そういうことなのではと。
 
 (まさか土方様の部屋まで、・・聞こえていたはずはないだろうけど)
 
 勘の鋭そうな土方のことだ。何か気づいたのかもしれず。
 
 
 (あれ、でも。約束、破っては無いよね・・・ち・・”乳繰り合って”はないもの)
 
 
 そもそも乳繰り合うって、具体的に何なのだ。
 冬乃は今更ながら首を傾げる。
 
 土方の物言いといい、沖田と土方のやりとりを聞いてきたかぎりでも、つまりは男女がいきつくところまでいく事なのだろうとは、想像しているものの。
 
 
 
 (だ、だめもう)
 
 昨夜のことは。いろいろ冬乃の心が処理しきれる範囲を超えている。
 そうして只々巨大な幸福感になすすべなく圧し潰されているような状態で。
 
 それでも人は皆、こういうことにそのうち慣れてしまうのか。不思議になる。
 
 冬乃は人生の先輩でもあるお孝に、聞いてみたくなってつい、ちらりと隣の彼女を見てしまった。
 
 お孝が「ふふ」と、そんな冬乃をお見通しのように見返して。
 
 
 (て、聞けるわけないから!)
 
 冬乃はすぐに前へ向き直るのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 (なんか豚臭い・・)
 
 
 一昨夕は酒宴も無事に終わり、あいかわらず土方からは微妙に嫌疑とおぼしき視線を受けつつも、
 冬乃も近藤の後ろで、松本が駕籠に乗って去るのを見送って。そのまま後始末に厨房へそそくさと逃げたのだった。
 
 
 その後は、夜番の沖田とは顔を合わせることがないままに、早くも寂しくなりながら独り自室の布団で寝て。
 
 (これだから私は・・)
 元々一人寝が当たり前なのに、
 冬乃は、その夜せつなくなってしまった己に自嘲の念がやまない。
 
 もっとも今朝に至るまでせつない原因は、昨日丸一日、沖田が所用で出払っていて、またも殆ど顔を合わせなかったことが大きい。
 
 
 (・・・やっぱり豚臭い)
 
 
 そして冬乃は。朝の井戸場に立ちながら、思考すら遮るその臭いに、風の向かってくる方向をおもわず凝視した。
 以前、学校の課外授業で養豚場へ行った時にしていた臭いと、同じ臭いがしてくるのだ。
 
 
 (うそでしょ・・もう豚、届いたの?)
 土方が“拙速”を実践したのだろうか。一昨昼に即行で手配したとして、まだ二日と経っていないというのに。
 まさか豚たちを駕籠にでも乗せてきたのだろうか。
 
 (そして柵を作ってない・・?)
 
 
 もし豚を柵で飼うとしたら屯所の中心地で行うはずだが、
 それならここまで強い臭いが届くとも思えず。
 
 柵など無しに、いま豚たちがすぐ近くまで遊びに来ているような気がしてならない。
 
 
 そこまで考えて冬乃は、線香の匂いがするはずの寺で豚の臭いという状況に、もはや噴きそうになった。
 
 西本願寺の中で、組の屯所の区画は塀などでしっかり囲っているので、放し飼いにしたとて、豚が寺の側まで行くことは無いだろうが、境界の近くまで豚たちが行けば、やはり寺側にも臭うことになるだろうと。
 
 (そういえばそんな苦情が来たとかいう逸話もあったような?)
 
 
 狭い柵で囲わずに放牧する、豚にストレスの無いそんな飼い方には賛成なものの。冬乃は零れてくる笑みを抑えきれない。
 これからたまに豚と遭遇するのだと思えば、屯所を歩くのがちょっと楽しみにもなって。
 
 
 
 「うおう、なんじゃこの臭い!?」
 
 そこに、幹部棟の玄関を出てきた原田が早速叫んだ。
 豚を飼うことになったという事を、原田は未だ聞いていないのかもしれない。
 
 井戸場へ向かってくる原田が鼻をつまむのを見ながら、冬乃は暫く屯所はちょっとした騒動になるのではと予想した。
 
 
 
 
 

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