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五蘊皆空
138.
しおりを挟む小鳥の声がして。
「おはよう」
目をあけた冬乃の目覚めを、沖田の澄んだ瞳が愛しそうに迎えた。
(きゃ・・っ)
冬乃のほうはそのあまりの近さに、瞠目するとともに、
一瞬に、昨夜のふたりを想い出し。
頬が火を噴いた。
(きゃあああぁ!)
駆け巡った記憶に、そして固まったまま心内で叫び出す冬乃の。
首の下で、沖田が、置いていた腕を少しずらした。
(あ・・っ)
その腕枕に。
今更ながら気づいて冬乃は、慌てて頭を上げて。
冬乃が起きるまで動かさないでいてくれたに違いなく。
「いいよ、まだ」
だが起き上がった冬乃を、沖田が横になったまま見上げた。
「で、でも」
痺れてしまっていたりしないのだろうか。
心配する表情から伝わったのか、沖田が腕枕にしていた腕のほうで、冬乃の頬を撫でてきた。
「この通り、痺れてないよ」
冬乃はほっとして、
それでも、また自分から沖田の腕枕へ横になるのは恥ずかしく、戸惑っていると、
「おいで」
沖田のもう片方の手が伸ばされ、冬乃の腕を引いて。
冬乃は引き寄せられ、沖田の腕の上へと戻った。
と同時に、冬乃は慌てて目を瞑り。冬乃のどきどきと鳴り出す心臓をよそに、目を瞑ったままの冬乃の頭を沖田の手がそっと撫でて。
「冬乃」
続く沖田の呼びかけに。冬乃は観念して瞑った目をそっと開ける。
やはり、あまりに目の前に沖田の顔。
(心臓が・・っ)
横になっているのにくらくらし出した冬乃を、沖田が朝の柔らかな光のなかで、にっこりと微笑んだ。
「昨夜の冬乃、最高に可愛かった」
もちろん。冬乃は大急ぎで、顔を両手で覆った。
(朝なのに、もうだいぶ気温高い・・最近すごい勢いで夏になってる気がする)
などと冬乃は今。
昨夜のことを想い起こしてばかりの浮き立つ心を、いいかげん何でもいいから他の事へ向けようと、懸命になっていた。
ことごとく。失敗しているものの。
朝餉に行く前に、沖田は朝風呂へ向かい、冬乃は部屋へと戻っていた。
後ほど沖田が、広間へ共に行くため迎えに来てくれることになっている。
あれからしばらく沖田の腕枕の上で、冬乃はひたすらどきどきしていたが、やがて風呂に行くと言い出した沖田に合わせて、冬乃も起き上がって。
沖田が布団を軽く干すため、縁側に敷き直した時になって、
冬乃はふと、沖田のものらしき着物を着ていることに気が付いた。
びっくりした冬乃は、自分の着物を探して沖田の部屋の中を見回し、まもなく隅に畳まれて置いてあることに気が付いたが、いったいいつのまに着替えたのか俄かには分からず。
昨夜。沖田に快楽の高みへ導かれ、その後、沖田が冬乃の着物の前を直して、布団を押し入れから取り出した、
その先の記憶がないのである。
(寝てしまったのだろうけど・・)
沖田がその後に、冬乃を着替えさせたということになる。
(・・・っ)
着替えさせられた理由が分からないものの、
(汗かいてたのかな私・・)
どんな理由にせよ。またも寝ている間に、沖田に全裸にされたわけで。
沖田には、昨夜散々あちこち触られておいて、今更そんなことで恥ずかしがっているのか、と揶揄われて終わりそうだが。
そうして今、冬乃は。
自分の部屋で、自分の服に着替えながらそんなことを改めて思い巡らし、
ただでさえ、沖田に昨夜されたことをこれ以上は想い出さないように努めても努めても、想い出してしまい、顔から何度も火を噴いているなかで。
遂に、その場に崩れ落ちた。
(これじゃ、)
そもそも昨夜の全てが、もう今度こそ、これ以上ないほど嬉しくて幸せで。
それで想い出さないようにするなんてほうが、冬乃には無理なのだと。
(今日、ぜったい仕事が手につかない・・)
沖田の愛撫に溺れる体が。
意識を凌駕し。支配して。
あの時、何ももう、考えられなくなって。
あれではもし沖田が冬乃を抱こうと想えば、簡単にできただろう。
だけど沖田は守ってくれた。まだ冬乃を抱かないと、言ったことを。
そんななかで昨夜に愛された体の記憶は。冬乃をこうして、たえまない幸せな回想の中に閉じ込め、まったく抜け出せなくさせてしまっていて。
(・・早く、近藤様に朝の挨拶に行かなきゃいけないのに・・)
とてもじゃないが、この未だ浮かれに浮かれた精神で、顔を出す勇気など無い。
冬乃は畳にへたりこんだまま、途方に暮れた。
(だいたい・・声・・聞こえてたり、してない・・・よね・・?)
