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恋華繚乱
107.
しおりを挟む「その女・・貴様の女だな」
冬乃を狙った男が、舌打ちし。手の内に潜めていた短刀を、ひゅっと回し、構え直す。
沖田が冬乃を引き寄せるのが、あと一寸でも遅れていれば、あの刃が冬乃を捕らえていただろう。
三人の背後の縄を切ったのも、この男か。
みたところ掌に納まるほどの小さな短刀だ、袖内の腕にでも括りつけて備えていたのだろうが、その短刀で何が出来るつもりか。
おとなしく縄についていれば良いものを。
先程やけに素直に剣を捨てたとは思ったが、この抵抗から察するに後の機会を狙っての事だったのだろう。
要するに彼らは、己の持つ全ての技で闘い抜く死を選ぶということか。牢に拘束される事など端から選びもせず。
沖田を葬るためにその命を懸けてくる、
共に武士同士、最早それに応えてやるより他無いにせよ。
沖田の胸内を、憐れみにすら似た一抹の憤りが奔る。
三人が、攻撃をしかけてこない沖田から、今のうちにとでも思ったか、
沖田の間合いから少しでも外れるべく駕籠のほうへ精一杯に後退り、距離を取ろうとしているのを。
沖田はそうして寒々とした想いで、眺めた。
どんなに後退ろうとも、そこは沖田の完全なる間合いの内に変わりはない。
―――悪あがき
どちらが、か。
背後からは冬乃の戸惑いとも取れる気配を感じる。
突っ立ったままで、彼らの生きる時間をほんの刹那でも、いたずらに延ばしているかの沖田への、戸惑いか。
先ほど三人が地に座り込んだ後、彼らの殺気が再び俄かに増したのを感知した沖田は、続いて三人の肩がそれぞれ微かに動くのを見留めた。
或いは何らかの方法で背の縄を解いたかと。ならば次に来るであろう攻撃を待ち構えていた時、
案の定、内一人が、手投げの矢を投げてきた。
二発目を制する為、その投げた利き手を狙って小柄を放ち、
そして向かって来た矢を沖田が避ける一寸前、
突然、冬乃が飛び出してきた。
いま沖田の背後で息を殺している彼女を感じながら、沖田は内心嘆息する。
(さすがに想定外だったな)
沖田でもよめなかった冬乃の動きに、沖田は先程の状況下でなければおもわず一笑したところだが。
下手をすれば、彼女は今頃死んでいてもおかしくない。
(矢を止めるつもりだったのなら、なんという無謀な)
考えるより先に体が動くような性格には、とても思えないが、あれはどうみても、後先考えぬ咄嗟の行動としか取れない。
つまりは、
そうであるならば。
彼女は、沖田を護ろうとしたのだと。
(・・冬乃)
沖田は。心の目を瞑った。
今は一旦、彼女のことは、思考から追い出すべく。
掌を貫通した小柄を止血のため引き抜かぬまま、その手をだらりと横に下ろし、
残る片手のみで構える浪士の、得物を。沖田は一瞥した。
先程投げてきた矢よりは一回り大きいようだった。
同じく、持ち手である短い箆の、その先端に鋭い鏃を付け、あれが的確に中れば、小柄に劣らぬ殺傷力を持つだろう。いずれも懐に隠し持っていた、といったところか。
未だいくつ懐にあるのかは知らないが、すでに利き手を失い、その傷の痛みに耐えながら、どれほどの攻撃を繰り出せることか。
残る一人の得物に至っては、どう隠し持っていたのかさえ謎になるような小型の飛苦無が数本。
しかし剣の間合いの内では所詮あれも、その利点を活かすことは叶うまい。
とはいえ、曲がりなりにも飛び道具であり。
すぐ後ろに冬乃が居る以上、飛んでくるところを好き勝手に沖田のほうで避けるわけにもいかない。
(やはり、一度こいつで全て落とすしかないか)
沖田は長脇差を抜き、手にさげた。
沖田の抜刀に、三人がびくりと肩を震わせ。
「もう一度言うが、おまえ達には一分の勝ち目も無い」
最後の忠告をつげ。沖田は浪士達に半歩近づく。
「無駄な抵抗を諦め、縄につけ」
「馬鹿を言え!」
浪士達が声を荒げた。
「貴様の後ろに女が居るから闘いたくないのだろうッ」
「そうだっ明らかにお主のほうが不利な状況で、何をふざけたことを!」
後ろの冬乃が、びくりと緊張した。
「・・勘違いしているようだが」
冬乃に心配するなと言い聞かせるべく、
「彼女の存在で、俺が不利になるのではなく」
彼らに、覚悟を促すべく。告げた、
「おまえ達が僅かの間、時間稼ぎが出来るだけだ」
その死までの。
返答の代わりに、苦無が飛んできた。
冬乃は、壁を背に、沖田を前に。
微動だにできずに。
だがそれも、あっという間の。沖田が告げた通りに、
ほんの僅かな間だった、
冬乃の前で沖田が、飛んでくる矢と苦無を全て叩き落し、脇差を納刀したのは。
「どうした、もう終わりか」
浪士達へそんなふうに声をかけながら沖田が、彼らに向かってすたすたと歩み始め。
顔を歪めて浪士達は、後退り。
最後に掌の短刀を構えた男が、もはやこれまでと思ったか沖田に向かって投げつけた瞬間に、沖田が抜刀し、弾き返された短刀は、浪士の背後の駕籠に勢いよく突き刺さった。
同時に、三人はいずれもその場に崩れ落ちた。
「貴・・・様・・」
男が呻き。
(・・うそ・・)
右手に大刀をさげ、一人立つ沖田の、
左手を見れば、鞘。
「な・・ぜ殺さ・・ぬ・・ッ・・・」
「悪いが死にたがっているやつを、好き好んで殺してやる趣味は無いんでね」
今、冬乃の目にかろうじて映ったものは、
沖田が三人の鳩尾へ突きを打ち込んだ、残像。
彼らが生きているということは、使ったのは鞘だろう。
あまりにも速かったために、その突き自体すべて見えたわけではない。
(でも・・そうとしか・・・)
「こ・・殺、せ・・殺して・・くれッ・・・」
しかも浪士達が未だ話せるところを見ると、あの一瞬で沖田は彼らの動きを制する程には強く、かつ失神はしない迄に加減すらしたという事だ。
冬乃は、茫然と。うずくまる三人と、彼らを見下ろす沖田の背を。見つめた。
「望み通り殺してやるつもりだったが、おまえ達を目の前にしたら気が変わった。死にたきゃ己で殺れ」
「た・・互い、に、武士と武士であ・・りながら、貴、様は、我らを、愚弄・・するか・・!」
「互いに武士同士、尚更、丸腰の相手を斬る気になどならぬ事ぐらい分かるだろう」
「「・・・!」」
急に沖田が振り返った。
どきりとした冬乃の先へ、沖田は視線を向け。
「縄を」
追って振り返った冬乃の目に、いつのまに番所から来ていたのか、町役人と先程連絡に走った駕籠かきが、少し離れた位置に立っていた。
町役人ははっとした様子で沖田を見返し、一寸のち、こちらへ向かってきて。
冬乃は、再び沖田を見た。
(あ・・)
沖田が、冬乃を見ていて。
その、何かを籠めるような深い眼ざしに。冬乃がそのまま身動きも奪われていると。
彼は向かってきた。
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