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五蘊皆空

135.

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 大阪に残留した後は、それまでの激務に比べれば暇といっていいほどで、
 沖田は共にすっかり体力を回復している隊士達を連れ、軽い休憩を挟むのみの歩き通しで大阪から帰屯した。
 
 
 土方から一昨日届いた手紙に、最近は早く寝ていると書いてあったので、暗に、帰屯してもその夜は起こすな、報告は明朝でと言っているのだろうと、おもわず笑ったが。
 
 帰ってみれば、確かに土方は寝ているようだったが、己の部屋からは意外にも、最も逢いたかった存在の気配がした。
 
 嬉しさ半分、こんな時間にどうしたのかと心配半分で開けてみれば、盆に被せられた皿と茶の一式が目に映る。
 
 (ああ)
 
 恐らく誰かから、沖田が今夜戻ると聞いたのだろう。夜食を用意して待っていてくれたのだと、沖田はすぐに相好を崩した。
 
 「ただいま」
 「おかえりなさい」
 沖田の挨拶に、そして冬乃が零れそうな笑顔を向けてきて。
 
 面白い話を聞かせなくても、もうこれほどの笑顔が見られることに、沖田が内心感動しているなど。笑顔の本人は想像もしていまい。
 
 
 「お湯を沸かしてきます」
 冬乃がひとこと伝えてきて、縁側へと出て行く。
 
 沖田は旅装を解きながら、部屋の隅に置かれた盆に今一度視線を遣った。あの逆さになった皿の下には、具入りのおむすびがあるのだろう。
 勿論、今や沖田の大好物である。
 
 壬生に居た頃、沖田はあの状態の皿をもう何度も見た。
 冬乃が夜食にと、皆へおむすびを作ってくれる時、たいていはああして埃や虫を避けるためか、皿を逆さにして被せて持ってきたのだ。
 
 しかし屯所が此処に移ってからは、久しく冬乃のおむすびを食べていなかったと、今さら想い出してみれば。腹も空いてきたこの時分、余計にあの皿の下が恋しい。
 
 
 沖田は両刀を取り、刀掛けへ置くと、部屋の中心へ袴を捌いて座った。
 冬乃の戻りをおとなしく待つ。
 
 
 
 
 
 
 やっと沖田に逢えた歓びで眩暈すら起こしながら、冬乃は縁側で湯が沸騰するのを待つ。
 
 先にも時おり縁側に降りては、温くなった湯を沸かし直していたおかげで、まもなく湯は沸いた。
 冬乃がやかんを手に部屋へ戻ると、沖田がすでに座っていて。
 盆の横に置いた台にやかんを乗せ、冬乃は急いで茶を入れる。
 
 そして被せてあった上の皿を退かし、おむすびの皿を持つと冬乃は沖田の前へと向かった。
 
 
 「ありがとう」
 嬉しそうに微笑ってくれる沖田に、冬乃はどきどきと皿を差し出す。
 「一緒に食べない」
 さらに続いた台詞に。冬乃ははっと沖田を見つめた。
 
 沖田が返事を待つより先に、添えておいたおしぼりで手を拭き、おむすびを取ると半分にした。
 「梅だ」
 中の具を見て、沖田がまたも嬉しそうに言う。
 
 その様子がなんだか可愛く見えて、冬乃はもう、それだけでおなかいっぱいですと言いそうになりながらも。沖田が渡してくれる半分をもちろん喜んで受け取る。
 
 美味しいと言って食べてくれる沖田と一緒に食べるおむすびは、自分でもすごく美味しく感じられて。結局用意した全てのおむすびを二人で食べ終わり、
 
 行灯の穏やかな橙光のなか冬乃は、沖田と湯呑を手に向かい合いながら、幸せに打ち震えた。


 しかも久しぶりに逢う沖田は。
 
 (やっぱりカッコイイ・・っ)
 
 こればかりは惚れた贔屓目だろうが何だろうが。冬乃にとっては他の誰よりも、どうしようもなくかっこいいものはかっこいい。
 
 ぜんぜん目が合わせられないほどに。
 
 
 
 
 
 冬乃がすぐに目を逸らす。
 
 沖田は内心もどかしく、それでいて冬乃の恥じらうような逸らし方には丹田の辺りで疼くものがあり、どうにも苦笑せざるをえない。
 
 しかしどちらかというと冬乃は、目が合うと逸らさない印象があるが、よくよく想い出してみると、がっちり目が合うまでは逆に、今のように逃げ回られていたような気が確かにしてくる。
 
 つまり何だ。要するに蛇と蛙なのか。一度捕らえてしまえば、冬乃は逃げられなくなってじっと見つめ返してくるようになるということならば、
 今も、とにかく彼女の視線を如何にかして捕えればいいのか。
 
 沖田はそんな思考を巡らし。そして面白くなった。
 「冬乃」
 呼びかけてみれば、
 びくりと冬乃がまた何故か小動物のように小さく震えて。おずおずと視線を合わせてくる。
 
 だがすぐに逸らされ。
 
 逸らしつつも呼びかけられた理由を考えているのか、何か沖田から続きの言葉を待っているのか、冬乃は少し困惑した表情になっている。
 「・・・?」
 判らなかったのだろう、再び冬乃が窺うように目を合わせてきた。
 
 沖田はそのまま膝を進めた。
 
 
 
 
 
 沖田が冬乃に視線を絡めたままでじりじりと近づいてくる。冬乃は。どうしていいか分からず、
 またもいつかの、蛇に睨まれた蛙の如き心境になって目を逸らせなくなり。
 呼吸さえ、ままならずに、
 息を殺して。迫ってくる沖田を目に、冬乃は緊張でついに。固まった。
 


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