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恋華繚乱

86.

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 まるで山南の想い出が詰まった前川屯所から、辛さに耐えかねて急ぎ足で逃げ去るように。土方の主導する屯所移転計画が急進し。
 
 長州の門徒を多く抱える西本願寺の、北の一角を慇懃丁重に、されど奪い取るようにして。新選組は、ついに手狭となった壬生を去り、大所帯で引越しを敢行した。
 
  

 
 
 「お西さんでしたら近いですもの。ちょくちょく遊びに伺ってもいいかしら」
 
 目の前で千代が可愛らしく微笑んだ。
 
 冬乃に会いにくるためとはいえ、新選組に遊びに来たいと言う彼女も、考えてみたら変わっている。
 冬乃は小さく苦笑して、
 「御足労いただかなくても、私のほうから伺いますから」
 やんわりと制止する。
 
 勿論、遊びに来られるのを止めたい理由など。沖田に会わせないために決まってて。
 
 
 (すべきことをする。お千代さんのことを気にしてはだめ。)
 
 今日で何度目かの呪文のごとき台詞を自身に言い聞かせながら、冬乃は千代を見据えた。
 
 「じつは、新選組は女性の来訪を歓迎してない様子なんです。隊士たちの士気が乱れるとかで」
 
 どんなまずい嘘だろうかこれは。内心呆れつつ冬乃は続ける。
 「私は使用人だから仕方なく受け入れられているのでしょうね」
 
 「まあ・・」
 素直な千代が、気の毒そうに冬乃を見返してきた。
 
 
 おまっとうさんどした、と羊羹を運んできた店員に、それから千代は顔を上げて。
 
 「ところで江戸の冬はどうでした?」
 
 冬乃はこの機会に話題を変えようと、身を乗り出した。
 
 
 
 帰京した千代が十日ほど前、壬生の屯所にひょっこり顔を出したのは、引っ越し騒ぎの真っ只中の頃だった。
 
 またも偶然にも門まわりの掃除をしていた冬乃が、すぐに気づけたからよかったものの、
 沖田が屯所に居た時だったために、冬乃は内心ひやりとして。
 
 すぐに、屯所の移転の話をして、引越し準備でばたばたしているので後日こちらから伺いますと、冬乃は門前で千代を早々追い返してしまったのだ。
 
 
 その詫びを兼ねて。引越しも一段落した今日、冬乃は千代を訪ねて甘味屋へと誘ったのである。
 
 
 
 「京の冬に慣れてしまったのかしら、江戸は暖かかったわ・・」
 千代はそう答えると、羊羹をそっと口に運んだ。
 
 今日の店内の喧噪は、前回ほど酷くはなく。千代の声がしっかり聞こえることにほっとしながら冬乃は、手にしていた茶を膝横に置く。
 
 「それはよかったです、」
 冬乃は相槌を打った。
 
 「暖かいほうがいいですよね。私は冬は苦手です・・名前は冬乃なのに」
 
 「ま」
 千代がくすりと微笑った。
 
 「そういえば冬乃さんは、最後に江戸に帰られたのはいつ?」
 
 (う?)
 
 おもわぬ返しが来て、冬乃は目を瞬かせた。
 
 (いつ此処に居なかったんだっけ)
 
 未来とこちらを行ったり来たりで、もはや脳内で時系列の整理が追いついていない気がする。
 
 (最後に平成に帰っていた時期だったら、去年の秋から今年の二月だけど)
 千代が江戸に行っていた間に重なっては少々問題があるだろう。

 (ええと)
 羊羹を口に運んで時間稼ぎをしつつ、冬乃の眉間に皺が寄る。
    
 「一昨年の秋頃です・・」
 千代に出会った後の禁門の変頃にも未来には帰っていて、隊内には江戸の実家に行っていたことになっているけども、それだと千代に土産も渡さなかったことになってしまい、感じが悪い・・・
 あれこれ考えたあげく冬乃は、島原角屋に行った手前あたりの時期にまで遡っておこうと結論づけた。
 
 「まあ、じゃあ恋しくなっている頃ではありません?」
 すぐに千代が小首を傾げ。
 
 「ええ、まあ」
 冬乃は曖昧に頷く。
 
 「お土産、いっぱいもってきて良かった」
 千代がにっこりと微笑んだ。
 
 
 (お千代さん・・)
 
