215 / 472
恋華繚乱
122.
しおりを挟むどうやってあれから近藤の部屋へ来たのか、冬乃はよく覚えていない。
倒れかけたところを沖田に支えられ、「その反応は可愛すぎだろ」とまた揶揄われたところまでは、覚えていて、
頭の奥がぼやっとするままに冬乃は、近藤の茶の用意のために井戸場へ、沖田は斎藤を連れて自室へとそれぞれ向かい。
そして今に至る。
井戸場で、恐らくは体が覚えているままに自動的な動作をしていたのだろう、
きちんと今、冬乃の膝の前に、茶に必要なものが揃っているところを見る限り。
「冬乃さん、さっき歳の言った事は、そんなに気にしなくていいよ」
未だ気を抜くとぼんやりしてしまっている冬乃に、近藤が気遣ってくれる。
「すみません」
冬乃は慌てて会釈をして、用意を終えた茶の盆を近藤の脇の畳に置いた。
置きながら。
(総司さんと・・)
またも、冬乃の心の視線は茶を素通りしてしまう。
(・・・一緒に住む・・)
きっと冬乃が食事を作って沖田の帰りを待っていて。
風呂の用意もしておいて。
そして彼が帰ってきたら、今日はどちらにしますか、なんて聞いたりするのだ。
(そんなことが、叶っていいの・・?!)
そして、・・だけど。
(夜もずっと一緒、てことは)
冬乃の心配している事は、避けようが無いのではないか。
それでも沖田と一緒に住むという、そんな甘い誘惑に、
冬乃が抗えるはずも、また無く。
「冬乃さん、そういえばそろそろ書簡は読めるようになったかな」
ふと近藤が文机から顔を上げて、冬乃を振り向いた。
「あ・・」
冬乃ははっとして近藤を見返した。
沖田がこのところ毎日欠かさずに、少しの時間でも確保してくれて、おかげで文字の読解の特訓は更に進んでいた。
もっとも、その特訓の時間は、随分と芳潤な時間でもあって。冬乃が難しい箇所をきちんと読めたりするたびに、抱擁と口づけのご褒美が降ってくるのだから。
時々、冬乃がかえって読解に集中できなくなることは、もちろん内緒にしている。
「はい・・っ、恐らくなんとか・・」
冬乃は、どきどきと胸を高鳴らせつつ答えた。
「そうか、それは有難い。では早速・・」
近藤が、冬乃へ書簡を出してきて、仕事の指示を伝えてくるのへ、
真剣に向かいながら冬乃は、
沖田のおかげでついに従事が叶ったこの仕事に、今は全力で集中しよう、と。漸く心内を鎮めたのだった。
藤堂と沖田は、“男同士の話”というのを無事済ませた様子だった。
二人の以前と変わらぬやりとりを耳に、冬乃は安堵とともに、
食事の場でいま冬乃を挟んで、愉しげに旅の土産話をしている藤堂を隣にして、
これまで全く、藤堂の気持ちに気付けなかった自分に、少々落ち込んでもいて。
(ずっと妹みたいに接してもらえてるんだとばかり・・)
以前に山野に、鈍感、といわれたが。
これではその通りではないか。
(ごめんなさい藤堂様。そしてありがとうございます・・)
同じかたちの想いは返せなくても、冬乃にできる方法で想い返していけたら、と。
冬乃に対しても以前と全く変わらない態度で接してくれる藤堂に、冬乃はそして心の内で頭を下げた。
(それに・・山南様のことも・・本当にごめんなさい)
藤堂、斎藤、沖田、冬乃の四人で広間へ来る間。
八木家への挨拶の後に光縁寺で手を合わせてきたよ、と藤堂のほうから話をしてきた。
山南の埋葬された寺だ。
『皆で必死に説得したのに決意が固かったんだって?山南さんらしいや』
哀しく微笑ってそう呟いた藤堂からは、彼の内で訣別ができているさまが感じ取れて。
