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山南敬助の選んだ散り方
しおりを挟む山南の様子がおかしい。
土方が最初にそれに気づいたのは、いつだったか。今にしておもえば、もっと、遥か前だったのかもしれない。
冬の厳しさ残る折。
天狗党処刑の報が、組に届いた。
二度、三度と。
山南の苦悶は回を追うごとに、もはや如実に表れ。
「山南さん、」
三度目の報の夜、ついに土方は、山南に切り出した。
「何か悩んでる事があるんじゃねえか」
部屋に居る近藤、沖田も、土方の見つめる先の山南を心配そうに見やった。
「何も、悩んでなんていないよ」
山南の無理に明るい声が返り。
「ただ少し・・疲れたかな・・」
命を奪い合う、この世界に
小さく続いた山南のその言葉は。土方たちの心奥に、静かに墜ちた。
(命を奪い合う)
そうだ。
それが、天狗党の処刑の遥か前より。山南の心に、鬱積してきた哀痛だったのだと。
芹沢の暗殺に始まり。手段が違えど国を憂う志は同じはずの浪士達と、時に血で血を洗う軋轢を、
前線で幾たびも重ねてきた新選組に、その身を置いた侭に。
土方は、咄嗟の言葉を紡げずに。
山南を見つめた。
山南は幕府に絶望したのだ。
なんのために、その剣をとるのか。最早、わからず。
山南は只々静かに、その生気のない顔で、囁いた。
「人の世は、・・如何して、こうも残酷なのだろうね・・」
土方は、震えた拳を握り締めていた。
「ああ。・・如何してなんだろうな」
あのとき、もしも何か慰めの言葉をかけていたなら。
山南の心は変わっていただろうか。
今となっては分からない。だが、
おそらくすでに山南の心は決まっていて。抗うすべなど無かったのかもしれず。
あれから数日後。
山南は、組を脱した。
山南の姿が見えないと、
丸一日、食事の席に来なかったことに、いったい何人が気が付いたことか。
元々外回りの隊を持たぬ内勤の山南の不在には、気が付いたところで平の隊士なら、部屋での仕事か何かで居ないだけだろう、で済ませてしまっただろう。
近頃その志を語り合い、山南と懇意になりつつあった伊東は、そうはいかなかった。
その夜、副長部屋へ訪ねてきた彼を迎え入れた土方達は、そこで明かした。
昨夜から帰っていないと。
「・・・どういうことです」
伊東の、震えた声が裏返った。
「おそらく、山南さんは・・組抜けした」
土方は低く声を抑え、返す。
「ならば何故早く、追いかけてさしあげないのですか」
伊東の責めるような眼差しが向けられた。
「追いかけてどうしますか。追うということは隊規に従い、連れ戻さなければならなくなる、そうなれば切腹です」
早口に返した土方の苦痛の声音に、
伊東が息を呑み。
「・・・山南さんは、今夜もここに居たことにする」
土方は、続けた。
「これを聞いた以上、貴方にも内密にしていただく。宜しいですか」
「私からも頼む。伊東さん」
背後から近藤の声が追った。
土方達が、山南をそのまま逃そうとしている。
伊東は、理解したのだ。
頷き。
暫し後、静かに障子を閉め、伊東は去った。
庭先をゆく悲しげな足取りの袴捌きが、土方たちの耳に長く残った。
「近藤さん、」
土方が意を決したのは、それから四日後の事だった。
行灯の造る橙が、土方の呼びかけにこちらを向いた近藤の、四角い横顔を仄かに照らした。
「もう四日だ。さすがに、これ以上は、伏せていた事がもしも発覚した時には、言い訳がたたない」
「ああ・・・そうだな。・・ “今朝になったら居なくなっていた” と、明朝に皆には伝えよう」
苦痛に頬を歪ませる近藤の、囁くような声が返ってきた。
「皆の前では、特別扱いするわけにはいかない。明日は、組をあげて “京” を探索させる」
「異論はない」
土方の案に、近藤のさらに辛そうな返事が返り。
「そして “夜半から朝方までのほんの数刻でも万が一、すでに遠くまで行っていることを想定した追手として” 総司、おまえが行け」
人気の無い縁側の闇に、顔半分をとかし佇んでいた沖田が。土方を見やり、静かに頷いた。
明朝、組の中核幹部である山南の脱走の報は、大きな動揺を呼んだ。騒然とする隊士達を鼓舞し、組をあげて探索に乗り出す旨の下達を、土方自らが行い。
ものものしく編隊を組む隊士達の横を、沖田の飛び乗った早馬が駆け出て行った。