 「有難うございます」
 
 千代の優しさは、冬乃には毒で。
 冬乃は、再び刺し込んだ胸の痛みに、千代から目を逸らし。ごまかすように手に湯呑を取った。
 
 
 店内の姦しさは、入店した時より少し増したようだ。
 わっと爆笑した四人組の女性客に、目が行ってから、冬乃は千代へと視線を戻した。
 
 「このまえはほんとに、お土産、受け取ることさえままならなくてすみませんでした」
 言いながらつい頭を下げる。慌てて門前払いしてしまった壬生での事である。
 
 「いいのよ、みるからに皆さん大変そうでしたし、私こそお邪魔になりたくはなかったもの」
 冬乃と千代が門前で話していた間にも、大きな木棚を担いで数人の隊士達が外の空き地へ運び出していた。
 そんななので騒動だったことは確かであったが。
 
 
 「あ、そうだわ」
 つと、千代が土産の風呂敷から、小さな紙の包みを取り出した。
 「忘れないうちに。これ、胃薬です。沖田様へお渡しください」
 
 沖田の名を千代の口から聞いて、冬乃はどきりと千代を見返した。
 
 「昨年にお会いした時、胃薬を持っていかれたでしょう。もうとっくに無くなっていると思うの」
 
 帰り際に沖田が喜代から買っていたことを冬乃は思い出した。
 千代がそんな事までしっかり覚えていたことに胸内で嘆息しつつ、冬乃は包みを受け取った。
 
 「それにしても沖田様は胃がお悪いの?」
 千代が心配そうな顔を向けてくる。
 
 「いえ、沖田様ではなく、近藤様なんです。局長の・・」
 
 ああ、と千代が目を瞬いた。新選組の近藤の名は千代も知っているのだろう。
 
 
 (ていうか)
 
 これでは、義理堅い沖田のことだから、礼をしに千代たちの家に行ってしまうのでは。
 
 
 (あとで私が薬を無くしてしまって、沖田様に渡せなかった・・ってことにするしかない・・・)
 
 そんな策を練り出す自分に早くも嫌気をおぼえつつ、小さく息を吐いた。
 
 (だからすべきことをする。これも気にしない。)
 
 
 冬乃は襟内に薬を仕舞いながら、千代を窺った。
 「あの、お代は先に私のほうでお渡しさせてください」
 「いやだわ、お代なんていらないのよ、私が勝手に用意したんですもの」
 だが千代が即答し。
 
 (・・・)
 
 代金すら渡さず、後でこっそり薬を捨てるのではあんまりだが、冬乃はもう腹をくくって、千代に微笑んだ。
 
 「わかりました、それではお渡ししておきます。近藤様も喜ばれるはず・・有難うございます」
 
 あと数か月まてば蘭方医の松本が組を訪れる。近藤はそののちは彼から胃薬を処方されるようになるだろう。
 だから、次に千代が薬を用意してくれる前に、偽って前倒してでも、近藤に主治医ができたとでも伝えれば、二回目は無くて済むだろうと。
 
 
 あれこれ策を巡らしながら、冬乃は内心嘆息した。
 (・・悪女になった気分)
 
 「ね、」
 そんな冬乃の心中など知らない千代が、愛らしい笑顔とその声で、冬乃を覗き込む。
 
 「今度は沖田様もご一緒にお出掛けしましょう?」
 
 「え」
 
 ・・・甘かった。冬乃にとって容赦なき、続いたその千代の台詞に。冬乃はもはや瞠目してしまった。
 
 
 「沖田様のお話ってほんとに面白かったんですの。またお聞きしたいわ」
 
 
 「・・声かけておきます・・」
 
 ここまで直球でこられては、さすがに咄嗟には如何にもできず。冬乃は頷きながら項垂れた。
 悪女になるには、修行がたりなかったのだろう。
 
 
 
 (どうしよう?)
 
 まさか本当に沖田に声をかけるわけにもいかない。
 甘味屋を出ても、冬乃は困ったまま何度目かの嘆息を胸内に零した。
 
 「なんだか雨が降りそうな天気ね」
 千代のほうはふんわり横で空を見上げて。
 
 「急いで帰りましょう」
 ひとまず、これ以上なにか言われてはたまらないと、冬乃は千代をこれ幸いに促した。
 
  
 
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