(藤堂様・・)
藤堂は受け止めていても。
冬乃にとっては、死期を知っていながら、命を助けることは叶わない己の無力さは、再び冬乃の胸に暗く翳を落としていた。
じきに、藤堂もまた、避けられない運命に向かってゆく。冬乃は考えないように努めていた彼のこの先を、どうしても思い出してしまい。
「・・ていうことがあったんだよ!ありえないでしょ?!」
今も楽しそうに語らう藤堂の隣で。冬乃は膝の上の手を握り締めた。
(命は救えなくても。藤堂様が望む最期を見つける、絶対に)
騒ぐ心を落ち着かせるべく、静かに、そして冬乃は息を吐いた。
東下組が帰屯してから連日。
斉藤のほうはどうか分からないが、沖田はやはりどうやら“斎藤渇望症”だったらしく、時間を見つけては斎藤を道場に引っ張り込んでおり。
久々に彼らの稽古を見る者達も、初めて見ることになった新入りの者達も、大いに刺激を受けている様子で、このところ道場は常に活気だっていた。
なにより、局長の近藤と副長の土方の下に、監察および、八つの隊に各組頭と伍長を配置した新編成も組まれることとなり、これまでの体制はより一層強化され。
今、まさに新選組は、最盛期を迎えていた。
編成の表を冬乃は、すでに近藤の部屋で見ていた。
後世によく伝わっているものとは、少々違っていたことが印象深く、冬乃は、未だ平成十二年の段階では未発見の事柄なのだろうと、胸の高鳴る想いで受け止めた。
各隊の組頭に関しては以下である。
一番隊 組頭 沖田 総司
二番隊 組頭 永倉 新八
三番隊 組頭 井上 源三郎
四番隊 組頭 藤堂 平助
五番隊 組頭 斎藤 一
六番隊 組頭 伊東 甲子太郎
七番隊 組頭 武田 観柳斎
八番隊 組頭 谷 三十郎
そして、
小荷駄隊 組頭 原田 左之助
新編成が貼り出されたその日。冬乃は千代を訪れるつもりで休みをもらっていた。
以前に千代と古着屋で買った、淡い梅鼠色の帷子を着こみ、門へと向かっている時。
「冬乃さん」
梅雨が来そうで来ない微妙な空の下、声をかけてきたのは蟻通だった。
想い返せば、沖田と大々的に恋仲であると知れ渡ってからは、あの池田の他に、冬乃に声をかけてきた数少ない隊士ではないか。
「なんだか、すごく久しぶりに話せる気がする」
少し遠慮がちに囁いた蟻通は、どこか寂しげながら温かい眼差しで、冬乃を見た。
「あの、・・沖田先生との事、おめでとう」
そして零されたその台詞に。冬乃はおもわずぺこりと頭を下げて。
「冬乃さんのことは、ひとめぼれでした」
下げた頭に優しく降ってきたその声に。冬乃は、はっと頭を上げた。
(蟻通様・・)
「もちろん、相手にされてないのは分かってたから。・・俺は冬乃さんが幸せだったら、それでいいんです」
呼びとめてすみません
と蟻通は言い足して、冬乃から一歩離れて。
「どうかずっとお幸せに」
「あ・・ありがとうございます・・っ」
冬乃は込み上げる想いに、もう一度、深く礼をし。去ってゆく蟻通の背を暫く見送った。
彼もまた、誰かと幸せになれますように。冬乃は心から祈らずにはいられなかった。
(・・まだ池田様には、恋仲を装っていると、そういえば思われたままだったりするのかもしれない)
やがて、門へと再び歩み出しながら、冬乃は以前やはり声をかけてきた池田に関して、胸に過ぎった疑問にまたすぐに足を止め。
(装うのを黙っていてくれたわけだし・・その御礼を兼ねて、きちんと伝えたほうがいいよね)
「おい未来女」
(わ!)