あのとき冬乃は途中から、沖田に揶揄われるほど嬌の声をあげてしまっていた。
隣の部屋の近藤に、聞こえてなかったか。今更ながら心配で不安でしかたがなく。
(だからっ・・今さら心配してたって・・どうにもならないから)
そしてそんな、何度目かの言い聞かせを自身へおこない、溜息をつく。
(早く。心頭・・じゃなくて煩悩滅却、しなきゃ)
念を入れる端から、今度は幸せの溜息が零れた。
到底、滅却しそうになかった。
沖田が朝風呂から出てくると、隣の井戸場に、永倉と原田が居た。
「お、噂をすれば」
原田がにやにやしている。
「おはようございます」
一応年上の原田や永倉への礼は通す沖田だが、内心、今日は何の話をしてくるのやらと苦笑して立ち止まってみれば、
「感謝しろよ!俺が差し向けてやったんだぜ。おむすびと共に」
原田が胸を張った。
成程、沖田の帰屯を冬乃に知らせたのは原田だったようだ。
「で、どうだった昨夜は」
見返せば、原田がこれでもかというほど期待を籠めた瞳で見つめてくる。
「さっき、顔を洗いにきてた嬢ちゃんとすれ違った」
原田は促すように言い足し。
「今朝の嬢ちゃん、すげえ艶っぽかったぜ?これはもうおまえら、いくとこまでいったんだろ?」
原田の隣では、もう少し事情を分かっている永倉が、半信半疑の目で沖田を見ている。
沖田は。一呼吸、置き。
「今時点でいけるとこまでは、いったかな・・」
呟いた。
「・・・んん?」
一寸のち、原田が首を傾げ。
永倉は噴いた。
「“差し向け”てくれて有難う、原田さん」
今度礼をしますよ
「・・・」
そう言い置いて飄々と去ってゆく沖田を見ながら、
原田が「んで結局いったのか、いってないのか」と混乱しだす横で。
永倉があれこれ想像し始めて、暫く悶々としたのは。言うまでもない。
結局冬乃は、近藤に挨拶に行く勇気が出ないまま、時ばかり経ち。
この朝の挨拶の時に、近藤から朝餉後の手始めの仕事内容を先に伝えられる日もあれば、まだ決まってなくて挨拶だけの日もある。
なんにせよ、冬乃の存在確認も含めて、日課となっていた。
存在確認とは、要は、冬乃が今朝も未来に帰っておらず確かに此処に居る、という確認である。
どうせ朝餉の後に来るのだから、来れたら来る程度でいいよ、と近藤は言ってくれているものの。
そんなこんなのうちに、沖田が迎えに来た。
障子越しの声に慌てた返事だけして一向に現れない冬乃を、訝ったらしく、「入るよ」と声がして。「はい」と消え入りそうな声になってしまいながら返すと、障子が開き。次には、
冬乃の様子を見た沖田が微笑った。
「大丈夫?」
畳にへたり込んでいるのだ。
当然ながら、
(大丈夫くないです・・)
「立てる?」
言いながら沖田が入ってきて手を差し伸べてくれるのへ、
冬乃が恍惚としたまま、手を渡せば。いつものように優しく力強く、引き上げられ。
いや、いつもと違うのは。
沖田がそのまま深く、腕に冬乃の体を抱き締めながら、つと冬乃の顎にその指をかけ、持ち上げるなり優しく深く口づけてきたことで。
(そうじさん・・・っ)
一瞬にして、昨夜の情感が甦り。
冬乃の体は更に力が入らなくなって、沖田の腕に完全に身を委ね。その口づけに唯々、酔いしれた。
その長くも短い時間ののちに、冬乃は唇を離れてゆく熱に。追うように、目を開ける。
もっと、して
きっとそんな表情に、なってしまっていたのだろう。
見下ろす沖田が、愛おしそうに。体に力の入らない冬乃を、今一度強く抱き締めてくれた、
「これは、持ってきたほうがよさそうだ」
そんなふうに微笑いながら。
もう幸せ過ぎる、と。冬乃は蕩けきった心で、沖田にそっと体を離されながらも、
彼の逞しい腕に掴まり、抱えられるようにして畳へ座る。
二人分の朝餉を取りに出てゆく沖田を、冬乃は陶然と見送った。
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