しかし土方たちの願い叶わず、
自ら、戻る意志をもって戻ってきた山南は。
その夜、夕餉の席で隊士達の前に立ち、頭を下げた。
「御迷惑おかけして申し訳なかった」
沈黙する広間を、山南の穏やかな声が響く。
池田屋事変も禁門の戦も経験していない、未だ烏合の衆でもある新入隊士達に、
「やはり隊規に背いたままでは申し訳がたたぬと思い、戻って参った」
まるで言い聞かせるように。
組の規律は、
たとえ中核幹部の己であろうとも背けぬ、絶対の法であると。
(・・山南さん)
その命をもってして、組の統制をここに強固に纏めんとせんばかりの静かな気迫さえ、土方は感じていた。
その姿は、いまや悲しくなるほど穏やかに、いっそ清らかで。
苦痛に歪む顔を隠しきれず近藤が、黙って下を向いた。
土方は、手に握る湯呑を睨みつけた。
山南と親しき者達は皆、声も無く、
「申し訳ない」
もう一度、頭を下げた山南に、己への無力感に。震える唇を噛み締めた。
法は。人が人を律するために作り出した箍。
それがために、
天狗党は刑を受け。
山南は、切腹を受け入れる。
その選択は山南の、ひとつの答えだったのだろう。
明朝に山南の切腹の沙汰が決まっても。
局長部屋に詰めかけた幹部達によって、尚、必死の説得が密かに始まった。
「山南さんの組抜けは、いうなれば気鬱によるもの、決して、組に反してのものではない。そうでしょう・・?」
近藤が真っ先に口火を切った。
「隊規の範疇の外として、隊士達を説得することもできるはずだ。それは特例でも、武士の情けでもない。きっと皆は納得する・・!」
「近藤さん、私は」
山南は困ったように微笑んだ。
「私は幕府に心底、失望した身だよ。つまり私の心は、もはや天子様にも背くもの、」
息を呑む近藤を、山南の目がそっと見返した。
「ゆえに、組にも背くものです」
「・・・しかし・・っ・・」
「確かに『攘夷』であれば、もはや無謀だ。いま攘夷を擁する気はない・・此れに於いて、天子様の御意に反することを心苦しく思う。だが、」
昨年、近藤は江戸に東下した際に、ずっと本懐であった直接的攘夷は不可能である事を認識し。
帰京後、山南とともに、天皇のもうひとつの望み、公武一和の達成に向け、今後すべき事を確認し合っていた。
「天子様の、残るもうひとかたの御意を汲むならば、やはりこれからも幕府を佐けてゆくべきだ」
山南のその声は、静かに皆へと向けられた。
「だが、私はもう・・・」
穏やかなままの山南の面に、一瞬、苦痛の色が浮かび。それはすぐに立ち消えた。
「勿論、世を乱す長州の謀反の士に与する想いなど毛頭無い。つまりもう、この身は何処へいくあてもないんだ」
山南の澄みわたる眼差しは、その場にいる全ての者の声を奪い。
「もともと私の居場所は此処しかないんだ。ならばこの命、組のために使ってほしい」
疲れたんだ
せめて最期は皆のそばで死にたい
只々穏やかな山南の声が静寂の内に落ちた。
人の世に疲れ果て、その先の諦念を心に懐き、受けとめ。安らかに、投げやりとは違うかたちで山南が選んだ最期は、組の強固な礎となる死。
尚も続いた夜通しの必死の説得にも。
「有難う、皆」
山南は、首を振った。
「そして、すまない」
澄みきった微笑みが、皆を見渡し。
「私はもうこれでいいんだ」
安らかな諦念に固められたその意志は、揺るぎなかった。
「この身を武士として、志も、人の世の希望も見失った身で生き永らえるより、・・決して自棄になるのではなく、ただ私は、私の散り方を選びたく思う。私は戦で殺し合う中で散るよりも、私だからこそ出来るこの方法で、組の役に立って散りたいと・・切に願うよ」
この最期の願い、受け入れてはもらえないか
山南は皆をひとりひとり見て、そして近藤を見た。
零れ落ちた涙を払わず、近藤は。
ついに、頷いた。
「感謝します」
山南は頭を下げて。
そして、
「沖田君、」
沖田のほうを向き、微笑んだ。
「介錯は、君に頼めないかな」
「拝承します」
沖田の返事に、山南は今一度頭を下げ。
皆を最後に再び、見納めるかのように、見渡した。
「今まで有難う。皆に出会えて、私は本当に幸せだったよ」
翌朝に、組の全員の見守る中、山南は見事な切腹にて、その命を絶った。
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