いきなりそこへ、背後から土方の声が響いた。
吃驚して振り返れば、少し着飾ったふうの土方と、隣には沖田がいて。
(あ・・)
「おまえ、どこ行く」
土方の問いに。しかし瞬間、冬乃は固まった。
沖田を前に、咄嗟に言葉が出なかったのだ。
千代に会いに行く、とは。
「あ・・と、ちょっと買い物に・・」
千代に。冬乃は、無性に会って話がしたかった。
沖田との事を伝えられるわけでもないのに、それでも。
すでに冬乃は、千代の運命すら変えてしまったのだ。
彼女がそれなら今そしてこの先、どうなるのか。
気懸りだった。
「一人でのこのこ出歩くな。おまえだって、顔が知られているかもしれねえんだぜ」
冬乃を前に、土方が溜息をついた。
「え?」
「俺や組の人間との外出時には、毎回頭巾を着用してもらってますから、大丈夫なはずですよ」
あまり冬乃を怖がらせないようにと、沖田が横から継ぎ足す。
冬乃は二人を見上げた。
(一人で出歩くなって・・どういうこと・・?)
「貴女には言ってなかったね。最近、隊士が狙われる事件が続いていて、隊士達には今、一人歩きを禁止している」
続いた沖田の説明に、冬乃は驚いて目を瞬かせた。
「まあ、幹部の人間達は、好き勝手に一人で歩き回ってるけど」
藤堂とか。
ついこの前も一人でさくさく壬生へ行っていた彼の名を、沖田が哂って例に挙げる。
(私の少し前に、井上様が出ていくのもお見かけしたような・・)
「まったくもって示しがつかねえ」
規律の鬼の身からすると面白くないのか、土方が舌打ちした。
「だからといって、貴方の女通いにまで付き合わされるのもねえ」
「ってめ、いちいちばらすな」
(え)
冬乃はおもわず沖田を見上げた。
だがすぐ、不安げな表情にでもなってしまったかと気づいて俯く。
「・・ああ、」
沖田が、冬乃の驚くほど優しい声を発した。
「俺はただの土方さんの護衛だから。この人を上七軒まで送ったらすぐ帰るよ」
沖田のその言葉でほっとしてしまった冬乃は、顔を上げながらそのままちらりと土方を盗み見た。
上七軒・・お相手は後世に有名な君菊さんだろうか。
と咄嗟に思った事は、胸に秘める。
「・・・て、考えてみりゃ、おめえも俺を送った後は、一人で歩くんじゃねえか」
これではやはり示しが。
と、ふと眉をひそめた土方に、沖田が今更気づいたのかと哂う。
土方からしても、沖田が一人で歩いていようと心配は無いために、失念していたのだろう。
「俺のことはいいですよ。ただ貴方は、帰りは駕籠で帰ってきてください」
夜は暗いからどうせ見えまいなどと油断しないように、と土方に念を押す沖田に、土方は「わかったよ」ときまりが悪そうに横を向いた。
「で、未来女のほうはじゃあ本当に大丈夫なんだな」
「そりゃ、念には念をいれりゃキリがないですよ。本当なら四六時中そばにいて護っててやりたいですし、むしろ叶うならば、安全な場所にずっと閉じ込めてしまいたいですがね」
そういうわけにもいかないでしょう。
沖田がさらりと。溜息に乗せて呟いた。
(・・・え?)
今すごい台詞を告白された事に。一寸のち気が付いた冬乃は、
次には真っ赤になっていた。
「てめえ・・さらりと、デカいのろけを聞かすんじゃねえ」
土方が、冬乃の見事に色づいた頬を見やって苦笑し。
(総司さん・・っ・・)
はい、もう閉じ込めてください・・!
冬乃のほうはよほど返したいが、もちろん口を噤む。
0
お気に入りに追加
927
あなたにおすすめの小説



転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

さよなら私の愛しい人
ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。
※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます!
※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる