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第17話 初めてのパーティーⅡ

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 リチャードとのダンスが終わり、一旦ホールの中央から外れる。すると、それを待っていたかのように一人の男性がリチャードとシオンのもとにやって来た。

「ヴェルアルボス公爵か」
 リチャードの言葉に、シオンは目を見張る。
 ヴェルアルボス公爵家は、レムリア帝国が成立する以前から存在する、大陸でもっとも歴史ある名家であった。現在はレムリア帝国の五大公爵家の筆頭で、その権威は時に皇族家をも上回るとも言われている。
「レムリアの太陽と新たな星に、栄光と祝福を」
 その人はリチャードよりもはるかに年上の、ロマンスグレーの紳士だった。公爵はシオンに目を向けると、目尻にきゅっと皺を寄せながら物腰柔らかな笑みを浮かべた。

「──積もる話もあるだろう。私は席を外させてもらう」
「心配り、感謝いたします」
 公爵はリチャードに頭を下げると、シオンに向き合った。
「お会いできるのを楽しみにしておりました」
「こちらこそお会いしたかったです、ヴェルアルボス公爵」
 シオンはニコッと微笑んだ。このパーティーで、シオンには会いたい人と思っている人がいた。アルチュール・ヴェルアルボス公爵は、そのうちの一人である。

「どうやら、殿下と我が公爵家との関係について、すでにお聞きのようですね」
「はい。あたしの母方の祖母にあたる方が、公爵の従妹であったそうですね」
 シオンの母親であるグラデシアはかつての首席宮廷魔術師と、ある公爵家の令嬢との間に生まれた子どもであることを貴族名簿を覚える際にリチャードから知らされていた。その公爵家というのが、五大公爵家の筆頭であるヴェルアルボス家だった。つまり、公爵はシオンの大伯父にあたる。

「正直、戸惑っています。ついこの間まで貧民街で暮らしていたあたしが、皇帝陛下の娘で、母親もまた貴族の血筋だったなんて」
 これについては本当に驚いた。まったく関わりのない世界だと思っていたのに、この数ヶ月で実はとても密接な関係にあったことを知ったのである。
「慣れないことも多いでしょうが、私にとって殿下はたった一人の姪であるグラデシアの娘です。困ったときは頼っていただけると、嬉しいです」
 シオンは自分の外側ばかりが立派で、中身がまるで追いついていないような気がして押しつぶされそうだった。だが、こうして自分を支えてくれる人がいるのも事実である。大伯父であるヴェルアルボス公爵に会ってみて、改めてそれを感じた。正直、後ろ盾のないシオンにとっては強力な味方だった。

「前公爵はお元気ですか?」
「数日前までこの場で殿下にお会いするのを楽しみにしていたのですが、体調を崩してしまい静養していて……」
 前公爵であるシグロン・ヴェルアルボスは、シオンにとって曽祖父になる。隠居の身ではあるが健在で、影響力も衰えていないという。このパーティーには顔を出すとリチャード伝手に聞いていたのだが、療養中とのことで心配になった。
「お大事にと、お伝えください」
「必ず。殿下も皇族となって日が浅く色々とお忙しいでしょうが、機会があれば是非我が公爵家にいらしてください」
「嬉しいです。そのときは、母や祖母の話を聞かせてください」
 シオンが顔を輝かせながら答えると、アルチュールは再び目尻に皺を寄せた。
「ええ、もちろんです」

 ヴェルアルボス公爵と別れると、リヴィエール伯爵夫人の姿を見つけた。慣れない場で顔見知りに会えると嬉しいものである。声をかけると、彼女は夫であるバーモン・リヴィエール伯爵とその娘たちが一緒だった。
「奥方には大変お世話になっています」
 バーモンは妻とは正反対の、穏やかな面立ちで柔らかい雰囲気の男性だった。
「いえ、こちらこそ。殿下の教育係を引き受けてから、いつも楽しそうに登城するものですから、こちらも見送りながら嬉しくなってしまうほどでして」
 冗談めかしにそんなことを言う夫の脇腹を、夫人は恥ずかしそうに小突く。いつも凛としている彼女に、そんな可愛らしい一面があると知り、シオンは思わず笑みをこぼした。

「殿下、こちらが我が家の娘たちです」
 咳ばらいをして気を取り直したヴァイオレットは、娘たちを紹介する。長女のアニエスは父親似の穏やかな女性だった。貴族令嬢にしてはパッとしない顔立ちではあるが、物静かで品のある立ち振る舞いが彼女の為人を表していた。これは磨けば光るタイプだな、と花街で鍛えられたシオンの感性が告げていた。
 次女のイネスは成人手前くらいだろうか。少し幼さがありながらも、母親譲りの美貌を讃えていた。少々取っつきにくい印象だが、姉同様に立ち振る舞いが素晴らしかった。

「そうそう。殿下にご紹介したい人がいるのです」
 そう言って、夫人は辺りを見渡す。目当ての人物は近くにいた。パーティーの参加者の中でも、皇族に次いで特に煌びやかな装飾が施された衣装を身に着けた人たちだった。彼らは第二皇子のハワードと言葉を交わしていた。
「オドレイ、こっちよ」
 ヴァイオレットは少しはしゃいでいるように見えた。彼女の呼びかけに気づいた女性が、ハワードに一礼すると息子と思わしき青年を引き連れながらやって来る。
「こちらはオドレイ・ゴルドビーク公爵夫人です。私とグラデシアの親友ですわ」
「まあ、ヴァイオレット! 彼女がそうなのね!」
 お会いできて光栄です、と言いながら、ぱぁっと公爵夫人は明るい笑顔を浮かべた。彼女も母親の友人で、結婚する前は三人でよく遊んだものだと伯爵夫人から聞かされていた。
「こちらこそ、お会いできてうれしいです」
「まあまあ! 本当にグラデシアにそっくりじゃない!」
 少々ふくよかではあるが、オドレイもまた美しい女性だった。

「あ、こっちは私の息子のエメドですわ」
 公爵夫人は誇らしげに、後ろのほうで面倒くさそうな表情をしてる青年の腕を引っ張って前に出した。率直に美男子だとシオンは思った。ゴルドビーク家の令息ということはリュミエルの兄ということになるが、歳はあまり変わらないらしい。顔立ちもよく似ているようだが、その表情には高慢さがあった。彼は渋々ながらも公爵令息にふさわしい礼を見せる。
「エメド様とアニエス嬢はご婚約されていると、伯爵夫人からお聞きしました」
「ええ、そうなの。お互い子どもができたら、同性なら義兄弟、異性なら婚約をと昔から話していたんですの。二人は子どもの頃から仲が良かったし」
 嬉しそうに話す母親の隣で、エメドはどこか居心地悪そうにしていた。それとなくアニエスのほうに目を向けると、彼女は笑みを浮かべながらもどこか困ったように眉尻を下げていた。
 これは母親たちの望みを優先した婚約なのではないか、とシオンは考えた。子どもの頃に仲が良くても、現在の彼らがどう思っているのか。シオンは少し心配になってしまった。

「──私のことも紹介してもらえないかな?」
 少女のようにはしゃぐオドレイに、長身の美男が声をかける。先ほどまでハワードと話をしていた人物だった。
「あら、ごめんなさい。オラシオン殿下、こちらは私の夫ですわ」
「ルシアン・ゴルドビークと申します。レムリアの新たな星にご挨拶を」
 ゴルドビーク公爵については、花街のベテランのお姉さま方から話を聞いたことがあった。若い頃はかなり浮名を流していたらしく、身元を隠していたようだが花街でも遊んでいたらしい。その美貌は健在のようで歳を重ねた分、男ぶりが増しているようだった。交易や鉱山採掘といった事業で手腕を振るい、貴族派の筆頭としても人望が厚いらしい。

「初めまして、ゴルドビーク公爵。ご子息のリュミエル様には大変お世話になっています」
 金色に輝く長髪に黄金の瞳、整った顔立ちは確かに女性に好まれそうなタイプだった。リュミエルともよく似ているが、彼のほうが優しげで親しみやすいとシオンは感じた。
「そうですか。あれは貴族としては褒められたものではありませんが、魔術師としては腕は立つので、殿下のお役に立てているのなら育てた甲斐があったというものです」
 公爵は自信たっぷりな笑顔を張り付けたまま答える。その言い方に、シオンは引っかかった。
 リュミエルは庶子である。このことはリュミエル本人から聞いた話だった。母親が亡くなった際に、父親がルシアンであることを知ったという。いろいろあって彼の息子であると認知されたが、公爵家では肩身の狭い思いをしてきたという。リュミエルは唯一誇れる魔術の才能を伸ばし、宮廷魔術師に採用され、成人する前に家を出たそうだ。
 苦手だ、とシオンはリュミエルの話を聞いて思った。その感覚はゴルドビーク公爵と対峙してみて、確かなものとなった。母親の友人関係があるにしても、あまり深く関わらないほうがいいかもしれないとシオンは考える。

 それからしばらくの間、シオンはゴルドビーク公爵夫人とリヴィエール伯爵夫人に捕まったままだった。彼女たちは昔の話に花を咲かせ、グラデシアのことをよく聞かせてくれた。母親のことを聞かせてもらえるのは嬉しかったが、少々疲れてしまった。
 その後、他の貴族たちも挨拶をしに来てくれたが、いまだにグラデシアのことを疑っている者たちは寄ってこなかった。しかし、それでも数は多かった。暗記した貴族名簿のおかげで会話に困ることなどはなかったが、一息吐けるころにはへとへとになっていた。

 少し一人になろうとベランダに出る。夜風に当たりながら皇宮の外を眺めていると、いつぞや見かけや魔法使いの塔が見えた。距離は遠いような近いような。はっきりとしないのは、魔術で誤魔化しているからなのだろう。
 ──どうして皇宮の敷地内に、魔法使いの塔があるんだろう。
 初めて皇宮を訪れてから、シオンは度々あの塔を目にしていた。だが、魔力を持たない人たちは認識できないようで、シャーリーンに訊いたらその存在すら知らなかったという。
 ぼーっとしながら塔を見ていると、ふいに誰かが背後に立つ気配がした。

「お飲み物はいかがですか、オラシオン殿下?」
 振り返ると、一人の貴族令息が両手に果実水の入ったグラスを持って話しかけてきた。齢はシオンより少し上くらいだろうか。中性的な顔立ちだが、わずかに少年味を感じる。
「じゃあ、せっかくだから頂こうかしら。マルミュール辺境伯令息」
 そう答えて、シオンはグラスを受け取った。そして、互いに顔を見合わせる。

 ──プッ!

 二人はどちらともなく噴き出した。
「どこぞの貴族の子だとは思っていたけど、まさか辺境伯の弟だったとはね」
「それはこっちの台詞だよ。まさか貧民街の片隅で私を助けてくれた女の子が、皇女様だったなんて」
 身分の差を気にすることなく、二人は笑い合う。彼が、シオンが会いたいと思っていたもう一人の人物、ファビリス・マルミュールだった。
「あれから丁度一年くらい経つかしら」
「そうだね。あのときのことは今でも感謝しているよ」
 ファビリスが持ってきた果実水に口をつけながら、二人は懐かしそうに言葉を交わす。
「実は、改めてお礼をしようと、春先に貧民街の家を訪ねたんだよ」
「そうだったの?」
「けど、君はもういなくて。近所の人に訊ねたら、豪華な馬車に乗った父親に引き取られていったって言うから、もしかしたら、どこぞの貴族の落とし種だったのかな。そしたら、どこかのパーティーとかで会えるかもしれない──なんて思っていたら、まさかの皇帝の娘でさ。陛下と一緒に会場に入ってきたのと見たときは本当に驚いたんだよ?」
「それはそれは。驚かせちゃってごめんね」
 悪びれる様子もなく、シオンはクスクスと笑う。

 そんな二人の様子を見て、目を丸くさせる人物が一人。
「もう友達ができたのかい?」
 声をかけてきたのは、ロシエルだった。「君は確か、マルミュール辺境伯令息だね。シオンとはどういう関係なのかな?」
 突然現れた第三皇子に、ファビリスは慌てて頭を下げた。そんな彼とシオンの間に、ロシエルは割って入る。
「彼、貧民街で迷子になっていたんです」
「迷子?」
 シオンの言葉に、なんで? とロシエルが首を傾げる。

「私の趣味が美術品集めでして、貧民街に掘り出し物を売っている店があると聞きまして」
「僕とあまり齢が変わらないと思うけど、なかなか渋い趣味だね」
「もともとは祖父の趣味だったんですけど、一緒にコレクションの整理をしていたら興味を持ってしまって。好奇心で、貧民街に足を踏み入れたら、うっかり迷ってしまってしまったんです」
 ファビリスは恥ずかしそうに頭を掻く。
「お忍びとはいえ身なりが良いものだから、悪い人たちに絡まれてしまっていて。そこに偶々居合わせたあたしがちょっと手を貸してあげたんです」
「なるほど」
 魔法動物を助けるために木に登るような子だけあって、困っている人に手を差し伸べるくらいのことはするのだろうとロシエルは納得した。

「本当に、殿下には感謝しております。いつか恩返しをさせていただきたいと思っています」
「そうか。そういうことなら、これからも妹の良き友人でいてくれたまえ」
 ロシエルの言葉に、もちろんです、とファビリスは答えた。
「さて、僕はそろそろシオンとダンスをしたいのだけれど、いいかな?」
「いいですけど、足を踏んでも怒らないでくださいね」
 飲み干したグラスを置いて、シオンは差し出されたロシエルの手を取る。
「そんなことで起こったりしないよ。むしろ二回目のほうが上手く踊れるかも」
「そうだといいんですけど」
 確かに、一度経験したことでいくらか落ち着いていた。だが同時に、リチャードの足を踏んづけたり、躓いたりしたという実績も存在している。安心しきれない気持ちを抱えたまま、シオンはホールに戻っていった。
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